CH' 〜for All's Happiness ver.
まえがき

City Hunterファンの皆様、初めまして。蛟 游茗と申します。
つい最近CHに目覚めたばかりの新参者です。
ということは、(本格的)CH体験よりも先にAngel Heartの洗礼を受けたということです。それ以前に『店主がCHにハマった理由』で述べた通り、幼児体験としてすでにCHにずっぽり浸っていた世代ではありましたが、AHに触れたのはちょうどブランク期のときだったので、先輩諸姉の感じてらっしゃるほどの葛藤は覚えずにここまで追い続けてました。
もちろん「香の死」という設定には少なからずショックは受けましたが、無邪気にも作者の『パラレル宣言』を鵜呑みにし、その後次々と暴かれるCH世界との相違点にそれを再確認して「CHとはあくまで別モノ」と思って受容してます。
だからこそアンチAHのすさまじいばかりの嵐に違和感を覚えてしまうのです。
確かに登場人物、しかも主人公の片割れを殺してしまうというやり方は、キャラの生殺与奪を握る特権は作者にあるとしても、ファンの反感を買うのもまた事実。でも、オリジナル書きでもある店主にとって、話の展開のためには愛着あるキャラクターでも「泣いて馬謖を」斬らざるを得ないことだって判ります。店主のときはその後数日何も手につきませんでしたが。
そして、これは店主の個人的な経験からなのですが、
誰かの死によって始まる物語もまた、哀しいけれど存在するのではないでしょうか。
死というものに限らず、誰かとの別れによってもたらされる出逢いというのもこの世に存在するはず。だとしたら死とは決してマイナスだけのものではないのではないでしょうか。(もちろん、差引合計がプラスにならないと意味はないのですが)

そういう意味では、CH本編すら香の兄である槇村の死によって始まった物語であるといえます。確かに彼は作者によれば「最初から死ぬことが決まってたキャラクター」ですが、たった数話の登場にもかかわらずCHファンの中での人気が高い人物でもあります。
AHを「香の死」という一点で否定するのであれば、CHもまた否定されなければならないのではないか?
もしアンチAHが「香の死なない(CH続編としての)AH」を求めるとするなら、そのアンチテーゼとして「槇村の死なないCH」というのを提示できるだろう。
はたしてそれはCHたりえるのか?そして香の生きているAHもまたAHたりえるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな壮大な実験として企画した「CH’〜for All's Happiness ver.」ですが
これが意外と面白い。
日頃他ジャンルの二次創作サイトで「幸せな○○(お好きなカップリングをどうぞ)はいい!」と叫びまくっている店主です。やっぱり「みんなが幸せになるシテハン」というのは性に合ってたのかも。
これがCHたりうるかどうかは読者の判断にお任せして、まずは店主の妄想の世界をお楽しみくださいませ。

 

Prologue

City Hunter