さつきくんのガードは翌日から始まった。 といっても敵は彼女の身近にいる、いつものように嬉し恥ずかし密着ガードというわけにはいかない。 二人で交代しながら、一人が店の向かいのオープンカフェで彼女の様子を見張り もう一人が店の周りを見回るという形をとった。さつきくん本人には隠しマイクがつけてある。 これなら店内で何かあってもすぐに駆けつけられるだろう。だが、 vol. 2 endless suspicion「何かあったか」 交代の時間、テラス席でガラス張りの店内に眼を光らせていた香に声をかける。 「ううん、なんにも」 こんなときにでも貧乏性が出るのか、香はそう言うと残ったわずかなカプチーノを飲み干した。 「逆に何も無さすぎるのが怪しいくらいだわ」 それは俺も思っていたことだ。 「それに・・・さつきさんの様子なんだけど」 とにかくさつきくんの護衛はいつものように一筋縄ではいかないようだ。それに気になることは他にもある。 「ちょっと待ってろ」 と言うと俺は横断歩道の無い通りを斜めに渡りガラス張りのドアを押し開けた。 店の中は白い壁、白いリノリウムの床の上にオークや竹で作られた、いわゆるアジアンテイストな家具が並んでいた。 「いらっしゃいま――冴羽さんっ」 驚くさつきくんに、人差し指を口許の前に立てた。 「いいから普通の客が来たふりをして。俺のことがバレたら命が無いんだろ?」 小声で念を押すと、言われたように俺から離れた。 「お客さま、何をお探しでしょうか」 籠編みのごみ箱を取ろうとして突き出たヒップについつい手が伸びる。 「何するんですかっ!」 その後に「冴羽さん」が付け加わらなかったのは賢明だった。 「ふ、普通のお客さまにもこんなことするの・・・?」 その時、ガラスの向こうの男と目が合った――あいつだ。 「もしかして命狙われてる以外にストーカーにも狙われてる?」 木彫りの人形を撤去しようとする彼女に耳打ちする。 「ほら、あのリーマン風のヤツ」 知りません、とさつきくんは口の動きだけで答えた。しかしその視線はわずかばかり揺らいでいた。 |
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警視庁第四方面本部長、という肩書は字面の仰々しさに比べて閑職と言わざるをえなかった。 もちろん警視長相当のこの職が価値の無いものではない。 だが、偉くなればなるほど暇になっていくというのがこの国の官僚制度だ。 仕事といえば上にあがってくる書類の決裁――盲判なら猿にでもできる――と、たまに現場の視察程度だ。 視察といってもスケジュールは決まっており、署長・副署長の歓迎以下、見せられるのは用意された外面ばかり。 予想通りの決まりきった毎日――あの頃は違っていた。 刑事として現場を駆けずり回っていた頃は一日として同じ日は無く、予想どおりにいかなくて、だけど充実した毎日だった。 だが、今同じように働けるかといえば無理だ。正直、無茶がきかない齡になってきたし あの状態なら結婚も、まして子供なんて考えられなかったのだから。 そんな平穏かつ退屈な日常を打ち破るかのように電話が鳴り響いた。それも本部長室の固定電話 「もしもし」 かけてきたのは悪友の中でも文字どおり毛色の違う一人だった。 「何の用なの?今仕事中よ」 《ちょっとキミの耳に入れておきたいことがあってね。キミのハズの過去を調べてるヤツがいるんだ》 夫の槇村にはユニオン・テオーペの一員という決して明かせぬ過去がある。 《26年前、何があったか覚えてるかい?》 26年前?その時はまだ槇村は刑事で、私の相棒だった。 《「26年前、捜査の失敗の責任を取って警察を辞めた刑事がいる。 ミックの言うことはある意味事実であった。何も知らない人間が見ればそう映るだろう。 《Don’t worry, Saeko.もちろんそんなネタが持ち込まれてもボクが潰しておくさ》 おそらくは携帯電話片手にウィンクしていることだろう。とりあえずは彼の友情という名のギブアンドテイクに感謝する。 《You’re welcome!困った時はお互い様だよ》 そう言うと通話が切れた。これでとりあえずは一安心だろう。 帰りはデパ地下で何を買っていこうか、それともたまには自分で腕を揮ってみせようか。 |
