「後藤さん、後藤警部」

 

隣りの相方が肘でつつく。見れば、向かい側の商売敵の動きがとたんに慌しくなっていた。

 

「こりゃ『サンタ』の動きに何かあったか?」

「A班、『サンタ』の動きを報告しろ!」

 

すかさず相方が指令を出す。

 

【いえ、こちらは異常ありません。ただ、捜査三課の尾行がばれたらしく巻かれて泡喰ってます】

 

ざまぁみやがれ、と彼の口だけが動いていた。

無理もない、尾行にかけては自慢じゃないがこっちの方が数段上だという自信はある。

 

「それじゃあこっちも同じ轍を踏まないように。刑事部の連中に正しい尾行のやり方を教えてやれ!」

 

その言葉に士気を刺激されたらしく、威勢のいい返事で通信が切れた。

 

しかし、いくらホテルやビルの中に飲食店が点在しており、忘年会帰りで多少ざわついているとしても、

人ごみに紛れるのであれば東口の歌舞伎町界隈あたりの方がいいはず。なのになぜ・・・

 

そのとき、南口に降り立った一人の男が目に留まった。

スーツに防寒コート姿、一見すれば何の変哲もない小市民として、年末の酔客の群れあたりに溶け込んでしまうだろう。

しかし、一種異様な雰囲気を発しているのがこの眼には感じられたのだ。

なんだかんだ言って公安の職業的勘、というものだろう。

あの顔は、間違いない。

 

「『トナカイ』だ」

「えっ?」

 

しばし優越感に浸っていた相方は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で聞き返す。

 

「こちら本部、こちら本部、『トナカイ』発見。直ちに尾行に入る」

 

トランシーバーで全捜査員に告げる。スピーカー越しに彼らの雰囲気が一変するのが判った。

 

『北』に中古車を卸す商社の社長とは表の顔、裏ではご禁制のハイテク機器を密輸するブローカー、『トナカイ』。

そしてレイバー窃盗団の幹部『サンタ』。

この新宿という舞台に、役者は揃った。

 

「後藤さん、ホントに『トナカイ』なんですか?」

 

一歩出遅れ、半馬身の差で奴を追う相方が言う。

写真を何枚か見たことがあるとはいえ、それは全て人目をはばかるような横顔ばかりの、

いわば芸能人の密会写真のようなものばかりだったからだ。

しかしそこからだけでも奴の発する雰囲気というのは読みとれる。

いや、そこから読み取れないようでは一人前の刑事とは言えない。

そして、その写真が発する雰囲気と、さっき奴の振りまいてた雰囲気は同じものだった。

 

「見ろよ、やたらと周囲を気にしてやがる。

『トナカイ』でなくてもこの街で何かよからぬことを企んでるには違いないさ」

 

ぱっと見ではそれほど怪訝な動きをしているようには見えないかもしれない。

しかし、この緊張感も何もあったもんじゃないイヴの新宿の中で、奴の警戒心は明らかに浮いていた。

その間にも奴の足は北へ、新宿三丁目方面に向かう。

 

【後藤警部、『サンタ』が大ガード下をくぐりました】

 

もう片方を追いかけている部下から通信が入る。

目は『トナカイ』を追いながら耳は街の喧騒の中、トランシーバのイヤホンに集中しなければならない。

 

「大ガードってことは、もしかしたら歌舞伎町かもしれないな」

 

そうつぶやくと、隣りが嫌な顔をした。

この時期に歌舞伎町に充満しているのは、タチの悪い酔客ばかりだ。

そんな輩に尾行の邪魔をされるのは俺だって願い下げだ。

 

「東口に出れば混雑はもっとひどくなる。くれぐれも見失うなよ」

【了解】

 

気がつけば『トナカイ』との差はかなりついていた。

「見失うな」と言っておきながらこっちが見失ったのでは洒落にならない。

かすかに見える頭を頼りに再び足を速める。

すでにイルミネーションの通りは抜けたが、奴もしたたかなものでわざわざ駅のロータリーへと向かっていた。

買い物袋を抱えた家族連れ、肩を組む恋人たち、そして忘年会帰りと思しき酔っぱらいたちが

吸い寄せられるように駅へと向かう。その間を奴は縫うように進んでいった。

 

奴がサラリーマンの一団にぶつかる。

彼らは酔ってるらしく、奴に一言二言罵声を浴びせてその場を去ったが、

奴の方は顔を覚えられるような真似をしたからか、多少動揺してるのが遠くからでも見えた。

そのとき、

トスン、と何かがぶつかる軽めの音がした。

目の前で若者と子供の抱えた包みとがぶつかったのだ。

「危ねぇな。子供はさっさと帰んなよ」

と若者は脇に連れた同じくらいの女と共に通り過ぎる。

だが子供の抱えていた包みは、その小さな体には大きすぎた。

ぶつかった衝撃でバランスを崩した子供は車道へとはみ出してしまう。

そこにはタクシーのヘッドライトが――

 

