――それにしても何で彼女はあんなことを言ったんだろう?妹の形見を後生大事に取っておいてるというのに。

普通、行方不明事件の被害者家族というのは何が何でも家族を見つけ出そうと必死になるのではないか?

そして、たとえどれだけ月日が過ぎようとも、

一縷の望みにすがってでも諦めきれないものなのではないだろうか?

それとも、7年という月日が彼女をあのように失望させてしまったのだろうか・・・。

 

失踪はおろか、死別の経験すらない相馬には西牟田実恵の気持ちが理解できなかった。

 

母方の曽祖父が亡くなったのは彼が3歳のときだったが、

その頃はまだ幼すぎて死というものが理解できなかった。

 

むしろ彼は『残される』側ではなく『残す』側になら何度もなりかけた。

幼い頃から先天性の難病で入院・手術を繰り返し、やっと人並みの健康を手に入れたと思ったら、

高校生のときバイクで事故って死にかけた。

そして最近では職務中に刺され、その結果ここまで『流されて』しまった。

 

『残される』側と『残す』側、同じ出来事の当事者同士とはいえその立場は正反対だ。

 

相馬だって事故の瞬間、そして刺されたあと、残される家族に思いを馳せた。

父さん母さん、先立つ不幸をお許しください、と。

しかしその思いは死とともに雲散霧消してしまうだろう。その後どうなるか、彼には知る由もないが。

しかし残された家族は悲痛な嘆きを終生抱き続けなければならない。

それでも生きていかなければならない。

 

ある意味、『残される』より『残す』方がましだ。

 

なのに彼女は、西牟田実恵はそのような嘆きとは無縁そうだった。

血を分けた妹の生死が今も判らないというのに淡々と生きていた。そんなこと私には関係ないというように。

 

なぜ彼女はあれほど平然としていられるのだろうか?

それとも、『嘆き悲しむ被害者家族』というイメージは所詮は一般市民の押し付けに過ぎないのか?

 

実体験に欠く相馬の思考は次第に堂々巡りになりつつあった。

 

 

終業時刻になると、珍しく佐野が声をかけた。

「相馬、今夜ヒマか?」

今夜?今日は月曜だから野球もないし――でも何だ?佐野のことだから、何か企んでるに違いない。

 

「ヒマだけど、なんだよ」

 

疑念が声に表れてしまう。

 

「いいから、先輩が誘ってやろうって言ってるんだよ」

 

――同い年の癖に、こういうときに限って先輩風吹かせやがって。

 

ついつい佐野の一挙手一動足に苦情をつけてしまいたくなる。しかし、相馬は気づいた。

 

――『先輩のお誘い』ってことは、タダ酒にありつける?

 

今日は都合よくバイク通勤ではない。

 

「んじゃ『先輩』の奢りっすか?」

「馬鹿、割り勘だよ割り勘」

 

ずいぶん気前の悪い先輩だ。

その『先輩』に案内されたのは、対策室から程近い店。

地下へと続く階段の前に小さな看板が置いてあるだけだが、そこには店名は書いておらず、

ただ青と赤の円が同心円状、◎のように描かれているだけだ。

 

「・・・・・?」

「おい、入るぞ」

と佐野は相馬を置いて地下へと消えようとしていた。

 

中は高速道路のナトリウムランプのようなオレンジ色の光に包まれていた。

古い木製の、黒光りするカウンターの後ろには、横文字の酒瓶が光を反射させていた。

その反対、カウンターに座る佐野の背中側にはダーツの的が並ぶ。

 

「あぁ、ダーツバーね」

 

30年近く前に結構流行ったらしいが、今ダーツをメインにしている店はそれほど多くないのではないか。

まだこういう場にしては早い時間だが、店はすでに結構入っていた。

若いサラリーマンらしきネクタイ姿の連中がアルコール片手に的を囲んではワイワイやっている。

 

佐野はすでに緑色の瓶のビールで一杯やっていた。

相馬もその隣りに座ると、とりあえず同じものを頼んだ。

一緒に出されたグラスに注ぐことなく、ラッパ飲みで半分近く空けた。

 