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「ふぅ、これでよし、と」
通話終了のボタンを押すと、誰に言うでもなく呟いていた。 このネタを持ち込んできたインフォーマントは、オフィスのスタッフによれば 応接用のガラステーブルの上には口のつけられていないコーヒー。 年齢はオレなんかと同じくらいだったろうか。だが年齢以上の疲弊が見てとれた。 「なかなかお会いできなくて申し訳ありません。最近は忙しいもので」 日本人並の腰の低さで挨拶したことは覚えている。こっちにももうかなり長い。 「お忙しいようなので本題から入らせていただきます」 と言ってガラステーブルに差し出された一枚の写真。 「槇村秀幸警部、東新宿署の生活安全課長です。この男を告発したいのです」 ――目の前の男の真意が読めなかった。 「彼は一度警察を辞めています。いや、辞めさせられています。捜査の失敗の責任を取って。 彼が辞職に追い込まれた経緯はカオリやサエコから聞いているし、復職となると自分もその事態の当事者の一人だった。 同じく差し出された資料には、公表している範囲の事実はほぼ網羅されていた。 「彼のせいで人が一人死んでるんですよ。それを、もう『禊ぎ』は済んだというんですか! エンジェルさん、と来たか。男はソファから立ち上がると、両手でオレの手を握ってきた。 「お願いします、エンジェルさん」 そう言われてもこっちには記事にする気は毛頭ない。それよりもこの記事が世に出るのを何としても阻止する義務がある。 それよりも、今一番の関心事は向かいの悪友のもとにやって来た美人の依頼人だ――なんでアイツのとこばっかり。 窓の外を見遣ればリョウも、当然その彼女もまだ帰ってきてないようだ。 「まずは歌舞伎町辺りで情報収集かな」 と呟くと、さっと眼を通しただけの資料をシュレッダーに放り込んだ。 |
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ストーカー(?)男が現れた以外は、何事も無いままさつきくんの勤務が終わった。 家に帰れば娘が香の指示で夕飯と風呂の支度を整えていた。今日もメニューはカレーライス。 作り置きができ、時間が経つほど美味くなるが、正直そろそろ違うものも食べたくなってきた。 そのカレーをさつきくんは山盛りをぺろりと平らげた。しかも日に日に盛りが多くなっているようだ。 そりゃ香のカレーは隠し味やらいろいろ凝ってて確かに美味いが(それを素直に伝えたことはないが) 普通命を狙われれば食も進まなくなるようなものを・・・。やはり香の言うように、並の神経じゃねぇ。 今までいろんな依頼人を見てきたひかりも、その食いっぷりに目を丸くしていた。 って、そういうおまぁも攫われたのを連れ戻してきた途端、「おなか空いた」って ガツガツ香の手料理に食いついてきたのは一度や二度じゃないだろうが。 つまりはそういう神経をしているのはスイーパーの娘のように始終命を狙われ過ぎて感覚がマヒしたヤツぐらいだ。 彼女も平然と仕事をしているように見えたが、その間ずっと周囲に目を配らせていたのはガードしながらでも見てとれた。 ――もしかして彼女は堅気ではないのでは?ありえない考えが頭をよぎる。 少なくともさつきくんからは裏の世界の人間特有のものは感じられなかった。 だが、ただのショップ店員とも思えなかった。 「撩ー、コーヒー入ったわよ」 思考を遮ったのは香の声と鼻をくすぐる匂いだった。 「さつきさん、もうすぐお風呂から上がってくるわよ」 人を色情魔みたいに言いやがって――確かにその『一面』はあるがそれが『総て』ではない。 「撩っ」 何なんだよ、しつこいな。 「煙草の灰落ちそうよ」 気がつくと持っている辺りまで灰になっていた。 「冴羽さーん、香さーん、お風呂使わせてもらいましたー」 バスタオルで髪を拭きながらさつきくんが風呂から上がっていた。 「んじゃそろそろ今日の復習といきましょうか」 さつきくんに付けておいた隠しマイクが拾った音は俺たちのイヤホンに飛ばすだけではなく レコーダーが記録した会話はほとんど普通の客とのものばかりだった。倍速の声に耳をそばだてながら先へ急ぐ。 《ああ、大高くん。展示終わりの家具のことなんだけど――》 聞き慣れない声に一時停止ボタンを押す。 「倉庫部長です。