東京でもここまで来ると郊外の風情が漂う。

天高くそびえるほどの建物は見当たらず、狭い路地沿いに家々がひっそりと並ぶ。

まだ午前中の住宅街は人影もまばらだった。

 

その一角の、一軒の家の門柱の前に覆面パトカーが停まった。

そこの表札には、少々風雨で汚れているがこう書いてあった、『西牟田』と。

 

新入りの久世が露払いでインターホンを押す。旧式の、音声のみの型だ。

見れば家自体もけっこう旧式だ。和洋折衷の典型的マイホーム、そろそろリフォーム時と見た。

 

意外にも出たのは父親の方だった。

 

「どちらさんでしょうか」

「警視庁捜査一課資料室の久世と申します。お嬢さんの、慶さんの件で伺いたいことがありまして」

と刑事たち二人は手帳をかざす。

その後ろで相馬は、仕方なく、警察手帳より断然に威厳に欠ける対策室のIDカードをかざした。

 

「・・・そうですか。では」

 

そうぶっきらぼうに言うと、無言のまま相馬ら3人を家の中に迎え入れた。

 

中は相馬の見立てどおりだった。壁紙は黄ばみ、ところどころ剥がれかけている。

廊下の床板も艶がなく、久々に来客を迎え入れたのか、男4人の重さに悲鳴を上げていた。

足元を見ると、艶がないのはうっすらと積もった埃のせいらしい。

ここまで来ると、玄関に飾られたドライフラワーもただの枯れた花に見えた。

 

居間の中もまたくたびれた印象しか残さなかった。

レースのカバーのかかった革張りのソファが部屋を占領し、

その片隅には書斎コーナーなのだろう、型遅れのパソコンが肩身の狭そうにその巨体を誇示していた。

そしてその脇には刷り上ったと思しき紙の束。

 

ただ、埃のかぶったコーヒーカップやら土産物らしき博多人形の飾られた

やはり時代遅れなサイドボードの上だけがそういった雰囲気とは無縁であった。

そこにはいくつものフレームが、いくつもの家族の記憶が飾られていた。

まだ幼い頃の西牟田慶、そして姉の実恵がみな笑顔で映っていた。

そして両親もまた笑顔で娘たちの成長を見守り続けていた。そこには埃一つ被ってはいなかった。

 

一方、目の前にいる父親は眉根を寄せたまま来客にコーヒーを入れていた。

玄関に出たときから表情はずっと変わっていない。彼自らコーヒーを3人の前に置く。

 

「あの、申し訳ありませんが奥様は?」

 

その表情に怯むことなく、口火を切ったのは久世だった。

 

「さぁ、出かけると言ってましたが」

「どこへでしょうか?」

 

眉間の皺が更に寄る。それでも久世は、大胆というか怖いもの知らずというか、問いを畳み掛ける。

 

「何とか会とかいう、まぁ新興宗教ですよ」

「そうですか」

「ところで、何か進展はあったんでしょうか?」

 

その冷たい眼に、さすがの久世も凍りついた。

むき出しの敵意だった。

それは一行が警察であると判ったときからすでに滲み出ていたものだったが、ついに噴出してしまった。

しかし秦は、出されたコーヒーを一口つけると平然と言った。

 

「申し訳ありません、こちらも手詰まりでして新たな証拠が得られないものかと今回お伺いしたわけでして。

それに新入りも入ったのでそのごあ――」

「警察が無能だから娘は帰ってこないんじゃないか!」

「我々も全力を尽くしておりますが・・・申し訳ありません」

と深々と頭を下げた。

久世は一瞬あっけにとられたが、頭を押さえられやはり最敬礼させられた。

相馬もとっさに、額に膝が付くほど背中を曲げた。

ここまでされては父親も怒りをぶつけられまい。

そして、秦と久世の立場関係も一瞬のうちに逆転してしまった。

 

「ところで、あのチラシは?」

 

頭を上げた秦は視線だけであの紙の束を指した。

それはこの3人の中では相馬が一番近くだ。手を伸ばせば立ち上がらなくても届きそうだ。

取ってあとの2人に手渡す。

 

「ええ、警察には任せられませんからね。といっても自分でできることは限られてますが。

駅前にも看板を立てましたし」

と正面の久世を睨みつけるようにして見た。まさに蛇に睨まれたカエル状態の久世は

「あ、いえ、駅の方は通ってこなかったので」

と答えるのがやっとだった。

 

「直接発見に結びつく情報には、報奨金100万ですか」

 

思わず口についてしまった。とっさに縮こまる相馬。

 

秦「この100万というのは――」

父親「退職金もほとんどつぎ込んでしまいました」

相馬「退職なされたんですか!?

