栃木、佐野藤岡――。

平日の午後ということもあって、レジェンドは順調に東北道を南下している。

前の運転席と助手席には互いの立場も忘れて歓談する後藤と強盗犯、

後部座席にはそんな二人にうんざりしながら耳を傾けるしのぶを乗せて。

車は川をまたぎ、県境を越えた。

 

もはやしのぶは、前で起こっている出来事には我関せずを決め込んでいた。

これはわたしには関係ないことだ、勝手に後藤さんが招いた自体なのだから。

そうすることで彼女は内心の動揺を抑えようとしていた。

それにはもちろん、彼らの言動で一喜一憂する自分に嫌気がさしてきたからでもあろう。

ともかく、彼女の中では座席のところに見えないカーテンが設定されていた。

その奥から話し声が聞こえてくるが、それはもう関係のないことだ。

 

「でも、それにしちゃあ随分年が離れてるんでないかい?」

 

前部座席では和やかなムードの中、男は微妙なところを突っ込む。

 

「実は2 回目なんですよ、おれ」

 

前方に続く車の列を見ながら、後藤は言った。

 

(後藤さん、別にそんなことまで言わなくても――)

 

しのぶも後藤の過去のことは噂話程度なら知っている。

かつて結婚していたこと、その妻はもうすぐ生まれてくる子供とともに亡くなってしまったこと――。

 

「逃げられたんか?」

 

助手席の男がにやりと笑う。

 

「まあ、そういうことで。もしかしたら、おたくも?」

 

次の瞬間、男の表情が曇った。

 

「ああ、2 回もだよ。最初の女房との間には子供もいた。男の子でさあ。

でも酒と、あとギャンブルで、それで借金。

息子ともども逃げられちまった。

でもさ、一度はやり直そうと思ったんだよな。

ちゃんと定職について、ギャンブルも止めて。

それでもう1度結婚したんだ。

でも身についた癖は止めらんねえもんだな。

またギャンブルにはまっちまって、借金もいつの間にか膨れ上がった。

また女房に逃げられた」

「で、借金返そうと銀行強盗、ってわけかい」

「……………」

 

男は黙ったままだった。

 

しのぶは男の言葉をずっと黙って聞いていた。

その独白から彼女の中にはふつふつと湧き上がるものがあったが、

自制心が自分の引いた境界線を踏み越えることを禁じていた。

だが、後藤の反応を見るためにちらりと覗き込んだミラーの隅に、

助手席の男の表情を見てしまったのがいけなかった。

見えないカーテンでは限界があった。

本物のカーテンなら前の様子は見えなかっただろうに。

 

「――なに被害者面してるのよ」

 

我慢の限界だった。

押し殺した声でしのぶは言った。

 

「あなた奥さんたちのことを考えたことがあるの?

借金だってあなたが勝手に負けてこしらえたものでしょう?

なのに奥さんは突然、こんな夫を持ったばっかりに

身に覚えのない借金を背負わなきゃならない羽目になったのよ!

それなのにあなたは、さもそれが仕方がなかったような口ぶりで、自分ばかりが可愛そうな様子で、

お酒飲んで、暴力もふるったんでしょうよ。

あなた本当に自分がやったこと分かってるの?」

 

しのぶは一気に、まるで機関銃のようにまくし立てた。

後藤も長らく彼女とともに仕事をしてきたが、ここまで激怒した彼女を見るのは初めてだった。

いや、初めてではなくても、それは片手で数え切れるほどに違いないだろう。

 

「そもそも後藤さんも!」

 

しのぶの怒りの矛先は次いで彼に移った。

 

「何でそんな男の肩を持つのよ!そんな人間の屑!

だいたいあなたも――」

 

その言葉には数年間自分を翻弄し続けた後藤への恨みも込められていた。

だがこれ以上しのぶが怒りにかられてまくし立てれば、何を言い出すか分からない、

あわや自分たちの正体を暴露する寸前に、しのぶの機関銃が止まった。

 

犯人が、しのぶに猟銃を向けた。

 

彼女の言葉が、男のプライドをずたずたに傷つけたのだ。

男は先ほどの陽気な、そして悲嘆に暮れた表情から一転して、怒りに顔を真っ赤にしていた。

 

「おめえなんかに分かってたまるか、おめえなんかに――」

 

このまま放っておけば本当に引き金を引きかねない。

そのとき後藤は車を路肩に急停車させた。

音を立ててきしむブレーキ、その反動で男はバランスを崩し、銃を抱えたままドアに倒れこむ。

そして後藤が、銃の上から男を押さえつけた。

 

彼の腕が震えているのは、男の抵抗のためだけではなかった。

その眼からは剥き出しの感情が見てとれた。

いとおしいものを目の前で奪われることへの怒り。

その気迫に男は震え上がり、抵抗を止めた。

すると後藤は手を放し、運転席へと座りなおす。

その眼はまたいつものように、本心を包み隠していた。

 

その、時間にしてわずかな間の出来事によって、車内の力関係は一変した。

今までは犯人の男に圧倒的な権力があったというほどでもないが、悪くても対等であった。

しかしそれ以降、男は世間話のあいだでもしきりに後藤の顔色をうかがっていた。

そして時々はしのぶの顔色も。

 

しのぶも吹っ切れたのか、それとも下手に出ている犯人に満足したのか、

後藤の描くシナリオ通りに話を進めていった。

共働きであり、家事は後藤の方がむしろ上手なこと、

というのもしのぶが実は箱入り娘だったこと、

そして夫を尻に敷き気味の妻という細かなディテールも。

まあ、これはもはや意識しなくても醸しだせるものだが。

もちろん後藤は平然と、さっきまでと変わらずにハンドルを握っている。

 

「どうしよう、もうすぐ浦和だ」

 

後藤はまたいつもの昼行灯調で言った。

浦和料金所、

東北道を抜けて首都高に入る車がすべて一度は抜けなければならない関門。

埼玉県警がそこで待ち構えているのは明白だ。

 

「それにしては車が少なくない?もしかしてほとんどわたしたちだけじゃないかしら」

 

確かにさっきから追い抜きも抜かれもされていない。

 

「きっと交通規制かけてるんだ、おれたちには分からないようにね」

 

そのような二人の会話を聞きながら、男の中には少しずつ不審が湧きはじめていた。

 

「おめえら、何もんだ?」

「言ったじゃない、教員夫婦だって。ねえあなた」

 

しのぶが言った。

「あなた」と言う口ぶりもすでに様になっている。

 

「そうですよ、ねえ」

 

後藤がそれに続く。

しかしこのやりとりも男の耳には白々しいものに聞こえていた。

 

「うっ、嘘だ、おめえら、警察かなんかだろっ!」

 

後藤がミラー越しにしのぶを見る。

しのぶもまた視線で返す。

レジェンドは今、運命の浦和料金所にさしかかろうとしていた。

 

 

 

 

 

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