月曜の雨は嫌いで、なんて歌詞があったような気がする。 相馬も昔から月曜日の雨は嫌いだった。 といっても月曜の朝は週末に洗った体操着や上履きなどの荷物が多く、 それが傘からはみ出して濡れるのが嫌だった、というだけだが。
雨のせいで麒麟を送って行けないどころかバイクすら出せず、相馬は今日は地下鉄通勤だった。 地下鉄というのがまた気が滅入る。 朝っぱらから狭いところに人間をぎゅうぎゅう詰めにしといた挙句、真っ暗なトンネルの中を走るのだから。 これでせめて外の景色を目にすることができるなら、少しは不快感も薄れるだろうに・・・ と朝から機嫌が悪い。 おまけに、昨日はいきなりの休日出勤で、たった5人で12台の暴走ヒューマンメイトを止めなければならなかった。 頼みの綱のCRSATも、場所が渋谷の人込みということもあってぎりぎりまで手が出せず 結局彼ら5人でほとんど片付けたようなものだった。
雨の湿気のせいか、昨日の筋肉痛がやけに重たい。
痛む右肩を軽く回しながら、正面ゲートで身分証を提示する。 警備ロボットのアイセンサーがカード上のバーコードを認識し、通行を許可した。
――あー、またしんどい一週間が始まるな。
そんなことすら思いながら対策室棟までの道をとぼとぼと歩いていると、 やはり同じようにとぼとぼと歩いている人影を発見した。 その頭は炎のように真っ赤、見間違えるわけがない。
「よぉ、バサラ。今日はさすがにモンキーじゃ無理か」
特殊事態対策室・遊撃処理隊所属、佐伯跋折羅。同じくバイク通勤の同輩であった。
「おぅよ」 「んじゃ地下鉄?」 「うんにゃ、バスに乗って」 「家、人形町だっけ」 「真言宗の寺に間借り。そこの住職がひどくってさぁ、今朝も疲れて爆睡してるっつうのに叩き起こされた」 「ましてこの雨じゃ、疲れに響くな」 「まったくだ」
そう景気の悪い話をしながら、やはり景気の悪い面構えの対策室棟へと入っていく。 入ってすぐの事務室の窓口に「おはよーございまーす」と声をかけるが、 茶髪と赤毛の組み合わせに、事務係長兼室長補佐の月岡密はじめ全員が中央官庁からの出向である事務係員は 返事をかえさない。ますます気分を悪くして、二階へと階段を上がっていった。
『デカ部屋』にはまだ室長は顔を出していなかった。そのかわり
「おう、早かったな」 と隣りの席の佐野が声をかける。あまりかけられたくない相手だ、ますます気が重い。
「おまえこそ珍しいな、今日はちゃんと来てるなんてさ」
ついつい言葉がケンカ腰になる。
「ああ、今日はゼミもなけりゃ就活もないからな。来れるときはちゃんと来ますよ、 今朝はギリギリまで布団の中でうんうんうなって『仕事行きたくねぇ』とかホザいてた誰かさんとは違ってな!」
売り言葉に買い言葉、一触即発の緊張状態。途端に室内の全職員の視線がこの二人に向かう。 ただでさえ雨で重苦しくなった空気がますます沈鬱の色を帯びる。 そのとき、
「なーにやってんだよ、お前ら」 とドアをぽーんと開け放って入ってきたのは対策室室長・土御門鳳耶その人であった。 陰ではいくら室長の悪口を言っていても、その面前であからさまな反抗はできない。 佐野は矛を収めて平然と席につく。その態度に相馬は憮然としていたが、 すぐに浮かない顔であったが同じように席についた。
「ほらほら、見せもんは終わったんだよ。さっさと席につけや」 と土御門はこの唐突な休戦に浮き足立った職員たちを鎮めると、何事もなかったように室長席に腰を下ろした。 そうやって対策室がまたいつものように一日を始めようとしたとき、再びドアが開いた。
「どーも、失礼します」
そう口では言ってはいるが態度は大きいというか、まるでここが自分の職場のような素振りであった。 しかし形(なり)は小柄で、メガネをかけた表情は温和そうというか、一見気弱なサラリーマン風であった。 年は土御門と同じくらいか。 その後ろからもう一人、育ちのよさそうな顔立ちの青年が付いてくる。
「なんだ、秦じゃないか」
いったん席についた土御門がわざわざ立って出迎えた。
「まだ出勤したばっからしいな。普通の職場だったら朝礼を終えて、これから一仕事っていう時間帯だっていうのに」 「うちは一応フレックスだから」 「室長限定だろう?」 と軽口を叩きあう。
「それで、後ろの若いのはどうした?」
土御門が秦と呼ばれた来客の後ろで所在なさそうに突っ立っている青年に目を向ける。
