その後の捜査で白井の勤め先の自動車修理工場の主は唐木田の古い友人であり
白井を彼に紹介したのもその主だと判明した。だからこそ新宿の事件のとき、彼は偽のアリバイを証言したのだ。
もちろん槇村だって八方手を尽くして、そしてここが白井にとって最善であるとその工場に勤め先を見つけたのだろう。
しかし、裏稼業の甘い誘惑から遠ざけるための場が彼にとって
再び裏の世界に引きずり込む蟻地獄となってしまったのは皮肉と言って余りある。
この事実を知らされたときの槇村の落胆、そして後悔と自責の念は如何ばかりだろうか。今となっては推し量る他ない。

そして、唐木田商事の家宅捜索の結果、45口径の銃弾数ケースが発見されたが、肝心の銃そのものは見つからなかった。
となるとおそらく、逃走中の白井が持っている可能性がある。“連続強盗及び殺人の凶悪犯”白井の逮捕のため、
今や『戒名』に「隅田川会社社長殺人及び死体遺棄」が加わった捜査本部の刑事全員に拳銃の携行が許可された。

本庁の銃器庫の重い扉が開けられ、ロッカーの中から鉄の塊が一つずつ捜査員に支給される。
新中央工業製・ニューナンブM60回転式拳銃。スミス&ウェッソンM36を基に開発された日本製拳銃だ。
1960年に警察庁に採用され、本庁では既に配備が完了していた。
それを指揮官の号令に合わせて構え、弾倉を確認し、そして戻す。その一連の儀式の中で全捜査員に緊張が走る。
自分たちが手にしているのは人の命を奪うことのできる凶器なのだと。――願わくは、同じ緊張感を白井が持っておらんことを。

だが、警視庁の精鋭たちがいくら探し回っても彼の行方は掴めなかった。
今はただの自動車修理工でも、かつては腕利きの自動車ドロとして捜査の網を掻い潜り犯行を重ねてきたプロだ。
そう簡単に捕まえられると踏んだ我々が甘かったのだ。

その日も落胆のまま捜査を終えると、私は新宿へと向かっていた。

(確か…淀橋署の官舎住まいだったな)

槇村に謝らねばならなかった。たとえ許してもらえなくてもいい、彼の前で頭を下げたかった。
『槇村』と書かれた表札――と呼ぶには貧相な名札――の横の殺風景なドアをノックする。

「はーい」
ドアを開けたのはまだ小学校に上がるか上がらないかの少年だった。しかし、父親に似て利発そうな顔つきをしていた。

「君が秀幸くんかい?」
「そうだけど・・・おじさんは?」
「おじさんは・・・お父さんの友達だよ」
「お父さんはまだ帰ってきてません」

6歳の少年らしからぬしっかりした口調で彼は言った。

「じゃあお母さんは?」
「体に悪いから早く寝るようにってお父さんが・・・」
「それで、君が帰ってくるまで留守番か」

無言で頷いた。

「でも、もう子供の起きている時間じゃないな」

時計は9時を回っていた。

「先に休んでなさい。その方がお父さんも心配しないんじゃないか」

そう言われて彼は不服そうに眉根を寄せていたが、小さな声で
「おやすみなさい」
と言ってドアを閉めた。私もまた槇村を待つことなく官舎を後にした。この家族のささやかな幸福を邪魔したくはなかった。




あの頭は切れるが愚直な刑事の行きそうな所は一つしか思いつかなかった。

「やはり、ここにいたか・・・」

道端に止められたキャロルの中、隠れるように槇村はいた。そして彼の視線の先には白井のアパート。
妻子思いの彼だったが、あの事件以降一度もここには帰ってこなかった。
だからこそ、もっとも彼の現れる可能性のある場所だった。

「白井は来ませんよ」

険しい顔で槇村は言った。

「ここに隠れている警官たちが引き払わない限り」
「私は君に用があるんだ」

そして地面に手をついた。

「すまなかった、槇村!お前を守れなくて。本当は私も一緒に泥をかぶりたかった。だが――」
「止めてくださいよ野上さん。別に私は警察をクビになったわけじゃないんですし
ただ単に元の所属に戻っただけです」
「だが君は捜査を――」

