あれから、どこでどう睡眠を取ったかは判らない。

重い頭を必死に支えながら、相馬は医務室に顔を出した。

そこには、ベッドに横たわったままの佐野と、その傍らに座る土御門の姿があった。

 

「キャップ、佐野は・・・」

「ああ、もう大丈夫だ。憑き物は落としたから」

と言う彼の頬はこけて見えた。

いや、土御門の顔はもともと細面だったから・・・疲れがにじんでいる証拠か。

 

相馬は黙っていた。

訊きたいことがあったが、疲れきった上司の顔を見るとそれがはばかられるような気がした。

佐野の顔は穏やかだった。昨夜の土御門に対する複雑な感情も、そして獣じみた凶暴さもない。

しかし、あのとき彼をそこまで変貌させたのは、いま心に引っかかっている疑念と同じものだったはずだ。

相馬はやっと口を開いた。

 

「――キャップ」

「ん?」

「キャップの机の上の写真の――」

「ああ、門脇か」

 

門脇、それが若かりし日の土御門と肩寄せ合っていた少年の名前だった。

 

「一体、何で死んだんですか」

「おれが死なせたんだ」

「死なせたって・・・何でですか!何で、キャップが・・・」

「そのうち、お前にも判る」

 

その眼は、力ずくで相馬の言葉を封じようとする力があった。光があった。

しかし、その眼光は今まで彼が目にしたものとは全く違う、痛切さを帯びていた。

 

相馬は席を立った。

 

 

その日は朝から雨で、麒麟の迎えは車だった。対策室へ着くと、その足で地下1階に向かう。

コンクリート打ちっぱなしの中、横長にはめ込まれたガラス窓の向こうに相馬がいた。

麒麟には気が付かないようだ。ごんごんと窓を叩く。

しかし、防弾ガラスの窓はその衝撃を向こう側に伝えなかった。

奥の手だ、携帯電話に手を伸ばす。

彼は銃を構えようとしたが、左手の異常に気づきその手をおろした。

不機嫌そうな顔でドアを開ける。

 

「麒麟、お前かよ。バイブで手元が狂ったらどーすんだ」

「気づかへん相馬が悪いんよ」

と悪びれることなくドアの内側にもぐりこむ。

 

ここは対策室の射撃レンジになっている。

相馬が握っているのはもちろんサイコリボルバー・フライシュッツ。

使用している弾丸はパルス弾、精神エネルギーを物理的な力に変換して打ち出される弾だ。

いわゆる硬気功や、『かめはめ波』に近い。

 

相馬がイヤーパッドを外す。

 

「あの廃ビルの事故、霊の仕業だけじゃなかったんやな」

「ああ、相当劣悪な条件で働かされてたらしいな。猿島さんが言ってたよ、あれじゃ事故って当然だって」

「その事故がきっかけになって、あそこにおる霊たちが騒ぎ出したっちゅうことやな。

なにせ、あそこの霊もおんなじようにアホな上司の被害者になったのばっかやさかい」

「そして佐野も・・・あいつのキャップへの恨みつらみが霊を刺激しちまったんだろうな」

「なんで佐野君があーもキャップを目の敵にしてんだか、全っ然わからへんわ」

と言うと傍らのベンチに座り込む。相馬はふと、昨夜佐野が言っていた言葉が気になった。

 

「なぁ麒麟、お前、斎王の血筋のためなら何だってできるか?」

「えっ?」

「いや、お前は斎王の家継ぐのイヤか?」

 

麒麟はしばらく押し黙ったあと、ようやく答えた。

 

「そりゃ、斎王の名前がプレッシャーか言うたらそりゃプレッシャーや。

自分の体、自分の考え、自分の未来があたしのものであってあたしだけのものじゃなくなるんやからな。

でも、あたし以外他におらんねん。あたしが継がなあかんねん」

 

その言葉は、普段のわがまま姫のそれではなかった。

 

「そうか。じゃあこのイヤーパッドしてろ。じゃなきゃ鼓膜にヒビが入るからな」

とヘッドフォン型のパッドを渡す。

再び銃に弾を込めると、人型のターゲットに向けて放った。

ほぼ全弾が同心円の的の中に収まり、その中で心臓近くに命中しているのは1/3といったところか。

そこはヒューマンメイトの『心』ともいえるブラックボックスが収まっている場所でもある。 

 

 

おい、それは本当か!」

その連絡がもたらされたのはCRSAT管理官室からのホットラインを通じてだった。

【ええ、こっちには警備上の理由から大量のヒューマンメイトが配備されるときには
連絡が入ることになってるけど、旧帝都建設ビルって、確か貴方たちが張ってるとこよね】
「ああそうだ。で何が何台入るんだ」
【みすヾのアトラス、70体】
「アトラスだって?ヘビーデューティじゃ一番でかい奴じゃないか。ったくこれだから素人さんは困るんだよ」

