第2段階に移っても、相馬のダウジング修行順調だった。
ただ、やり口が相変わらず汚いのだが、それも促成栽培ゆえの愛のムチと思うと腹は立つが我慢もできた。
しかし、捜査の方は依然として停滞したままだった。
そもそも放置されていた事件とはいえ、7年間何の手がかりがなかったのだ。
今また掘り返してみても新しいのが出てくる可能性はほとんどありえない。
FBIの超能力捜査官なら手がかりがまったくない中でも見つけられるかもしれないが、
こっちは素人にごくごく微毛の生えた程度、西へ行ったのか東へ消えたのか、どんな手がかりだって必要だった。

ましてダウジングで必要なのが、対象のイメージだった。
今までは自分のものを隠され続けたので、そのものをありありと頭に思い浮かべられる。
しかし、いざ本番ではまったく見も知らない人間が相手だ。
その彼女に対するイメージが、相馬の中にはまだはっきりと浮かんでこなかった。
どこにでもいる、ごくごく普通の女子大生。彼女が失踪する理由なんて、調書の中にはまったく見つからなかった。
せめてその理由さえ判れば、彼女を他の誰とも違う、ただ一人の存在として認識できるかもしれないのに・・・。

手がかりを求めて相馬が単身乗り込んだのは、彼女の姉・実恵が勤める病院。
窓口では貧相なIDカードを出すまでもなく、「ああ、こないだの警察の人ですね」で通った。
その方がやりやすい、特殊事態対策室なんて何やってるか判らない役所の名前を出すよりも。

内科病棟のナースステーションに彼女の姿はなかった。病室の見回りにいっているらしい。
とりあえず相馬は、病棟での実恵の評判について訊いて回った。

「西牟田先輩ですか?優しい先輩ですよ、意地悪とかもしないですし」
「ほら、長いこといると『ステーションの主』みたいに君臨してる先輩っているじゃないですか、お局然とした。
でも西牟田先輩はフレンドリーですし」

「でも・・・あんまり仲いい同僚っていないですよねぇ」
「同期の方ももうみんな入れ替わりしちゃってますし」

――同僚の、というか部下からの評判は悪くないようです。ただ付き合いはそれほど良くないみたいですね。

前に久世が調べてきたのを裏付けしただけだ。収穫ゼロ。
相馬は廊下のベンチでがっくりとうつむいていた。

(いかんいかん、本題は実恵さんではなくあくまで慶さんの方だ。
そのためには何としても実恵さんをつかまえなければ!)

そう気持ちを固めると、ジーンズの膝をパーンと勢いよく叩いて立ち上がった。
しかしその音が思ったより大きかったので、周囲の注目を浴びてしまったのだが。
車椅子の老人を押した男性看護師と目が合う。
さっきの威勢はどこへやら、低姿勢な照れ笑いで会釈を返すしかなかった。

だが、その大音声が効いたのか、廊下の突き当たりでこっちを見ている実恵の姿を見つけることができた。
すぐさま駆け寄って話を訊こうとする。

「お久しぶりです、西牟田さん」
「あなたは、こないだの警察の」
「まぁ、そんなもんです」

ちょうど彼女はこれから休憩時間らしく、再び中庭に案内された。

「妹の行き先については、何の心当たりもありませんから」
「いえ、今日は慶さんのせ・・・失踪前の様子について尋ねに来ました。
別に、なんか変わった様子があったとかいうんじゃなくて結構です。
何が好きだったかとか、どんな友達がいたとか――」

しかし、実恵はうつむいたまま握った手をぷるぷると震わせていた。

「あのぉ、西牟田さん?」
「帰ってください!」

彼女の目に涙があったかは見えなかった。しかし、その声は明らかに泣きじゃくっていた。
何が地雷だったか、判らない相馬。

「妹のことなど忘れましたもう何も思い出しません、帰ってくださいっ」

そう叫ぶと実恵は病院の中へと駆け込んでいった。

「西牟田さん!」
「西牟田先輩?」

彼女を呼び止めた声がもう一つ。それはさっきの男性看護師だった。

「あ」
「ども」
「あの〜、西牟田先輩に何のご用事ですか?警察の方だってうかがったんですが・・・」
「あ、これって話していいんかなぁ」

しかし相手も守秘義務の適用される看護師。
相馬は口外しないという確約を取り付けて、実恵の妹の失踪を話した。
一部始終を聞くと彼は目を真ん丸く、ついでに口も真ん丸くして言葉を失った。

「そんな・・・そんなことがあったんですね」
と今度は涙を流さんばかりの勢い。

「僕がここに来たのはその後なんですが、そんなこと知らされてなくて・・・」
「じゃあほかのナースの方も」
「ええ、誰も知らないと思います・・・もうだいぶ入れ替わっちゃってますから」

久世が言ったように、かなり人員の新陳代謝のいい職場らしい。

「それで、あの」
「小泉ですっ」
「小泉さん」
「もちろん先輩にも他のナースにも言いません!」
「ならいいんだけど」
「それじゃあ、仕事があるんで」
と小泉看護師は職場に戻っていった。