「ああ、彼はうちの新人で久世っていうんだ。一応、挨拶に連れてこようと思ってね」 「へぇ、新人ねぇ」と言うと土御門はぼんやりと回転椅子を左右に回す。そして 「んじゃうちの新人も紹介しなくっちゃな」 と相馬を無言で手招きした。
「こいつがうちの新人の相馬将泰、元皇宮警察だからお前のとことは同業だな。 相馬、こちら警視庁捜査一課資料室別室の秦警部補と――」 「久世乙雅警部補です」
捜査一課資料室――相馬も名前は聞いたことがあった。 捜査本部を縮小・解散した事件の資料を管理するポスト、いわゆる『迷宮』,『オミヤ』と呼ばれる部署だ。 しかしそこに別室があるとは・・・。
「常識では解明できない事件、いわゆる超常現象がらみのヤマを扱う、通称『警視庁のXファイル』さ」 と秦が手を差し伸べた。差し出された手を素直に握り返す。 そのとき、相馬は初めて彼の顔を正面から見た。 小柄で気弱そうな顔立ち・・・
(あれ、あの人どっかで見たよーな)
それが相馬の感想だった。
「それで、今日は何の用だ?まさか新人のご挨拶だけじゃないだろうな?」 「毎度毎度の定期便ですよ。これが今週分の依頼」 と小脇のブリーフケースから数枚の紙が挟まれたファイルを渡す。
「こんなのわざわざ、データで渡したら一発送信はいお終いだろ?」 「デスクトップのディスプレイで見たんじゃちゃんと目を通したって気がしないんだ。それはお前もだろ?」 「だな、お互い20世紀生まれってわけで」 と手渡されたファイルを受け取る。
「ん、また代わり映えのしない失踪者か。まさか神隠しってわけじゃないだろうな?」 「さぁね、うちが少なくとも言えることは、 警察がいくら調べて怪しい奴を叩いてみても手がかりは出てこなかった、ってことだけだよ」 「じゃあこれは猿島さんとこで預かっといて。あっそうだ」 と土御門の顔が嬉しそうに歪む。 こうなったときは大抵良からぬことを企んでいるときだ。
「相馬ぁ、猿島さんに付いて失踪者の捜索手伝って来いや」 「えーっ、捜索ですかぁ?」
そう言われたって彼は失踪者を探し出せるような技術も能力も持ってない。しかし、
「そう言うな。警察との合同捜査もうちの大事な仕事なんだから、とりあえず行ってこい」
しかし相馬は浮かない顔だ。もしかしたらこの天気のせいかもしれない。 人目をはばからず膨れっ面を浮かべる相馬に困ったのか、土御門はファイルを持って言った。
「じゃあこの中からどれか好きなの一つ自分で選べ。だったらいいだろ?」 とファイルをババ抜きのカードのように広げて相馬の前に差し出した。 真剣な眼で選ぶ相馬。そして一枚を選ぶ。 その瞬間、秦の顔が曇った。
「相馬ぁ、お前ババ引いたみたいだな」
真正面の土御門はいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
ファイルの一行目にはこのように書かれていた
『西牟田慶 19歳 大学2年生』
そんなわけで、善は急げとばかりに相馬は 捜査一課資料室別室の刑事二人に連れられて覆面パトカーに乗せられてしまった。 一応『警察』と名の付く組織にいたことはあったが(現在も在籍中:出向扱い) 覆面パトカーは初めてだ。悪事を働いたわけでもないのに、後部座席の居心地は決して良くなかった。
「で、どこから行きましょうか?」
運転席の久世が隣りの上司に声をかける。 「確か姉が都内に住んでたな。実家は八王子だそうだから、まずはこっちから攻めた方がいいな」 「了解しました」
やや堅さの残るやり取りのあと、型落ちの面パトはぎこちなく発進した。 久世「秦さーん、コレ、もうそろそろ買い換えてもらいましょうよ」 |
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西牟田慶の姉のアパートは北池袋の住宅密集地にあった。 この辺りには築50年を超える中低層アパートが密集していて、一歩路地に入ると日照権も何もあったものじゃない。 その日当たりの悪いアパートの一室には
との表札ともいえない安っぽいマジック書きの表札があった。 いくら大家さんの許可はもらったとはいえ、他人の家に乗り込むのは気乗りがしない。 しかし刑事たちはすでにやる気満々で簡単な打ち合わせを始めていた。 「いますかねぇ、お姉さんは。こんな昼間っから」 「彼女は病院勤めらしい。今日の勤務は夜からだから、多分いるはずだろう」
そんなやり取りを傍目で見ながら、相馬は 「自分には飛びこみの営業なんて無理だな、まして刑事なんて・・・」とぼんやりと思っていた。