「で、何でわざわざオレなんか誘ったんですか、センパイ?」

「相馬、そっちこそ何か言いたいことがあるんじゃないか?」

 

へ?別に言いたいほどのものはないし、ましてはお前なんかに・・・

と口からこぼれ出る前に、佐野は30がらみくらいの客に肩を叩かれた。

彼の指差す方では、何人かが的を取り囲んでいる。さっきの一団とは違い、真剣そのものだ。

 

佐野はカウンターに向かって一言いうと、バーテンは下から何か小ぶりのケースのようなものを取り出し、

よく磨かれた天板の上に置いた。

それは『マイ・ダーツ』だった。

彼はグラスの残りを飲み干すと、ケースを掴み先客の方へと近づいていった。

 

それは決して馴れ馴れしい、親しげな態度ではなかった。

佐野は彼らに軽く挨拶をすると、促されるまま的に対峙する。

肩の力を抜き、真っすぐに立つ姿はさすがに武道の家柄だ。様になっている。

そのポーズのまま、わずか手首のスナップだけで放たれた矢は放物線を描く。

どこに刺さったか相馬の席からはよく見えなかったが、周りの客が拍手したり感嘆の声を挙げていた。

みな佐野よりも一回り以上上の年代のようだった。

 

「あの人たちはみんなここの常連でね」

とのバーテンの言葉で相馬はふっと視線を戻す。

 

「大会とかにも出て、結構いいとこ行ってるらしいですよ。ある意味ここの『主』ですね」

とラフな白シャツ姿のバーテンが言った。

 

酒を飲みながら当たった外れたで大騒ぎしている若い客の中で、彼らのストイックな姿だけが別格であった。

そしてその中でも佐野が――。

狙ったところに当てても決して笑みを浮かべたりはしない。ただ淡々と的に向かう。

 

しかし一方相馬は、佐野に連れてこられた彼はこのバーの中でたった一人手持ち無沙汰だった。

ついついビールの飲み方もちびりちびりになる。

 

「あの・・・ところで、ここの店の名前ってなんていうんですか?」

 

バーテンに訊いてみる。

 

「あぁ、一応『ターゲット』っていうんだけど。みんな結構勝手に呼んでるみたいっすね、『二重丸』とか」

 

そりゃないっすよ、と相馬が言うとバーテンは無精髭の相好を崩した。

 

そのとき、佐野らがいるあたりから一斉に溜め息が聞こえた。

その真ん中にいたのは彼だった。どうやら勝負を決める一投を外してしまったらしい。

その中で一人だけが勝ち誇った笑顔を見せていたが、その大多数は佐野の肩を叩いたりして

「惜しかったな」「ま、がっかりするな」などと言っているようだった。

 

「何だよ、オレにええかっこ見せにきただけかよ」

 

佐野は行儀悪く立ったままビールの残りをグラスに注ぐ。

 

「あの人たちは?」

「ああ、サクライさんね」

と言うと佐野は多少気の抜けたビールを喉に流し込んだ。

 

「友達?」

「ん?」

「何やってる人?」

「知らない」

 

知らないって・・・

 

「ただここで知り合って一緒にダーツしてるだけ。それ以上でもそれ以下でもない」

「お前なぁ・・・」

 

・・・会話が続かない。

前々から、といっても会ってまだ1ヶ月ぐらいしか経たないがウマが合わないとは判っていた。

だから敢えてコミュニケーションを取ろうとは思わなかった。

合わない人とは結局合わない、だったらあくまでビジネスライクな付き合いに徹するべきだ。

それがたとえルームメイトであっても。それが相馬の持論だった。

 

しかし、最初に口を開いたのは佐野だった。

 

「お前、人に死なれたことはあるのか?」

 

口火を切るにしてはヘヴィすぎる話題だった。

 

「――ねぇよ。自分で死にかけたことなら何度もあっけど。あんのかよ」

「ある」

 

