『槇村刑事を連れての現場視察』は次の日も続いた。

「で、今日はどこに行くんだ?」
「野上さんの仰るところならどこへでも」
「おいおい、捜査にかけては君のほうが先輩なんだ。君の意見に素直に従おう」
「それじゃあ――」

連れて来られたのは昨日の整備工場から程近い、一軒の木造アパートだった。
その階段を上がると、ある一室のドアをノックした。

「奥さん、白井さん、槇村です」

そう言うと粗末な造りのドアが開いて、中から一人の婦人が現れた。
これが噂の賢夫人か。確かにその容貌から気丈さと知性が現れていた。早い話が美人だった。

「槇村さん、一体何の用ですか?まさかまたうちの人が・・・」
「いえ、ご心配なく。近くに来たものですから、ついでと言っちゃ何ですが様子を見に行こうと思いまして」
「あら、後ろの方は?」
「ああ、上司の――」
「“同僚”の、野上です」

上司と部下という関係だが、同僚には違いない。そして、この二人だけの極秘捜査の間は対等なつもりだった。

「それじゃあ立ち話もなんですから、何も無いところですがどうぞお上がりください」

白井夫人に促されるまま、我々は靴を脱いだ。

「それから何もお変わりありませんか?」
「ええ、おかげさまで主人も真面目に働いておりますし、
槇村さんには服役中にも面倒を見ていただき、就職先まで見つけてくださって大変感謝しております」
「それで、ご主人の仕事の方は順調で?」
「ええ。社長さんに『筋がいい』って褒められたって、先日嬉しそうに話しておりました。
もともとあの人、手先が器用な方でしたから。器用すぎたばっかりに――」
「昔の仲間からは、何か連絡は」
「そんなものありません!あったとしてもわたしが会わせません!」
と穏やかだった夫人の口調が急変した。そのとき、

たったったったっ

と勢いよく階段を駆け上がる音がした。

「お母さんただいまぁ」

そう言って上がってきたのはまだ8つかそこらの少年だった。野球の帰りだろうか、手にはバットと真新しいグローブ。

「あ、槇村のおじさんだ。あと、えーと・・・」
「こちら、野上さんよ」
「野上さんこんにちわ」
「これ、ヒデキ。槇村さんにグローブのお礼言ってないでしょ?」
「おじさん、グローブありがとうございました」

そう言って少年は殊勝にも頭を下げた。
まだまだ新品のグローブ、それはこの槇村刑事が贈った物――そして目の前の美しい夫人。
まさか、そんなわけがあるはずがない、この男に限って・・・。しかし、私の頭の中では芳しからぬ推測が渦巻いていた。




槇村が白井の服役中、留守を預かる家族に何くれと世話を焼いたのも、
その息子にわざわざグローブを買ってやったのも、あの美しい夫人目当てではないのか?
そんな邪推、槇村刑事の人となりを多少なりとも知る者ならば笑い飛ばしてしまうに違いない。
だが、それでもそう考えてしまうのは、現場経験は無いとはいえ
人を見たら泥棒と思えという刑事魂が染みついている証拠かもしれない。

「どうしたんですか、野上さん」
「え?」
「ここんとこ、しわ寄ってますよ」
と自分の眉間を指差した。

もしかしたら自分の槇村を見る目に不信が表れてしまっているかもしれない。
慌ててバックミラーで表情を確かめた。そのときだった。

《警視庁より各局、淀橋署管内で銀行強盗事件が発生。
なお、今回の事件は一連の連続銀行強盗事件と同一と思われる。繰り返す、警視庁より各局――》
「槇村君、君の『庭』じゃないのか」

いずれ本部から道案内を兼ねて出動を命じられるだろう。その先を打って我々は現場へと急行した。

いつものごとく鮮やかな手際のよさで犯人たちはすでに逃げ去り、現場では淀橋署による捜査がすでに始まっていた。
入り口には黄色いロープと制服警官が配置され、その中では所轄の鑑識係が現場保存を行っている。
そして刑事たちがその場に居合わせた銀行員と客たちから事情を聞いていた。まだ本庁の刑事は来ていないようだ。