普段は本社にいるんですけど、今日は展示替えの打ち合わせで」 その言葉で、彼女と話していたちょいワル気取りの中年男を思い出した。 「手掛かりは無し、か・・・」 敵は社長ら会社の中枢なのだ、店先で客の相手をしている限り奴らの尻尾は掴めない。だが、どうやって・・・。 「あたし、社長とかの様子もっと探ってみます」 そうさつきくんが宣言した。 「さつきさん・・・」 「何か掴まないと店長の仇とれませんから」 その眼の力には命を狙われているという恐怖は見られなかった。 「だからそのかわり、今以上に危険な目にあうかもしれませんが、ガードの方よろしくお願いします」 |
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「そういえば今、リョウのところに新しい依頼人が泊まってるだろ、ショートカットの美人の」
そうミックが切り出してきた。言葉どおりに取れば単なる事情の確認。 「その人については知らないわよ、何も。冴羽さんも香さんも、最近お店に来てないんだもの」 おかげでここCat’s Eyeは静かな毎日が続いていた。 するとミックはデミタスカップにわざとらしく鼻を近づけて、 「さっすがプロの入れたエスプレッソは違うね。ウチのマシーンじゃこうはいかないよ」 ファルコンが釘を刺す。だが、 「あの二人は来なくてもヒカリは来るんだろ?」 ・・・語るに落ちた。さすが有名ジャーナリスト、この手で難攻不落の取材相手を数多く陥してきたのだろう。完敗だ。 「でもそんな詮索するようなことはしてないわよ」 そのとき、 「やあサエコ、突然で悪いんだけど、リョウの依頼人のことで何か知らないかい?」 そう言われても、私がひかりちゃんから聞いたのはさつきさんという名前、青山の輸入家具店で働いていることぐらいだった。 「ああ、そういえば冴子さん、最近槇村さん忙しいの?」 |
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槇村がCat'sに来ていない?美樹さんの言葉がにわかには信じられなかった。
もともと彼には香さんの兄であり撩の、そして私の元相棒という間接的な繋がりしか 抜けてこられないほど仕事が忙しいのだろうか、美樹さんの言うように――そんなはずはない。 「あの人が抱えてる仕事を探ってみる必要がありそうね」 それならこっちには腕利きのスパイがいる。 |
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通学路に停まっている真っ赤なポルシェを見かけて、それがあたしとは無関係であることを心から願った。 直接あたしと関わり合うことはまずないが、少なくとも面倒な事態に巻き込まれるのは火を見るより明らかだ。 現に、隣のイトコがそわそわし出した。 「いいか、何があっても絶対他人のふりだからな」 「秀弥ぁ、お帰りぃ〜♪」 と大きく手を振られては無視できない。 なにしろ下校途中の先輩後輩同級生の目が生徒会長に注がれているのだから。 「ひかりちゃんもみんなゴメンね。今日は4シーターだから、全員送っていきたいのはやまやまなんだけど」 障らぬ野上冴子に祟り無し、その辺のとこはあたしたちみんなが心得てる。 「じゃあ秀弥借りてくわね〜」 |
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平日午後の首都高は渋滞とは言えないまでもそれなりに込み合っていた。 だがその車と車の間に華麗なドライビングテクで真っ赤なポルシェ911をねじ込んでいく。 「ベーエムで来りゃよかっただろーが」 BMWだったらおふくろ+オレたち4人を乗せることもできる。 「で、何の用だったんだよ」 まったく、なんて勝手なんだようちの女どもは。 「あーあ、あなたがそう言うんじゃしょうがないわね」 「秀弥、最近父さんのところに行ってる?」 とはいうものの、感じのよさそうな顔してるくせに、あれで結構嘘は上手いのだ、うちの親父は。 「何かあったのかよ」 自信たっぷりに言い切った。そりゃ父さんに浮気できるような甲斐性があるとは思えない。 「はいはい、じゃあ今度覗いてくりゃいいんだろ?」 空になった紙コップをストライクで屑籠に投げ込む。 |
