(――やっぱ同じ刑事部っていっても、一課から三課じゃ話通らないか)

 

「後藤さん、こっちにもいやがった」

 

相方が視線で指す。やはり同業らしい冴えない中年が、眼ばっかギラギラさせて人込みを見張っていた。

 

「南口の真ん前だ、『本部』置くのにここよりいい場所はないってことはあっちもおんなじだろうさ」

 

新宿駅南口前の本部――といっても俺と外事の相方とトランシーバー1つだけだが

――には、『サンタ』の動きについて逐一部下からの報告が入った。

それを聞けば、地図を見るまでもなく奴の動きが判る。

かつては『庭』と呼んだ場所だ、20年近く時が経っていてもその通りの一本一本は頭の中に入っている。

しかし、

「ちきしょう、『トナカイ』はまだか!」

 

通りをはさんで商売敵がいるにもかかわらず、隣りの相方は声を荒げる。

 

「そもそも『トナカイ』なんてふざけた暗号つけやがって」

 

『サンタ』と『トナカイ』、そう暗号を決めたのはうちの若いのだった。

「この時期にぴったりじゃないですか」そういって受け入れられたが、

いざその時期が近づくにつれて、その暗号はその日が本来何の日か、どうあるべき日なのかということを

俺たちにちらつかせるようになっていた。

 

「大体、周りはクリスマスだ忘年会だって騒いでいるのに何で俺たちばかりが仕事しなきゃならないんだよ」

 

吐き捨てるように言った。

どうやら12日間の不満が爆発しかけているらしい。無理もない。

ここは新宿、日本一の繁華街の真ん中だ。

通り過ぎる人々はみな何がしかの開放感に浮かれているのに、

ここにいる俺たちだけが重い荷物を背負わされているのだから。

このイルミネーションだって、超過勤務の捜査官たちには目の毒だ。

 

「でもな、おれたちがこうやってクリスマス返上でやってるから

みんなクリスマスだ忘年会だってできるんじゃないのか?」

 

そう思わなければやっていられない。

公安警察なんてのは事あるごとにやれ社会のため国家のためだと大風呂敷を広げたがるが、

これは結局こういうことなのだ、と自分では思う。

こうやって手の届く範囲を守っているのは俺たちなのだと。

それはもちろん、今夜も家でいつとも判らぬ帰りを待っている家族も含む。

そう思うからこそ、一度は心底憎んで捨てた今の仕事を続けられるのだ。

 

しかし、それにも限度がある。

俺だって同じ子を持つ親だ、彼の気持ちは充分よく判る。

イヴには前々からケーキの予約を入れてある。

息子は眼を輝かせてプレゼントを待っている。

だが、このような刑事の個人的犠牲によってこの国の平和が守られていると思うと、どこかやりきれなさが残る。

それに、本庁の机の足元に、子供へのプレゼントがしまい込まれてある。

3日前、尾行の指揮を中座して急いで買ってきたものだった。

 

閉店間際のおもちゃ売り場にはすでに子供の歓声はなく、閑散としたフロアにジングルベルが寂しく響いていた。

その真ん中辺、男の子用の売り場には一頃のミニカーやラジコンカーのように、

レイバーのおもちゃがずらりと並んでいた。

篠原のグラディエイターや菱井のグリズリー、マニアックなとこでは

自衛隊の現在の制式採用であるバーバリアンもある。

その中に一つだけ、白と黒のツートンカラーがあった。

もちろんパトレイバー、それも現行モデルのAV-7・マーヴェリックだ。

しかし、いかんせん子供のおもちゃだ、造りがちゃちい。

昔むかしの超合金のように腕は前後に動くだけだし、

よく見れば胸の桜の代紋も鋳抜いているのではなくシールが貼り付けてあるだけだ。

こんなもんでパトレイバーだと、笑わせるな。

そう口に出したくなる自分に思わず苦笑した。

やはり俺もあの埋立地から一生離れられないらしい。

それに、こんなちゃちいのを買ってきたら妻になんて言われるか。

彼女にだって元パトレイバー隊の意地がある。

そう思っておもちゃのレイバーを棚に戻そうとすると、

「プレゼントでしょうか?」

 

すかさず若い店員が声をかけてきた。

 

「レイバーのおもちゃをお求めなら、これなんかいかがでしょうか?」

と取り出したのは一回り大きい箱だった。値段も二回りぐらい大きい。

どうせならより高いのを買わせようとする魂胆か。しかし、

「こちらはあっちとは違って腕の関節もこのように自由に動きますし、それにほら」

 

腕のスイッチを入れるとばね仕掛けで手が延び、同時に脚の側面が開いてリボルバーキャノンが飛び出す。

イングラム以来のギミックだ。思わずこっちも手が伸びる。

しかし次の瞬間、店の奥に飾られているミニチュアレイバーの一体に目が釘付けとなった。

間違いない、AV-98、イングラムだ。

どうせ買うなら・・・。

大人気ないこだわりだと自分でも思う。

いつまでも過去の栄光にしがみついているようで、傍目からみれば見苦しく映るだろう。

しかし、それは妻も判ってくれるはずだ、そして息子も。

 

「あの、奥に飾ってあるイングラムは――」

「イングラム・・・ああ、あれですね」

 