ブレーキ音、新宿の喧騒が一瞬にして静寂へと変わる。

それはまるで時間が止まったかのようだった。

そのときのことは自分でも良く覚えていない。

ただ、体が勝手に動いていて気がつけばその子を抱えて道路へと横たわっていたからだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

慌ててタクシーの運転手が飛び出す。

タクシー乗り場に止めようと減速していたために、幸運にも俺たちの前50cmほどで停まっていたのだ。

アスファルトに体を叩きつけたせいで打ち身はするが、それ以外の傷はない。

そして、俺の腕の中にいる子供は、どうやら無傷のようだ。

ただ、道路の真ん中には路面と激突した衝撃で大きくつぶれた包みが転がっていた。

包装紙からするとどうやらおもちゃ、クリスマスプレゼントらしいが、中身はもはやぐちゃぐちゃだろう。

 

周囲には人垣ができていた。

そこから散発的に拍手が起き、次第に東口ロータリーの一角が拍手と歓声に包まれていた。

しかしその最前列に一つだけ浮かない顔があった。相方だった。

人垣をすり抜けて輪の外に出る。

 

「後藤さん何やってるんですか、『トナカイ』を見失ったじゃないですか」

 

顔をしかめて詰め寄る。

 

「じゃあ訊くがお前は何のために『トナカイ』追ってるんだ、何のために警察やってるんだ!」

 

彼の顔色がみるみる青冷めていく。自分でも恐ろしく凶悪な顔をしているに違いないと判っていた。

将来の国家的危機と目の前の、それに比べれば些細な、しかし当事者にしてみれば決して小さくはない危険。

前者より後者の方が大事だとは公安の刑事である手前言うことはできない。

しかし、言うことはできなくても、少なくとも自分の中では等価であると思い続けている。

国家の平穏とささやかな幸福、それは決して違うものではない。つながっているはずだ。

 

「まぁ、見失っちまったものは仕方ない。先のことを考えようや。

一応、半分以上はおれのミスでもあるわけだしな」

と肩を叩く。

相手がいきなり下手に出たんでは、怒りをぶつけたくてもぶつけられない、ぶつける甲斐もない。

憤りの行き場をなくし憮然とする相方を横に、コートの襟につけたマイクを近づけて指令を出す。

 

「あー、こちら本部。悪いが『トナカイ』を見失った。

おそらく歌舞伎町及びその近辺で『サンタ』と合流すると思われる。

本部及び東口の各班は『トナカイ』発見に全力を尽くす。

A班は引き続き『サンタ』をマークしろ。奴まで見失ったら今夜はもうおしまいだからな」

【了解】

【了解】

【了解】

 

さすがに警察内でも実力と忠誠心を買われて引っこ抜かれた公安だけのことはある。

彼らは動揺した様子もなく返事をよこした。

しかし隣りはまだいじけた目を俺に向けていた。そこに、

「あなたが――うちの息子を・・・?」

 

振り向くとさっきの子供とその両親が恐縮した様子で立っていた。

 

「すいません、この人込みの中ではぐれてしまい、気が付いたときには遠くでブレーキの音がして、

『まさかうちの子じゃないか』って慌ててそっちに行ったんですけど人込みで近づけませんで――」

 

そう息子の肩を抱きながら話す父親は、相方と年は大して違わなかった。

「本来ならあの場できちんとお礼をするべきだったんですが・・・あの、なんとお礼を言っていいものやら――」

「息子の命を救っていただき――」

 

母親が土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。

相方はというと、またも眉をひそめてこっちを見ている。

「そうやってグズグズしてる間に『トナカイ』に逃げられますよ」と表情全体で言っている。

でもこの場を逃げ出すわけには行かないんだよ。

 

「いえ、いいんですよ。うちにも同じくらいの子供がいますし、それにとっさのことでしたから」

 

見れば子供は後生大事につぶれた包みを抱えていた。

 

「クリスマスプレゼント、台無しになっちゃったなぁ。おじさんが弁償しなきゃいけないかな」

「いえ、いいんです」

 

父親がきっぱりと言った。

 

「この子の命が助かっただけで、立派なプレゼントですから」

 

そう言うと彼は息子の頭を下げさせながらも自分も深く頭を下げ、その場を後にした。雑踏に消えていく家族の姿を見ながら、相方がふとつぶやいた。

 

「俺たちって、サンタクロースなんですかね」

「ん?」

「日本全国に平和と安全っていうプレゼントを配る、サンタクロースなんですよ」

 

語尾が疑問から断定へと変わる。

「そうだな、だからサンタの名を語る不届き者をしょっぴかにゃならない」

 

すると彼の顔にはじめて笑みが浮かんだ。

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