相馬「あーあ、今ごろ上司がどっかで美人と美味いもの食ってるっつーのに、部下はこーして寒空の下かよ」 佐野「少なくとも雨露はしのげるだろう」 相馬「雨露“だけ”は、だろっ」
ここはもちろん、旧帝都建設本社ビル。 確かに雨露だけはしのげるが、内装は全てはがされ、コンクリートの壁が剥き出しになっている。 昼間は初夏の陽気とはいえ、夜はまだ寒く、冷気がしんしんと身にしみる。 相馬はまだ、日ごろ机の奥に常備していた寝袋があるからいい。 佐野は上にハーフコートを羽織っているが、それだけでもまだ寒い。
佐野「お前、なんでそんなの用意してんだよ」 相馬「これか?(と寝袋をつかむ)友達ん家に泊まりに行ったりするのに、布団がなかったりするから」
こりゃまた、ずいぶんと用意がいい。
相馬「なんなら貸してやろーか?どうせ交代で寝ずの番なんだから、それだったらあったかいし」 佐野「願い下げだ、気持ち悪い」
誰が男の温もりなんか――いくら寒くてもそれだけはイヤだ。
相馬「せめて火があればもーちょっとあったかいんだけどなぁ」 佐野「明日あたり神田でガスコンロ買ってくるか」 相馬「お前の寝袋もな」 佐野「あー、今ごろ豪華フレンチフルコースかなんかだぜ。なのにこっちときたらコンビニの冷たい握り飯」 と大袈裟に悲嘆する彼をよそに、相馬は時計を見ると、バッグから何やら小さな機械を取り出した。 イヤホンをセットしてダイヤルを回す。
「何持ってきたんだよ」 「ん?あ、ポケットラジオ。今日からナゴヤで中日3連戦なんだ」 「野球ならケータイでも見れるだろ」 「見れるは見れるけど、あんなちっちゃい画面じゃおもしろくねーだろ。 野球なら聞いてるだけで想像できるし」 「で、お前もしかして巨人ファン?」
問いに棘々しさが感じられる。
「巨人ファンだけど、悪いか?」
開き直った。
「ウチは前のヘッドコーチの地元だからな。 親父もお袋も、向こう三軒両隣ぜーんぶジャイアンツファンだからな」 「前のって、あのちっちゃいわりに判定が揉めると 真っ先にベンチ飛び出して食って掛かってた、あのオヤジか?」 「うるせー!現役のときは俊足攻守の名セカンドだったんだぞ。あ、お前、それともアンチ巨人ファンか?」
相馬の眼にキラーンと軽蔑の色がのぞく。
「親父が言ってたぜ、アンチファンはサイテーの人間だって。 ほんとは巨人ファンなのに、負けを望むことでしか愛情を表現できないかわいそうなやつだって」
苦虫を噛み潰した表情で相馬を見る。図星だ。
「で、巨人は負けてんのかよ」 「うんにゃ、まだ始まったとこ」
バッターボックスに巨人の先頭バッターが入る。
「よーし、榛名、まず塁に出ろ!」
彼は小柄ながら俊足攻守のショートで巨人には欠かせぬ中心選手といえよう。
「おっしゃ、ノーツー」 「三振しろー」
聞こえよがしに脇でボソッとつぶやく。しかし、その声が逆効果に働いたのか、
「おーっし、ナイス選球眼!」
1番、榛名はワンスリーからフォアボールで出塁。 そして2番のアベレージヒッター・泉野のバッティングを待たずに自慢の脚で悠々2塁を陥れた。
「っしゃあ!」
我がことのように拳を振り上げる相馬。当然、佐野は面白くない。
「相馬、調子付いてんじゃないぞ」 「ん?」
振り返る相馬の表情は、続くクリーンナップへの期待ににやけきっていた。
「お前が新しいガラクタ貰ったところで俺たちに追いついたと思ったら大間違いだからな」
話題がいきなりジャンプしたので、しばし何のことか判らずぽかんとしていたが、
「ああ、これのこと?」 と腰のホルスターを指差す。
「はっきり言ってお前はなぁ、それが無かったら自分の身を守れねぇし 守ろうにも敵の姿も見えねぇ、足引っ張るだけの役立たずなんだよ」 「そ、そこまで言うことねぇだろ」 「自覚してんのか?」
確かに佐野の言葉は厳しいが、言っていることは真実だ。その問いに、相馬の答えは一つしかなかった。 「おう」 そういうなり相馬は立ち上がった。
「どこ行くんだよ役立たず」
一言多い。
