『槇村刑事を連れての現場視察』は次の日も続いた。
「で、今日はどこに行くんだ?」 連れて来られたのは昨日の整備工場から程近い、一軒の木造アパートだった。 「奥さん、白井さん、槇村です」 そう言うと粗末な造りのドアが開いて、中から一人の婦人が現れた。 「槇村さん、一体何の用ですか?まさかまたうちの人が・・・」 上司と部下という関係だが、同僚には違いない。そして、この二人だけの極秘捜査の間は対等なつもりだった。 「それじゃあ立ち話もなんですから、何も無いところですがどうぞお上がりください」 白井夫人に促されるまま、我々は靴を脱いだ。 「それから何もお変わりありませんか?」 たったったったっ と勢いよく階段を駆け上がる音がした。 「お母さんただいまぁ」 そう言って上がってきたのはまだ8つかそこらの少年だった。野球の帰りだろうか、手にはバットと真新しいグローブ。 「あ、槇村のおじさんだ。あと、えーと・・・」 そう言って少年は殊勝にも頭を下げた。 |
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槇村が白井の服役中、留守を預かる家族に何くれと世話を焼いたのも、 その息子にわざわざグローブを買ってやったのも、あの美しい夫人目当てではないのか? そんな邪推、槇村刑事の人となりを多少なりとも知る者ならば笑い飛ばしてしまうに違いない。 だが、それでもそう考えてしまうのは、現場経験は無いとはいえ 人を見たら泥棒と思えという刑事魂が染みついている証拠かもしれない。 「どうしたんですか、野上さん」 《警視庁より各局、淀橋署管内で銀行強盗事件が発生。 いずれ本部から道案内を兼ねて出動を命じられるだろう。その先を打って我々は現場へと急行した。 いつものごとく鮮やかな手際のよさで犯人たちはすでに逃げ去り、現場では淀橋署による捜査がすでに始まっていた。 「よぉ、槇村じゃないか」 待合用のベンチで銀行の窓口嬢らしい若い女性から事情を聞いていた刑事が、彼の姿を見つけると声をかけてきた。 「どうだ、本庁の捜査本部は。そろそろあっちに戻りたくなったんじゃないのか?」 確かに、彼女の着ている制服は銀行員らしくはなかった。 描きかけの似顔絵を覗き込む。鳥打帽を目深にかぶり、鼻から下を布で覆っている。 覗き見というのは余り気分のいいものではなかったが、そうでもしなければこの場に割って入ることはできなかった。 「この男に間違いありませんか」 槇村が示した似顔絵は――確かに顔半分は覆面に覆われていたが 「おや、本部長じゃないですか」 そう言って捜査員の一人が敬礼した。すると所轄、本庁を問わずその場の全警官の目がこっちに向かう。 彼は無言のままパトカーに乗り込んだ。その後を追って私も助手席に座る。彼は憮然としたまま俯いていた。 「――今度こそ決定的じゃないのか」 口調がよそよそしかった。 「あの犯行車両を盗んだ手口に今度の似顔絵だ。客観的に言って間違いない。 あの槇村が声を荒げた。そんな彼の姿を見るのはこれが初めてだった。 「――だからといって、白井がまた盗みに手を染めたなんて信じませんけど」 いや、むしろ槇村自身の利益のためなら白井をもう一度刑務所にぶち込んでしまった方がいいのかもしれない―― 槇村が車のエンジンを入れた。 「どこへ行くんだ」 そう素っ気なく答えるだけだった。 |
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槇村の後にくっついて、私は初めて工場に足を踏み入れた。 修理中の自動車と壁との間は狭く、足元には塗料やオイルの缶が蹴躓きそうに置かれていた。 白井はそこにいた。犯行時刻のアリバイを槇村はそれとなく――さっきの激昂は微塵も感じさせずに――訊いていたが 彼は一日中工場で働いていたそうだ。その旨を社長も証言している。 「これでアリバイ成立だな」 しかし槇村の表情には安堵の色はなかった。そこを、ランドセルを背負った一団が通り過ぎていった。 「ヒデキの父ちゃん、泥棒なんだって?」 彼らは大勢で一人の少年を取り囲んでいた。それはあの白井の息子だった。 「このグローブも父ちゃんがどっかから盗んできたんだろう?」 その一言で打ちひしがれたように足を止めてしまった。 槇村は涙を堪えようとして泣きじゃくる少年に近づくと、彼に視線の高さを合わせて頭を撫でてやった。 「おじさん、ごめん・・・なさい。グローブ・・・」 槇村の顔が哀しげに歪んだ。 「悪い人“だった”。確かに、君の小さい頃は人の車を勝手に盗んで、それで捕まって刑務所に入った。 そう言って槇村は秀樹くんの頭を強く撫でた。まるで父親が我が子にするかのように。 |
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「有楽町へやってくれ」
翌朝一番、彼がその日の行き先を告げる前に私は槇村に言った。 「有楽町、ですか」 確かに私は深く反省した。しかし未だ我々の冷戦は終結していなかった。 「いいから出すんだ。これは命令だ!」 ここで階級の差は持ち出したくなかったが、やむをえない、権高に指示を出すと彼は言われるがままに車を出した。 「で、あそこの銀行が被害にあった――」 そう私は意気込んで車から降りた。銀行はすでに営業を再開し、町は平日ながらいつも通りの活気を取り戻していた。 「ごめんください、警察の者ですが」 手帳をかざしながら銀行の向かいの靴屋の主に声を掛けた。 「先日あった銀行強盗の件でお話を伺いたいんですが、 と私ははじき出されるように店を追い出された。仕方がない、店主の言うように他を当たるとするか。 「警察の者ですが――」 それは新宿の事件で目撃された運転手役の――白井によく似た似顔絵だった。 