帰ったら帰ったで、今度はまた別のことが待ち受けていた。

「おーボウズ、帰ってきたか」

と猿島係長はデカ部屋前で相馬を待ち受けると、その両手にいきなり二つの棒を握らせた。
トライアングルのような、ぴかぴかと光る金属棒。それはちょうど半分のあたりで直角に曲がっていた。
それが両手に一本ずつ。

「な、なんなんですか!これから飯食おうと思ってたのに」
「その飯なんだがな、ざるそば出前してもらったんだがなぁ・・・」
と部屋の奥で土御門が言葉を濁す。

「それ、この建物のどっかに隠してあるんだわ。お前探し出せるか?」

探し出せるかっていったって・・・
いくら腹減らしているといっても犬じゃあるまいし、そう簡単に見つけられるはずがない。
しかも初夏とは名のみの、地球温暖化が進んだ上でのこの4月の陽気だ。
どこに隠されているかは知らないが、放っておけば悪くなってしまう。つまりタイムリミット付き。

――んなんムリだよ。

「だからこそのこのロッドだ」
と猿島が銀色の金属棒を指差した。

「ろっどぉ?」
「そう、ダウジングだよ。それさえあればお前さんだって昼飯にありつける」
「それに腹減らしてる分敏感になってるだろうからな」

そうは言っても・・・しかし、部屋の上座に鎮座する土御門室長の、あの嬉しそーな表情を見ると、
それが冗談だとは思えない。仕事も悪戯も、やるときゃ本気。仕方がない。

「・・・行ってきます」

そのとき、相馬の腹が勢いよくぎゅうと鳴った。

金属のロッドを軽く握り、左右に揺らしながら進む。
ロッドが何かに引っ張られるような動きがあれば、その引っ張られる方法に進んでいく。
そうやって井戸の水源を探したりするのがダウジングだ。
水脈探しの原理としては、水による磁場の変化を人間が無意識的に感じ取り、
それが腕の不随意運動としてロッドを動かしているということがほぼ明らかになりつつある。
(それも精神科学の発展のおかげだ)しかし、それが失せもの探しなどという場合は
まだまだ未解明の分野であり、また、水脈のときのように誰にでもできるというわけではない。

それでもなお、相馬は頭の中に海苔の千切りの乗った、つやつやとしたざるそばを思い浮かべながら、
ロッドの先を見つめていた。
しかし、雑念があるのか、ロッドの導くとおりに進んでいっても・・・

「あれ、ここ前にも来たんじゃ・・・」

また腹がぎゅうと鳴った。今度は廊下中に響くほどだ。
しかし、腹が減っている分食い物には敏感になっているんじゃないかと自分に言い聞かせて
再びロッドを左右に振ってみた。その表情はまさに『血眼』だった。
ぶつぶつと「ざるそば、ざるそば・・・」とつぶやきながら前かがみになって廊下を歩くさまは、
向こうからくる通行人が避けて通るほどだ。しかし、

「おっと」
「あっ、すいません!」

相馬は正面から、前から歩いてきた男とぶつかった。

「あの、本当にすいません!前をよく見ていなかったもんで――」
「いや、前を見ていないのは私も同じだよ。考え事をしながら歩いてたから、つい」

その男は――白衣を着ている。その下にはきちんとネクタイを締めていた。
歳は、
50代くらいだろうか。恰幅がよく――体形的にというのではない、むしろ雰囲気が――
おそらくはどこかのセクションの『長』と呼ばれているに違いない。

(キャップとは大違いだな)

「おや、君は前にも――」

そう彼が言おうとしたとき、相馬のロッドは彼に反応した。

――え、なんで?

そして彼が立ち去ったあとも、ロッドはその白衣の男を指し続けていた。

――まさか、あの人が食っちまったわけじゃないだろうな、オレのざるそば。

その真偽を確かめるにも、まずはそばを見つけなければと相馬は跡をつけた。
男はエレベーターの前で止まっていた。仕方なく、相馬もその横で止まる。
エレベーターがやって来る。男が乗る、相馬も乗る。バレているのはしかたがない。
彼は、地下2階を押した。

――地下2階といえば・・・。

エレベーターの重い扉が開いた先に広がるのは、
まるでSF映画のセットのような真っ白な、眩しいほど明るい研究室。
そこには同じように白衣に身を包んだ研究者たちが、思い思いに自分の分野に打ち込んでいる。
彼らは皆、日本中から選りすぐられた精神科学のエースたちだ、多少人格的に難があるのが紛れていても・・・。

その彼らが、白衣の男を見た途端向き直って「班長」「チーフ」と口々に声をかける。
ロッドの導くまま彼についていく相馬は、「ああやっぱりな」と思いながらもその自体に少々驚いていた。

