翌朝、今日の朝食は相馬の番だ。

といっても、佐野のような豪華朝食は無理なので、パンで簡単なメニューだ。

それも、目玉焼きにするはずが黄身も白身も崩れてしまって

結局パサパサのスクランブルエッグになってしまったシロモノと、

ずいぶん不恰好に野菜を切っただけのサラダと。

それでも文句を言わずに食べてくれるからいいものの、かえってその姿に不気味さを感じてしまわなくもない。

ともかく、2日に一度の苦行を終え、やっと一息入れた後、佐野がコーヒーを飲みながら話し掛けてきた。

 

「だいぶ慣れてきたみたいだよな」

 

日ごろ辛辣な彼にしては、これは誉め言葉に近い。意外な言葉に「はぁ」と返す。

 

「といっても、慣れてきた頃が危ないからな」

 

やっぱり、持ち上げて落としてきた。予想はしていたからショックはまだ少ない。

 

「それと、土御門室長のことどう思うか?」

「キャップ?うーん、いつも仕事してんのかどーかよく判んないけど、

少なくともこっちのことは考えてくれてると思うし」

「気を付けろよ」

 

それは氷のような声だった。耳ざわりは滑らかだが、凍えるような冷たさがあった。

 

「ああ見えてあいつは暴君だ。結局自分のことだけだ。

俺たちのことは使用人か、もしかしたら奴隷としか考えてない」

 

相馬にはそうは思えなかった。

自分の知っている土御門は、まだせいぜい1週間ほどの付き合いだが、そんな素振りは見せたことがない。

しかし、佐野は自分より土御門とは長い付き合いだ。その彼が言うのだから・・・。

とりあえず判断は保留だ。自分の目で見極めないことには何とも言いようがない。

相馬はコーヒーを飲みきると、目の前の自分の皿を片付けた。

 

そしていつものように身支度を整えると、佐野はまだ今のソファに座っていた。

 

「おい、行かないのかよ」

「あぁ。今日は午後から就職の説明会があるんだ」

 

就職の説明会?こいつは卒業したらそのまま、対策室の正式職員になるんじゃないのか?

それよりも明確な問いを投げかけてみる。

 

「午後からって、じゃあ午前中だけでも――」

「いや、今日は休むって室長にも連絡してあるから」

 

じゃ、行ってらっしゃい、と半ば追い出すように声をかけた。

相馬の頭に、さっきの彼の言葉がよぎる。キャップと何かあったんじゃないのか?

 

 

そして、今日もCRSAT。本日は隊員たちは道場で稽古中だ。

そして二日目となる有働警視はというと、管理官室で憧れの穂積警視正と二人きりだ。

とはいえ、まだ業務に慣れていない有働に一刻も早くこの部隊の実態を知ってもらうために課題図書を出し、

その傍らで穂積管理官は日常業務をこなしているという、まぁこういうことだが。

しかし、彼の方は全く読書に身が入らず、まるで憧れの教師の授業を聞く生徒のように

ちらちらと穂積の顔ばかり見てはうっとりと笑みを浮かべていた。

だが、決して目が合ってはいけない。あったが最後――、

 

「有働君?」

 

彼は教師に指名された生徒のようにどきりと首をすくめる。

 

「わたしの顔に何か付いてる?」

「え、いや、報告書の方が読み終わりましたので・・・」

「そう、じゃあこの本をを読んでもらおうかしら」

と手渡される。

しかし、これ以上ここにいると心臓に悪い、いつか心臓マヒでぽっくり逝ってしまいそうだ。

とはいえ、管理官の側は去りがたいが、有働は意を決して立ち上がった。

 

「有働君、どこにいくの?」

「あ、いえ、今日は天気がいいので外で読もうかと」

 

変わったヤツだと思われやしないか、と思いながら、なるべく目を合わせないよう部屋を出て行った。

一方穂積管理官は、やはり「変わった人ね」と思いながら、また書類をチェックし始めた。

 

4月も半ばになろうかという頃だが、日差しはもう初夏だ。余白に光が乱反射して、目にまぶしい。

日陰を探して、ようやくハンガーの陰に腰を据える。

 