すると彼はあれほど厳しかった顔つきをふっと緩めた。それはいつもの、刑事らしからぬ槇村の表情だった。

「白井が犯人だと判った時点で、私の負けだったんです。
負けたからにはゲームを降りるのがルールってもんでしょう」
「じゃあ、なぜ君はここに?」

そのとき、彼の背広の左脇がかすかに膨らんでいるのが見えた。
襟元から見えたのはコルト・M1917、以前に日本警察で制式採用されていたものだ。
所轄ではまだニューナンブへの転換が完了しておらず残っていたのだろう。
そして、使用する弾丸はニューナンブの38口径ではなく45口径、白井のGIコルトと同じであった。

――まさか、槇村は・・・。

そのとき、街灯が一人の男の影を長く映し出した。ちぃっ、と槇村が耳元で舌打ちした。

「白井、俺だ。槇村だ」

槇村が覆面パトカーから降り立った。影法師の歩みが止まる。

「3年前のあのときもこんな感じだったな」
「いや、違う。あのときはここにマッポが隠れたりはしてなかった!」

そう言って彼は槇村に銃口を向けた。
その瞬間、住宅地の暗闇から、物陰から、一斉に十数人の刑事が現れ、
槇村から少し離れて立っていた私を取り囲むようにさっと人垣を作った。
白井は完全に包囲されていた。
そして彼と警官隊のほぼ中間に槇村が独り立っていた。

「頼む、白井!自首してくれ!あのときのように。
もうこれ以上罪を重ねたらそれだけ妻子遠ざかることになるんだ!」
「何を今さら・・・槇村さん、あんたは俺を裏切った」
「そう・・・かもしれんな。あの工場を紹介したのはこの俺だ。
あそこで勤めてさえいなければ、君はまた犯罪へと引きずられなかったかもしれない」
「そして俺をマッポに売った」
「このことについては弁解はしない。しかし白井、まだ間に合う。
ここで罪を認めれば罪は軽くなる。ここにいる警官全員が証人だ、そうだろう?」
「槇村さん・・・あんただけじゃない。社長も、唐木田も、相沢もみんな俺を裏切った!
出所前はさんざん真人間になるように言っておいて、娑婆に出たら犯罪者はムショを出ても犯罪者だ。
誰も真っ当な人間として扱ってくれなかったじゃないか!」

そんな奴の叫びをかき消すように轟音が鳴り響いた。しかし、

「やっぱりお前に人は殺せないな・・・銃の撃ち方がおっかなびっくりじゃないか」

槇村はそう呻くように言った。
幸運にも命に別条はないようだが、彼の太ももからはだくだくと血が流れていた。
人垣の中にも緊張が走ったが、誰も傷ついた元の仲間に駆け寄ろうとはしなかった。
白井が人垣の半円に向かって弧を描くように銃を向けた。
恐怖に駆られた刑事たちは息を呑んで槇村を見守るしかなかった。
周囲を埋め尽くす沈黙。それはただ夜のせいだとはいえなかった。

「裏切ったのはお前じゃないか!」

その沈黙を破ったのは私の声だった。張り詰めた空気が歯がゆかった。

「槇村はな、君の無実をずっと信じて今まで捜査してきたんだ。
しかし君はそんな更生を願う槇村の願いを踏みにじって、また犯罪に手を染めた。槇村の気持ちが、君に判るのかっ?」

白井は無言だった。
警官隊も無言であった。
この空気を何とか打破したかった。
背広の上着を脱ぎ捨てると、独り槇村のもとへと駆け寄る。
「本部長!」と呼ぶ声がするが気にしてなどいられない。