「頼光班長、それに相馬ぁ!」

特殊事態対策室研究班武器担当主任・海東公美は口をもごもごさせながら、
さっきまで手にもっていたものを背後に隠した。
それまでまるで見えない糸に引っ張られていたような相馬のロッドは、その糸が切れたようにだらんと揺れた。

「なんで班長がこいつと一緒なんですか?」
「いや、上でぶつかったら付いて来られてね」
と言うと班長といわれたその男は「確か前にもぶつかったことがあったね」と相馬に話しかけた。
そうだ、その前はフライシュッツが完成したと聞いて、このラボに飛び込んできたとき――。

「あの・・・この人」
「こらっ、指差すなんて失礼だねこいつは。
この“お方”は当特殊事態対策室研究班班長でいらっしゃられる頼光伯(よりみつ・はじめ)さま、
日本のサイコサイエンス界の権威でいらっしゃるお方だよ!」

そう朗々と、半ばオーバーに語る海東だが、その顔は至って真面目だ。

「おい、それはいくらなんでも度が過ぎるんじゃないか?」
と笑顔でたしなめながら、頼光は相馬に向き直って言った。

「ところで相馬君、君は何の用があったのかね?」

あっそうだと言って相馬は海東の机を見た。
彼女の背後には漆塗りのせいろと徳利、おそらくそばつゆを入れるもの。それにこの匂いは・・・。

「海東さん、それ、オレのそば!」
「いやゴメンね、一応あんたが探しに来るの待ってたんだけどさぁ、なかなか来ないし、
悪くなっちゃってもさぁと思って」

と手を合わす。

「で、お詫びといっちゃあなんだけど・・・」
と差し出したのはコンビニ袋。もちろん中身は――。

「コンビニそばかよ・・・いつもと一緒じゃん」

仕方がない、こっちは極限状態に腹が減っている。
少々無作法だが、立ったままコンビニの、麺同士の固まったそばにかじりついた。

「おう、やっぱ来てたか相馬」
と何食わぬ顔で土御門が現れた。

「ひゃっふ、ひょっほひいてふだはいよ!」
「はいはい、口の中に物入れて喋らないって教わっただろ」
と脇から椅子を引いてきて相馬を座らせた。

「室長、あれが噂の相馬巡査ですか」

「ああ、大したもんだろ?いくら腹減ってるとはいえ一発でここまで探し当てるとは。
このフロアは霊気は完全遮断だからな」

「資料によれば顕在能力は十人並みですが――」
「『触媒さえあれば能力は発揮可』。現にフライシュッツもしっかり扱えるようになってるし、
ダウジングだって道具を使うって点では同じだろ」

「しかし彼は、その力を扱いきることができるんでしょうか?」

土御門はちらりと相馬を見た。彼はよっぽど腹をすかしていたのか、コンビニそばにむしゃぶりついていた。

「それはこれからのこいつ次第だろうよ」

その日、土御門は新宿駅の東口に人待ち顔で立っていた。
日頃表情をあまり表に出さないこの男がいかにも「待ちくたびれてます」という顔をしているということは、
相当待ちぼうけをくらっているのだろう。
しかし、背後からぱたぱたという足音を聞いたとき、彼の顔は普段のアルカイック・スマイルに戻っていた。
ハイヒールではない、男物仕立てのローファー。長身の彼女らしい。

「待った?」
「いや、ついさっき来たとこ」
と平然と答える。

「出動?」
「ええ」
「だったら多少遅くなるって連絡入れてくれれば――」
「定時には上がれると思ったのよ。実際、仕事自体はさっさと方がついたわ。
でも、それから先の後始末が大変。現場と上との責任のなすりつけ」

と言うと彼女――CRSAT管理官・穂積要はがっくりと溜め息をつく。

「じゃあさ、それから先のグチはお店行ってからにしよう、な」

土御門の選んだ店はまだ出来たばかりの和食の店であった。
ビルの中にあるその店は、畳敷きの席が朱塗りの橋のような渡り廊下でつながれた、いわゆる個室感覚の店だった。
その手の店は雰囲気だけで料理の方は・・・ということもあるが、
ここの本格懐石は、現に味にはちょっとうるさい土御門が穂積を連れて来れるほどの評価を与えている。

「こうやって飯食うのは、虎ノ門のお化けビルの反省会以来だっけ」

席につき、メニューを渡されると土御門はそう切り出した。
そして向かいの席の穂積の右手に視線を遣った。それに気付いた彼女はさっと腕をテーブルの下に隠す。
しかしそこにはあのときのような醜悪な傷はなかった。

「両手両足、全部義肢だっけ?」

メニューをめくるその優美な指は生まれつきのものではない。
本気を出せば素手で大男を絞め殺せるほどの力を持った強化義肢なのだ。
もちろん、それを覆う皮膚は有機物、彼女の皮膚組織を培養したものだが、
真皮の下には機械仕掛けの筋肉と骨格が存在している。

