麒麟を九段で下ろしてその後引き返してきても仕事に間に合うように時間を見てきたつもりだったが、 相馬は始業時間より十数分遅れて職場に着いた。
「おはよーございます」
2階の仕事場に上がる前に、1階の事務室の窓口に声をかける。 しかし窓口の向こう、眼鏡をかけたショートカットの、まだ20代と思しき庶務係長は 遅刻してきた相馬の挨拶を聞き流した。いたたまれない気持ちで階段を上がる。 ドアを開けると、その真正面、重役出勤のキャップはすでに席に就いてた。 机に腰掛けながら、電話で何やら話していた。
「なにも校門の中まで入ってきたわけじゃないんでしょ?外は天下の公道です。 そこで生徒がバイクから降りたところで問題はないじゃないですか―― だから、運転してたのは真っ当な社会人です。職業までお教えしましょうか?公務員ですよ、ええ。 そうは見えなかったでしょうが。うちの部下なんですから間違いありません。 だいたい、バイクだからって即不良と直結させないで下さいよ」
普段温和というか無気力なキャップにしては、声が苛立っている。 通話口のカメラに向かってにらみつけんばかりの形相だ。
「そんなにバイクが問題なら、今度から一切新聞配達及び郵便配達のカブもご遠慮くださいよ。 それができないんなら通用をお認め下さい」
がっちゃん。
叩きつけるように電話を切る。
「あのぉ・・・」
おそるおそる声をかける。
「ああ、麒麟の学校から。お前さんがバイクで乗りつけたことで大変ご立腹のようだ」
一気に血の気が引いた。
「なぁに、心配しなさんな。明日っからは大手を振ってバイク送迎していいぞ」
そう言うと土御門は引き出しから何やら錠剤の瓶を取り出すと、その中身を青汁とともに飲み干した。
「だーかーら、サプリメントを青汁で飲むのやめてくれませんか? だいたい、そんなどろどろしたので飲めるんですか?俺だってシェークで薬飲みませんよ」
佐野が不機嫌そうに突っ込む。
「おれは水なしでサリドンが飲めるぞ」
サリドンの粒は他の鎮痛剤、いや、錠剤全体と比べてもかなり大きい。
「昔っから薬だけは飲みなれてるからな」
そう、特殊事態対策室室長・土御門鳳耶は実は虚弱体質の健康フェチであった。
「おう、来たか若いの。仕事が来てるぞ」
そう言って入ってきたのは相馬の教育係を仰せつかっている第一処理班班長の大ベテラン・猿島であった。
「仕事ってどういうのですか?」 「ほら、虎の門で近々大きいビルの建替え工事をやるって聞いてねぇか? それでよ、次から次に事故やらなんやらが起こるってんで、うちにお鉢が回ってきたってぇわけだ」 と生粋の江戸弁でまくしたてる。
佐野「でもそれって民間ですよね。うちは基本的に官公庁の依頼で動くんでしょ」 猿島「いや、依頼はちゃんとお上だ。労働基準監督局。 あまりにも労災申請が多いんで調査してたら、そこのビルっつぅか、 その土地自体が曰く付きだったんだとよぉ」 と幽霊のように手をだらーんと垂れて相馬と佐野に迫る。
相馬「い、曰くって・・・」 猿島「ま、行ってみてからのお楽しみだな。調べんのもお前らの仕事だ。 どうだ、これからちょっくらその呪われた現場とやらに行ってみようじゃねえか」
佐野はすでに特殊事態対策室・遊撃処理隊(通称B×W)のスタッフジャンパーに袖を通し、 行く準備を固めている。相馬も渋々ジャンパーを持った。
猿島の話を聞いて相馬は背筋が凍る思いだった。 もともとこの種の話は好きなほうではなかったし、それがこの身に降りかかるとなら尚更だ。 しかし、これも仕事だ。慣れなければ。そう思いながら彼は望郷の念にかられていた。
(早く皇宮警察に帰れねぇかなぁ・・・)
「おーい、何ダラダラしてんだ。それとも怖ぇんか?」
わずかな躊躇(ちゅうちょ)の間にも二人はカツカツと階段を駆け下りている。 その後を、恐怖心を振り切って追いかける。が、部屋を出ようというところで後ろから声がかかった。 寝てたはずの土御門であった。
「相馬、『幽霊の正体見たり枯れ尾花』って言葉がある。 依頼が、幽霊か枯れ尾花か見極めるのがおれたちの最初の仕事だ」 「はいっ」
威勢よく返事をしたあと、二人の後を追って部屋を駆け出す。 ベルトには彼からもらったナイフを提げて。
目的のビルは取り壊し工事中で、周りは防護ネットに囲われていた。 車からの出端にヘルメットを渡される。
「もう中はだいぶぶっ壊されてるっつう話だからな」
入り口には看板がまだ壊されずに残っていた。