「パトロールだよッ。これが仕事なんだからな」 と言って彼は廃ビルの闇の中へと消えていった。 |
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そしてその頃、 「安心した?」 「ええ。貴方の選んだ店だから、少々不安はあったけど」 「そう。それほどおれって信用ないのかなぁ」
テーブルの向かいに座った美女を、頬杖ついたまま上目遣いで覗き込む。 糸目の奥の瞳が子供っぽく揺れる。 窓際はまるでタペストリーのようなカーテンで飾られ、足元には毛足の長い絨毯。 その上に猫脚のテーブルと椅子が並ぶ。 二人ともドレスコード的には周りの客層と見劣りしないが、彼のその態度は明らかにマナー違反だ。 それでも彼は平然と、自分だけは天下御免というように彼女を見上げたままだ。
「代わり映えこそしないが、少なくともこの店はいつ行っても当たり外れがない。 だから接待にはもってこいなんだよね」 「ねぇ」
穂積の声に背筋を伸ばす。
「わたしの顔、何か付いてる?」
それは土御門にとって、予想だにしていない問いだった。 |
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そして、CRSATでは主のいない管理官室で、有働が独りまだ課題図書を読んでいた。 しかし、その速度は亀のように遅い。 ときおりページをめくり返しては、食い入るように字面を追う。 そして頭をかきむしって苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのだった。
「警視、コーヒー飲みます?」
片手にトレーを持ったまま入ってきたのはありさだった。
「あ、よく・・・僕だって」 「管理官室の灯りがついてたんですよ。穂積管理官は帰っちゃったから、あとは警視かなって」
湯気を立てているカップを山積みの本の間に置く。
「あ、その本。昼間の――」
慌てて両手で隠す。 東大法学部卒のエリートである彼にとって、知らないこと判らないことははっきり言って汚点であった。 しかし、いくら東大法学部とはいえ文系には違いない。 まして、最先端テクノロジーであるロボット工学は判らなくて当然である。
「判ることでしたらお答えできますけど」
片や、学歴では彼に劣るとはいえ、現場で揉まれたプロである。 しかし、彼女に訊くというのは有働のプライドが許さない。 だが、その一方でこの『判らない』という悶々とした地獄を終わらせたいのも山々だった。 やはり人間は、本能的に『判らない』というのが嫌らしい。
「じゃあ、ヒューマンメイトってのは今までのロボットとどう違うの?」
有働はこの問いに彼女が答えられないことを密かに望んでいた。しかし、 「ヒューマンメイトはですねぇ、一言でいえば人間と同じように考えることができるんです。 今までのロボットの思考回路がある意味スイッチの延長、 つまりある一定の刺激に対してある一定の反応しか返せませんでしたが、 そうした刺激反応回路システムから脱皮したのがこのヒューマンメイトということなんです」 とすらすら答える。
「つまり、具体的には?」
尋ねる有働の頭には2,3個『?』が浮かんでいる。
「判りやすい例で言うとですね、例えば犬の話なんですが、 訓練士は命令するとき「Go!」とか英語で言いますよね。 あれって、日本語なんかだと同じ「Go!」でも「行け!」とか「行こう!」とか「行って!」とか 「行ってください」とか、男と女でもいろいろあるから、そういうのがない英語で言うんですよね。 つまり、今までのロボットもそうだったんです。そういう融通が利かなかったんです」
