「予想ではもうすぐ来る頃なんだがな……」

 

夕闇迫る浦和料金所。

松井刑事は腕時計とにらみ合いながらつぶやいた。

本来ならば埼玉県警の管轄で、警視庁としては出る幕がないのだが、

人質となっているのが本庁の警察官ということもあって、

本人たちとも面識のある松井が、応援という形で派遣されていた。

 

彼の前に一人の刑事が現れた。

 

「埼玉県警の斎藤です。今回の突入作戦で指揮をとることになっています」

 

40代始めの実直そうな刑事だ。

彼が敬礼で言ったので、松井もおぼつかない敬礼で返した。

 

「それにしても壮観ですね、車一つない料金所なんてのは」

 

料金所の数あまたあるゲートに、車は一台もなかった。

 

「ええ、栃木県警の失敗を教訓にしましてね。

これなら回りを気にせずにどんな作戦も取れる。

実際、急襲部隊も準備させています」

 

もちろん、ゲート前にはパトカーと警官たちが十重二十重に取り巻いて、

犯人たちを今か今かと待ちわびていた。

 

「ところで人質の件なんですが」

 

斎藤刑事が切り出した。

 

「二人とも警視庁の方だと」

 

「ええ、特車2課の小隊長、といえば聞いたことがあるでしょう」

 

ああ、と斎藤はうなずいた。

 

「それならば人質が一般人である場合よりやりやすいでしょうね」

 

松井はあえて答えなかった。

 

(さあどうだか。もしかしたら数倍やりづらいかもしれないぞ)

 

そうこうしているうちにレジェンドはするすると料金所のゲート前に現れた。

パトカーが動き出し、レジェンドを取り囲もうとする。

 

「ま、まいてくれ!」

 

犯人は後藤の頭に銃口を突きつける。

それでも彼に大きく出られないのがなんとも情けない。

パトカーの壁を築こうとする前に、レジェンドはわずかな隙間からそれを突破した。

残る関門は料金所のゲート、そこにはバーが行く手を阻んでいた。

 

「第2隊、何としてもゲート突破を阻止しろー!」

 

ハンドマイクを通して斎藤の檄が響き渡る。

しかし出鼻をくじかれたパトカーは犯人たちに追いつくことさえ出来ない。

 

「スピードを緩めんな、ゲートを突き破れ!頼むっ」

「それは出来ない相談ですなあ」

 

ライフルを突きつけられながらも後藤は言った。

 

「この車、実は女房のなんですよ、傷でも付けちゃあ、ねえ」

と言って『女房』しのぶの方を見る。

しのぶは黙ってうなずいた。

銃を突きつけられてもなお平然とする後藤に、犯人は恐怖さえ感じ始めていた。

 

「じゃ、じゃあこれでどうだ」

 

男は足元にあった鞄から札束を取り出した。

 

2万円じゃあ無理ですね」

 

後藤がそう言うと、男は慌てて札束を確かめた。

それは表と裏の2枚だけが本物だった。

 

「くっ、くそぉーっ!」

 

今まで腰を低くしていた男が激昂した。

男が引き金を引こうとした瞬間、後藤はドリフトターンで車を止めた。

急ブレーキで車内が揺れる。

男がバランスを崩したそのとき、後ろからしのぶが男を羽交い絞めにする。

そして運転席の後藤が男の手からライフルを奪った。

しのぶの腕の中で最初は激しく抵抗していたが、銃を取り上げられると犯人はすっかりおとなしくなった。

 

「しのぶさん、引っくり返して!」

 

後藤の言葉に、しのぶは男を仰向けに押さえつけた。

後藤は男の腕を後ろ手につかむと、締めていたネクタイで両手首を縛った。

 

耳をつんざくブレーキ音の後、料金所はしばらく静寂に包まれていたが、

その静寂に耐え切れなかったように斎藤は叫んだ。

 

「急襲部隊、突入―っ」

 

しかし、その次の瞬間、レジェンドのドアが突然開いた。

警官隊の間に緊張感が漂う。

だが、車の中から現れたのは、しのぶと、後藤と、がっくりとうつむいた犯人だった。

 

「後藤さん!」

 

静寂を破ったのは警視庁の松井刑事だった。

 

「おう」

 

当の後藤は軽く手を挙げて応える。

 

「全く心配ばっかりかけさせて――」

 

松井の愚痴をさえぎったのは、部下たちの歓喜の叫び声だった。

 

「たいちょおーっ!!