「よぉ、槇村じゃないか」

待合用のベンチで銀行の窓口嬢らしい若い女性から事情を聞いていた刑事が、彼の姿を見つけると声をかけてきた。
そういえばここは槇村の本来の所属先なのだから。

「どうだ、本庁の捜査本部は。そろそろあっちに戻りたくなったんじゃないのか?」
「いやぁ、それどころかこっちが懐かしく思い始めてきた頃ですよ。ところで、彼女は?」
「ああ、向かいの喫茶店のウェイトレスで犯行当時、
不審な車が店の前に止まってたのを目撃してたっていうんでな」

確かに、彼女の着ている制服は銀行員らしくはなかった。
槇村は彼女に向き合うようにその刑事の隣に座った。彼女は慣れない経験に緊張しているようだったが
槇村が二言三言声をかけると、彼の穏やかな語り口に緊張が解れていったのか
その言葉に導かれるままに的確に犯人の特徴を伝えていった。

描きかけの似顔絵を覗き込む。鳥打帽を目深にかぶり、鼻から下を布で覆っている。
そして唯一露わになっている目元を彼女の話を頼りに何度も描き直していた。

覗き見というのは余り気分のいいものではなかったが、そうでもしなければこの場に割って入ることはできなかった。
捜査本部の人間ならそれなりの敬意を示すだろう。
しかし顔を知らない末端の刑事にとって自分は捜査の足を引っ張るだけの単なる邪魔者ではないのか。
現場で慌しく立ち回る警官たちの中で、そんな所在のなさをいつしか覚えていた。

「この男に間違いありませんか」
「ええ、この男です」

槇村が示した似顔絵は――確かに顔半分は覆面に覆われていたが
この丸顔、そして人懐こそうな眼はあの自動車修理工によく似ていた。
槇村の瞳は揺れていた。私には掛ける言葉は見つからなかった。
そのとき、ようやく本庁の捜査員が到着した。あっという間に現場の主役が交代する。

「おや、本部長じゃないですか」

そう言って捜査員の一人が敬礼した。すると所轄、本庁を問わずその場の全警官の目がこっちに向かう。
味噌っかすから一躍王様に。その転変を感じる余裕などそのときの私には無かった。
槇村は似顔絵を握り締めたままロープの外へと立ち去ってしまったのだから。

彼は無言のままパトカーに乗り込んだ。その後を追って私も助手席に座る。彼は憮然としたまま俯いていた。

「――今度こそ決定的じゃないのか」
「野上本部長までそんなことを仰るんですか」

口調がよそよそしかった。

「あの犯行車両を盗んだ手口に今度の似顔絵だ。客観的に言って間違いない。
白井が犯人の一人と目されて当然だ」
「でも彼はそんなことをする人間じゃありません!彼は確かにこそ泥でしたが
他人に包丁を突きつけてまで金を手に入れようなんて度胸はありませんよ。たとえ片棒を担ぐにしても――」
「こそ泥だったからこそ、じゃないのか?」
「――何が言いたいんですか」
「かつては濡れ手に粟で容易に金を稼げた。
だが堅気に戻って、汗水流して働いても稼ぎはあの頃よりはずっと少ない。
だとしたら真面目に働くのが馬鹿らしくなってもおかしくはないんじゃないのか?また裏の世界に足を踏み入れても――」
「そういう人間がいるから彼らは裏道へと追い込まれるんです!」

あの槇村が声を荒げた。そんな彼の姿を見るのはこれが初めてだった。

「――だからといって、白井がまた盗みに手を染めたなんて信じませんけど」
「君は少々思い入れが強すぎるんじゃないか?
白井がシロだと信じたい、何か個人的な事情があるんじゃないのか?」
「本部長、何が言いたいんですか?」

いや、むしろ槇村自身の利益のためなら白井をもう一度刑務所にぶち込んでしまった方がいいのかもしれない――
何てことを考えているんだ、私は白井だけでなく相棒さえも疑ってかかってしまった。
とにかく、不用意な私の一言のせいでその場の空気は決定的なものになってしまった。