途方にくれたように頭をかきむしる。

「穂積さんのとこ、出張ってもらえねぇかなぁ」
【何よいきなり、警察は――】
「事件が起きないと動けない。でもそれじゃ収拾がつかねぇんだよ。起きてからじゃ遅ぇんだ」
【起きるって確証があるの?】
「起きてほしくねぇがまず起きる。保証する」
【・・・判ったわ。大量配備に対する警備ってことで1小隊前進待機、あと2小隊も待機させます】
「恩に着るよ」
と言って卓上のテレビ電話を切った。

 

「キャップ・・・」

 

傍らの北白川が青い顔してこちらを見た。

 

「解体業者が、人間じゃなきゃいいだろうってんでヒューマンメイトを出してきやがった。
あれじゃ取り憑かせてくださいって言ってきてるようなもんだ」
「じゃあ――」

 

土御門は立ち上がると、詰所中に響き渡る声で高らかに檄を飛ばした。

 

「今夜17:00より遊撃処理隊は全員旧帝都建設ビルに配備、第一処理班もその援護に回る。以上っ!」

 

その瞬間、部屋中が異様な熱気に包まれた。
緊張と興奮と、それはあたかもこの場全てが武者震いに包まれていたかのようだった。
その熱気は瞬く間に対策室棟全てに伝播した。

 

【全職員に連絡、全職員に連絡。遊撃処理隊は旧帝都建設ビルに出動せよ。
ならびに第一処理班は同じく旧帝都建設ビルに援護待機、第二処理班は準待機体制に入る。
繰り返す、遊撃処理隊は――】
「いよいよ来たか」
と相馬は銃に弾を込めると、スペアをポケットに収めた。

 

「相馬にとっちゃ初陣やね」
「そうだな」
と右手の中の『相棒』を見る。

地上では下以上の緊張感の中、各職員がそれぞれの準備に当たる。
手渡された白と黒のスタッフジャンパー、そして相馬にはゴーストアイを身につけると
勢いよくドアを開ける。外にはすでに何台もの職員輸送用のバンが並んでいた。
鍵を渡され、運転席に乗り込む。そして麒麟は助手席に。
エンジンをかけると、対話式のカーナビが起動した。

 

「ドコマデ出動デスカ?」
「帝都建設ビル」
「了解シマシタ、帝都建設びる、デスネ」

 

現時点での残りのメンバー、佐伯と北白川も乗り込む。
ギアを入れ、ハンドブレーキを解除しようとしたそのとき、
玄関から出ようとする一人の人影がミラーに映った。佐野だった。

「佐野、お前はまだ休んでろ」

 

室長専用車から土御門が飛び出す。

 

「いえ、自分に名誉挽回のチャンスを下さい」

 

その眼は懇願するというよりむしろ挑戦的であった。
しかし、長い弓袋が杖のように見えるほど、彼の体はまだ痛々しい。
それでもなお、佐野の眼はじっと土御門を見据えていた。

 

「判った。おい北白川!」

 

呼ばれてバンから飛び出す。

 

「こいつはまだ本調子じゃない、バリアも不充分だ。お前が付きっきりで付いてガードしろ。
あと、相馬は麒麟に付け!」
とバンに向かって指示を飛ばす。

 

佐伯「キャップぅ、じゃあオレは一人っすか?」
土御門「お前にはセイタカもコンガラもいるだろう?」
「そうですよ」
「ボクらをお忘れですか?バサラさま」
と主が呼び出したわけじゃないのに、
佐伯の二人の護法童子(=式神)、制托迦(せいたか)・矜羯羅(こんがら)童子が声を揃える。

「セイタカ、コンガラぁ、こうなったらお前らだけが頼りだぞ(泣)」

バンの中の空気がいくらか和む。
しかし、それでもなお最後尾の佐野の席には緊張感が重く立ち込めたままだった。

 

「佐野。キャップな、あの後ずっと、一晩中、お前に付き添ってたんだぞ」

 

相馬の声にも無言のままだ。

 

「お前だって、わざわざ病み上がりで志願したんだったら――」
「誤解するな」

 

まだ体調が思わしくないらしく、小さな、しかし重い声で制する。

 

「俺はあいつを見返してやろうと思っただけだ。別に恩義とか意気に感じたとか、そういうわけじゃない」
「一生言うてな!」

 

爆発したのは麒麟だった。

 

「キャップかて、人の上に立つ以上鬼にならなあかんときもある。
それをアンタはいちいちいじけて、キャップの本当の気持ちを佐野君は判ってへん!」

「判ってないのはあんたの方だろ。そうやって二言目にはキャップキャップ言ってると、
都合のいいことしか見えなくなるぞ」

 

佐野の冷ややかな言葉にますます熱くなる麒麟。
さらに喰ってかかろうとする彼女を、すぐ後ろの席の北白川がなだめる。

 

「悪霊と戦う前に仲間割れしてどーするんですか。ほら、麒麟さんも落ち着いて」
「そーだぜー、そこ付け込まれたらたまったもんじゃないからな」
とさらに佐伯にも言われて麒麟はようやく前を向いた。しかしその顔は相変わらず膨れっ面だった。

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Afterword

 

D×B