 

警視庁と書かれたパトカーから飛び出してきたのは、第2小隊の篠原遊馬と泉野明だった。

 

「いやー無事でよかったですよ」

 

遊馬が後藤たちのもとへと駆け寄る。

 

「ほんとにみんな心配してたんですからね」

 

野明の顔からは、

たとえほかの面々が心配しなかったとしても、彼女だけは明らかに心配していたであろうということが

ありありとうかがえた。

わりぃわりぃと、少し照れた様子で後藤が返す。

 

「ところでお前ら仕事は?」

 

駆けつけた1号機コンビの背中がぎくっと震える。

 

「どーせニュース聞いて駆けつけた第1小隊に勤務代わってもらって、

松井さんに無理言ってここまで連れてってもらったんだろ」

 

図星、である。

 

「ずいぶんと先生思いの教え子だこと」

 

隣にいたしのぶがつぶやく。

 

「しのぶ先生だって、ほんとは生徒にきてほしかったんだろ」

「全然。あの子たちは、いつも通り『授業』をやることが先生のためって分かってるから」

 

しのぶは微笑みながら言った。

こうやって二人にしか分からない『暗号』で会話していること自体が、彼女にとってとても心地よかった。

それはどうやら後藤も一緒らしい。

 

そして野明と遊馬、松井刑事は完全に蚊帳の外だった。

 

 

翌日。

いつもはろくに新聞も見やしない第2小隊が、今朝は新聞を囲んで騒いでいた。

 

「警官『夫婦』、ナイスコンビネーション、か」

 

野明が社会面トップの副見出しを声に出して読んだ。

 

「どれどれ、『日ごろ特車2課の小隊長としてコンビを組む2人だからなしえた、

夫婦以上のコンビプレーと言えよう』か」

 

遊馬が野明から新聞をひったくって音読した。

 

「インターネットの地方版にはもっと詳しく載ってますよ」

と進士が言うと、ほかの隊員も彼のパソコンの前に覆いかぶさる。

 

「こらこら、時間だよ」

 

進士のパソコンの前に折り重なる背中の上から、後藤が声をかけた。

いつもと同じ派手なオレンジ色の制服に、足はサンダル履き。

いつも通りの昼行灯である。

 

「事情聴取とかは行かなくていいんですか?」

 

野明が訊いた。

 

「ああ、そのことだけど午後から本庁行って話してこなくちゃならないんだわ」

 

それじゃあミーティング、と後藤はパソコンの前に居座る隊員たちをせかした。

 

その朝のミーティングも滞りなく終わり、後藤はくわえ煙草で隊長室に戻る途中、

ばったりしのぶに出くわした。

 

「あの、しの――」

「ごと――」

 

二人一緒に切り出したものだから、一瞬の静寂がただよう。

先に吹きだしたのはしのぶであった。

後藤は照れたように頭に手をやる。

「笑うことないじゃないの」

 

少し弱った様子で後藤が言った。

 

「だって……」

 

微笑むしのぶの笑顔を見て、後藤は思った。

これで昨日の一件はチャラだと。

しのぶの表情はいつもと何ら変わりはなかった。

いつも通りの『擬似夫婦』だ。

 

(むしろ犯人には感謝しなきゃいけないかな)

 

後藤は心の中で独りつぶやく。

 

「これから仕事?」

 

当たり障りない言葉をかける。

 

「いいえ、これから本庁に行って、昨日の報告も兼ねて事情聴取なの。

その前にみんなの顔を見ていこうと思って」

 

その後、人質となった彼女の心労も考えて、準備会合の報告は次の日に延期されたのだ。

 

「そりゃわざわざ、ご苦労さん」

 

後藤はいつもと変わらぬ表情で、まだ30分もいない2課棟から出て行く彼女を送り出した。

 

レジェンドのドアを閉めると、しのぶは昨日後藤が座っていたシートに腰を下ろした。

この中で全てが起きたのだ。

彼女はやっと昨日の出来事をゆっくりと反芻し始めた。

というのも昨日はあのままばたばたとしたまま、思い出す余裕もなかったからだ。

 

何よりはっきりと思い出されるのは

自分に銃口が向けられたときの、後藤のあの眼だった。

あのときの、切羽詰った状況ではその眼差しの意味は分からなかったが、

今、物事を落ち着いて考えられるようになって初めて、

しのぶはその裏の真意の、おそらく一つの可能性をはっきりと理解した。

 

(なにっ、もしかして後藤さんって・・・)

 

日ごろ、そして昨日も彼の本心を知りたいと思い続けていたが、

まさかこんなことで、思いもよらない本心にめぐり会ってしまうなんて

彼女自身思いもよらないことだった。

 

(まさか、そんなことはないわよね)

 

ほてった頬を抑えながら、しのぶが思い出したのは

今朝の、いつもどおりの昼行灯の彼だった。

そして、その奥に知られざる思いを秘めた後藤だったのかもしれない。

 

ともあれ、特車2課は今日も平和であった。

 

 

ところで犯人の男は、取調室でこう言ったそうである。

あの2人が特車2課の隊長だと知っていたら、人質にはとらなかったと。  

 

 

 

 

 

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“Patlabor”