「やめてくれ!」

遠くから――いや、決して広くもない部屋の中だ。耳も殴られて聞こえづらくなってるんだろう――
相棒の悲痛な叫び声が聞こえた。

「殴るんだったら俺を殴ってくれ、お願いだ!」

うっすらと目を開けると、あいつが床にひれ伏していた。
もともと釣り気味の細い目だったが、全身顔中も殴られてほとんど開けられないぐらいになってしまった。

「駄目だ、今お前に怪我されちゃ車を調達できないからな。
サツが残った車を全部持っていっちまったからもうこれ以上“仕事”ができねぇじゃねぇか」
「もういいじゃないか唐木田さん。相島の借金分は新宿での仕事で充分賄ったはずだ」
「いいや」

そう言うと奴は机の上に無造作に置かれていた拳銃に手を伸ばすと、それを相棒へと向けた。

「こいつの代金分がまだ残ってるんだ。やってくれるだろうなぁ、白井さんよぉ」

すべての発端は俺がこの唐木田から借金をしたことだった。
すでに莫大な借金を抱えた俺に金を貸してくれるところはなく、高利貸しなのを覚悟の上で奴に頼むしかなかった。
――いや、それだけなら俺一人がさらに膨れ上がった借金を背負うだけで済んだ。
しかし、運の悪いことに――こんな偶然があるのだろうか、唐木田の友人で、やはりあいつから金を借りて
自動車修理の工場を始めた男の下で、あろうことか俺の元相棒・白井が足を洗って働いていたのだった。

3年前まで俺と白井はコンビを組んで、山の手のお屋敷町で自動車泥棒を繰り返していた。
俺はあいつと違って手先の方はからっきしだったが、運転には自信があった。
闇夜に相棒が鮮やかな手つきでこじ開けた車を二人で通りまで押して行って
そこからライトも点けずに真っ暗な道路をひた走り、ときには狭い路地を潜り抜けたものだった。
「お前だったら車幅より狭い路地だって通り抜けられる」とあいつがよく言っていたっけ。
だが、警察は俺たちが思ってるほど馬鹿でも無能でもなかった。
犯行を重ねるうちに俺たちは次第に追い詰められていった。
そして一人のデカが白井の所に出入りするようになり、しつこくあいつに自首を勧めるようになった。
あいつには女房と小さい子供がいた。程なくして、相棒は警察に出頭した。
だが俺のことについては一言も口にしなかった。警察の取り調べでも、裁判でも。
一人罪をかぶった白井の恩義に報いるためにも、俺もまた真人間に戻るべきだった。なのに。

俺に借金を返す当てがないと知った唐木田は「銀行強盗でも何でもしてとにかく返せ!」と迫った。
そのときはまだ脅し文句だったのかもしれない。しかし知り合いの社長から白井のことを聞かされ、
そして俺の元相棒だったと知った唐木田はその脅し文句を実行に移した。
つまり、車を盗んで色を塗り直して元の車と判らないようにした上で、その車で銀行を襲えと。
車の塗装は奴が以前借金のかたに押さえた廃工場で行った。もちろん塗り直すのはその社長と白井だ。
唐木田が計画を立て、そいつの部下の部下が銀行を襲い俺が運転手役を務める。
そしてあいつは車を盗んで色を塗る、それだけのはずだった。

なのに新宿の事件の前――それは俺が悪かったんだ、盗んだ金に手をつけてしまったのだから――
今日と同じように唐木田と奴のチンピラまがいの部下にボコボコにされてハンドルを握れなくなって
代わりに相棒が運転役をすることになった。それからだ、あいつの周りにデカがうろつくようになったのは。
もう潮時だったのかもしれない。

「GIコルト。米軍の兵隊から横流ししてもらった、もちろん本物だ。高い買い物だったよ。
だが、これさえ突きつければ銀行の奴らは黙って金を出す。いいビジネスだとは思わんか?
高い利子付けて金を貸すよりよっぽど簡単に稼げると、なぁ、そうは思わないかね」

銃を突きつけられて、白井はやるとしか言えないだろう。
自分のせいで、足を洗ったはずのあいつにもうこれ以上罪を重ねさせたくはなかった。
今ならまだ間に合う、何もなかったことにして元の真面目な自動車修理工に戻れる――
立ち上がれないまま、渾身の力を振り絞って唐木田の足元にタックルをかけた。
バランスを崩しただけだったが、その手元からGIコルトが零れ落ちた。
そしてそれは白井の足元へと転がっていった。それをあいつはとっさに掴むが、その手を唐木田が押さえこんだ。
銃を奪い返そうとする唐木田と、決して放すまいとする白井。腕をひねるような揉み合いになる。その瞬間――。

乾いた音が唐木田金融の社長室に響いた。
そして唐木田は力なく倒れこんだ。その腹からはどくどくと血が流れていた。
銃声を聞きつけて柄の悪い社員たちが社長室に飛び込む。だが、

「動くなっ!」

白井は先端に血のついたままの拳銃を奴の部下たちに突きつけた。

「いいか、これから社長の死体を下の駐車場に持っていけ。すぐにだ!」

いくら奴らが腕っ節には自信があっても、拳銃には敵わない。
仕方なしにおずおずと、さっきまで彼らの社長だった死体を二人がかりで持ち上げると、そのまま社長室を後にした。
その後を拳銃を奴らの背中に向けたまま白井がついていく。
程なくして連中と一緒に戻ってくると、相棒は俺の肩をゆっくりと抱き起した。