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そんな灯りの中の一つ。
「ふぅ、極楽極楽」 と、おおよそ10代らしからぬセリフが思わず口をついて出た。 「ぷはぁっ」 パックに直接口をつけて牛乳を喉に流し込んだ。もちろんもう片手は腰に、である。 「行儀が悪いわよ、ひかり。お客さんがいるんだから」 それって結構危険じゃない?世界一のスイーパーが傍にいるといえば何とも心強いのだけれど 「さつきさん、お風呂空いた――あれ、さつきさんは?」 リビングに彼女の姿は無かった。ただ、ガードそっちのけで洋モノポルノに涎を垂らしているパパがいるだけだった。 「んあ?トイレにでも行ったんでないの」 気のない返事。当然のごとくトイレの電気は点いていない。 「パパ、何のためにここにいるか判ってる?」 ガード中とあらばいついかなる時にも護衛対象の一挙手一動足に気を配らねばならない。たとえそれは家の中であってもだ。 「さつきさんはどこ!?」 あまりの剣幕にママがエプロン姿のまま間に入る。 「ママ、ローマン持ってるよね?」 返事を聞く間もなくジーンズのヒップポケットから抜き去った。『仕事中』の時は肌身離さず持ち歩いているのは承知の上だ。 「確か殺気を感じれば爆睡中でも目が覚めるって豪語してたよねぇ」 秀弥によく「やり方が意外と陰険だ」って言われるけど、しかたがないもの。 「いくら鋭敏なセンサーをお持ちでも、こういう時に働かなきゃ何の意味も無いじゃない」 撃鉄に指を掛ける。ローマンはダブルアクションだから撃鉄を上げなくても銃爪が引けるが、こうした方が軽く引ける。 「あれ、どうした――んですか?」 迂闊だった。これではパパのことをとやかく言えない。 「さつきさん、みんな心配してたのよ」 まず口を開いたのはあたしたちの中ではまだ冷静だったママだった。 「あ・・・ごめんなさい」 早弁がバレたような顔をして頭を下げた。そして手には煙草の箱とライター。 「ちょっと吸いたくなっちゃって・・・一応、お世話になってる間は遠慮しようと思ったんですけど」 ・・・つまりは階段でホタル族ですか。あたしたち全員が脱力したのは言うまでもない。 「そんなに気を使わなくていいのよ。撩もここで吸ってるんだし」 とママが灰皿を差し出した。その間にパパがシリンダーを掴みながらローマンを取り上げた。そして、 ――パシッ と乾いた音が無音のリビングに響いた。 「もしかすればこれ以上痛い目に遭ったかもしれない、これ以上ひどい跡が残ったかもしれないんだ」 さつきさんは打たれた頬を押さえながら呆然と突っ立っていた。 |
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情報収集という名のハシゴ酒も収穫ははかばかしくなかった。 ここ数日歌舞伎町でリョウの今度の依頼人について聞いて回っていたが、街の事情通からも有力な情報は得られなかった。 むしろこっちが逆取材されたぐらいだ。リョウが飲み歩いてくれさえすれば、多少は違ったのだが・・・。 Cat’s同様、依頼を受けてから彼は夜の街に繰り出してはいないようだった。 ああ見えて、仕事については(依頼人にもっこりアタックを繰り返したりはしているが)意外と真面目なのだ、リョウは。 今夜は河岸を変えてゴールデン街まで足を延ばしてみたがさっぱりだった。 そこに一人のロミオが現れた――といってもロミオらしからぬ風貌だった。 あのヤクザ男とサツキが知り合い同士だろうことは確かだ。だが、彼女はただのインテリアショップのスタッフのはずだ。 取材方針変更、とりあえずもうちょっと身近なとこから攻めてみようか――。 |
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ひかり嬢が思った以上に大暴走してしまいました。 香だったらもっとあっけらかんとハンマーを振るうところですが やっぱりこの辺がママとの違いになりますかね、撩の血も引いていることだし。 『CHの続編』を企画する上で香と娘の差別化が図れなかったことが その後のカオリストの悲劇につながったそうなので きちんと一線を画しておかなくては。
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