相馬「帝都建設って・・・」 猿島「あぁ、ニュースでもやってたろ。仙台の方で手抜き工事したのがバレて、 まぁそれが大元で潰れたっつうか、吸収合併されちまった会社の元本社ビルだ」 佐野「それにしてもよくこんな会社と合併しましたね、大原組は」
そう言いながら佐野と猿島はずかずかと中へ入っていく。 遅れまいとして相馬も駆け出すが、立ち止まって今は住む人のいないそのビルを見上げた。 どこか違和感がある。瞬時にそう思ったが、どこがどう変なのかは見当がつかない。 彼が見上げる先には、定規で引いたような立方体のビルがそびえ立つだけだった。 |
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有働はなおも、ありさの案内でCRSATの格納庫の中を見て回っていた。 整然とタイタナイトが並ぶ列を抜けると、一般警察車両と一緒に、何やら特殊な車両が並んでいた。
「こっちは小隊指揮車で通称ハーピー。普段あたしが乗ってる車で、 小隊全員のタイタナイトのデータをここに集約するんです」
そうありさが説明してる間、有働はまるで上の空のようにその上を見上げていた。
「あ、アーガスですね」
彼の視線の先にあったのはアメリカサイズのバンほどの大きさはありそうな多脚車両だった。 今は6本の脚を畳んでいるが、それでも車高はハーピーよりかなり高い。 「こっちは中隊全部、つまり3小隊・計30機全体の指揮を執るとき用です。 といってもそんな事態、滅多にありませんけどね」
ま、あっちゃ困りますけど、と言う。
このような多脚車両は精密な制御システムの実用後、特に作業用車両を中心に普及していった。 バランスを生物のように『脚』という形で分散させることによって 傾斜地や凹凸のある場所でも水平を保つことができる、というのが大きな利点であった。 特に、この中隊指揮車・アーガスのような非常に長い足を持つタイプは 一般に『スカイ・クライマー』といって高所作業用車として活躍している。 もっとも、それらはアーガスのような大きな胴体は持っていないが。 そして、その多脚制御システムはヒューマノイドをはじめとする ロボット研究の重要な副産物であるのは言うまでもない。
「普段、公道走行時なんかはこうやって脚を折りたたんでるんですけど、 現場じゃ脚伸ばして指揮するんです。ほら、高所からのほうが広い範囲を見渡せるじゃないですか」
そう言われて有働は、これが脚を伸ばして目の前にそびえ立っているのを想像した。 この長い6本の脚はアメンボを思い起こさせるが、それらが支える胴体はアメンボにしては大きすぎる。 むしろ甲虫類、角のない雌のカブトムシを想像させた。 アメンボの足を持つカブトムシ、バイオテクノロジーでそれくらい今は可能かもしれないが キメラ特有のおどろおどろしさが想像しただけで漂う。 今目の前にあるアーガスは、警察車両特有の威圧感とともに、そういったグロテスクさをも秘めていた。
そんなことを考えながら有働がアーガスを見上げてると 微細な、しかし警察にそぐわないディテールに目が行った。
「これ、もしかして・・・」 「あ、気付いちゃいました?7.62
mm重機関銃ですよ。ほかにロケットランチャーも付いてます」 「何でんなもんが警察車両に付いてるの!?」 「あー、これ自衛隊の払い下げですから。 でもロケットランチャーは照明弾とかノンリーサルウェポン専用ですし」
つまりこれは、今は自衛隊カラーに彩色されてるが、 かつては迷彩色に塗られた陸上自衛隊の他脚式軽装甲車、アーティラリー(火器)・クライマーなのだ。
「その他にもプロミシュース本体にスタンクラブや9mmオートガンも付いてますし――」
ありさの説明を出動のブザーがさえぎる。
【本庁より入電、新宿区西新宿のオフィスビルでヒューマンメイトが暴走、現在機動隊により鎮圧中。 繰り返す。新宿区西新宿の――】
「さぁ、ぼやぼやすんな!さっきまでの訓練の成果、すぐに見せてやれっ」
庭から隊長・但馬の声が響く。 すでに彼は制服の上に防弾チョッキに似た、搭乗時用のプロテクター・ベストを身に着けていた。
天井のレールが音をたて、壁に吊るされたタイタナイトを専用の大型輸送車・トレーラーバスに積み込む。 と同時に完全装備の隊員たちも隊伍を組んで整然と、かつ迅速にトレーラーバスに乗り込む。
「準備はできた?」
そのとき、手袋をはめながら穂積管理官が現れた。
「はい。第1小隊総員10名、全員搭乗しました」