(でもなんで、あんなに彼女を案じてくれる人がいるのに、彼女はなぜ心を閉ざしてしまっているんだろう)

とりあえず、実恵の拒絶を引きずったまま対策室に戻りたくはなかった。
自分の何が至らなかったか、相馬にはまだ判っていなかった。

相馬はその足で警視庁の地下3階に向かった。こんなことをわざわざ土御門に相談するのも忍びないし、佐野にするのは真っ平だ。『経験者』という点では秦は彼にとって格好の相談相手だった。

「――妹さんのことについて今まであんなに冷静だったのに、何で泣き出したんでしょうか?」
「うーん、本当は冷静でも何でもなかったんじゃないかな」
「えっ?」
「きっと・・・これは推測なんだけど、実恵さんは慶さんのことを、思い出さないようにして生きてきたんじゃないかな。なのに君のした行為は――」

傷口に塩を塗りこむようなもの。

「でも実恵さんの協力が得られなければ!」
「だからこそ、これを期に彼女に過去と真っすぐ向き合ってもらわなきゃ、な」
「・・・秦さんは、真っすぐ向き合えたんですか?」

秦は俯きかげんに視線をそらした。

「やっと、かな。あいつのことを笑って思い出せるようになったのは」

じゃあ土御門は・・・それは今の相馬には聞けなかった。
そのとき、秦のデスクの電話が鳴った。

「はい、捜査一課資料室分室です」
と久世が長ったらしい所属名で受ける。

「はい・・・はい。判りました。勤務が終了したら、ですね。ではウチの者を向かわせます」

そして、ご協力、感謝しますと言って受話器を戻した。

「西牟田実恵から、会って話がしたいと。相馬くん・・・を行かせていいですよね」

PM500過ぎ、実恵が帰ってくるころを見計らって相馬は彼女の部屋に向かった。
相変わらず実恵の部屋は物でごった返しており、足の踏み場も辛うじて、というものだった。

「妹の遺品はこっちにはあまり無いんですが」
と言って持ち出してきたのは古いアルバムだった。
最近はあまり見開いていないのか、床に置くなり埃がわき立った。

「げほげほげほ・・・」

ハウスダストアレルギーじゃなくても、これは堪える。
どうやらこのアルバムは慶のではなく実恵のもののようだが、
仲のいい姉妹らしく二人一緒の写真がピンのものと同じくらい収まっていた。

「これは家族で日光に行ってきたときのです。
いろは坂、ってあるでしょう。それをいろはから順に数えていこう、ってことになったんですけど、
そのときケイったら途中で車に酔っちゃって・・・」

生きていれば微笑ましい思い出話も、彼女にとっては涙なしには語れない。
秦の言っていたように、笑い話にできるのはまだまだ時間がかかるのかもしれない。

「あ、これ」

そこには相馬も見覚えのある、大きな六角形型のアリーナの前で揃いのTシャツ姿でおさまっている姉妹の姿があった。

「『オルフェ』のライブですよね。ファンだったんですか?」
「ええ、ケイの方が・・・でも私も何度か連れまわされて」
「自分はどっちかっていうと『カリオペ』の方が好きだったんですけどね」

『オルフェ』も『カリオペ』も10年程前、人気を二分していたロックバンドだった。
見れば、実恵の部屋のCDラックのほぼ半分を占領している。
しかし『オルフェ』は6年前、惜しまれつつも解散してしまった。

「じゃあオカジのソロとかも持ってますか?ヴォーカルの岡嶋彰彦の」
「いえ・・・」

実恵が言いよどんだ理由は次のページで明らかになった。袋に入ったまま挟まれた、整理されていない写真。
それは全て最近7年間の、妹の失踪後のものだった。

彼女の中で7年間、時間が止まったままだった。いや、もしかしたら自ら止めているのかもしれない。
あのときから変わらないために。
未整理の写真、7年前で止まったディスコグラフィー、そして・・・実恵の時代遅れのスウェット。

「もしかして西牟田さん、ここ数年で服買ってますか?」
「いえ。もうタンスは満杯ですし、それに買い足す必要を感じてないですから」
「それに・・・慶さんの知らない自分になりたくないから?」

図星を指されたのか、実恵はキッと顔を上げた。その表情は真っ赤に、眦(まなじり)を吊り上げていた。

――彼女の中の時間を一刻も早く動かさなくてはならない。

相馬は勝手にそんな使命感に駆られていた。慶を見つければ時計は回り始めると。
そして、それができるのは自分しかいないと。

「それじゃご両親と変わらないじゃないですか」
「あんな人たちと一緒にしないで下さい!」

実恵が食って掛かってきた。しかし相馬は舌鋒をゆるめなかった。

「いえ同じです。向いている方向は正反対ですけどそこから動き出せてないってことには違いないです。
西牟田さん、あなた言ったじゃないですか、『自分の将来にこそ眼を向けるべきだ』って。
だから、眼を向けましょうよ。そこから歩き出しましょうよ。
人は生きてる限り前を向いて歩いていかなきゃならないんですから」