父親「ええ、短期のアルバイトのようなものはやっていますが。

娘の救出に全力を尽くさなければなりませんから」

 

今も週に半分以上は街に出てチラシを配るという父親に

相馬は何かファナティックなものを感じずにはいられなかった。

 

見方によっては美談にもなる。失踪した娘の救出に職も何もかも投げ出した父。

しかし、世の中に失踪者の家族は少なくはないが、そこまでする者はそういない。

彼らにだって自分たちの生活があるからだ。

 

おそらく隣りの『ならず者』国家がまだ健在だったら、きっと彼らの仕業に違いないと隣国を、

そして自国の政府をも敵に回したであろうが、

残念ながらその隣国も相馬が生まれる前に崩壊してしまった。

それゆえいま『現在』この父親にできることは、最も手頃な相手――警察――に喧嘩を売ることぐらいだった。

 

そのとき、玄関の方でドアがあく音がした。呼び鈴も鳴らず。

父親は眉を吊り上げたまま席を外した。

 

「一体どこに行ってきたんだ」

「だから今日は礼拝(らいはい)があるって言っといたじゃない」

「いくら持ってったんだ」

「それであの子が帰ってくれば安いものでしょ」

「だからいくら持ってったんだ!」

 

玄関先でのやりとりが薄い壁を通して居間にも聞こえてきた。

そして、西牟田慶の母親――写真の中の母親のなれの果て――が現れた。

写真より幾分やつれて見えたが、それでもなぜか顔には笑みを浮かべていた。

 

「警察の方だ」

との夫のぶっきらぼうな紹介に、表情を変えぬまま愛想よく会釈する。

 

「あのぉ、宗教団体の集会にお出かけとか」

との久世の問いに

 

「ええ、光明会っていうんです。ご存知ですか?

大変だったとき、近所の方のご親戚から紹介されたんですけど、

その方は息子さんの引きこもりを治していただいたんですとか」

とつらつらと功徳を並べ立てた。

やれ医者にも見放されたガンが完治したとか夫のDVが収まったとか。

そして彼女のその笑顔は、そんな奇跡が自分の身にも降りかかってくると信じている顔だった。

信じて疑わない笑顔だった。

 

「旦那さんの方にも申し上げたんですが、新入りの挨拶を兼ねて、

何か新たな手がかりが得られたかどうか伺いに上がりました。

いや、どんな些細なことでもいいんです。何か思い出されたことがあったら――」

 

秦の言葉に、母親は「ありがとうございます」と一礼する。

 

「わざわざご挨拶に来ていただいて――もう7年も経ちましたし、警察もお忙しいから

てっきり放っておかれてると思ってました」

となかなか好意的だ。無論、父親の方は面白くない。

 

「それで、そちらの方は・・・なにか判ったことでも」

「何もないから来てるんだそうだ」

 

不機嫌そうに言葉をさえぎる夫。すると妻の顔に影が宿った。

 

「そうですか・・・あの子が帰ってこないのは、私たちの信仰がまだまだたりないせいかもしれませんね」

 

そして哀しげに笑った。狂信的――ファナティック。父親の罵声、叱責よりも刑事たちには衝撃的だった。  

 

 

「あの夫婦はもうどうしようもないですよ」

 

車の運転席についた途端、吐き出すように久世が言った。

 

「にしちゃあお前、父親の方にはかなりずけずけ言ってたじゃないか」

「あれはですね久世さん、わざと相手を刺激させるっていう心理的な作戦なんですよ」

「でも見事に自爆ったようだね」

「はい、完敗です」

とハンドルにぐったりと頭をもたれた。

 

「それにしても2階のあの部屋は凄かったですね。まるでガイシャの記念館」

 

