「おーい、何やってんだー」

玄関では遊馬がすでに靴を履いて待っていた。

 

「ラピスラズリのピアスが見つかんないのよぉ」

 

2階の寝室では野明がまだ引き出しの中を探し回っているに違いない。

 

「ラピスラ・・・ってどんなのだ?」

「ほら、瑠璃色の・・・ってもー、お父さん、探しに来てよ」

「あたし行く!」

と娘の花南が階段を駆け上がる。寝室では、母が鏡台の引き出しという引き出しを引っかき回していた。

 

「もー、まったくどーしたの」

 

しかも、いつもの普段着や仕事用のスーツならいざ知らず、パーティ用のワンピースに身を包みながら

部屋中を探し回っている姿は、ぱっと見こっけいですらある。

 

「前着けてったのは3年前だもんね。だからどこ行っちゃったか分かんなくてねぇ」

「あれ、これじゃないの、もしかして」

 

花南が見つけたのは、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた、いかにも宝石が入ってそうなベルベットの小箱だった。

 

「あーそれそれ!こないだ着けてこうと思って、忘れないようにって出しといたんだっけ」

 

それを忘れてしまっただけの話である。

 

「おーい、もう車が来ちまったぞ」

 

下では夫が呼んでいる。

 

「はーい、今行きまーす」

 

鏡の前でピアスを着けて、おかしくないか最終チェックしてから、さらに娘に確かめさせた。

 

「花南、おかしくない?」

「バッチリ!」

 

親指をぐっと立てる。それを確かめると野明は急いで階段を駆け下りた。

 

玄関先には会社が用意した黒塗りのハイヤーがついていた。

 

「帰りはいつ頃になりそう?」

 

兄の遊驥が声をかける。

「なるべく早く帰ってくるつもりだけど、なにせ船上パーティだから船が港に着かないと帰れないのよ。

夕飯はちゃんと用意してあるから、いい子で待っててね」

 

それだけ言うと、母はばたんと後部座席のドアを閉めた。

 

今夜はシャフト・エンタープライズ本社主催の新OS発表パーティだった。

場所は同社の所有する豪華客船『長城(グレートウォール)U世』、

日本中はもとより、アジア全土から、いや、世界中のレイバー関係者がその船の上に集うことになる。

もともと、今度のOSは発表前からさまざまな噂の流れる、言わばいわく付きのソフトだった。

そして国家機密並みのガードがその噂をより信憑性の高いものにしていた。

そのガードはソフト開発陣の顔ぶれにも及んでいた。

 

「まったくなんでまた夫婦同伴なんだよ」

 

ハイヤーの後部座席で、遊馬がネクタイを直す。

 

「しかたないんじゃないの?シャフトって一応外資なんだし」

 

なかなか上手く結び目が決まらないのを見て、隣の野明が手を伸ばす。

 

「それにしても、パーティなんて久しぶりだなぁ。これくらい大きいのってなると、

エクセルの発表兼あたしたちの――」

 

会場に向かう車内から興奮しっぱなしの妻に、遊馬は咳払いを一つした。

ちなみにエクセルというのはパソコンのアプリケーションではなく、フルネームはAV‐3・エクセレンス、

17年前に発表されたヴァリアントの後継機種だ。

 

「言っておくが会場じゃくれぐれもはしゃぐんじゃないぞ」

「しないって」

「いーや、お前だったらはしゃぎかねん」

 

こういったやり取りは20年前とまったく変わらない。

 

「いいか?はっきり言ってお前は自分で思ってるよりもレイバー業界じゃ有名人だ。

ぜひともあの泉野明の現在の姿を見たいって客もいるはずだ」

「そうかな」

「そうだ」

 

断言する。

 

「だからわざわざ会長でも社長でもなく、たかだか副社長にすぎないオレのところに招待状がきたんだ。

それがお前――」

「どーせその実体は40過ぎのただのおばさんですよーだ」

 

フロントグラスの先には、晴海ふ頭に停泊中の満艦飾の『長城U世』があった。

花南の手紙に書かれた日付の、ちょうど前日だった。

 

*   *   *

 

それより数日前のこと。

シャフト・サイバーエンターテインメントの一色のところに、ある客がやって来た。

 

「あ、どーもどーもお待たせしてしまったみたいで」

と言いながら彼は客人に席を勧めた。

 

「どーもすいませんね、こーゆー業界だからロクに応対ができなくて」

「あなたが、『レイバー・クライシス』の開発者で?」

「ええ、アーケードと家庭用の両方を担当していますが」

 