「あなたに何が判るっていうのよ!」
「ええ判りませんよ!判らなきゃ言っちゃ駄目ですか?」

もうこうなったら売り言葉に買い言葉である。実恵も、そして相馬ももはや冷静ではなくなっていた。
相馬は我も忘れて、考えもなしに思いつきのままを口に出すだけだった。

「そういう実恵さんの姿を見てると辛いんです。オレも、そしてきっと慶さんも」

――そしてきっと小泉くんも・・・。

「・・・言い過ぎました、すいません。じゃ、自分はこれで失礼します」
「ケイのこと、見つけてやってください」

振り返ることなく、実恵は相馬の背中に言葉を投げかけた。

「そうすればあのバカ親も、そしてあたしも、きっと吹っ切れると思いますから」

相馬もまた、振り返ることなくアパートを後にした。

(それにしても、なんであんなことを言ってしまったんだろう?)

アパートの階段を降りながら、うつむいたまま、相馬はさっき吐いた自分の暴言を思い出していた。

(確かに慶さんがいなくなってからの変化を受け入れようとしない実恵さんの様子は、
見てるこっち側が痛々しくなってくる。でも、なんでこんなに胸が疼くんだろう・・・)

彼女の様子を思い出すだけで締め付けられるような苦しさが相馬を襲う。
その感覚はまるで自分の心臓が古傷を抱えているかのようだった。
そんな傷はあるはずない。こういうことに関しては、自分の心臓はまっさらなはずなのに――。

いつの間にかバイクは惰性で大手町の総合庁舎へと向かっていた。
終業時間はとうに過ぎ、霞ヶ関とは比べて勤勉とはいいがたい公務員たちは、もうほとんどが家路についていた。
肩を落としたまま門番ロボットにIDを示す。
とりあえず、こんなぐちゃぐちゃした心持ちのまま家に帰りたくはなかった。佐野と顔を合わせたくはなかった(本音)。
とはいっても、誰もいない職場に彼の心を安らげるものはあるはずはなかったが・・・。

「よぉ、お帰り」

おおよそ『残業』という言葉には縁のなさそうな人物が相馬の帰りを待ちかまえていた。

「きゃ、キャップ・・・」

何でこんな時間まで、との問いを発する前に土御門が口を開いた。

「いやぁ参ったよ、居眠りしてたらこれ幸いとばかりに誰も起こさねぇンだもん」

99%言い訳がましい答えだったが、相馬は何も言わずに笑った。

――そういや彼も、大切な人を喪うという経験をしている。

「とりあえず座れや。外回りで残業してきた部下をねぎらうのも上司の務めのうちだ」
と応接ソファを視線で指した。そして簡単な給湯コーナーでお茶の用意を始める土御門。

「あの、キャップ」
「ん、何だ?」

振り返ることなく、煎茶を急須に入れる手を休めることなく返事だけはかえってくる。

「門脇さんのこと、思い出すと辛いですか?」
「うーん、判んねぇな。亡くしてずいぶん経つから」

急須も湯飲みも準備は出来た、あとは薬缶のお湯が沸くだけだが、土御門は相変わらず振り返らない。

「痛みそのものは変わらないのかもしれない。でも慣れるっつーか、我慢する術を覚えてしまうもんだ。
例えば、小さいころは膝を擦りむいただけでぴーぴー泣いてたのが、
大人になるとそれ以上の大怪我でも悲鳴を上げなかったり」

笛吹きケトルがまるで悲鳴のような音を立てた。

「じゃあ、辛くありませんでしたか?あの・・・門脇さんが知らない自分になってしまうのが」
「んなこと言ってたら毎日鏡見るのが辛いだろ?紅顔可憐の少年が今や40過ぎのオッサンだからな」

そう言って湯飲みを差し出した土御門の眼は、まるで深い湖のようだった。
決して濁っているわけではない。澄み切っているのにその底を見せることはない。

「あれから22年だぜ?お前が生まれて、こんなになるまでの時間が流れてるんだ。
そしてとうとう、あいつがいなくなってからの時間の方が長くなっちまった」

「じゃあ、もう吹っ切れたんですか?」
「吹っ切れたかどうかってより、少なくとも日常生活に支障は出なくなったな。
結局のところ、心の傷は消えない。完治するはずがないんだ。
だからその傷を抱えたまま、前に進めるかどうか、ってとこだな」

「そう・・・ですよね、歩いてかなきゃいけないんですよね!」
と言うと相馬は眼を爛々と輝かせて湯飲みを飲み干すと、そのまま荷物を引っ手繰って飛び出していってしまった。

「あのバカ・・・」

彼が開け放ったままのドアを閉めると、土御門はまた湯飲みに口をつけた。

「吹っ切れた・・・はずなんだがな」

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