後ろから相馬も参戦する。

彼女が一人暮らしを始めるまで使っていた部屋は、彼女が残しておいた家具がそのまま手付かずで残っていた。

 

「オレの部屋なんて、こないだ帰ったら物置にされてましたよ」とほほ

「あれじゃあお姉さんの居場所はないよな」

 

そう秦が言った。

 

久世「確か実恵さんは何年も戻っていないって言ってましたよね」

秦「仕方ないさ、あの家族でまともなのは彼女ぐらいなもんだからね」

 

そう言われたとき、相馬はふっと昨日の佐野の言葉を思い出した。

そして、朝から引っかかっていたものがするするっと解けていった。

引っかかっていたのは死んだ門脇の表情じゃない。

そのときの、今の秦のそれだ。

友人を最も傷ましい形で失ったというのに、その表情は穏やかなままだった。

しかし、かといって泣き崩れてしまえばいいというわけではない。それではあの夫婦と同じだから。

秦も、そして実恵も、悲しみは悲しみとして自分の人生を生きていかねばならないのだ。

 

そして土御門も――彼もまた友人を失ってしまったのだ。

しかしその痛みを見せたことはない。時々覗かせる小さな隙を除いては。

あの友の死という事実を告げたときの声、そして廃墟での決戦前夜、佐野が悪霊の手の落ちた後のあの表情――。

 

――お前、人に死なれたことはあるのか?――

 

佐野の言葉がずしりと響く。

 

(ねぇよオレには。ねぇから判んねぇよ)

 

そう答えるのが今の相馬にはやっとだった。

 

「まだ時間もあるし、そのお姉さんのほうにも会ってこようか」

との秦の提案に、運転手役の久世は「えっ」と声をあげた。

 

「まだ聞き込みするんですか?」

 

その声には、あんな面倒な家族に関わりあうのはもう御免だという悲鳴が見え隠れしていた。

 

「確か彼女の勤め先は、と」

 

そこは旧都心近くの、さして大きくないが、それでも一応総合病院であった。

 

西牟田実恵はナースステーションにいた。

パンツスタイルの白衣に身を包みきびきび働くさまは、初対面のときの

どこか一見だらしのない、投げ遣りな印象とはかなり違う。

 

「西牟田さんですか?」

 

どうやら猫の首に鈴を付けるのは久世の役目と決まってしまったらしい。

彼女は薬剤の整理の手を休めると、秦たちを連れて中庭へと出た。  

 

「ついさっき、ご両親に会ってきましたよ」

と秦が言うと、

「そうですか、ひどい親だったでしょう?」

と笑って返した。

 

「もう7年も経つんです。7年も経てば、一応は心の整理ぐらいはつくはずなのに

あの人たちはずっと悲しんでるまま、7年前と同じように」

 

そう言ってベンチに腰掛けた。秦は立ったままだ。

 

「あの子が――ケイが帰ってこないっていうのは、わたしが一番よく判っているつもりです」

「というと?」

 

すると、彼女の顔が初めて曇った。

 

「メールが、あのときから通じないんです。その前は毎日何件も、その日あったことを送ってきたのに・・・」

「じゃあもう妹さんは生きていないかもしれない、と」

「ええ、あの日言ったとおりです。わたしはもう諦めてます。

だから、まず自分の将来にこそ眼を向けるべきじゃないのかと」

 

迷いなく彼女は言い切った。その言葉に秦はただ

「そうですか」

と肯くだけだった。

 

それでは、昼食の配膳があるのでと実恵は席を外した。

それと入れ違いになるように久世が現れた。

 

「秦さーん、どこ行ってたんですか。探したんですよ」

と息を切らして。

 

「同僚のナースに聞き込みしてきました。西牟田実恵は内科病棟の主任なんですが、

ここはずいぶん長いみたいで、妹が失踪する以前から勤めてます」

「ほう」

「それとですね、同僚の、というか部下からの評判は悪くないようです。

ただ付き合いはそれほど良くないみたいですね。同期がすでにだいぶ退職しているそうですから」

意外に人材の出入りが激しい職場らしいですからね、と久世が言った。

 

「じゃあ俺たちも昼飯にするか」

と言って久世が立ち上がった。

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