その客は、年はいくつくらいだろうか。丸眼鏡の向こうに、鋭い目が冷たい光を放つ。

一色とあまり変わらないように見えたが、こうしてソファに向かい合わせで座っていると

年齢を重ねた疲れのようなものがうかがえた。

 

「よかったら、先月のアーケード版の全国大会の成績上位者のリストを見せてもらえませんか?」

 

それは唐突な申し入れだった。

 

「突然何を言い出すかと思ったら」

 

一色は笑みを浮かべながらソファにふんぞり返った。

 

「一応これには参加時に提出させる住所と電話番号のリストももれなく付いてくるんですから、

そんなの他人様にはいそうですかって渡して悪用でもされたら、こっちは社長以下重役全員が

カメラの前で頭下げるハメになるんですよ」

 

もっとも、あんなクソ重役が頭下げたってこっちの懐は全然痛くもなりませんけどね、と余裕たっぷりに言い放つ。

笑顔こそ浮かべているが、その裏には何があっても渡すもんかという強い意志があった。

面倒なことに関わり合いになるのはゴメンだ、と。

 

「それに、あなたがもしライバル社の開発担当で、彼らをテストプレーヤーとして雇い入れたら

こっちとしてはたまったもんじゃありませんよ」

「ご心配なさらずとも、あなたに損をさせるつもりはありません。

これでも我々は、かつてこっちに籍を置いていた人間ですからね」

 

シャフトに在籍した、と聞いても一色は未だにその笑顔を崩さなかった。その根性に、男はひそかにほくそえむ。

 

「なぁに、ちょっとしたゲームに参加してもらおうと思っているんですよ、あなたにも。

そして、参加するからには何かしらの協力をしていただきたいだけです」

 

ゲーム、と聞いて一色の胸が沸き立った。いつもならば余計なことに関わりたくない、

自分の好きなことだけして生きていたいというある意味とても現代的な青年だった。

しかし、この男の裏には危ない橋を渡ってでもやってみたい何かが、彼の目に見えていた。

それはその言葉だけでは形すらつかめない。

だがこの興奮は、もはや彼の笑顔の仮面を突き破ってきそうな勢いだった。

それはまさに、少年のころ、あのグリフォンに抱いた興奮のそれだった。

 

「それじゃあ、ちょっとチームぐるみでというのもアレなんで、僕個人として協力させてもらいましょう」

と言うと一色は側を通りがかった部下に行って、問題の名簿を持ってこさせた。

 

「ご協力、感謝します」

 

そう言うと丸眼鏡の男は名簿をめくり始める。すると、ある一枚で彼の手が止まった。

 

「東京都、篠原花南、か・・・」

 

*   *   *

 

「PS7、か」

組織レイバー犯罪対策室長、後藤喜一は何やら念入りに書類に目を通していた。

 

「室長、行きますよ」

 

声をかけたのは新入りの蘇我だった。もうすっかり外出の支度をしている。

 

「ああ、今行く」

と言うと後藤は椅子に掛けてあった上着に袖を通した。

 

もうすでに蘇我がエレベーターを用意して待っていた。

1階のボタンを押させると、そのまま直通で下まで着いた。しかし、その後で手間取った。

 

「おう、後藤さんじゃないか」

 

そう呼び止めたのは、警視庁内の知人でも最古参に入る捜査1課の松井だった。

今は警部に昇進して、本庁のレイバー犯罪捜査専従班の班長をしている。

そして、犬猿の仲といわれる刑事と公安の関係にあって、彼らの仲は例外だった。

 

「よお、捜査の帰り?」

「いや、偉くなっちゃうと現場に出張ることもまれでね。業界の会議にオブザーバーで」

「そりゃすごいじゃない」

 

後藤はポケットから煙草を取り出す。

これじゃ長くなりそうだ。もうだいぶ前に進んでいた蘇我は、振り返りながら苦々しく思っていた。

 

「ま、年相応ってとこだよ。お互いもう定年間近なんだから」

 

もう間近どころではない。二人とも60歳、来年の3月いっぱいで定年だった。

 

「これからの自分自身の行く末も気になるし、この仕事の行く末も気になる。

何せ、おれたちがほとんどゼロから作り上げた職場だからな。自分たちの手を離れてちゃんとやっていけるのか」

「おいおい、松井さんのとこには立派な後継者がいるじゃない、片岡警部が」

 

彼はもはや階級では先輩に追いつき、立派な右腕として活躍していた。

 

「で、あそこに見えるのが後藤さんとこの後継者?」

「そう。土壇場まで育成に力入れてこなかったからさ、この一年で一から教えなきゃならないんだよ」

と言うとだいぶ短くなった煙草を、ポケットから取り出した携帯灰皿に押し込んだ。

 