さすがに頭でっかちの研究者ではなく、現場でそのシステムを肌で感じている人間だ。 たとえが明解で判りやすい。こういう経験は有働も、そして誰でも経験があることだ。 ロボットのみならず、例えばネットの検索システムでも このようなコンピュータの杓子定規に阻まれ、必要な情報の取捨選択ができないことは多々あるだろう。 しかし、 「でもそういうのって、ある程度学習機能で補えるし その成果を次世代機にプレインストールすることによって既存のシステムでも可能だったんじゃないのかな」 「それがそうはうまくいかなかったんですよ。 日常のことでも意外に決まりきってるようで日々同じことはひとつとないんですから、 学習機能だけでは追いつけるもんじゃないんですよ」 「それを見事解決したのがヒューマンメイトの自律制御装置ってわけか。うん、僕もそう思ってたんだ」 と知ったかぶり面でうんうんと肯く。 「でも、その自律制御装置って、一体どんな仕組みなんだろ」 「さぁ、そこまではあたしも――」
純粋な有働の素朴な疑問だったが、こればっかりはありさも答えられなかった。 |
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「そもそも謎なのよねぇ」 と穂積がワイングラスを揺らしながらつぶやく。
「何が?」
目の前に出されたメインディッシュにナイフを入れながら、土御門が答えた。
「最新型のヒューマノイドと貴方がた非科学的な呪術師なんて、 どう考えてもとっさに結びつくものじゃないじゃない」 「非科学的とはご無体な。21世紀のテクノロジーは今や
そういった呪術や超能力といったものの自然科学的研究がいわゆるサイコテクノロジーであり、 その結晶ともいえるのが最新型ヒューマノイド、ヒューマンメイトだ。
「その自律制御装置――ブラックボックスの中枢には水晶球があって、 そこに魂が込められてるなんて・・・」 「じゃあ穂積さん、式神って知ってる?」 「馬鹿にしないで。一応これでも貴方がたのことは勉強させてもらってますから。 信じる、信じないは別として」
穂積もまたメインディッシュを切り分け、口に運ぶ。
「式神とは、陰陽師などが使役する鬼神の類。 有名な例は役小角の前鬼・後鬼、そして貴方のご先祖様、安倍晴明の十二神将」 「よく勉強したなぁ」 「そして、現在ではヒューマンメイトの自律制御装置に搭載」 「ご名答」 「しかし、何のため?」
土御門は、持っていたナイフとフォークを置いた。
「人間とともに働くコ・オペレーションロボットにおいて最も重要なのは ヒューマン・フレンドリーな操作性ってことは知ってるだろう。 そのために必要なのが高度な学習機能であり刺激反応回路システムからの脱却だったのだが、 それ以上に重要だったのが――」
穂積の手もまた動きを止める。その目は土御門の切れ長の目に注がれていた。
「感情だった」
心を持つロボットというのは鉄腕アトム以来、日本のロボット開発における究極目標であった。 いくらパターン認識を脱却した高度な認識システムがあったとしても、 感情というものが理解できなければ『人間の仲間』として共存していくのは難しいだろうから。 もっとも、いくら科学が発達したところで脳科学における感情の解明には 少なくともあと2,3個のブレイクスルーが必要な段階だ。 しかし、開発陣は全く別な方向からその解決策を見出した。
「それが――」 「式神さ」 「でもなんで!?」
穂積の声が1トーン大きくなった。 もともと式神というのは、陰陽師が下僕代わりに使っていたものだから、 人間とともに働くという点では申し分のない素材ではある。 人間の言うことを理解し、それに従うということにかけては最高の基本システムといえるだろう。
「しかし、一見非の打ち所のないシステムのように見えるが、その特性ゆえに霊的なものに非常に弱い。 悪霊なんかに憑りつかれればヒューマンメイトは格好の人形(ひとがた)になってしまう」 「だからあなた方が出張ってくると」 「そう、その通り」 「はぁ・・・」 とため息をつくと、再びナイフとフォークを取る。 目の前の料理は少し冷めかけていた。
「信じられない?」 「当たり前じゃない。そんな霊だの魂だのって、いくら科学がそれを認めたからって はいそうですかって一般人が信じられるわけないじゃない」
まるで自棄(やけ)になっているかのように、せかせかと料理を口に運ぶ穂積。