槇村が車のエンジンを入れた。

「どこへ行くんだ」
「白井の勤め先です。アリバイを確認しに行きます」

そう素っ気なく答えるだけだった。




槇村の後にくっついて、私は初めて工場に足を踏み入れた。
修理中の自動車と壁との間は狭く、足元には塗料やオイルの缶が蹴躓きそうに置かれていた。
白井はそこにいた。犯行時刻のアリバイを槇村はそれとなく――さっきの激昂は微塵も感じさせずに――訊いていたが
彼は一日中工場で働いていたそうだ。その旨を社長も証言している。

「これでアリバイ成立だな」
「ええ」

しかし槇村の表情には安堵の色はなかった。そこを、ランドセルを背負った一団が通り過ぎていった。

「ヒデキの父ちゃん、泥棒なんだって?」
「半年前までケームショにいたんだってな」

彼らは大勢で一人の少年を取り囲んでいた。それはあの白井の息子だった。

「このグローブも父ちゃんがどっかから盗んできたんだろう?」
と言って一人が、彼が大事そうに欠けていた真新しいグローブをむしりとった。
少年はそれを取り戻そうと追いすがるが、
「悔しかったら盗み返してみろよ、泥棒の子ぉ!」

その一言で打ちひしがれたように足を止めてしまった。
それはまさに自分の姿だった。犯罪者という過去がある故に醜い偏見を抱いていた自分自身の姿だった。

槇村は涙を堪えようとして泣きじゃくる少年に近づくと、彼に視線の高さを合わせて頭を撫でてやった。

「おじさん、ごめん・・・なさい。グローブ・・・」
「いいんだ、かまわない。後で正々堂々と言って返してもらえばいいんだ」
「ねえ・・・お父さん、悪い・・・人・・・なの?」

槇村の顔が哀しげに歪んだ。

「悪い人“だった”。確かに、君の小さい頃は人の車を勝手に盗んで、それで捕まって刑務所に入った。
でもそこで君のお父さんは罪を償ったんだ。だからもう悪い人じゃない。そうだろ?
ちゃんと毎日働いて、悪いことなんてしてないだろう?」
「うん、でも・・・」
「いいかい。哀しいけど、悔しいことだけど、人間誰しも過去だけは変えられない。
秀樹くんのお父さんが自動車泥棒だったということはもう取り返しようがないんだよ」
「うん・・・」
「でも未来は変えられる。お父さんが真面目に働いて、そして秀樹くんがいい子にしていれば
きっとみんなの見る眼が変わるはずだ。判ったかい?」
「うん!」
「そうか、いい子だ」

そう言って槇村は秀樹くんの頭を強く撫でた。まるで父親が我が子にするかのように。
その真摯な眼は彼に、そして彼の母親に媚びるものではなかった。
槇村の眼はただ真っ直ぐ、この不幸な少年の今とこれからの未来を見つめていた。そして私は自分自身を恥じた。




「有楽町へやってくれ」

翌朝一番、彼がその日の行き先を告げる前に私は槇村に言った。

「有楽町、ですか」

確かに私は深く反省した。しかし未だ我々の冷戦は終結していなかった。

「いいから出すんだ。これは命令だ!」

ここで階級の差は持ち出したくなかったが、やむをえない、権高に指示を出すと彼は言われるがままに車を出した。
有楽町は一連の銀行強盗の最初の現場だった。

「で、あそこの銀行が被害にあった――」
「ええ、そうですが」
「じゃあとりあえず、その向かいの店から行こうか」

そう私は意気込んで車から降りた。銀行はすでに営業を再開し、町は平日ながらいつも通りの活気を取り戻していた。
ここで数週間前に凶悪事件があったのがまるで嘘のように。

「ごめんください、警察の者ですが」

手帳をかざしながら銀行の向かいの靴屋の主に声を掛けた。

「先日あった銀行強盗の件でお話を伺いたいんですが、
その日この辺に見慣れない車両がありましたかね。黒のルノーなんですが――」
「さぁ、知らないねぇ」
「本当に覚えてないでしょうか。ナンバーとか、そのとき車に乗っていた人物の顔とか」
「知らないもんは知らないよ。それより開店準備の邪魔だ、他を当たってくれや」