「あの新人キャリア、有働警視だっけ?さぞやびっくりしただろうなぁ」

いや、むしろ彼はそれを納得しているかもしれない。
彼女に手に触れたときの金属的な冷たさの説明がそれでつくのだから。

「でもなんで・・・」

穂積は口をつぐんだまま。ちょうどそのとき、派手やかな着物――正しくいえばキモノ風ドレス――
の客席係がやって来た。メニューを指差しながらお互い二言三言会話する。そして、

「ところで、最近仕事で何か面白いことでもあった?」
と穂積が尋ねた。
その表情からさっきまでの不快感は消え、瞳の奥には少女のような好奇心が見え隠れする。
その眼には土御門の追及も勝てない。思わず苦笑を漏らす。
そうやって彼女は嫌悪感すら蠱惑的な笑みに隠してしまうのだろう。
それがキャリアとはいえ、男社会で女性が生き残っていくためのカムフラージュだから。
まるでその華奢な四肢に恐るべき力を隠しているように。

「仕事っていってもねぇ・・・おたがい守秘義務とかあるでしょ」
と言いながらも、個人を特定できない範囲で現在相馬らが追っている女子大生失踪事件について、
その一部始終を述べた。

「そうそう、面白いことといえば――」

それは相馬がダウジングの訓練に明け暮れているころだった。
なので彼に代わって土御門が麒麟を迎えに行って、ちょうど帰ってきたところ、二人はロッドを持って廊下を徘徊する相馬の姿を眼にした。

「何あれ?」
「ああ、財布を探させてるとこ」

IDカードやらバイクの鍵やら、彼にとって無くしてはならない大切なものをわざわざ隠して探させるのだ。
当然、血眼になって探すしかない。

「財布ぅ?そんなん勝手に隠してええん?」
大丈夫だって、医務室の武市のとこに預かっててもらってるから」
「そやな、采女さんやったら間違いないな」
と医務室を預かる美人看護師の慈母のごとき表情を浮かべて安心した麒麟。

「それにしてもキャップ、まるで『ここ掘れワンワン』やな」
「花咲かじいさんか?」
「そや、猿島さんがおじいさんで相馬がポチや」

シロ、という説もある。

「ポチかぁ」
と同期に犬扱いされながらも、それすら気づかずに必至に財布を探しつづける相馬が少々不憫でもあった。

「花咲かじいさんねぇ」
「だろ?」
と土御門は娘同然の直弟子の発想にご満悦のようだ。

「で、相馬巡査は今もIDやら鍵やら探し回ってるの?」
「いや、第2段階に進んで今はマップダウジングをやってるとこ」

地図を広げて、その上に振り子を垂らし、その反応を調べるのだ。
今までと比べてより間接的になる以上、道具に対してもきちんとしたものを選ばなければならない。

「水晶の振り子や銀などがいいんだが」
と猿島が言うと、麒麟が
「それやったらこないだ買うたのがあるやん」
と言って相馬の胸元からドッグタグのペンダントヘッドを引きずり出した。
これだって一応、フォーナインシルバーだ。

そんなこんなで相馬は西牟田慶を探し出すべく、与えられた試練を一つひとつ乗り越えているところだ。

1/15001/3000と少しずつ倍率を下げてる。今では東京23区内なら探し物を見つけられるくらいだ。
とりあえず
1/90万ができるようになったら捜索できると思うんだが」

ま、もっとも厳密にやるとするなら世界地図から探せるようにならにゃあならんがな、と土御門が言う。
しかし、穂積は目の前の料理に手をつけようとせず、じっと何かを考えているようだった。
土御門もつられて箸を止める。

「ねぇ、その女子大生って失踪して何年になるんでしたっけ」
「確か、7年くらいになるかな」
「それで、もし、もしもよ。彼女がすでに死んでいて・・・でもそれは誰にも知られていない。
当然葬式も弔いも行われないとしたら、彼女の魂はどこに行ってしまうのかしら」

それは素朴な疑問というより切実なもののように土御門には思えた。

「一応仏教では49日であの世に行くっていうけどなぁ・・・行けなかったら、地縛霊とかになるしかないわな。
キリスト教には“
limbo”ってものがあってね」
「リンボ?」
「洗礼を受けてない子供の霊や、キリスト以前の善人の魂なんかがそこに行くって言われてる。
いかにも一神教らしいな、たとえ善人でも福音に預からない人間は天国に行けないんだから」

「だから?」
「きっとさ、あの世にもし行けたとしても、あの世の果てで小さくなって生きてるんじゃないのか?
誰にも弔ってもらえない霊たちは」

そう言われると穂積は沈痛な面持ちでうつむいてしまった。

「穂積さん、何か・・・」

――心当たりでもあるのか?しかし彼女は顔を上げると、

「そう・・・なのかしらね。ま、あの世っていうのがあるとしたらの話だけど」
と普段の科学論者らしい皮肉を浮かべていた。

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