「ま、後継者育てるのはまだ体力が残ってる方がいい。そればっかりは経験上判ってるつもりだったんだけどね」

「ところで息子さん――多喜くん、だっけ?もうだいぶ大きくなったろう」

「ああ。もうすぐ追い抜かされそうだよ」

 

2本目の煙草に手を伸ばす。

 

「松井さんちは?確か警察入ったって言ってたよね」

「この春から所轄の少年係になって、毎日不良少年と悪戦苦闘してるってさ」

「よかったじゃない、念願の刑事になって」

「後藤さんちはどうだい?」

「え、何が」

「だから多喜くんだよ。警察に入る気、あるのかい?」

「いや、全然なさそうだね。母親の方は内心期待してるのかもしれないけど、

うちみたいに両方とも警察官で、しかもそれ相応の地位についちゃってるとかえって負担だと思うよ」

 

へぇ、そんなもんかい、と松井がつぶやく。後藤はまだ半分ほど残っている煙草を灰皿にねじ込んだ。

 

「じゃあ、若いのを会わせなきゃいけない人がいるんだけど、先方待たしても悪いから」

 

そう言うと軽く手を挙げて、玄関前で待ちぼうけをくらっていた部下の方に駆け寄った。

その二人の後ろ姿を見送りながら、松井はまだ会ったことのない後藤の息子に思いを馳せた。

 

「そりゃそうだろう。カミソリの息子じゃ大変だよな」

 

*   *   *

 

日も暮れかけた頃、多喜がいつものように帰ってきた。

日もだいぶ長くなってるとはいえ、この時間になると辺りはもう群青色に染まり始める。

エレベーターのドアが開き、同じようなドアの続く廊下を急ぐでもなく通り過ぎる。

そして自分の家のドアの前に立つと、バッグからキーホルダーを取り出す。

全ていつもどおりだ。しかし、いつもと違っていたのは、鍵を回しても手応えがなかったことだ。

ノブをひねると、すぅっと開いた。

そこには、女物のパンプスがきちんと彼に向かい合って並んでいた。

 

よく見れば靴箱の上に積もり続けたほこりはなく、そこにはまだ咲きかけの春の花など飾ってあった。

そして一段上には客人用のスリッパが置かれていた。

この状況から何があったか推理していると

「多喜!」

 

廊下の向こうから母の声が飛んできた。

その声のトーンは、父が一番好きな声音、つまりやや切れ状態のしのぶの声だった。

そういうとき後藤はのらりくらりとかわしてしのぶの戦意を奪ってしまうが

多喜にはそうする余裕も、その余裕の裏付けとなる経験もない。

よって、これ以上母を刺激しないようそっと居間のドアを開けた。理由はだいたい見当がついているのだから。

居間の座卓には菓子入れと湯飲みが置かれていた。その端にしのぶは待ちかまえたように座っていた。

普段の出勤用のスーツよりはラフだが、休日の普段着よりはちゃんとした格好だ。

 

とりあえず型通り「ただいま」「おかえりなさい」の挨拶を交わすと

多喜はバッグを置いて、座布団の上に腰を下ろした。

 

「それにしてもずいぶんと早いお帰りで」

「忘れたの?今日は家庭訪問だって、あなたが言ったんでしょ。だから家にいてくれって」

「そうだっけ」

 

多喜の気のない受け答えは母の神経を逆なでしたらしい。まだまだ父の域には及ばないようだ。

 

「最近、部活行ってないんですってね」

 

単刀直入に来た。多喜は答えない。

 

「だったらなんでこんな時間に帰ってくるの?真っ直ぐ帰ってくればもっと明るいうちに帰ってこられるでしょ?

それに大体何で部活に行ってないの?」

 

マシンガンのように畳み掛けるが、それでも彼は一向に口を割ろうとはしなかった。

 

「担任の先生が言ってたわよ。顧問の先生が、『後藤君は柔道の才能がある、センスがある。

もっと練習したら全国だっていいところまで行ける』って」

 

多喜はバッグをつかむと、何も言わずに居間を後にした。その背中に母が声をかける。

 

「多喜、お父さん今日は遅くなるって。だから夕飯は先に食べてなさいって」

 

