まだ警視庁が古い造りだったころだ。世間はまだ60年安保の余波を残していた。
「野上じゃないか」 警視庁の廊下、声を掛けてきたのは同期の一人だった。 「また上申書出したんだって?『日本版FBIの創設』だとか」 それは以前本場FBIでの研修を受けたときから暖め続けていたものだった。 「お前こそ、毎日デモ警備の訓練で忙しいんだろ」 そう言うと彼は待ってましたとばかりに自分たちの武勇伝をひけらかした。 「もっとも、難事件を抱えてらっしゃる刑事さまのほうがご多忙かもしれませんが」 彼の言葉には若干の揶揄が込められていたが、事実私も忙しかった。 すでに警視庁管内で同一犯と見られる銀行強盗が4件発生していた。 会議室にはすでに何十人という刑事たちが集まっていた。 「銀座の事件での犯人の一人の似顔絵と赤坂の似顔絵の特徴が一致しました」 エリートの自分などよりはるかに経験を積んだ刑事たちが次々と新たな事実を積み上げていく。 「それでは各自持ち場に着くこと」 私にできることはただ捜査を指揮し、その任をつつがなく全うすること。 すると、一人の刑事が『雛壇』の前に立っていた。 「有楽町のルノーは盗難車だとうかがいましたが」 一課長の声が飛ぶ。 「淀橋署刑事課所属、槇村巡査です」 それが私と彼との出会いだった。 |
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「多摩川の河川敷に放置されていたルノーは、タクシーであったことを示す表示灯が取り外され、 社名も塗りつぶされていました。おそらく犯人かその仲間のうちに塗装工が関係していると思われます。 また、車内からは指紋等の遺留品は発見できませんでした」 一日の終わりを締めくくる捜査会議で刑事たちは今日の捜査の成果を次々に述べ上げる。 「それで、鍵はどうだったんだ」 その鋭い着眼点に私を含め、雛壇の上の幹部らは感嘆のため息を漏らした。 「それでは手口から自動車窃盗の前科者リストを洗い出すように」 自分とさほど年の変わらない刑事が堂々と発言しているさまを見て、現場を知らない私はただただ羨望するしかなかった。 それ以後槇村刑事はその他の犯行車両を見て回っているようだ。 そんな折だった。残り一つの犯行車両が見つかったという知らせが捜査本部にもたらされた。 「槇村刑事、だったね。すまないが私も連れて行ってくれないか」 とは言いつつも、その表情は苦笑にも似た笑みがあった。 |
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羽田の飛行場に程近い空き地に、紺色のコロナが放置されていた。 その周りを制服警官と、所轄の刑事だろうか、何人かの背広の男たちが取り囲んでいた。 時折り上空を轟音を立ててジェット機が飛び交う下で、槇村刑事はじっと車のそこかしこを見つめていた。 彼の人当たりのいい雰囲気はどこか刑事らしくない、警察官らしくないものだったが こうして猟犬のように真実を追い求めるさまは紛れもなく精悍な刑事の顔だった。 「1ヶ月ほど前に世田谷で盗難届が出されていました」 「ナンバーは?」 ということは偽造ナンバーか。 「中に指紋は残っていませんでした。それと遺留品も。 我々に少し遅れて到着した本庁の鑑識課員が報告した。 「それにしても、いくらアシが付かないようにとはいえ 当時、まだまだ自家用車は庶民の憧れだった。 「俺だってまだ持ってないんだぞ、マイカー」 思わず本音がこぼれる。すると槇村巡査は顔を上げた。 「本部長ほどの方が、まだお持ちじゃないんですか?」 そう軽口を叩く表情は温和そのものだった。しかし、その表情が一変する。 「――あいつだ」 その呟きを私だけは聞き逃さなかった。だがその声音にはどこか哀しさが見え隠れしていた。 「本部長、急用を思い出しましたので失礼させていただきます」 そういうと槇村刑事はもう一人の本庁の刑事を現場に残したままパトカーに乗り込もうとした。 「どこへ行くんだ?」 こうなったらもう梃子でも動くまい。自分の頑固さ加減には自信があった。 「本部長はここで待っててください」 「白井さん、元気そうじゃないですか」 助手席の窓を開けて、彼らのやりとりに聞き耳を立てる。 「真面目にがんばってるみたいじゃないですか」 そう淀みなく答える。 「じゃあ自分は社長とちょっと話ししてから帰りますので」 そう槇村が言うと白井は再び帽子を取ってぺこぺこと頭を下げた。 「一体あの男は」 しばらくして車に帰ってくるなり、私は槇村刑事を問い詰めた。 「彼は3年前、自分が逮捕した男です。腕利きの自動車ドロでした」 振り上げた拳がクラクションにぶつかる。気圧されたのはその音にだけではなかった。 「――彼には女房がいます。よくできた女(ひと)ですよ、 彼は私に向き直って言った。 「――この件は内密に願います」 それは逆見込み捜査といえるものだった。そんなことが現場の刑事に許されるはずがない。 「――判った、捜査を許可する」 一瞬、真剣な表情がきょとんとしたが、再びあの穏やかな笑顔に戻った。 「判りました。でも『槇村刑事』ってのはちょっとよそよそしすぎやしないですか?」 そのとき、私はろくな自己紹介もしていないことに気がついた。 「野上だ」 そして私たちは手を握り合った。 |
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>1960年代のキャリア・システム 当然判りません。一応、自称・警察マニアですが。 ご存知の方がおりましたら、「ここが間違ってる」とご指摘いただければ幸いです。 プロットに関係しないレベルでしたらちゃっちゃと訂正いたしますので。 ああ、せめて『砂の器』なんかで当時の刑事さんの様子を予習しとくんだった【涙】 |