「とっとと帰ってくれ、客商売なんだから警察に長居されちゃこっちが困る」 そう言って本屋の主は絵をろくに見ずに押しのけた。これで銀行の向かいのほぼ一列は全滅だった。 「そんなやり方じゃ聞き出せる手掛かりも聞き出せませんよ、野上さん」 それまで私の聞き込みを静観していた槇村だったが、似顔絵の紙を取り上げると、 「いらっしゃい」 そのときになって槇村は手帳を示した。 「先月、ここの近くの銀行で強盗事件があったでしょう」 槇村の柔らかい口調に乗せられるように、蕎麦屋の主はあのときのことを思い出そうと思案し始めた。 「例えば、見慣れない車がこの辺に止まっていたとか」 思わずしゃしゃり出てしまった。 「いや、そこまでは覚えてないな」 主は申し訳なさそうに頭を掻いた。 「いえ、そこまで判れば大収穫です。お忙しいところ、お手数をおかけしました。ご協力、感謝します」 私とは大違いの聞き込みの成果に経験の差というものを痛感してしまった。 「やはり現職の刑事は違うな。私があれだけやっても何も聞けなかったんだから」 そうだ。すでに有楽町での犯行車両は黒の日野ルノーということは判明していた。 「でも、何か新しいことが判るかもしれませんよ」 それ以後の成果はあまり芳しいものとはいえなかった。 「そんなつまらない連中に――」 そして私を半ば引き摺るように彼らへと近づいていった。 「あの車に乗ってたのはこいつじゃありませんよ」 そう槇村が声を挟む。 「目が細くって釣り目で、とにかく目つきの悪い男でしたよ」 それならあの人当たりのいい白井とは別人だ。 |
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その後、夕刻まで有楽町で聞き込みを続けたが、運転手役についての証言はその靴磨きのたった一つだけだった。 それだけでは多少心もとない気もしたが、まだ他の現場もある。 その後、何食わぬ顔で本庁に戻り、お互いに本部長と一捜査員に戻り捜査会議を終え、 「今日はお疲れ様でした」 現場経験のないエリートの戯言、と聞こえるかもしれない。しかし槇村は笑顔で、 「たった一日であれだけ聞き込みが上達するんですから大したものですよ。 「それじゃあ今日の慰労を兼ねて、ということで、どこか飲みに行きませんか?」 それは意外な申し出だった。 「いいのかね?」 気に入るも何も、ここまで彼が胸襟を開いてくれたのが嬉しかった。あれだけ失礼なことを言ってしまったのだから。 「それに、一度仕事抜きでお話してみたいと思ってましたから」 彼に連れられたのは新橋の屋台に毛の生えたような赤提灯だった。 「らっしゃい。よぉ、槇さんじゃないか」 お互い顔見知りと言うように気軽に言葉を交わす。 「ここには本庁勤務のときよくお世話になりました」 こういう店にきたのは久しぶりだった。もっとも、学生の頃はやはりよく世話になったものだが。 「で、お連れは会社の人かい?」 会社?隠語で警視庁のことを『桜田商事』やら『本店』というのは聞いたことがあるが・・・。 「あ、すいませんけどここでは警察官だっていうのは黙っててくださいね」 「世の中は警察をよく思ってる人ばかりじゃありませんから」 しかし、市民の安全を守ってるのは我々警察なんだぞ、と言いたいのをぐっと我慢して、 それでは、とりあえずビールと、槇村に勧められるまま二、三のつまみを注文し、 「子供好き、なんだな」 苦し紛れの話のタネだった。 「いやぁ、うちにも同じくらいの息子がいますから」 そう言うと、柔らかな眼をさらに細めた。 「男の子か・・・羨ましいな。うちはまだ女の子だけだから」 後から知ったことだが、槇村の細君は病弱で、子供を一人生むのがやっとだったそうだ。 「それより君の方だ。どんな子なんだい、君のご子息は」 「どうなんだい、やんちゃ坊主だとか――」 内ポケットに納められた手帳に手が伸びる。そこには妻とまだ幼い娘の写真が挟んであった。 「可愛いお嬢さんじゃないですか」 さらさらのおかっぱ髪の冴子の写真を指差し、槇村がそう言った。 「それがまぁ顔に似合わぬお転婆でね。この子のときも生まれる前は男かと思ったんだが すでにかなりアルコールが回っていたのかもしれない、そんなことを口走るようでは。 「野上さん、今さっき、何て・・・」 そう言うと、コップに半分残ったビールを飲み干した。 「うちの親父も警察官だった。といっても田舎のしがない平巡査だったがね。 槇村に警察の話題は無しだと言われたにもかかわらず、 「君のご子息はしっかり者だというじゃないか。きっと大きくなったら頭の良い子になる。 そう言って、無礼にもとんびの背中を思いっきりひっぱたいた。 「はは、そうですね」 ようやくとんびが泡の消えたビールに口をつけた。 |
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「酒の上の与太話だと、君の父上は思っていたかもしれない。 いや、実際私も忘れていたよ、君が警察官となって、そして刑事として新宿に配置となったときまで」 「じゃあ、私と槇村を組ませたのは?」 彼の予言どおり、すっかり美しくなって、そしてさんざん男を泣かし続けてきた娘が尋ねた。 「当時の刑事部長の親馬鹿だ」 大事な娘を、どことも知れぬ馬の骨に託する訳にはいかなかった。 |
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>槇村父 CH本編には出てきませんが、基本的にAH踏襲。 (原作、アニメ両方とも出てこなかった設定を補完するものと捉えています) やはり子供好きな人だったんじゃないでしょうか。 じゃなきゃ香を引き取ったりしなかったはず。 これで本題がほぼ片付いてしまいましたが【爆】 もうしばらくお付き合いくださいませm(_ _)m |