振り返ることなくドアをバタンと閉める。

最悪だ。多喜はバッグを床に放り投げると、その場にうずくまった。

あとどれだけ、この重圧に耐えていかなければならないのだろう。

『警視庁一の才媛』の子、『カミソリ』の一人息子。

物心ついたときからこのレッテルが付いて回った。あがけばあがくほど、それは彼を締め付けた。

そして、そのレッテルにふさわしい道へと彼を引きずっていった。

それを消したかった。たとえ、泥を塗ってでも。

 

*   *   *

 

そして、我が家では息子と妻が気まずい食卓を囲んでいるであろう頃、

後藤もそそくさと帰り支度をしていた。部屋にいるのはもう一人、蘇我だけだ。

人脈も引き継がなければならないためにいろいろなところに連れ回していたが

思ったよりも長居が続き、それが積もり積もって終業時刻を大きく割り込んでいた。

もっとも、現場メインの仕事においてはそのようなものは有って無いものに過ぎないが。

 

「室長、お先に失礼します」

「ああ、気ぃつけて」

 

蘇我がドアを開けようとしたとき、それより一瞬先にドアを開けた者がいた。

 

女性で、年齢は40代後半か。同業であろうということは蘇我の勘からしても確かだった。

引き締まった顔立ちとショートカットは今も昔も変わらない。

整った顔立ちではあるが、決して美人というわけではない。

しかし、そこから知性と職業的能力が意識せずともにじみ出ていた。

 

「お久しぶりです、後藤・・・」

「階級なら警視に昇進したよ。まぁ、隊長でもいいけどね」

「では隊長」

 

その客人は目の前の蘇我を無視して、一直線に室長デスクの前に立った。

話し振りからしてかつての部下、それも特車2課時代の部下だろう。

 

「いつ帰ってきたんだ?」

「今年の4月付けでまた外事2課に配属されました」

「まだ追っかけてるの、奴さんのこと」

「それは・・・」

 

答えに詰まる。だが、彼女は後藤の机に乱雑に置かれた資料の中から、その一枚を目ざとく見つけ出した。

 

「PS7、ですか」

「あぁ、我が国の恥だ、警視庁の、日本警察の威信にかけて何としても我々の手で捕えろって上から引っ付かれててね。

ところで香港はどう?なんか内海・・・王(ウォン)について判ったのか?」

「それなんですが・・・」

 

その間蘇我は、戸口に立ったまま宙ぶらりんになっていた。

帰ろうとしているのはいいが、このまま帰っていいものか。

それ以上に、この二人が自分のことをまったく無視しているのが癪(しゃく)に障った。

 

「あ、おい蘇我、何してるんだ。さっさとお茶ぐらい出せ」

「そんな、お構いなく」

「いいからまぁ座んなさいよ。悪いね、ここは相変わらずの男所帯だから、どうも気が利かなくて」

 

部下は言われたとおり給湯室へと急ぐ。

給湯室といっても他の部署のようにオフィスの中にそれ専用のスペースがあるわけではなく

寒い廊下の片隅にワンルームの台所程度の設備があるだけだ。

すでに勤務時間も終わった廊下の灯りは経費削減のため暗く

寒々とした吹きっさらしのコンロにやかんを置くと、戸棚の安物の煎茶に手を伸ばす。

これだって、公安総務課などではワングレード上のを使っているはずなのだが・・・。

火力が弱く、なかなか沸騰しないやかんを見つめながら蘇我はさっきの二人の会話を検証していた。

PS7?内海?ウォン?慣れない固有名詞が彼を迷わす。

これでも公安では期待の若手だったはずだ。

なのになんでこんな、本庁内とはいえ場末の部署で、しかも慣れない仕事をやらされなければならないのか?

屈辱感にさいなまれながらも、命令どおり2人前の茶を入れて、自分の部屋に戻った。

「あぁ、蘇我、紹介しておこう。外事2課の熊耳武緒警部だ。こっちはウチの部下の蘇我巡査部長」

「初めまして、蘇我君」

 

かつての特車2課第2小隊2号機バック・熊耳武緒は椅子から立ち上がると軽く会釈をする。

その椅子は室長の席のすぐ前の、蘇我自身の椅子だった。

 

「蘇我、お前も聴いてけ。そのうちいやがおうでも関係しなけりゃならんことだからな」

「はぁ」

 

椅子を奪われた蘇我は熊耳の斜め後ろで立ったまま二人の話を聴くことにした。

 

「PS7っていうのは・・・まぁ、普通の公安の奴だったら知らないだろうな。

Planning Section 7、直訳すると企画7課」

 

ここまで来ると蘇我もそれが何かを理解した。しかし、公安の刑事としてではなく元イングラム世代として。

 