途端に店員は眉根を寄せた。

あれはしょせん展示品か。

彼女はレジの向こうでなにやら売り場責任者らしき人物と話し合っている。

その彼がこっちを見た。そして、さっきまでの店員に代わり応対に出た。

 

「あちらのイングラムでございますね、かしこまりました」

 

「でも主任・・・」と若い店員の方が声をかける。

しかし彼は部下に二言三言いうと納得させてしまった。なんと言ったかはこちらからは聞き取れない。

まさか俺の顔を知っていて、特車二課の元小隊長だと知っていたから、なんてことはないはずだが・・・。

そしてイングラムは可愛い包装紙に包まれて俺の手に渡った。

そしてそれは今本庁の暗い部屋の中でじっと出番を待っているはずだ。

包装紙を開けられて、子供の笑顔と出会う瞬間を。

 

しかし、その前に片付けなければならない仕事がある。

凍える手に息を吹きかけながら、周囲の人込みに目を配る。相方もまた、駅の人の出入りを注視していた。

 

「そういや後藤警部、おたくのとこの室長、今度警察庁にお帰りになるそうですね」

 

その彼が視線を駅入り口に向けたまま言った。

 

「ああ。話によるとウチの組織レイバー犯罪対策室を全国展開したいんだとさ」

 

そして旧友の話には続きがあった。

 

「そういや後藤さん、あんた栄転になるんだって?」

「え、何でもう知ってんの。さすが松井さん、情報が早いねぇ」

「よせやい、サッチョウがいよいよ本格的にレイバーに手ぇ出すってんで、

同じレイバー畑だからこっちの上役も何かと噂しててね。それを小耳に挟んだだけさ」

 

キャリアの室長にくっついて、警察庁警備局レイバー取締課設置準備室に出向。

ノンキャリアにとっては異例の人事だ。

どうやら室長の強い希望らしい。いたく気に入られたもんだ、と自分でも思うが

結局のところ、公安でレイバーの『現場』を知っているのは自分しかいないというのがそもそもの理由だろう。

かつて厄介払いで特車二課に預けられていたのが今になって重宝されているというのは皮肉な話だ。

 

しかし、その話はまだ内示段階、しかも俺の返事待ちだ。

決して軽々しく口の端に上る話じゃないはずだ。それはともかく。

 

「これで時間外労働とはおさらばして、家族サービスに精出せるんじゃないか?」

 

確かに、警察庁の仕事となれば今とは違って9時から5時、週休2日のデスクワーク中心になるだろう。

この半年だけで長期出張が3回も入ったが、その回数も期間もぐっと減るに違いない。

家に帰って子供と遊んでやったり、休みにはどこかに連れ出してやることもできる。

今の状況じゃ、帰っても見られるのは子供の寝顔と、待ちくたびれた妻の疲れた表情だけだ。

職場の同僚だった彼女も今は本庁の警備一課でデスクワークの毎日だ。

とはいえフルタイムで、その上家事と子供の世話をほぼ100%見ているのだから、その苦労は察するに余りある。

「出世はする、仕事は減るで申し分ない話じゃないか」

 

それは自分でも判っている。しかし、いまいち気乗りしないのだ。

 

「そう言われたってねぇ、余りにも虫のいい話だもん」

 

話が旨すぎるのだ。その奥についつい落とし穴を想像したくなる。

『カミソリ』と呼ばれ、上司に期待され、重宝はされてもその一方で煙たがられているというのは

自分が一番よく感じている。

何か罠があるに違いない、と常に最悪の事態を予想してしまうのは

人生に大きく負け越してきた男の悪い癖なのかもしれない。

たとえようやく今になって勝ちを重ねてこれたにせよ。

 

「それともまだ現場に未練があるっていうのか?」

「そうかもしれないな。今まで現場一筋だったわけだし」

「そうは言っても、お互いいい年だ。おれだって、今はどっちかって言えば若いのを顎で使うことが多くなってきてる」

「おれだってそうだよ。埋立地にいたときから変わらないさ」

 

そのとき、彼は改めて俺を見た。

 

「後藤さん、あんた公安の仕事を辞めたくないって言うんじゃないだろうな」

「まさか。今でもこの仕事は虫唾が走るほど嫌いだ」

「じゃあなぜ――」

「嫌いだからこそ続けてられるようなもんさ。おれは公安の型になんかはまらないぞってね」

「だから嫌なのかい、本丸に乗り込むのが。

そこで身も心もどっぷりと奴らの論理に染まってしまうかもしれないことが」

 

その問いにはそのとき答えられなかった。

もしかしたら、そういうことなのかもしれない。

現場に身を置いていれば、その時々に、本当に守るべきものは何かを実感することができる。

しかし、監視台から見下ろすだけだと、そんなことも忘れてしまいそうな気がする。

小さな豆粒程度にしか見えない人間にも、一人ひとり背負っている生活、背負っている幸福があるということを。

それを忘れてしまったら自分はもはや公安捜査官である資格、警察官である資格はない。

そう誓ったのだ。

再びこの世界に足を踏み入れたとき、そして一番守りたかったはずのものを失ったときに。

 

流れるように通り過ぎていく人々の顔を見ながら、

彼らの一人ひとりにも守るべき小さな幸福があるのだろう、そんなことに思いを馳せていた。  

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