「――ヒューマノイド・ロボットの発達において自律制御装置の発明と

それによる新型ヒューマノイド、ヒューマンメイトの誕生はソフトにおける一大エポックとなった。

自律制御装置によりロボットは高度な自律的思考を手に入れ、

よりヒューマン・フレンドリーな操作性を身につけた。

それによってヒューマンメイトは、文字通り『人間の仲間』としてより幅広い場面へと普及し、

業務用だけにとどまらず今や自家用ロボットの開発も待たれるほどになった、か」

「何読んでるんですか?」

 

そこではありさが愛車・ハーピーのメンテナンスに勤しんでいた。

昨日の内勤の制服とは違った白のつなぎ姿、よく見れば服にも軍手にも機械油の黒い染みが付いている。

 

「あ、ロボット工学の発達史についての本だよ」

 

もしかしたら宇賀神さんにはちょっと難しいかも、と聞こえないように付け加える。しかしありさは

「あぁ、その本なら読んだことありますよ。その手の本の中では一番判りやすい本ですからね」

とはきはきと答える。

この新書本でも手一杯の有働にはキツい一言だ。言葉に詰まる。

 

「今日は・・・出動かからないね」

 

緊急避難的に話を切り出す。

 

「そりゃそうですよ、昨日出たばっかりだし。そう毎日ヒューマンメイトが暴れちゃ大変ですからね」

 

そりゃそうだ。会話はそこで終わった。そのとき、

 

「あれ、あそこにいるの管理官じゃないですか?」

 

管理官と言われて黙っているわけには行かない。

振り返るとそこには、外に置かれた庭園用椅子に座って一息入れている彼女の姿があった。

どうやらこちらの姿を認めたらしい。首を傾げて微笑みかける。

すると有働は名前を呼ばれた忠犬のように、呼ばれたわけでもないのに側に駆け寄る。

 

「彼女と何を話してたの?」

すると彼の頭の中では、宇賀神巡査部長と話している→

話しているのは仲のいい証拠→

てっきり二人は仲良しだと勘違い、との三段論法がさっと成立した。

ので

「いえ、特に」

と疑いを払拭すべくそっけなく答える。すると、

「そう、いろいろ教えてもらったら?わたしよりも現場の人たちのほうが詳しいこと知ってるから」

と言うと煙草に火をつけた。

 

「か、管理官?」

 

穂積は彼のうろたえ振りに驚いたが、その原因がこれだと気付くと、何もなかったように煙を吐き出した。

 

「煙草、お吸いになるんですか?」

「ええ、ヘビースモーカーってわけじゃないけど」

「どんな種類のを」

 

愚問だ、と訊いた次の瞬間後悔したが

 

「大体パーラメントかしら」

と穂積は答える。

 

「でも別に外で吸わなくても――」

 

部隊の最高責任者だから、どこで吸おうが関係ないはずだ、と。

 

「でも一応、館内禁煙じゃない。いくら管理官でも、ルールはルール、でしょ?」

 

見れば傍らのテーブルにはプラスチックの灰皿も置いてある。

管理官室のすぐ外のここは、彼女の喫煙スペースになっているらしい。

 

「ところで貴方、煙草は?」

「いえ、吸いません」

「そう。みんな吸わないのよねぇ」

 

やっぱり体が資本だし、と吸い終わった煙草を灰皿に押し付ける。

といってもオヤジ臭くぐしぐしと揉み付けはせず、やはりどこかスマートに、有働に目には感じられた。

休憩の一服を終え、穂積はまた部屋へ戻る。その後ろ姿をやや呆然と見送る有働。

やはり彼にとって、その姿は幾許かのショックを与えたに違いない。

 

 

相馬は今日も旧帝都建設本社ビルに『現場検証』だ。佐野がいないので猿島と二人である。

そして、昨日もらった新しいオモチャとともに。

 

中は壁という壁がほとんど撤去され、辛うじて構造を支えるためのいくらかを残すのみだ。

足元のコンクリート剥きだしとなってしまった床の上に残る扇型のあとが

受け付けカウンターの名残りをとどめていた。

 