「いまや連中は世界中の反政府組織・テロリストに軍隊仕様以上の高性能レイバーを売りさばく

レイバーの『死の商人』だ。」

「あのグリフォンのような、ですか?」

「そうだ。その中心メンバーが内海ことリチャード・王だってのは知ってるよな」

「あ、はい」

「それで、熊耳、お前のつかんできた情報っていうのは?」

 

はい、と言うと彼女は小脇のバッグからホチキスで閉じられた数枚の紙を後藤に手渡した。

 

「これは・・・なんだ、英字紙じゃないか。こんなの読めないよ、おれ」

「次のページに訳をつけてあります」

 

あ、ほんとだ、とつぶやく。

 

「数年前、私が香港に赴任する前ですが、そこをはじめ香港、シンガポールなど極東・東南アジア一帯で

子供たちが行方不明になるという事件が多発し、当局では誘拐事件として捜査してきました」

「それがついこないだ、アフリカで何人かが見つかった」

 

後藤が新聞の和訳コピーを見ながら言う。

 

「はい。子供たちはほぼ全員がコンピュータに精通している、またはテレビゲームの技量に優れている

といった特徴を備えていまして――」

「だったら、もしかするとパレット社がまた一枚噛んできてるかも」

 

またも聞き慣れない固有名詞が出てきた。その時点で蘇我の頭はフリーズしてしまう。

 

「その次のページを見てください」

 

熊耳の言葉に続いて、紙をめくる音がぺらぺらと響く。

 

アメリカに本社を置き、世界中で人材教育・派遣業務を行っていたパレット社は

グリフォン事件収束後、重要参考人・バドリナード・ハルチャンドの証言によって

アメリカ国内などで幼児誘拐及びその売買を行っていたことが明らかとなり

トップをはじめとする関係者は逮捕、または何らかの社会的制裁を与えられていた、はずだった。

 

「しかし、警察の追及を逃れた関係者は人材派遣会社・キャンバス社を設立してアジアを中心に業務を展開しています」

 

キャンバス社の日本語ホームページトップのコピーの次には重役名簿が重ねられていた。

その中の数名の所にラインマーカーで線が引いてある。

 

「で、お前さんとしては今回の誘拐事件もパレット社の残党が関わってるに違いないと踏んでるんだな」

「はい」

 

きっぱりと断言した。

 

「子供たちはアフリカの内戦で反政府勢力のレイバーパイロットとして戦っていました。

その勢力にはPS7がレイバーを提供しているということも、各国の情報機関の調査によって明らかにされています」

「バドと同じパターンだな。でも、それでもまだその事件とキャンバス社をつなぐ線は見えてこないぞ」

 

またも知らない名前が出てきた。グリフォン一味の首謀者の名前は公表されても

そのパイロットの名前は当時まだ小学生だった蘇我には知るよしもない。

ただ、アジア人とだけで、年齢も、性別すら公表されていなかった。

ここまで来ると彼にとって、この二人の会話は、ただ右耳から飛び込んで左耳から抜けていく音の流れにすぎなかった。

 

「しかし、キャンバス社がこの春日本に進出してきた今、こういった事件が日本で起こらないとは言い切れません。

それからじゃ遅すぎるんです!」

 

その気迫に蘇我は圧された。いくら自分の知らない言葉だらけの会話だろうとも

その危機が身近に迫ってるとあらば他人事ではいられない。

その意味では蘇我は公安の刑事である以前に一人の警察官であった。

 

「遅すぎる、ねぇ」

「室長!」

 

蘇我が初めて割って入った。

 

「まぁ、とりあえず探りは入れてみる。ただ、ゼロからってことになるから

事が起きる前にどれだけのことがつかめるかは判らんがな」

「いえ、隊長――『カミソリ後藤』の協力が得られただけでも収穫でした。それでは、これで」

 

そう言うと熊耳は席を立った。立ち去り間際、後藤がかつての部下に声をかけた。

 

「帰ってからあいつらには会ったのか?」

「いえ、まだ・・・」

「太田には?」

 

彼女は押し黙ったままだった。押し黙ったまま、暗い廊下に去っていった。

 

「お前、どう思う?」

 

彼女が去った後、後藤は蘇我に言った。

 

「どう思うって・・・」

「彼女のあの気迫というか」

「ああ、さすがっていうか、熱意が感じられました」

「それだけか?」

「室長?」

 

部下の豆鉄砲を食らったかのような表情に、思わず視線をそらす。

彼は熊耳のあの表情に仕事に対する熱意以上の、何か悲壮なものを感じていた。

そう、それはかつて彼の愛する女(ひと)が胸に秘めていたような。

 