久世がドアホンを押す。古びたアパートの中でドアホンだけはまともなテレビ電話付きだった。 といっても最近では大概の家庭には付いている、当たり前のものだったが。
「はぁい」 と間延びした返事がかえる。
「警視庁の者ですが、妹さんの件でちょっとお話できませんでしょうか?」 とドアホンのカメラに警察手帳をかざす。刑事ドラマでおなじみのシーンだが、生では初めて見た。
「あのぉ、ちょっと待っててもらえませんか?今寝起きでパジャマ姿なもんですから」 「ええ、いいですけど」
玄関先で待たされることしばし、がちゃりとドアが開いて彼女が顔をのぞかせた。
「すいません、今日は昼間休みなんでひどい格好してて」
確かに彼女はトレーナー姿に、紙には寝癖がまだ残っている。しかし秦は、
「いえ、別にかまいませんよ」 と案内されるがまま部屋の中へと入っていった。躊躇することなく久世も後を追う。 このまま一緒に入ってもいいか少し迷ったあと、相馬は「失礼しまぁす」と小声で言いながら 部屋へと上がっていった。
中は、女性の一人暮らしと聞いて想像するのとはかけ離れた、殺風景な部屋だった。 壁にも戸棚にも、何一つ装飾らしい装飾はない。 床にはさすがにゴミこそ落ちてはいないが、読みかけらしい本やら雑誌やらがあちこちに散乱していた。
(これじゃオレの部屋と対して変わんねぇじゃんか)
「すいません散らかしてて、今日掃除しようと思ってたんですが」 と西牟田実恵はあたふたと床の本やら洗濯物やらをかき集めると、空になったばかりのベッドの上に投げ捨てた。 これにはさすがの刑事たちも唖然とする。
「ところで、妹さんの行方について新たな心当たりなんかは見つかったでしょうか?」
久世が切り出した。
「いいえ・・・最近は仕事のほうが忙しくってそれどころじゃなくって」 「それじゃあなんかここ最近、変わったことはありませんでしたか?」 「いえ・・・毎日代わり映えのしない生活ですが」 と淡々と答える。まるで他人事のように。 それとも7年という月日が当事者たちの記憶も風化させてしまうのか。 その余りの沈着ぶりにに、久世もお手上げといった表情だ。 しかし秦はベテランらしくさらに喰い下がる。
「何でもいいんです、どんな些細なことでもいいですから。 いえね、こっちも物証がもうほとんど無くって藁をも掴む思いなんですよ。 何でもいいんですから、ね」 「それだったら両親に訊いてもらえませんか?あたしからは何も答えられません」 と冷たく言い放った。
「それにあたし、妹のことはもう諦めてますから」
この一言でとどめを刺された。
その間相馬はずっと、刑事たちと実恵のやり取りを聞きながら、ある一点をずっと眺めていた。 実恵のトレーナー、すでに色あせていて、袖口はほつれていた。 そして随分と時代遅れのロゴ。 けんもほろろに、半ば追い出されるように部屋を出ると相馬はようやく口を開いた。
「あのトレーナーって、ゲッコーのやつでしたよね?」 「ゲッコー?なんだそりゃ」 「たしか、サーフ系のブランドでしたっけ。数年前に流行った」
怪訝な顔の秦に久世がすかさず説明を入れる。
「そうそう、確かオレが中学生のころに流行ったヤツですよ。 ドラマで人気俳優が着てて、それで一時爆発的に流行って、 街中どこもかしこも銀髪にブルーのグラサンの偽ユウキばっかになってたんですよ、少なくとも茨城では。 それでオレも欲しかったんですけどねぇ、お袋が買ってきたのがイモリじゃなくって ――あ、ゲッコーってのは英語かなんかでイモリって意味なんすけどね―― なんかカメみたいなロゴで見てみたら『ケッコー』とか書いてあったんすよ」 と相馬が要領のつかない説明をしている最中、秦はずっと顎を押さえて考え込んでいたが、やにわに
「君が中学生っていうと、ちょうど西牟田慶が失踪する前後か」 「えぇ、まあそうなります、よねぇ」
突然全然別のことになってしまい、相馬も面食らう。
「じゃあれは――」
妹の形見、そんな考えが突然ひらめいた。
(じゃあ、だから彼女はあんなボロボロになるまで・・・)
しかし刑事たちはすでに雨ざらしの階段を降りはじめていた。急いでその後を追いかける。 そのとき、相馬はふと振り返った。
「おーい、相馬君、どうかしたのか?」
下から久世が呼びかけた。
「いえ、なんでもありません」
そう言うと相馬は威勢良く階段を下っていった。 |
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