その翌日、警視庁組織レイバー犯罪対策室にまたも珍しい人物が訪れていた。

「すいません、わざわざ土曜日だというのにお呼びだてしてしまって」
「お構いなく、こっちも今のとこ土日返上でね。それにしても千客万来だなぁ」
「えっ?」
「いや、こっちのこと」

篠原遊馬はかつての上司の職場を訪ねるのは初めてだった。
今では付き合いがないわけではない。年賀状は欠かさないし、先方がメーカーサイドの情報がほしいとなれば、
出せる範囲+αのものを昔の誼で届けていた。しかしそれも間接的なものに過ぎない。
本庁とはいえ、狭い部屋に雑然と旧式の事務机が置かれているところなど、20年前の職場を髣髴とさせた。
かつて目の前の男の下で働いていたときの――。

「で、簡単に言うと?」

遊馬の手渡したファイルをぱらぱらとめくっただけで、後藤は説明を促した。

「隊長!きちんと読んで下さいよ。このファイルは発表会終了後、うちのシステム担当者を夜中呼び出して
徹夜させて作ったもんなんですからっ」
「悪い悪い。要するにYAKSHAはASURAシステムのエコノミー版ってことだろう?」
「エコノミー版というより、煩雑かつ根本的に旧来のOSと異なるASURAを一般のユーザーにも使いやすいものに改良した、
いわばリナックスにおけるリンドウズに近いですね。もちろんスペックは多少落ちますが」
「ふーん、なるほどねぇ」

そこまで説明して遊馬は説明を止めた。
これ以上の説明は、基本的にアナログ人間な後藤には意味がない、そう判断したからだ。
彼が得意とするのはデジタルなシステムじゃなく、0と1では割り切れない、複雑かつ曖昧なヒューマンシステムなのだから。

「それより篠原、アレグロ社との提携交渉、難航してるんだって?」

まるで隠していた赤点のテストを親に見つけられた気分だ。

「んなの、日経読んでりゃ誰でも知ってるって」
「ええ・・・お恥ずかしいことに、条件面など双方の合意は得たんですが、土壇場でうちのソフト部門がゴネまして――」
「うんうん、一番厄介なのは外の相手よりむしろ身内だからね」

後藤の言葉に素直に項垂れてしまう。
上場企業の副社長にまで登りつめたとはいえ、彼の前ではいつまでたっても上司と部下の関係に立ち戻ってしまう。

「でも、なんとか来週の月曜には調印式典を兼ねてこっちも新作のお披露目ができそうですよ。
といっても役員連中に『この日にホテル借り切ったんだから、何がなんでも間に合わせ!』って脅迫したんですけどね」

後藤は『一番弟子』の成長に相好を崩した。
遊馬がこういった強引なやり方は、良くも悪くも後藤の餌食になった経験から学んだものだ。

「そう、それならよかった。こっちもしのぶさんからせっつかれてたんだよ、新型レイバーはまだ来ないのかって」
「当日の昼には一足先に納入できると思いますよ。新小隊ができたのにレイバーがないんじゃ開店休業ですからね」

おそらく篠原重工八王子の倉庫では、新型警察用レイバー・AVE-01『ランスロット』が月曜日の納品を前に眠っていることだろう。


*   *   *
 

後藤多喜は空腹で目が醒めた。昨夜は結局何も口にせず寝てしまった。
母も休日出勤らしく、すでに家にはいない。
朝食が用意してあるかと思いきや、あの意地っ張りの母は残り物一つ置いていってはくれなかった。
財布の中身にはそれなりに余裕はある、ファストフードの朝食セットで腹ごなしして、どこか出かけよう。
こんな日には家にいたくはなかった。