「帰るぞ。電気消してけ」

「あ、はいっ!」

 

小さな失望感を抱きながら、後藤は職場を後にした。

 

*   *   *

 

「いいですか?日本語は絶対なしですよ」

「えーっ?When in Rome do as the Roman doって言うやんか」

褐色の肌の青年が口答えする。

長いまつげ、くりくりっとした大きな瞳。長い髪を後ろでまとめている。

フォーマルなダークスーツを着ているが、ノーネクタイでワイン色のシャツの前をボタン2つ分くらいはだけている。

そのほうがむしろいいだろう。タキシード姿では童顔の彼の場合、育ちすぎた七五三になってしまう。

「それだけちゃんとした英語でしゃべれるんですから、パーティでは英語で通してくださいね。

あと、壇上ではクールに振る舞ってください」

「はいはい。よーするに、レイバーの歴史を変える新OS『YAKSHA』のプログラマーらしく振る舞え、

っちゅうことやろ」

「判っているんでしたらその通りに」

 

隣りでは、彼の同僚が晴れの舞台を前に何やら談笑していた。

肌の色も目の色もみなまちまちだが、皆世界トップレベルのコンピュータエンジニアであることは間違いなかった。

 

ボーイが彼らに出番を注げる。

 

Here we go!」

 

そう言うと彼は立ち上がった。彼の英語は仲間の多くとは違って、英国英語に違いインド訛りがあった。

 

*   *   *

 

家に帰ると食卓の上に、自分の分以外の、冷め切った夕食が置かれていた。

「これ・・・」

「あぁ、多喜のよ。ハンガーストライキ」

 

そう言う妻の顔は、かつて第2小隊に割りを食わされたときの顔と変わらなかった。

妻の不満を「ふぅん」と、ため息ともつかぬ返事ではぐらかして、後藤は今日の珍客を告げた。

 

「そういや今日、熊耳が来たんだよ」

「熊耳巡査部長が?」

「ああ、今はもう警部だけどね。この春帰ってきたんだとさ」

 

そう言って彼は注がれたビールの水面を見つめていた。

 

「どうしたの、一体」

「いや、あいつの眼が『何が何でもリチャード王をこの手で逮捕する』って燃えてたんでね。ちょっと心配なんだよ」

 

そう言って視線をビールの泡からその向こう、奥に座っている妻の目に、真っ直ぐ向ける。

 

「・・・そうね」

とだけ静かに言った。

 

「よかったら今度会ってやれないかな。あ、都合が合えばの話だけど」

「判ったわ。それで、私の話も聞いてもらいたいんだけど」

と切り出した途端に、夫はリモコンに手をやりスイッチを入れた。

お目当ての野球中継は早い時間に終わってしまったらしく、テレビは若い男女の歯の

浮くような愁嘆場を映し出していた。

 

「多喜のことなんだけど――」

 

お構いなしにチャンネルをつぎつぎ変える。

 

ああ、この人も一緒だ。しのぶは聞こえるようにわざと大きめのため息をついた。

まだ子供が小さかったころは、40過ぎで恵まれた子宝だったから

それこそ目に入れても痛くないほどの可愛がりようだった。しかし今のこのざまは何だ。

結局仕事が大事の、世の父親と同じではないか。

それでも彼女は、聞いていないのを覚悟で昼間息子の担任に言われたこと、

それを受けての息子のふてぶてしいまでの態度をぶちまけた。

一方、夫の方は荒唐無稽なアクション映画を肴に手酌でビールを飲んでたりしていた。

 

「ちょっと、聞いてるの?」

「聞いてるよ。多喜が部活行ってないって話だろ?そういや始業式の日もまっすぐ帰ってたもんなぁ」

「それで注意しなかったの?」

「ああ。ラーメン食いに連れてった」

 

正面を向くと、目の前に憤怒の形相でビール瓶を差し出す妻がいた。

怒った顔が好きなのは好きなのだが、だからといってへらへらはしていられない。

 

「まぁ、そういう年頃なんだし、言えば言うだけ反発すると思うよ」

「確かにそうですけど、最近このあたりでも万引きとか引ったくりとかが増えてるっていうし

そういうのってたいていが未成年でしょ」

「なぁに、しのぶさんの子だから大丈夫ですよ」

「あなたの子でもあるのよ」

 

キツい。これはキツすぎる。

 

「おれってそんなに信用ない?」

「自分の胸に手を当てて考えてください」

 

素直に手を当ててみる。

 

「それと後で声かけてみてくださいね。あなたの話ならあの子わりかし聞くから」

 

ふと熊耳の報告がよぎる。うちの子に限ってそんなことはない、

それこそ何の取柄もない、ただの中学生なのだからと追い払おうとする。

 

(それでも、『カミソリの息子』ってのは重荷か?)