「こりゃ・・・廃墟、ですね」

 

相馬は小さい頃入り込んだ『お化け屋敷』を思い出した。

といっても遊園地のそれではなく、近所の子供たちにそう噂されていたものだった。

彼自身はそういう話が大っ嫌いだったから、半ば引きずられるように冒険に連れて行かれ

些細な物音に驚いて逃げ出した友人たちに置いてけぼりをくらったことを、今でも克明に覚えている。

もはやトラウマと言ってもいい。

 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、ってか」

と猿島が言う。

そう言いながらも矍鑠(かくしゃく)とした足取りで相馬との差をどんどん広げていった。

一方、相馬はというと相変わらずびくびくと一歩一歩踏み出してると、こんな具合だった。

もちろんゴーストアイも着用している。しかしそのレンズには幽霊のゆの字も映らない。

だがこの体中の毛という毛を全て逆立ちさせるような雰囲気

――もはや妖気といっても過言ではない――は何か!?

 

世の中で何が一番恐ろしいか、それは総じて姿の見えない、得体の知れないものではないのか?

古来人間は、得体の知れないものを畏れ、崇拝の対象としてきた。

それは嵐であり、気紛れな太陽であり、あまねく自然界の全てであった。

しかし科学の発展により、得体の知れない自然の得体が解明され、崇拝の対象からはずれていった。

しかし、依然として人間の知性だけでは解き明かせないものも残っており、

それはいまだ恐怖の対象としてあり続けている。

 

だが、人間というものは得体の知れないものに得体を与えてしまいたいらしい。

そういった現象にも、やれポルターガイストだラップ音だと名前を与え、

それで恐怖は軽減こそしないがまぁ安心している嫌いがある。

どうやら人間は本能的に得体の知れないものが恐ろしいのだ、と考える知性が相馬にあるわけもなく、

ただただ彼はこの得体の知れない恐怖と戦いながら、一歩一歩ここから抜け出そうともがいていた。

 

何かがいる、というのは霊感のない彼にも判っていた。

何かに見られている。もしかしたらそれは、恐怖のあまりの加害者妄想なのかもしれない。

しかし、彼は勇気を振り絞り、来た道を振り返る。誰もいない。

しかし、そこにはかくれんぼやだるまさんが転んだのような、

誰かがいたという痕跡だけが濃厚に残されていた。背筋がぞっと寒くなる。

 

「おーいボウズ、何やってんだ!」

 

その間に猿島は、すでにエレベーターを止めて待っている。

その言葉にすがりつくように、相馬は猛ダッシュでその場から逃げ出した。

 

「いい若いモンが何やってんだッ。いいか、男は度胸だ!シャキっとしろぃ」

との叱咤の声にも、「はぁ」と力なく返事するだけが精一杯だ。

エレベーターはまだ動くし、電気もつくようだ。しかし、フラフラと上っていく様は実に頼りない。

 

「もしかしたら、急にがっちゃーん!なんてな」

との猿島の冗談も洒落にならない。

と、次の瞬間、ゴンドラが急に止まり電気も消えた。

 

「ちゅ、宙吊り?」

と相馬が情けない声を漏らす。

だが猿島はしっかりと足を踏ん張って、必死にドアをこじ開けようとしていた。

 

「ボウズ、立て!そっちのドア引っ張れっ」

 

その額には汗が浮かんでいる。

しかし、もしかしたらケーブルが一本切れているのか、立とうとするとゴンドラが不安定に揺れる。

何とか立ち上がり、何とかこじ開けようとするが機械仕掛けのドアは固く、びくともしない。

苦しい息の下で猿島が言った。

 

「ここで閉じ込められたら、悪霊どものいい餌食だ」

 

それだけはたまったもんじゃない。相馬の第2エンジンに火がついた。

もしこのまま出られないようなら、あの姿なき悪霊どもに一生苛まれるのだ。

その先にどんな責め苦が待っているやら・・・その恐怖だけが今や彼のエネルギーであった。

 

「それだけは――死んでもイヤだッ、てやぁ!」

との声とともにドアが開いた。

エレベーターシャフトの真ん中というのも覚悟していたが、そこはちょうど目的地の最上階だった。

 