「いくら一般人が信じないからって、穂積さんだって おれたちの働きぶりを見れば信じないわけにはいかないと思うんですがねぇ」 「そもそも感情を持つロボットなんて言うけれど、 もし本当に感情を持ってたらキレたりしかねないじゃない。そうなったら大変なことよ」 「ご心配なく、式神は人間のような複雑な感情を持ってるわけではありません。 正しくは『感情を理解できる』とでも言うべきでしょうか」 「それに式神って、陰陽師とやらの下僕なんでしょう? だったら、ブラックボックスによからぬことを吹き込んであったら只事じゃ済まなくなるわ」 「それもご心配なく。そういった『生みの親』に対する服従義務は解除されて その代わりロボット3原則による人間一般への服従義務が刷り込まれてあるし、 式神に魂を吹き込む『インプリンター』は自律制御装置認証機構によって統制がされていますから」
そう言う間に土御門の皿はあらかたきれいに片付いてしまった。
「文字通りのブラックボックスね」
途中のままナイフとフォークを並べて置いて、穂積がそう言った。
「何がどうなっているのか普通の人たちには判らないし理解もできない。 ましてその中に式神が入ってるなど露知らずに、彼らはそれを日常のものとして接してるわ」 「科学ってのも宗教と意外と似たものなのかもしれないな」
ウェイターが来て二人の前の皿を下げる。
「はるか昔、あらゆる自然には神が宿り、それによって自然は動かされてると信じられていた。 そしてその神に自らの言葉を伝え、その恩恵を受けるべく神官が生まれた。 しかし、科学とテクノロジーの発達により神が動かしていると思えたものは すべて科学的なものによって動かされていると判った。 しかし、それによって神官の特権が剥奪されたわけじゃない。 むしろ、その特権は神官から科学者へと移っただけだ。 その他大勢は結局、今となっては科学者を通してのみ科学の恩恵を受けられるにすぎない」 「科学という名の信仰ねぇ」
そして目の前にデザートが並べられた。
「信仰、っていやぁ信仰に過ぎないな。それが一つのものの見方でしかないっていう点では」
すると穂積は目を吊り上げてデザートにかかった。 それを土御門は微笑さえ浮かべながら見ていた。その表情がまるで魅力的だというように。 |
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コツコツ、とコンクリート剥き出しの床に足音が響く。 マグライトに照らされた先には不審なものがない。 しかし、強力携行ライトの光によってより深みを帯びた闇の中には怪しげな雰囲気が渦巻いていた。 それは昼間のように息を潜めてはおらず、むしろその息遣いまで伝わってくるかのようだった。 ――あ、死霊に息などないか。 しかし、そこまで自らの存在を強烈に主張する霊たちも、彼らに近づくことはできない。 なぜならB×Wのスタッフジャンパーは袈裟や浄衣などと同じ力を持ち、 それを着るものを悪霊などから守る効果があるからだ。
それにしても 「そーいやこういうゲームがあったよなぁ」 とつぶやきながら相馬は闇に包まれた廃墟の中を進んでいった。
「こーやって、ディスプレイゴーグルかけてダンジョンを動くシューティングが」
彼の目にはゴーストアイ、耳にはテレパスレシーバとラジオのイヤホン(笑)
【どーだ?】
唐突に通信が入る。佐野からだ。
「もうどこもかしこも霊でいっぱい。格好もお侍からサラリーマンまで、もういろいろ」 【それで、向こうの反応は?】 「うーん、オレの感想じゃことさら凶悪な霊ってわけじゃなさそう。あ、次屋上出るわ」 【それじゃまた厄介なことになりそうだな。んじゃ了解】
厄介なことを言い残して通信は切れた。 しばしその意味を探ろうとしたが、もともとそう深刻ぶる性格ではない。 気を取り直して、屋上へと続く階段に足をかけた。
「はぁーっ」
そこは、ここが幽霊ビルだということを忘れそうな夜景であった。 都心のビル群の向こうに、一際高く東京タワーが光っている。
「綺麗な夜景だろ」
声がする。しかし、ここにいるのは自分だけのはずではないか?