向かった先は湾岸地区のショッピングモール、土曜日ともあって、モールの外も中も買い物客であふれていた。
13号埋立地、ここはかつてそう呼ばれていた。
見渡す限りの造成地、そこにぽつんと立つ廃工場。
そのような風景は目をつぶってももはや脳裏に描くことはできない。
だが多喜は行き詰まったときには必ずここを訪れた。
父と母が出会った場所。ここに来れば『父』と『母』でない両親に合えるような気がして。

巨大なガラス張りの窓から外を眺めながら、多喜はこの人込みが全て消えてしまったらと考えた。
この街は人を寄せ付けない。人はただ訪れ、通り過ぎ、そして帰っていくだけだ。我が家へと。
まるでテーマパーク、全てが作り物の街なのだ。人の匂いが全くしない。
新海地区と今は呼ばれているが、それよりも13号という無機的な地名の方が、多喜にとって温かみのあるものに感じられた。

さて、これからどうしようか。
とりあえず『Griffon』に寄ろう、そこの洋服は多喜の好みだ。
黒を貴重とした細身のデザイン、目立たぬように入れられた幻獣をかたどったロゴ。
しかし中学生の財布ではTシャツ一枚買うのが精一杯だ。あとはどっかぶらぶらして、ゲームアーケードで暇を潰すとするか。


*   *   *
 

ここのモールの1階には国内最大級のゲームアーケードがある。
その規模は、アーケードというより室内型テーマパークと言っていいだろう。
そこにはヴァーチャルリアリティなどの最先端技術を駆使したゲームが並び、ゲーマーの全国大会などのイベントの会場ともなる。
今日はイベントはないにもかかわらず、午前中からものすごい混雑だ。
ゲームに興じるだけでなく、大型スクリーンに映し出された美技を見上げるギャラリーも多い。
そんな人込みの中を小学生くらいの少女が封筒を手にして右往左往していた。
日頃遠出をしない彼女にとって、アーケードの熱気は異様なほどだった。
普段は家でゲーム機に向かっているか、工場のレイバーシミュレータかだ。
対戦ならオンラインでもできるが、これほどまでにギャラリーの視線を感じることはなかった。
メインのスクリーンに映し出されているのはレイバーアクションの最新機種、
プレーヤーはまるで踊るようにCGの機体を動かしていた。
オンライン対戦では常に上位に入っている彼女だが、その妙技に惹きつけられた。
誰が動かしているのか、敢えてゲームを取り囲む人垣の中に飛び込んでいく。
だが二重三重に取り囲まれた中、小学生の背丈では息苦しいに違いない。
それでも人込みの胴体部分を押しのけてプレーヤーの元へと進んでいった。
邪険に小突かれることがありながらも最前列に飛び出したそのとき、シートから彼が降りてきた。
小柄で童顔、でも彼女にしてみれば大人の男性。そして褐色の肌にくっきりとした顔立ちをしていた。
その彼がこっちを見る。彼女を見つめる。でもどうしよう?
小学校でも英語はやってるが、いざ外国人と向かい合って話せるかどうかは別だ。えーと・・・、

「お嬢ちゃん、名前なんていうん?」

日本語、それも関西イントネーションだ。そのヴィジュアルと言葉の取り合わせにしばし呆然とする。

「しのはら・・・かなん」
「シノハラ?」

その名に心当たりがあるようだった。

「お兄ちゃんは?」
「僕?僕はバドリナード・ハルチャンドや。バドって呼んでな」

そう彼は少年のように笑った。

数分後、二人は人込みから離れたベンチに座っていた。

「ほい、花南ちゃん」
とバドは彼女にコーラを手渡した。

「あ、ありがとう」
「ええってええって、そんな気にせんでも」

そう言って彼はもう片方の手に持ったコーラをあおった。

「でもさっきの、バドお兄ちゃんの操作、すごかったよ。
あたしもゲームにゃちょっと自信あるんだけどね、でもあんなのあたしにはムリ。
オンラインで全国、もしかしたら世界中の強いヤツとやったことあるけど、あんなにすごい技は見たことないもん。
なんであんなに強いの?」