はっきりと言った。

いや、「発音した」というのが適当なくらいそれは明瞭に響いた。

まるでその2音が言葉としての意味を離れ、単なる2つの音に感じられるほど明瞭に、力強く。

そしてその響きは、同時に強い拒絶が含まれていた。

もうこれ以上訊くなと。

 

「・・・そうか」

と言うと相馬は瓶に残った残りを飲み干した。

 

 

明くる日、相馬は捜査一課資料室分室を訪ねた。

かつては一課二係と呼ばれていた資料室は警視庁の5階に位置するが

その分室は黴臭い、電灯も薄暗い地下にあった。

 

「お邪魔しまぁっす」

 

開けた瞬間、空気の匂いが変わったのを感じた。カビの上に埃臭さも加わったようだ。

 

日の光の差し込むはずのない部屋は無機質な蛍光灯の明かりのみだ。

そしてその奥、蛍光灯すら届かない闇の奥には図書館のように並んだスチール棚一杯に事件の調書、

それも現代の科学・常識では解決できない事件が、まさに「葬られていた」。

文字通り『迷宮』、そして『事件の墓場』。

それは同時に『人材の墓場』でもあった。

 

「あぁ、相馬くん、だったね」

とたった二つしかないデスクの片方に陣取った秦が立ち上がった。

 

「多少判りづらくなかったかい?」

「ええ、まぁ・・・。受付で道は訊いてきたんですが」

「ここまでは案内が付かないからね。人員削減、会社も警察も一緒だよ」

 

はぁ、と肯定とも否定とも取れない返事をかえすしかない相馬。

 

「それで、秦さん、今日はどちらに行くんですか?」

「あぁ、そうだった。今日はちょっと遠出になるが西牟田慶の実家に行こう」

 

見ればこの部屋にいるもう一人、久世も出支度をしている。

秦がくたびれたビジネスバッグを机の上に置く。

そのとき、バッグの角が触れたらしく、机の上の写真立てが床に落ちた。

足元に転がったそれを、相馬が拾い上げた。

 

「すまないね」

 

その写真は――

大柄でいかにも体育会系といった感じの少年。

どこか秀才風の印象を漂わせるメガネの少年。

やはり眼鏡をかけた、小柄で気弱そうな少年。

その彼を抱え込むように中心に立つ、ひときわ笑顔の少年。

そしてその脇で独りシニカルな笑顔を浮かべる少年。

その中の一人、小柄でメガネの少年の数十年後こそ、目の前にいる秦だった。

じゃあ、この写真は――相馬は机に戻すのを忘れ、写真に見入っていた。

 

「この写真かい?」

秦の声でふっと我に返った。

 

「これは・・・高3の夏休みだったかな、いや、高2か?中学以来の親友と撮ったものだよ。

で、これが鳳――土御門だ」

と端に立つ長身の、冷めた笑みを浮かべた少年を指差した。

 

「じゃあ、秦さんは――」

「あいつとは腐れ縁ってとこかな――おい、久世。何ぼぉっとしてるんだ。早く車暖めてこい」

 

端でそれを聞いていた久世は急いで部屋を飛び出していった。

 

「八王子の外れの方だっていうからな、下手すりゃ半日喰いそうだな」

「あっ、はい」

 

久世が回してきた車の、秦は助手席に乗り込み、『お客さま』は後ろにちょこんと座っていた。

 

相馬の頭の中には先ほどの写真がまだ焼きついていた。

特に、その中心に立って満面の笑みを浮かべていた少年。

彼の笑顔はまるでその写真全体の光源のようだった。

 

「秦さん、あの写真の彼――」

「ん、彼って?」

「ほら、あの真ん中の」

「ああ、門脇か。門脇ね・・・」

 

言葉が濁る。まさか――

 

「そう、彼が自殺した門脇だ」

 

バックミラー越しに映る秦の顔は色一つ変えていなかった。昨日の実恵と同じように。

 

「でも――」

 

あの表情がその後自殺する人間のものとは思えなかった。しかし、それ以上に何かが引っかかった。しかし、何が々引っかかっているのか相馬には説明できなかった。

BackNext

D×B

background by

SILVER EMBLEM