「この夜景を見てると、あー、ここにいるのも悪くはなって思うんだよな」
耳を澄ませて、声の方向を確かめる。 しかし、それは前でも後ろでも横でもなく、レシーバのイヤホン越しであった。とっさに周囲を見回す。
「兄ちゃん、ここここ、ここだってば」
レンズ越しに映ったもの、それはサラリーマンらしき男の姿だった。 しかし、レンズのない右目に彼の姿は映らない。つまり、幽霊。
相馬はこうはっきり幽霊を見たのは初めてであった。
「兄ちゃん、俺は別に何も悪いことはしないって」
腰がすくむ。しかし、幽霊氏はまるで生きている人間となんら変わらぬ雰囲気で、屋上の端に腰掛ける。
「あ、あの・・・」
何とか声を絞り出した。
「ん?」 「危ないですよ」
すると幽霊氏は笑い出した。そして相馬は自分の言葉が以下に愚かしかったか判った。
「いやいやいや、ご心配ありがとう。 でもね、ここがいかに危ないかは自分が一番よく知ってるつもりだから。 何しろ、ここから落ちて死んだんだから」
その場にへたり込んでしまった。 ということは、正真正銘の幽霊だ。 佐野への報告も忘れ、ただただ放心状態で目だけはじっと幽霊氏を見つめていた。
「あのー、あなたは?」 「あ、初めまして。ワタクシ、三宅と申します」 と言うと幽霊の三宅氏は背広の内ポケットをガサガサと探ったが、 「ユーレイ社員に名刺なんてないわな」 と笑った。
「幽霊社員って、ここの社員だったんですか?」 「そう、リストラされちゃったけどね」
相変わらず笑って言う。死んでしまったらリストラだの何だのという浮世の苦労は関係なくなるのか。
「あっ、オレは特殊事態対策室の相馬っていいます。はじめまして」 「特殊・・・事態?」 「ええ。ぶっちゃけた話、公務員のゴーストバスターです」
次の瞬間、三宅の表情が一瞬曇った。 そのとき、相馬は自分たちの立場の違いを痛切に感じた。生者と死者、祓う側と祓われる側。
「あぁ、ここのビルそういえば多いですよね、ワタシらの仲間が」 「あ、やっぱりそうですか」
はは、ははははは。三宅が笑って、つられて相馬も笑う。 ぎこちないながらも、互いに距離を埋めようとしていたのは確かだった。
「三宅さんって、もしかして営業の方でしたか?」 「あ、そう見える?実は、ブブーッ、不正解。設計でした」
そう言って彼の眼は遠くを見た。
「仙台のほうに転勤になってね、それで単身赴任。 でも、そんなに辛いことじゃなかったですよ。 あっちの人は優しいし、それにこの性格だからすぐ打ち解けられた。でも――」 三宅はうつむく。その下には都会の闇、そしてアスファルト。
「ウチは公共事業中心だったでしょう。 年々工事の枠は減ってって、それでも受注するためにコストダウンの努力はしましたよ。 だけど、設計者として譲れない線はある、安かろう悪かろうじゃダメなんです。 しかし、仕事が貰えなきゃ始まらない、本社からの意向だって上役が無理を通したんです。 ときにはあくどい手も使ったでしょう。大変なことにならなきゃいいなぁって、思ってたんですよ。 それが・・・」
顔を上げて一息ついた。その前にはいつもと変わらぬ東京の夜景があった。
「一昨年の宮城県沖地震。幸いそれほどの被害はありませんでしたが、 それでウチの手抜き工事がバレたんです。 でも、本社はトカゲの尻尾切りで我々仙台支社を見捨てたんです。 偉いさんは左遷、それまではなんて無理なことを言う人たちだって思ってたんですけど、 彼らも組織の被害者だったんですね。そして、皺寄せは末端の方に回ってくるもんです」
私は馘(くび)になりました。実情はどうあれ、手抜き工事の主犯のレッテルを貼られて。
「でも、当て付けのつもりでここから飛び降りたのに、相変わらずここにこうしているんですからね。 ほんとに、会社以外に居場所がないのかって感じで」
場を取り繕うように笑う。
「でも、それを除けば本当にいい会社だったんですけどねぇ」
その笑顔はやっぱり寂しげだった。が、唐突に通信が入る。