花南は真っすぐな眼で彼を見つめる。そのバドは遠くを――窓越しに見える東京湾を見ていた。

「僕が花南ちゃんくらいのころはゲームばっかやってたもんなぁ」
「ゲームばっかやってて、お母さんに怒られなかった?うち怒るよ、『そんなんじゃ立派な大人になれない』って」
「『立派な大人』なぁ・・・」

そう言ってバドは微笑んだ。

「なれへんかったかもしれん、立派な大人に。ゲームばっかやってたから、お兄ちゃんなぁ、ゲーム取り上げられてしもてん。んでなぁ、強制退去処分や」
「強制退去?」
「おうちに帰らなあかん、ゆうことや。
そこで孤児院に入れられたんやけどな、僕ゲーム以外何もできひんことに気がついた。
何もできひんかったら仲間外れや。
でもな、奨学金もらって学校に行かせてもろたんよ、数学の才能あるってな。
それでアメリカの大学行かせてもらったんや。飛び級やで」

サクセスストーリーに聞き入る花南の眼は輝いてた。

「だけどな、奨学金くれたんはシャフトUSAなんや。
Is it ironic? Schaft needed me, who has been abandoned by Schaft
(皮肉やろ?シャフトに捨てられた僕がまたシャフトに必要とされるなんて)・・・」

最後のつぶやきはもはや花南に向けられたものじゃなかった。

「ところで花南ちゃんはよくここに来るん?」

「ううん、今日はここに来いって手紙もらったんだけど」
と言って封筒を示す。その宛名の字にバドの目は釘付けになった。その字はかつて彼を捨てた本人のもの――。

「篠原花南ちゃんだね」
「黒崎はん・・・」

とっさにバドは花南を後ろにかばった。

「バドかい、久しぶりだね。僕は花南さんに用があるんだ」
「この子をどうする気や?また僕みたいにするんか?」

黒崎、と呼ばれた男は強引に彼女の手を掴むと、追いすがるバドを払いのけた。
倒され、背中を強く打ちつけたらしい。立ち上がることのできないバドはこう叫ぶのが精一杯だった。

「Kidnap!誘拐や!」

しかし客たちはその声に耳を傾けながらも遠巻きに見詰まるだけだった。
その群衆の間をすり抜けて眼鏡の男は逃げていく。
しかし、長身の少年の肩にぶつかる。
次の瞬間、男は襟を掴まれ、脚を掬われて床に叩きつけられた。
とっさに受身を取り立ち上がることはできたが、少年にとってその一瞬があれば充分だった。
その隙に花南の腕を取るとモールの廊下を駆け抜けていく。
入り口を抜け遊歩道を抜け、駅へと駆け込んだ。もうこれであの男は追ってくるまい。

彼は――多喜はなぜ自分がとっさにあんな行動を取ったのか理解できなかった。
警察官の血・・・?親譲りの正義感・・・?
そんなものは自分とは無縁だったはずだ。
『警視庁の才媛』、そして『カミソリ』という両親の名前から距離を置いていたはずだ。なのに・・・。

自動改札を飛び越え、来た電車に飛び乗る。
家とは反対方向行きだと気づいたのはドアが閉まった後だった。
しかし少女はその場にへたり込んでいた。自分も酸欠寸前だ。

「おい、一体どうしたんだよ。なんで誘拐なんか・・・」
「・・・・・」
「名前は?」
「・・・
しのはら、かなん

上がりきった息の奥から答えた。
シノハラカナン、その名前にどこか聞き覚えがあった。シノハラカナン、シノハラ、篠原・・・。
そして彼女の赤みを帯びた髪に意志の強そうな眉、その顔に心当たりがあった。
が、その記憶は遠い過去に霞んでしまいそうになる。
まぁいいだろう、時間ならたっぷりある。
とりあえず次の駅で降りて反対側の電車に乗ろう。やっと酸素の足りた脳でようやくそんなことを考えられた。


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