「済まないな、こんなことになって」
「いや、もともとは俺のせいだ。俺がこんな借金さえ作らなきゃ・・・」
「何言ってるんだ。相棒が困ってるんだ、当然のことだろう」
「白井・・・」

最後の仕上げに血痕の付いた絨毯をはがすと、筒にして二人で抱えて駐車場へと持っていった。
そこには唐木田の骸が転がっていた。

「こいつで巻けば人目には触れないだろう」

そう言うと絨毯の血の付いた表を内側にして、海苔巻きのようにぐるぐると死体を巻いていった。
そしてロープ――俺のような借金を払えない連中を監禁するためのもの――でがっちりと締め上げた。
その巨大な海苔巻きを白井の乗ってきた、修理工場のオート三輪の荷台に積んだ。

「唐木田の車を使えばいいじゃないか」

そこには奴ご自慢のキャディラックやポルシェが並んでいた。しかし、

「乗用車だとトランクに乗せるにせよ後部座席にせよ、後始末が厄介だ。その分トラックなら荷台を水で流すだけで済む」

そうだ、いつも考えなしの俺とは違って白井は常に一手も二手も先を読んでいた。
そんなあいつを殺人犯にしてしまったのは俺の責任だ。

「で、これからどうするんだ」
「唐木田の死体を捨てよう。できるだけ遠くに・・・そうだな、今まで車を捨ててこなかったところがいい」
「今度は東京のど真ん中ってのはどうだ?川も何本か走ってるし、そこに投げ捨てれば」
「そうだな、それは結構盲点かもしれない」
「じゃあなるべく早く――」
「まあ待て」

逸る俺を白井が抑えた。その横顔は、さっき人を殺したとは思えないほど落ち着いていた。

「なるべく暗くなってからがいい。都心ならなおさら人目を避けなければならないからな」
「それまでどうするんだよ」
「待つんだ」

そう言ったきり白井は背もたれに深く身を預けた。

真夜中の隅田川に俺たちは絨毯の太巻きを投げ捨てた。
それはしばらく水面を漂っていたかと思うと、次第に沈んでいって、終いに暗い水の中へと消えていった。

「これで最後だな」
「ああ」
「もし捕まっても――」
「判ってる。たとえ唐木田のことは言っても、お前のことは絶対に話したりはしない」
「俺もだ。絶対にお前を裏切ったりはしない」
「じゃあ、これで俺たち、他人同士だな」
「そうだな。街で会っても挨拶できないんだな」
「今度困って泣きついてきたって何もしてやらないからな!」
「それはこっちの台詞だ!」

そう言いながら、俺たちは橋の上を別れた。
あいつはオート三輪に乗ってもと来た方を、俺は痛む体を引きずりながら一人で川向うへと。

そうは言っても、この人の好い相棒のことだ。今度また俺の身に何かあったときは、同じように悪事に手を染めてしまうだろう。
だからこそ、真っ当な人間にならなくては――それがあいつの信頼に応える一番の方法だった。
白井には返し切れない恩義があるのだから。




大手柄から数日後、深川の隅田川岸で絨毯に包まれた男の遺体が見つかった。
腹部には銃創、それが致命傷とされた。
すぐに遺体の身元が割れた。唐木田信三、都内で金融会社を営んでいた。
相当阿漕な金利を取っていたそうであり、おそらくは借金をめぐるトラブルが原因だろうと
我々捜査本部にその事件が上がってくることはなかった。



「野上君、ちょっといいかね」
と一課長が声をかけた。連れてこられたのは無人の小会議室、そこに二人きりだった。

「君は白井という男を知っているか」

その問いに私は答えられなかった。イエスと言うべきかノーと言うべきか、そもそも質問の意図をはかりかねていた。

「彼が連続銀行強盗の捜査線上に浮かんだんでね」
「まさか、押収した自動車から――」

語るに落ちた。

「いや、ついこの間隅田川で射殺体が見つかっただろう。
その犯人として相島という男が逮捕されてね、そいつが吐いたんだよ、
自分が連続銀行強盗の犯人の一人だと。そして共犯者の名前も」

全身から力が抜けるようだった。
白井は犯人ではない、私たちはそう固く信じて今まで捜査を続けていたのに――
裏切られた、一方的にそんな気がした。

「その相島ってのが訊かれてもいないのに3年前の自動車窃盗の片棒担いでたことさえべらべらと喋ったらしい。
確かその事件を担当していたのが今は淀橋署の――ああ、槇村とかいったな。
彼と一緒に白井の周りを嗅ぎまわっていたそうじゃないか」
「――槇村は、今は」
「彼なら所轄に戻した。彼のやったことは一歩間違えば犯人隠匿じゃないか、
あの盗難車両から白井が犯人じゃないかと睨んでいたのだから」
「“私たちの”やったことです!」
「君は知らなかったんだ、いいね」

その言葉は刃物のように鋭く、冷たかった。

「君はキャリアだ、将来あるエリートだ、そして刑事部長の覚えめでたい婿殿じゃないか。
そんなことで経歴にわざわざ傷をつけることはない」
「しかし――」

そんな抗弁に耳を貸さず、課長は私を残して会議室から立ち去った。
裏切ってしまったのだ、槇村を。
ふたりして白井に裏切られたはずだったのに、彼を裏切った相棒のように、私もまた大切な相棒の信頼に背いてしまったのだ。


一応、野上父のモノローグでこの物語が進んでる以上
ここで相島が語ってるってことは、白井の信に背いて
自供してしまった、ってこと。

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