但馬隊長とは別の、制服姿の隊員が答える。まだ若い、どこか線の細い印象のある男だ。
「よし、それでは出動する」 と言って穂積は第1小隊の指揮車・ハーピーの助手席に乗り込んだ。
「管理官、自分は――」
慌てて有働が駆け寄る。
「有働警視には出動中、私の代理を頼みます」 「で、でも――」 「あなたにはあなたの任務がある。それを全うしなさい」 と敬愛する管理官閣下に言われたんじゃあ全うするしかない。 有働は直立不動の敬礼で見送った。
現場では動甲冑(ハーキュライト)に身を包んだ機動隊員らがロボットと格闘していた。 しかし、相手はヒューマンメイトの中でも大型の部類、身長は180cm近くある。 いくらハーキュライトで武装しているとはいえ、体格もパワーもほとんど変わらない。
「暴れているのはミネルヴァのヘスペリディーズ、ガードロボットの専用機種です」
先着していた機動隊の中隊長から説明を受ける。
「それじゃハーキュライトでもてこずるわけだ」
穂積が淡々と答えた。
「ガードロボットとして配備されていましたが、 今朝の始業時から突然、出勤してきたロボットに攻撃してきたそうです。 といってもロボットが人間に危害を加えることはできないので、軽いスタン攻撃だけですが」
その目の前で退却する機動隊員に代わって、 CRSATのタイタナイト『プロミシュース』が前に出ようとしていた。
【今回も応援は必要でしょうか?】
インカムから、自らプロミシュースに乗って指揮を執る但馬中隊長が問い掛ける。
「いや、その前に原因を突き止めなければ応援要請は出せない。 オペレーターにデータ解析をさせる。お前たちは目の前のヒューマンメイトを潰すことだけを考えろ」 【了解しました】 「穂積警視正!」
現場の警官が声をかけた。
「現場の警備責任者と、警備会社のシステム担当者です」
連れてこられたガードマンの制服姿の男と作業ジャンパー姿の男は、二人とも一様に決まり悪そうにしていた。
「昨夜、抜き打ちという形でヘスペリディーズのセキュリティチェックのシミュレーションを行ってました」 「大部分のロボットが休息している夜の間、ネットワークに繋いで ヴァーチャル・シミュレーションという形でロボットを休ませたまま行っていました」
制服姿の説明を、作業服が技術的なところでフォローする。
「で、どういう状況でのシミュレーションをやっていたんですか?」 「それが・・・テロリストの強襲です・・・。 サラリーマンに見せかけたテロリストが、アタッシュケースに武器を忍ばせて潜入、襲撃するという・・・」 「しかし、シミュレーション終了後に状況設定を解除し忘れたようで・・・」 「なるほど、そしてロボットが一般社員をテロリストと誤認してしまったってわけね」 「しかし、シミュレーション上では彼らは不審とみなした社員に まず手荷物のスキャンを行うよう指導してありますが――」
穂積の推理にシステム担当が喰い下がる。それでも 「不審な社員のほとんど、もしかしたら全員が手荷物検査でヒットしたら、 彼らはスキャンを省略してそれらしき社員にまず攻撃を仕掛けるでしょう。 それに、テロリストの外見的特徴などを満遍なくバラしたつもりでも、 ロボットは彼らをある一定のパターンのもとで認識していたんじゃないでしょうか? そして、不幸にもそのパターンにヒットしてしまった人間は弁解の余地なくテロリストとみなされ、 ロボットの攻撃を受けた、と」
彼女の言葉に、二人はへなへなとその場に崩れ落ちてしまった。
「オペレーター、全暴走ヒューマンメイトの回路に強制侵入、 システム担当者と協力してシミュレーション設定を解除しろ」
すぐさま指揮車に命令を入れる。
【じゃあ、今回は応援は・・・】 「ああ。うちの力だけで処理できそうだ」 「まさか、ヘスペリディーズがそんな幼稚な真似を――」
オペレーターと協力しなければならないはずのシステム担当は、よっぽどショックだったのか、 未だ地面にへたり込んでいた。
「担当さん」
穂積は腰をかがめて、彼の顔を覗き込んだ。ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「ヒューマンメイトは、いえ、ロボットは全て人間により近づけようとして開発されてきました。 そして、ヒューマンメイトはその意図において頂点を極めたと言っていいでしょう」