 

ふと息子に訊いてみたくなった。

 

*   *   *

 

夜の帳の下りた東京湾は、埠頭に停泊する船の灯りを波が乱反射させていた。

その内でも一番明るい光を投げかけていたのは

シャフト・エンタープライズの所有する大型客船『長城(グレートウォール)U世』だった。

この船は大型のバンケットホールやデッキテラスといった豪華客船に付きものの装備を備えているが、

それと同時にシャフト社極東マネージャーのオフィス機能をそのままそっくり備えていた。

つまり『長城U世』は超豪華応接間付きの巨大洋上オフィスといっていいだろう。

もっとも、今夜の役目は前者の方だ。

 

野明は履き慣れぬハイヒールに少々疲れ始めていた。

外国からの招待客も少なくない中、小柄な彼女は履いてきてよかったと思ってはいたが、

夫に連れられてレイバー業界の名士たちと挨拶を交わしているうちにすっかり歩き疲れてしまった。

 

(靴擦れができたら嫌だなぁ)

 

椅子の見つからない会場で、少しでも足の負担を軽くしようと壁に寄りかかっていた。

 

(そうだ、カットバン持って来てたかな)

とハンドバッグの中を漁っていると、あろうことか遊馬がまた紹介者を連れてきた。

 

「こちら淵山重工の社長ご夫妻。こちらが妻の野明です」

 

そう紹介されて寄りかかったままでいるわけには行かず、バッグの口を閉めて会釈する。

 

「あぁ、あなたがあの伝説のイングラム乗りの――」

 

相手は十中八九そう返す。それでも嫌な顔一つせず笑顔で応えなければならない。たとえ足が痛くても。

しかし遊馬はそんな野明の内心の苦労も知らず、妻を放っておいて仕事の話に花を咲かせていた。

水中レイバーも今じゃ四菱の菱川島にだいぶシェアを食い荒らされてるでしょう。

いやいや、篠原と業務提携できれば鬼に金棒ですよ。

でも最近じゃ外資の攻勢も激しいですからねぇ。

 

周りを見渡せば、男たちはみな商談まがいのパーティトークに花を咲かせていた。

夫人たちはその横でただ微笑んでいるだけだ。まるでパーティに付きもののフラワーアレンジメントのように。

 

(来なきゃよかったかも)

 

再び壁に寄りかかりながら、野明は冷めた目で会場の様子を眺めていた。

 

するとクレシェンドのように会場の電気がだんだん絞られる。と同時に男たちの商談もクレシェンドで消えていった。

 

Ladies & Gentlemen、お待たせいたしました。

只今より当社の新作OS『YAKSHA』の全世界公開レセプションを開催いたします】

とFMのDJ口調のアナウンスが会場に鳴り響く。

 

【それでは、シャフト・エンタープライズCEOからのご挨拶です】

 

そう言われて登壇した西洋人の初老の紳士が日本語同時通訳付きで挨拶を述べる。

そして極東マネージャー、ジャパンのCEOとシャフトの重役のお歴々が次々と壇上に上がり、

そして当り障りない挨拶を述べていった。それを退屈そうに見つめる野明。

 

「おい、なにぼぉっとしてんだよ」

 

横から遊馬が肘で突っつく。

 

「別に、ただつまんない挨拶だなぁって」

「ま、仕方ないさ。こういうときの挨拶ってのはこういうもんだ。オレだってこの手のつまんないのしかできないし」

「パーティって聞いたからちょっとは期待してたけど、なんか期待はずれだったな」

 

オードブルもぱくついてたらお父さんが恥かくし、とつぶやく。

 

【では、発表の前に『YAKSHA』の生みの親である開発陣をご紹介いたしましょう!】

と言うとセンターのスクリーンに数名の人影が映る。

そして大袈裟な音楽とともにスクリーンが上がり、肌の色も国籍もまちまちの

シャフトが誇る優秀なプログラマーたちが姿を現した。

その中で一人、褐色の肌のベビーフェイスの青年が壇上から会場をきょろきょろ見回していた。

するとその目が一点で止まる。そしてその先を指差しこう叫んだ。

 

「あ、お姉ちゃんや!」

 

このとき、進行役以下スタッフの全員が頭を抱えたに違いない。

 

「え・・・あ、バド!?