と私ははじき出されるように店を追い出された。仕方がない、店主の言うように他を当たるとするか。

「警察の者ですが――」
「さぁ、随分前のことだから忘れちまったよ」

「何か、見慣れない車を――」
「覚えてないな、そんなこと」
「じゃあ、せめてこの男を見かけなかったでしょうか」
と一枚の似顔絵を見せた。

それは新宿の事件で目撃された運転手役の――白井によく似た似顔絵だった。
それは槇村が握り締めて皺くちゃになっていた。

「とっとと帰ってくれ、客商売なんだから警察に長居されちゃこっちが困る」

そう言って本屋の主は絵をろくに見ずに押しのけた。これで銀行の向かいのほぼ一列は全滅だった。
いや、まだ可能性は残っている。今度は銀行の並びの店を――。

「そんなやり方じゃ聞き出せる手掛かりも聞き出せませんよ、野上さん」

それまで私の聞き込みを静観していた槇村だったが、似顔絵の紙を取り上げると、
そのまま銀行の裏手の蕎麦屋の戸口をくぐった。そして、「よく見ててください」というように目配せをする。

「いらっしゃい」
「すいません、二三お訊きしたいことがあるんですが」
「すいませんが、どちら様でしょうか」

そのときになって槇村は手帳を示した。

「先月、ここの近くの銀行で強盗事件があったでしょう」
「ええ」
「そのとき、何か変わったことはありませんでしたか?いや、何でも結構です、どんな些細なことでも」
「そうだなぁ」

槇村の柔らかい口調に乗せられるように、蕎麦屋の主はあのときのことを思い出そうと思案し始めた。

「例えば、見慣れない車がこの辺に止まっていたとか」
「ああ、そうだ。表通りに出る角のところに一台止まってたよ。だから出前に出るとき邪魔くさくってしょうがなかったよ」
「どんな車でしたか?いえ、ご参考までに」
「うーん・・・車種までは思い出せないが・・・確か、黒だったような気がするな。ああ、黒い車だった。間違いない」
「それで、運転席にいた人の顔は!」

思わずしゃしゃり出てしまった。

「いや、そこまでは覚えてないな」

主は申し訳なさそうに頭を掻いた。

「いえ、そこまで判れば大収穫です。お忙しいところ、お手数をおかけしました。ご協力、感謝します」
と警官らしくぴしっと敬礼してその場を後にした。

私とは大違いの聞き込みの成果に経験の差というものを痛感してしまった。

「やはり現職の刑事は違うな。私があれだけやっても何も聞けなかったんだから」
「いえ、聞けなかったのと同じですよ。今の話も今までの捜査の裏づけに過ぎないんですから」

そうだ。すでに有楽町での犯行車両は黒の日野ルノーということは判明していた。

「でも、何か新しいことが判るかもしれませんよ」
と言うと槇村はまた次の店に飛び込んでいった。

それ以後の成果はあまり芳しいものとはいえなかった。
確かに槇村の巧みな誘導によってあのとき見慣れぬ黒い車が停まっていたことを思い出した目撃者は多かった。
しかし、それから先のまだ我々にもたらされていない新情報となると何もまだ得られなかった。
さすがに一月近く前のことだ、不審な車を覚えていてもそこに乗っていた顔など記憶に残ってはいまい。
これでは今日、私がここに槇村をつれてきた意味がなくなってしまう。だが、
「仕方がない、二件目の渋谷の現場に移ろうか」
「野上さん、まだ彼らには訊いてませんよ」
と槇村が視線で示したのは靴磨きの一団だった。

「そんなつまらない連中に――」
「彼らは毎日決まった時間に決まった場所で店を開いてるんです。
だから何かあったら気づいてるはずです。さぁ行きましょう」

そして私を半ば引き摺るように彼らへと近づいていった。
確かに彼らはみなその当時の一部始終を克明に覚えていた。だが肝心の私が知りたいこととなるとみな首を傾げてしまった。
しかし、一人の若い靴磨きは私が似顔絵を見せると即座にこう言った。