【おい、相馬。今どこいるんだ?】 「はいこちら相馬。ただいま屋上、異常なし」 「そんなこと言って――」
いいんですか?と三宅が相馬の顔を覗き込む。
「いいんです」
きっぱり言い切った。
「んじゃ、また明日会うかもしれません。それじゃ」 「じゃまた明日」
三宅は立ち上がって手を振った。
1階の『本部』に戻ると佐野が肩を縮めこませて、両手を忙しなくさすりながら訊いてきた。
「おい、異常なかったか?」
それを見て相馬は、今ここで暗がりの中、寒さに青ざめた顔をした彼の方が よっぽど幽霊らしいなと思いながら答えた。
「あぁ、別になんとも」 「そうか?」 と半語尾上げで訊き返す。 そのしゃくり上げた視線は粗探しをする姑、いや小姑のそれだった。 しかしここで怯んではいけない、と相馬は思った。 ここで引いたら、三宅氏はここに巣喰う悪霊とまとめて祓われてしまう。 ここは彼にとって、少なくとも安住の地であるのだ。 それを守れなくて何が特殊事態対策室だ、何がB×Wだ、とさえ息巻いていた。 しかし、佐野の心眼はこのような彼の内心の義憤を見抜くことなく、 「そうか、ならいいんだ」 と再び手をこすり合わせた。
それから彼らは場をつなぐためのとりとめもない話を続けていた。 険悪な第一印象から、お互い話すことなど何もないと思っていたが、 この寒々しい、静寂に包まれた真っ暗闇の中である。 しかもここは曰くつきの廃ビルの中。ただじっと黙っていたのではそれこそ何か出そうであった。 といっても、話題は本当に大したことのないものだった。 家族のこと、子ども時代のこと。 佐野には口うるさい妹がいること。相馬の父は今でも茨城から毎日東京に通っているということ。 話すべきことは意外とあった。
そうこうしているうちに、 「お、見回りに行かなきゃな」 と佐野が腕時計に目をやる。すると相馬は一気に現実に引き戻された。
「んじゃオレ行くよ」
焦って立ち上がる。 佐野に三宅氏のことがバレれば土御門に報告される。そしたらいっしょくたに除霊されるに決まってる。
「え、さっきお前が行ったから次は俺の番だろ」 「いや、お前寒いんだろ?だったらここでじっとしてろよ」
動いた方があったかいと思うんだけどな、とボソッと漏らすが、 それでも相馬はマグライトを握りしめ闇を切り開いていった。
「異常なしだな、屋上をのぞいては、っと」 と言うと来た道を引き返そうとした。 しかし、ライトの向こうに見えたのは、荒れ狂う業火、そしてその中を逃げ惑う人々。
「みんなぁ、こっちだぁ!!」
見れば周囲の壁も柱も崩れかけており、炎の熱に耐え切れそうもない。 そこを、建物同様ぼろぼろになった人々――ある人は洋装、またある人は和装――が 押し合い圧し合いしながら進んでいく。その人の波に相馬もまた押し戻されていく。
「地下室はこっちだ!中に入ればきっと助かる」 「そうだ、広さは十分ある!」
いまや相馬も熱風の温度をはっきりと感じていた。 人波の先頭が地下室の扉へと向かう。そしてそこにたどり着いたとき、 「畜生、鍵が閉まってやがる」 「誰か鍵を持ってるか!?」 「頭取らだ。奴らが鍵を持ったまま中から閉めやがったんだ!」
ある者は扉をどんどんとたたき、中にいるであろう頭取をはじめとする重役を口汚くののしる。 しかし、彼らがもたれかかっているのか、扉は濁った音を立てて答えようとはしない。 その間にも、避難者の列の最後尾は炎の猛攻にさらされていた。
「中に入れろ!」 「このままじゃ死んじまう」 「ヒラは焼け死んでもいいっていうのか!?」
なおも後ろから人が殺到する。相馬もまた押し寄せる大群に潰されかけていた。 そして、一点が決壊する。 押しつぶされ、倒れたその地点からドミノのように人々が倒れる。 その波に飲み込まれる相馬。 その勢いでゴーグルが外れた。 頭をいささか強く打ち付けたが、目の前の天井は、さっきまでの光景が嘘のように静まり返っていた。 |
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