 

指を差された野明は指を差し返した。

 

「ほんま久しぶりやわぁ。ちぃっとは期待してたんやけどな、まさかほんまに会えるとは思ってなかったわ」

「あたしも!ホントに大きくなったねぇ」

 

バドが壇上から野明に駆け寄る。会場中の注目を集める中、野明とバドは一気に20年前に戻っていた。

その横でしきりに咳払いする遊馬。

 

一方、壇上では係員らしき人物が何やら進行役に耳打ちする。

それを自分のことではないかと心配そうに見つめるバド。

しかし、その心配は杞憂だった。

 

「えー、申し訳ございませんが、只今準備の方に時間がかかっております。

公開セレモニーまで今しばらくお待ちください」

 

すると会場は再び世間話と商談のさざ波に包まれた。

しかし、この一角では他の面々と多少毛色の変わった話題に花が咲いていた。

 

「それにしても、強制送還されたあとどうしてたの?」

 

バドはまるで子供のように、皿の上にオードブルを目いっぱい乗せ、それを手づかみでぱくついていた。

つられて野明もオードブルをぱくつく。

 

「あのあとインドで孤児院に入ってたんやけどな、コンピュータの才能あるっちゅんでシャフトから奨学金出してもろて

アメリカに留学したんや。そのあとUSAのラボでずっとYAKSHAの研究開発やってたって、まぁそういうとこや」

 

バドが言い終わるか終わらないかのところで野明は彼をひしっと抱きしめた。

あの頃はまだ彼女より小さかった背は今や野明を追い抜いていた。

 

「よかったぁ。あのあとちゃんとした大人になれたか、心配だったんだよ」

 

その声は涙交じりだった。バドの目からも涙が流れた。

 

「うん、ちゃんとした大人になったで」

そのとき突然、会場が闇に包まれた。一瞬のざわめきのあと、全ての商談が沈黙する。

突然の暗闇に招待客はパニックを起こしかけていた。ある者は右往左往し、またある者は外のデッキへと向かう。

その人の波が野明へと襲い掛かってきた。

 

「おい、野明!」

 

遊馬の声が闇の中から聞こえた。

 

「どこ?どこなの!?

 

さっきまで話していたバドももう見えなくなってしまった。

波に翻弄されながら立ち尽くす野明。そのとき、一本の手が伸びて彼女の腕をつかんだ。

 

遊馬の腕だった。

 

その腕に引かれながら、デッキへと向かう波とともに外に出た。

デッキの上は中よりも外の灯りがある分いくらか明るい。暗闇にもだいぶ目が慣れてきた。

 

「停電かなぁ」

「いや、空調は利いてるみたいだから・・・なんかの演出か」

にしては悪趣味だけどな、と遊馬が手を離した。

 

「あれ、バドは?」

「さぁな、少なくとも無事だろ」

 

【大変長らくお待たせいたしました!只今より皆様お待ちかねの新作OS、『YAKSHA』をお目にかけましょう!!

 

オープニングと同じDJ声が叫ぶ。

 

「ほらな、やっぱり演出だろ」

「でも、OSってソフトだから、どうやってみせるんだろ」

 

会場の中では巨大なスクリーンが現れた。ここまではよくある新作発表会のパターンだ。

しかし、そこから先は招待客の期待を大きく裏切っていった。

 

スクリーンに映し出されていたのは、何の変哲もない夜の港だった。

デッキの野明たちにはそれは対岸の東京港だというのが判る。

その一角、闇の中の一際暗い闇のかたまりにフォーカスが合わせられる。

ズームしていくうちにそれが大型のトラックだと気付くだろう。

 

二人はデッキの最前列にかぶりついた。外の客はその後ろからトラックの見える位置めがけて殺到する。

 

すると突然、卵から生物が生まれるように、そのトラックの荷台のコンテナをへし曲げて、中から何かが現れた。

 

野明と遊馬は息をのんだ。この中で二人だけが判っていた。それは20年前の晴海の再現だった。

 

それは闇の中でも一際黒かった。下からの演出じみたライトアップがその闇を反射させていた。

そして、その中に浮かび上がるフォルムはコンテナの卵から生まれた怪鳥そのものであった。

 

流れるようなシルエット、頭部のワルキューレの羽根のような突起、そして人目をつく大きな翼。

 

会場内のスクリーンを見つめながら、バドは呆然と立ち尽くしていた。

 

「なんで、グリフォンが――」

 

膝ががくがくと震えていた。シャツの背中に冷たいものが流れる。

それは彼がこの世で一番見たくないもの。

バドはその場で叫び出したい衝動にかられていた。

 

BackNext

 

Afterwords

 

"Patlabor"