「あの車に乗ってたのはこいつじゃありませんよ」
「見たんだな!」
「ええ、見慣れない奴だったからちらっと運転手を覗いたんです」
「ちらっと、だけか」
「それだってこいつじゃないのは確かですよ、何なら賭けたっていい。
こっちは商売柄、人の顔なら毎日嫌というほど見てるんですから」
「じゃあどんな男だったんだい」

そう槇村が声を挟む。

「目が細くって釣り目で、とにかく目つきの悪い男でしたよ」

それならあの人当たりのいい白井とは別人だ。
ようやくこれで捜し求めていたものが手に入った。白井が犯人ではないという証拠が。
もちろん「○○ではない」ということを証明するのは「○○である」ことを証明するよりはるかに難しい。
たった一つの反証で総てが覆ってしまうからだ。
だが今の私たちにとって、このたった一つの証言が希望の光だった。




その後、夕刻まで有楽町で聞き込みを続けたが、運転手役についての証言はその靴磨きのたった一つだけだった。
それだけでは多少心もとない気もしたが、まだ他の現場もある。

その後、何食わぬ顔で本庁に戻り、お互いに本部長と一捜査員に戻り捜査会議を終え、
すでに人気の失せた会議室で槇村が話し掛けてきた。

「今日はお疲れ様でした」
「ああ、本当に疲れたよ。でも、心地いい疲れ、というのかな。
やはり実際に靴をすり減らす、というのはいいものだな」

現場経験のないエリートの戯言、と聞こえるかもしれない。しかし槇村は笑顔で、

「たった一日であれだけ聞き込みが上達するんですから大したものですよ。
意外と現場の才能があるんじゃないですか?」
と言った。

「それじゃあ今日の慰労を兼ねて、ということで、どこか飲みに行きませんか?」

それは意外な申し出だった。

「いいのかね?」
「野上さんが気に入れば、の話ですが」

気に入るも何も、ここまで彼が胸襟を開いてくれたのが嬉しかった。あれだけ失礼なことを言ってしまったのだから。

「それに、一度仕事抜きでお話してみたいと思ってましたから」

彼に連れられたのは新橋の屋台に毛の生えたような赤提灯だった。

「らっしゃい。よぉ、槇さんじゃないか」
「大将、お久しぶりです」

お互い顔見知りと言うように気軽に言葉を交わす。

「ここには本庁勤務のときよくお世話になりました」

こういう店にきたのは久しぶりだった。もっとも、学生の頃はやはりよく世話になったものだが。

「で、お連れは会社の人かい?」

会社?隠語で警視庁のことを『桜田商事』やら『本店』というのは聞いたことがあるが・・・。

「あ、すいませんけどここでは警察官だっていうのは黙っててくださいね」
と野上が耳元で注意した。

「世の中は警察をよく思ってる人ばかりじゃありませんから」

しかし、市民の安全を守ってるのは我々警察なんだぞ、と言いたいのをぐっと我慢して、
「ええ、槇村の同僚です」
と多少引きつっていたかもしれない笑顔で挨拶した。

それでは、とりあえずビールと、槇村に勧められるまま二、三のつまみを注文し、
「それじゃあ、今日は一日お疲れ様でした」
とグラスをカチンと合わせた。しかし、仕事の話は抜き、もちろん刑事と判るような話題は禁止となると自然と限られてくる。

「子供好き、なんだな」
「えっ?」
「いや、白井のとこの息子のこと、随分親身になっていたから」

苦し紛れの話のタネだった。

「いやぁ、うちにも同じくらいの息子がいますから」

そう言うと、柔らかな眼をさらに細めた。

「男の子か・・・羨ましいな。うちはまだ女の子だけだから」
「お嬢さん、お一人だけですか?」
「いや、今、女房のお腹の中に二人目がいるんだが、これは絶対男だろうな。
何しろお腹の中から威勢よく蹴りまくってるんだから」
「そうですか・・・おめでとうございます。いやぁ、二人目かぁ」

