だいぶしぼんだ赤い風船を追いながら、オレは外に出た。
目の前にはお台場名物・大観覧車、そしてそれを待つ、ほとんどがカップルの長蛇の列。

野明は隊長の袖を引っ張る。

「え、乗るの?」

野明の顔はせがむ子供のそれだ。隊長がこっちを向く。その眼がすまないと言っていた。
今日、今までこんな眼を投げかけたことがあっただろうか。
オレはたじろぐ。「そんな目をしないで下さいよ」眼で返す。それでも隊長は視線を外すことはなかった。

「あっ!」

そのとき、野明の手から風船が逃げていった。真っ赤な風船を目で追う。
しかし、それは下界の喧騒を離れて、真っ青な秋晴れの空に消えていった。

そして次の瞬間、隊長も野明も、オレの視界から消えていた。

(どこへ行きやがったんだ!)

休日のお台場は大混雑、157cmの野明なんかあっという間に人ごみに紛れてしまう。
オレは必死に今日の野明の姿を思い出していた。確か、茶色のベストにデニムのスカート、それからそれから――
気が付いたら頭の中は野明でいっぱいになっていた。
真顔の野明、泣き顔、怒った顔、そしてオレしか知らない最高の笑顔。

「どこ行っちまったんだよ」

周囲を見回しながら、さりとて動き出せずに独りつぶやいた。その横を、赤茶けたショートカットが横切る。

「野明っ?」

その消えた方へと、人ごみをかき分けて進む。後姿を見つけた!見失わないうちに手首をつかむ。

「野明っ!」
「・・・誰ですか?」

人違いだった。まだ中学生らしきその少女はGジャン姿、明らかに野明じゃない。

「あ、どうも、失礼しました・・・」

しりつぼみに謝る。少女は怪訝そうな目でこっちを見ると、そのまま人ごみの中に消えてしまった。
オレは途方にくれる。まるでこの世界から野明が消えてしまったような、そんな気がした。

「遊馬?」

誰かがオレの名を呼んだ。反射的に振り返る。

野明だった。

「やっぱり、後ろ姿が遊馬だったから。でもなんて格好してんの?」
「いーだろ、別に」

ついつい声がムキになる。

「それになんでここにいるんだよ」
「いーじゃねーかよ、一人でお台場に買い物に来てたって!だいたいお前、た――」
「おー。泉、ここにいたのか。それに篠原も」

うかつにも目的をばらしそうになった瞬間、隊長が手を振る。
オレの顔を見てもすっとぼけている。さすが、カミソリ。

「たいちょおーっ」
「悪ぃ悪ぃ、きれいなお姉さん見てたらはぐれちゃって」
と言いながらも手には紙コップが2つある。

「泉。お前そーいえば観覧車乗りたいって言ってたっけ。篠原と乗ってくれば?」

突然の提案だった。隊長は手にもった紙コップを差し出す。オレと野明は戸惑いながらそれを受け取った。

「ほとんどカップルばっかだね」

隊長から渡された3000円(オイっ!)でチケットを買うと、野明はそうオレに話しかけた。

「オレたちもカップルに見えっかな」

野明はオレの格好を上から下までじろじろと見回す。

「なんだよ」
「やだな、こんな怪しいやつとカップルって思われるのは」

仕方がないだろ。尾行用の変装なんだから。
すると野明は突然オレのサングラスをはずすと、いたずらっ子のようにそれを高く掲げてみせた。

「なっ、なにすんだよ、返せ!」
「返してあげないよーっ」

野明はそのまま回ってきた観覧車のゴンドラに乗り込む。オレも中に座ると、サングラスを返してもらえた。

「ただし、ここではかけないこと」
「はいはい」

野明はトートバックの他に、さっきの紙袋も持っていた。

こうやって近くで見てみると、ピンク色の唇だけでなくしっかりとめかしこんでるのがよく分かる。
肌の感じだっていつもと違う。そして、香水なのかただの化粧品の匂いなのかよく分からないが、
甘い感じの香りがゴンドラの中に漂っていた。
こんな野明と至近距離にいると、なんだかこっちがドキドキしてくる。

その野明はオレを見ながらなぜかもじもじしていた。
だから、オレの前でそんな仕草をするのはやめろ!よけいドキドキしてくるじゃないか。

「渡そと思ったけど、やっぱやめた」
と言うと膝の上の紙袋を下に置いた。

「何それ」
「教えなーい」

そう言って見せる笑顔はいつもと同じだが、だからこそいつもとのギャップがまぶしい。 

「これ、冷めないうちに飲もうよ」

それはさっき隊長から渡された紙コップだった。ロゴからそばのオープンカフェのコーヒーだと分かる。
ただ黙ってコーヒーを飲みながら、野明は、そしてオレは日の傾き始めた東京湾岸の大パノラマを眺めていた。
お台場、有明と新しい建物が並ぶ先に見える荒野はバビロンプロジェクト作業現場。
そのコントラストが上空からははっきりと浮かび上がった。

「あ、ウチが見える!」

野明が指差した『ウチ』とは特車2課棟だった。

「ふーん、ちっちゃいな」
「周り、なんもないね」

気が付けば隣は大パノラマをバックにキスシーンの真っ最中だった。
見てるこっちが赤面してくる。すると、野明はじっとオレの顔を見つめていた。
オレの顔に何か付いてるのか?いや、違うという結論に達するのにやや時間がかかった。
まだ、心の準備が・・・

だが、野明はオレの前髪をかき上げるとぐっと顔を近づける。

「傷、だいぶよくなったみたいだね」

き、傷か・・・。

「あ、ああ。もうかさぶたになったから、もうすぐ直ると思う」
「よかった、跡残んなくて」
「跡って、普通男の傷跡は気にしないだろ」
「え、でも」

気が付けばいつもと違う野明が至近距離に入る。動悸があっちにまで伝わりそうだ。

「だいじょうぶ?遊馬、顔赤いよ」

熱でもあるんじゃないの?とこの鈍感がさらに顔を近づけようとした瞬間、
ゴンドラが揺れて、その拍子に野明が倒れこんだ。その唇は、ちょうどオレの傷跡にぶつかる。

「キスマークが残っちゃった」

何事もなかったように微笑む野明。しかしオレの顔はさらに熱を帯びていった。

 

 

BackNext

 

"Patlabor"