まるで子供のように泣きじゃくっている。よく見れば顔立ちにもどこか幼稚さがうかがえる。 それは年齢のそれではなく、どちらかといえば精神年齢的なものだろう。 きっと、人付き合いも苦手で、それよりロボットやコンピュータが好きで、 それに大いに愛情を注いでいたのだろう。そしてその能力と愛情、 それだけを買われてこの世界に入ったに違いない。
穂積は尚も言う。
「人間だって、チョコレートの箱にはいつもチョコレートが入っていると考える。 その箱にチョコレートと書いているからじゃない。 チョコレートと書かれた箱にはいつもチョコレートが入っているからよ。 人間がそう考えるなら、ヒューマンメイトもそう考えるに違いない、そうでしょ」
彼女の口調は、いつしか子供に教え諭すようになっていた。 この場に有働がいたら、嫉妬に怒り狂ってこのシステム担当者を殴り倒すか、 少なくとも罵声を浴びせたに違いない。
「あなたの好きなヒューマンメイトを一番侮っていたのは、結局あなた自身よ」 「は、はい・・・そうでした・・・」
ぐじゅぐじゅと鼻を鳴らしながら彼は答えた。
【管理官、強制侵入できました。設定解除をお願いします】
インカムからオペレーターの連絡が入る。
「ほら、行ってやりなさい。ロボットたちが待ってるわ」 「ふゎい」
穂積に促されて彼はやっと立ち上がり、オペレーターの乗るハーピーへと向かった。 |
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そのころ、CRSATでは有働警視が言われたとおり彼の任務、つまり留守番を務めていた。 やることといえば同じく本部で待機任務中の第2小隊オペレーター、宇賀神巡査部長から CRSATについての簡単なレクチャーを受けることぐらいだった。
「で、要するに自分の仕事は・・・」 「いわゆるキャリア・管理官として要求される任務の代行、ですね」 「それが留守番ってわけですか?」
不満そうに口をへの字に曲げる。
「ええ、まぁ。うちの管理官ってキャリアには珍しく現場重視っていうか、 出動のときは一緒に現場に付いてっちゃう方だから」 と言葉とは裏腹に、現場の一員としてそんな上官を誇りに思っているというようにありさが言う。
「だからわざわざ、キャリアを補充してもらったってわけよ」 「留守番に?」 「そう、留守番に」
たとえそれが、あの麗しの管理官閣下の意向とはいえ、有働には何か釈然としない。 そのとき、ノックもなしに管理官室のドアが開いた。
「穂積さん、います?」
入ってきたのは長身の、糸目が特徴的な男だった。 背の高さゆえか、どこか華奢な印象を受ける。 年は40過ぎ、顔もどこか痩せこけて見える。黒のスリーピースの襟元に長めの髪がかかる。 有働は瞬時にこの男を要警戒人物と認識した。 彼だって、キャリアではあるが一応警察官だ。警察官としての教育は一通り受けてある。 しかし、男をそう認識したのは警察官としてというのではなく、もっと別のカンなのかもしれない。 しかし、 「あぁ、穂積管理官なら今出ちゃってますよ」 「あ、出動しちゃいました?」
ありさは顔なじみらしく声をかける。その対応にしばし口がきけない有働。
「有働警視、こちら特殊事態対策室の土御門室長」
そう紹介を受けたこの男、土御門はども、と軽く頭を下げる。
「こちら、キャリアの方?」
見抜かれたのに驚く。
「あ、いや階級章見てね、この若さで警視っていやぁキャリアだろうって、それだけだけど」 「あ、そうですか」
恐縮する有働、いつのまにかこの招かれざる客人のペースにはまっていた。
「何か伝言でも・・・」 「あぁ、いいや。出動してるってんじゃ、こっちにもいつ応援要請がきても出られるようにしなくっちゃ」 と言うと土御門はそそくさと管理官室を後にした。
一陣の風が通り過ぎた。
「あの・・・特殊事態対策室ってなんですか?」
有働がおずおずと訊く。
「あぁ、警視は知らなくて当然だと思いますけど、超常現象がらみの捜査なんかをする総理府の機関です」
あたしもここに来るまで聞いたことありませんでしたけどね、とありさが言う。
「それがなんで、CRSATの応援なんかに・・・」
有働の顔は引きつっていた。心なしか、顔色も青ざめて見える。
「さぁ・・・それは。でも、プロミシュースでも太刀打ちできないヒューマンメイトを 一発で止めたりしますからねぇ」
あ、あれ?とありさが振り向いたとき、有働は泡を吹いて伸びていた。
「警視?有働警視!!」 |
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