「なんだ、脅かすなよ」

 

彼らは這う這う(ほうぼう)の体でエレベーターから降りると、その場に倒れこんでしまった。

 

 

「で、霊らしき姿は確認できなかったと?」

 

ビル中を捜査していたら、もう日も暮れかけていた。対策室に戻るとなぜか佐野もいた。

 

「はい、何かがいるってことは感じるんですが――」

「見えないことには話にならんだろ。幽霊か枯れ尾花か、はっきりしないことには対策が立てられん」

 

見た目には普段通りだらっと上半身を背もたれに預けきっているが、口調だけがいつもよりきつい。

 

「んじゃ相馬、それと佐野。今夜一晩泊り込んでこい」

「泊り込むって、あの廃墟にですか?」

 

声を荒げたのは意外にも佐野だった。

 

「そうだ。昼間見に行ったのがそもそもの間違いだ。

奴さんらのゴールデンタイムを見てみないことには始まらないしな」

「だが、しかし――」

「しかしも昔もあるもんかいッ」

 

突然、猿島班長張りのべらんめぇでまくし立てる。

 

「いいか、室長命令だ。怖気づいて逃げ出したなんていうんじゃ金輪際ウチの敷居はまたげないと思え」

 

糸目の奥がキラーンと光る。それはメドゥーサの眼、否と言うことも、動くことさえできない。

できるのは、ただ

「はい、判りました」

と言うことだけだ。

それを聞くと、土御門は立ち上がり、ネクタイを締めなおす。

それだけでもだらしないのがダンディに決まるのだから不思議だ。

さらに、入り口の側にある小さな流しの前の鏡で入念にチェックする。

 

相馬「キャップ、これから何かあるんですか?」

土御門「あぁ、穂積さんとデェト♪」

 

機嫌はすっかり直っているらしい。

そのまま彼は鼻歌を歌わんばかりの勢いで部屋を後にした。

 

佐野「な、自分のことしか考えてないって言ったろ?」

相馬「あぁ」

 

そして、取り残されたのは特別残業を言いつけられたこの二人だった。

相馬は初めて、上司を鬼と思った。

 

 

そして『デェト』のもう片方は――。

 

「それじゃお先に」

「部隊の実態を知るために」と宿直を仰せつかった有働とすれ違ったのは、私服の穂積だった。

緩みひとつなく結われた髪はそのままに、精悍な制服姿から一転、白いスーツに身を包んでいた。

そして、そのスカートから伸びる脚は、

この2日間制服のパンツスタイルしか見ていない彼にとって目の毒だった。

 

「あら、ゴミかなんか付いてる?」

「あ、いえ・・・」

としか言えない。その顔はなぜか真っ赤だ。

 

「変なの」

と言って去っていく。哀れ有働。

 

「あれ、管理官」

同じく宿直任務の第2小隊・宇賀神ありさともすれ違う。

 

「これからどこか行くんですか?」

「ええ。土御門室長に食事に連れてってもらうんだけど、一体どんな店やら」

「美味しいものたくさんごちそうしてもらったらいいじゃないですか。

どうせ、あちらさんのおごりなんですから」

 

そう会話を交わすと、穂積は時計を確かめて、そのまま駆け出してしまった。

 

「あの、土御門室長って、特殊対策室の!?

 

あの麗しの管理官が、あんな見るからに怪しい、不審な、胡散臭い男にぃ・・・

信じられないといった面持ちでありさに尋ねる。

 

「ええ、そうですよ。何回か食事をごちそうしたりしてもらったりしてるみたいで」

 

がっくりとその場に崩れ落ちる。

 

「あ、でも穂積管理官って婚約者がいるらしいですよ、別に」

さらに追い討ちをかける。

しかし、しばしショックに打ちひしがれたあと、有働は何やら不気味な笑い声を上げた。

 

「ふふふ、ふふふふふふふ・・・」

「ど、どうしたんですか?警視」

 

引き気味にありさが言う。

 

いっそあんな男に取られるくらいなら――有働にとってせめてもの救いだった。

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Afterword

 

D×B