「槇村、大丈夫かっ?」
「大丈夫ですよ野上さん、脚をやられただけですから」

痛みをこらえながら、必死にいつもの笑みを浮かべようとする。しかし、

「それで、弾は貫通してるのか?」
「いえ・・・」

未だ彼の体内に留まっているようだ。
脚からは間欠泉のように脈に合わせて血を吐き続ける。
いくら胴や頭は免れたとはいえ、危険な状態に違いない。

だが、そのとき――

銃口が自分に向けられている、と気づいたのは槇村の銃が火を噴いた後だった。
その銃声をきっかけにしたように、警官隊が一斉に銃爪を引いた。
狙いを定めて撃つ者もいた。何かに脅えているかのように闇雲に撃ちまくる者もいた。
すべての銃声が止んだ後、通りに残されていたのは脚を撃たれてうずくまる槇村とその肩を担ぎあげようとする私の他には
血まみれで横たわる白井の骸だけだった。




その後槇村は救急車で、白井は警察車両でそれぞれ運ばれていった。
今回の銃の使用に対しては相手は大口径の銃を持った凶悪犯ということもあり
「不適切な点は無かった」という紋切り型のコメントが出されたにとどまった。
そして私には「自分の命を顧みず部下を救った、部下思いのエリート」という評判が現場を中心に広がり
今回の事件に対する上層部の憂慮を覆すほどとなった。そして婿殿のそんな名声に気を良くした刑事部長の鶴の一声で
『連続都内銀行強盗及び隅田川会社社長殺害死体遺棄事件』は決着したのだった。
しかし、我々の中で事件はまだ片づいてはいなかった。

「単独行動は感心しないな、槇村巡査」
「野上さん・・・」

白井が最期にここに来たように、槇村もまたここへやって来るであろうことはお見通しだった。

「松葉杖で階段はきついだろう。手助けに来た」
「結構です、野上本部長・・・いや、もう本部は解散したんですよね」

まるで初めて会ったときの、いや、それ以上のよそよそしさで彼は私の前を通り過ぎていった。
そしてかつん、かつんと松葉杖を一段一段進ませながら、それに体重を乗せて体を持ち上げる。
しかし、まださほど行っていないところで片方の杖の先が滑った。とっさに槇村の体を支えた。

「あ、ありがとうございます、野上・・・さん」

そして彼は私の肩を支えとしながら二階への階段を登りきった。
アパートの薄っぺらいドア越しには中の会話が聞きたくなくとも聞こえてくる。

「帰ってください!」

あの賢夫人が声を荒げて言った。

「いくらあなたが謝っても、白井が帰ってくるわけじゃありません、白井の名誉も・・・」

そして、我が耳を疑った。

「あの人じゃなくあなたが死ねばよかったんだわ」

あの美しい夫人がどのような顔をしてこんなセリフを吐いたのか、私には想像もつかなかった。

「あなたが死んでも二階級特進になって残された家族には支給金も出る、云わば名誉の戦死です。
でもあの人は犯罪者のまま死んでいった、もし生きていればこれからいくらでも汚名を雪げたのに・・・。
私たちは一生、『凶悪犯の家族』のまま。そして、あなたは白井が刑務所を出てからの、短い間でしたが
真人間としての日々さえも殺してしまったんです!」

この聞くに堪えない言葉を槇村はただひたすら無言で受け止めていた。
彼が最初に放った銃弾が致命傷だったという確証はない。
しかし彼は裁かれることのない殺人犯として己の罪を一人で裁こうとしていたのだ。
彼の罪をともに背負いたかった。しかし槇村はそれを許さないだろう。
誰とも苦悩を分け合わず、独りで十字架を背負っていく覚悟だったのだ。

そのとき、たったったっと軽快に階段を上がっていく物音がした。その足音は階段を登りきったところで止まった。

「おじさん・・・」

白井の息子だった。

「嘘でしょ?槇村のおじさんがお父さんを殺したなんて、お父さんが銀行強盗だったなんて、ねぇ!」

私の服を懸命につかんで涙をこらえるその表情に、槇村の息子のものが重なった。


>ニューナンブ
現在の社名はミネベア。ちょうどこのころ制式採用されたらしいです。
でも好きじゃないんだよなぁこの銃。命中率はどんなもんなんでしょう?
あの銃の支給シーンはもちろん『踊る〜』(の記憶)から。

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