後から知ったことだが、槇村の細君は病弱で、子供を一人生むのがやっとだったそうだ。
あの子供好きな槇村のことだ、私の自慢話を苦々しく聞いていたことだろう。
しかしそのとき彼は、そんな感情をおくびにも出さなかった。

「それより君の方だ。どんな子なんだい、君のご子息は」
「そんな、ご子息なんて柄じゃないですよ」
と苦笑いを浮かべた。

「どうなんだい、やんちゃ坊主だとか――」
「いえ、やんちゃどころか大人しくて今から心配ですよ。
歳にしてはしっかりしている方なんですがね、まだ小学校に上がる前なんですが」
「そりゃ君の仕事は留守がちだからね、自然としっかりもしてくるだろう。
それにしてもうちの娘とは正反対だな」
「どんなお嬢さんですか?」
「いや、『お嬢さん』なんて柄じゃなくてね、本当に」
と謙遜しつつ、本当は話を切り出してから言いたくてうずうずしていたのだ。

内ポケットに納められた手帳に手が伸びる。そこには妻とまだ幼い娘の写真が挟んであった。

「可愛いお嬢さんじゃないですか」

さらさらのおかっぱ髪の冴子の写真を指差し、槇村がそう言った。

「それがまぁ顔に似合わぬお転婆でね。この子のときも生まれる前は男かと思ったんだが
生まれてきてからは逸物を母親の腹の中に残してきたんじゃないかって具合だよ。
今年から幼稚園に入ったんだがな、そこでも男の子を泣かしてるらしい」
「でも将来はきっと美人になりますよ。ええ、別の意味で男を泣かすんじゃないですか」
「じゃあ君のとこの息子が貰ってくれないか?」

すでにかなりアルコールが回っていたのかもしれない、そんなことを口走るようでは。

「野上さん、今さっき、何て・・・」
「君のとこのご子息は何歳だね」
「秀幸は・・・今年で6歳ですが」
「うちの冴子は4歳だ、ぴったりじゃないか」
「でもうちのバカ息子と野上ほ・・・野上さんのお嬢さんじゃ全然釣り合いませんよ」
「釣り合わんもんか。私だって同じだよ」

そう言うと、コップに半分残ったビールを飲み干した。

「うちの親父も警察官だった。といっても田舎のしがない平巡査だったがね。
でも教育熱心で、苦労して息子の私を大学にまで入れてくれた。
巡査の給料じゃたかが知れてるのにもかかわらず、だ。
そして今や巡査の息子の私が捜査本部の本部長様だ、しかも刑事部長の婿殿だ」

槇村に警察の話題は無しだと言われたにもかかわらず、
気がつけば自分の身元を明かすような話をべらべらと続けていた。

「君のご子息はしっかり者だというじゃないか。きっと大きくなったら頭の良い子になる。
そうしたら上級試験を受けさせれば、後は私が面倒を見てやろう」
「頭が良く、なりますかね。私の息子ですから」
「なぁに、とんびが鷹を生むっていう喩えもあるさ」

そう言って、無礼にもとんびの背中を思いっきりひっぱたいた。

「はは、そうですね」

ようやくとんびが泡の消えたビールに口をつけた。




「酒の上の与太話だと、君の父上は思っていたかもしれない。
いや、実際私も忘れていたよ、君が警察官となって、そして刑事として新宿に配置となったときまで」
「じゃあ、私と槇村を組ませたのは?」

彼の予言どおり、すっかり美しくなって、そしてさんざん男を泣かし続けてきた娘が尋ねた。

「当時の刑事部長の親馬鹿だ」

大事な娘を、どことも知れぬ馬の骨に託する訳にはいかなかった。
そして、心のどこかで将来こうなることを望んでいたのかもしれない。それが、槇村との約束だったのだから。


>槇村父
CH本編には出てきませんが、基本的にAH踏襲。
(原作、アニメ両方とも出てこなかった設定を補完するものと捉えています)
やはり子供好きな人だったんじゃないでしょうか。
じゃなきゃ香を引き取ったりしなかったはず。

これで本題がほぼ片付いてしまいましたが【爆】
もうしばらくお付き合いくださいませm(_ _)m

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