新宿駅東口、K国屋書店。言わずと知れた日本最大級の大型書店で、よほどのものでもない限り
日本に流通しているうちでここに売っていない本は無いのではないかというほどだ。
だから親に「参考書買ってきなさい」と言いつけられても
「売ってなかった」という言い訳が通用しないのがこの街である。まあ、それはともかく。

入口の新刊コーナーに山積みにされたペーパーバック、台の前にはご大層に出版社のポスターが貼ってある。
『北野ユカ・歌舞伎町少年少女探偵団シリーズ最新作!』
少女小説を皮切りに、今はエンターテインメント小説全般で活躍する彼女が初めて手掛けたヤングアダルト向けシリーズだ。
とはいえ、昨今のYA小説人気を当て込んで書かせたのだろうが
それが見事に一山どころか二山、三山当ててしまったのだから出版社としてウハウハだろう。
水面下では映像化の企画が持ち上がっているとか。あたしとしては何としてもそれだけは避けてほしいのだが。

というのも、これまでの北野ユカ――ここではむしろ「唯香おばさん」と言った方がいいだろう――作品同様
このシリーズもまた身近な面々をモデルにしているからだ。
主人公は生まれも育ちも新宿の4人の小学生――エリート刑事を両親に持つシュンヤ、
店主夫妻は元・裏稼業で今も闇の人間と情報が集まるという喫茶店の息子・ヒロキ、
父親はジャーナリスト、母親は医師というハーフの少年・ジャック、
そして紅一点で、うだつの上がらない私立探偵(でも実はかなりの凄腕)の娘のヒカル。
間違いなくモデルはあたしたちだ。そしてそこに描かれているエピソードもほとんどが小学生時代の実話だったりする。
情報源は間違いなくあたしたちの両親。しかし彼らを責めるわけにはいかない。
自分たちのことを書かれないためにも、自分以外のネタになりそうな話を提供し続けるしかないのだから。
そんなわけであたしもパパとママの日常をだいぶ『売って』きたのだし。

平積みの上の一冊を手に取ろうとする、が、周囲に視線を配るのを忘れない。
小中学生に人気のシリーズだ、発売日当日の今日、わざわざ学校帰りに買っていく同級生も少なくない。
そんな彼らにあたしもまた北野ユカファンだと思われるのは本意ではない。
ただ当事者として、被害者として確かめたいだけだ、ヒカルが――あたしがどんな書かれ方をしているのか。
どこまで本当のことを暴露されてしまってるのか、どこまで勝手な憶測をされているのか、
立ち読みだけでは隅々までチェックができない。だから仕方がなくこうして売り上げに貢献しなければならないのだ。
それにこうすれば少なくとも一人、なにも事情を知らない一般読者の手に渡らなくなるはず、
と意を決して平積みの山に手を伸ばしたそのとき、

「あっ、ごめんなさいね」

カルタの札の取り合いのように、あたしの手と彼女の手がぶつかった。
さらさらのショートカットの快活そうな女性――うちのママの髪が真っ直ぐで
赤みもそれほど強くなければこんな感じだろうか。
年のころは20代半ば、おそらくパパがこの場にいれば声をかけそうな美人だ。
服の趣味からして少なくともお堅い職業ではなさそう、例えば公務員とか。
むしろファッションとかデザインとか、そういう方面、それも接客の方――
と、ここまでの人物分析ならとっさにできる。そして、北野ユカのファンであろうということも。
もしかしたら唯香おばさんのファンというものを間近で見たのは初めてじゃないだろうか。
ずっと「こんな暴露本としか思えない小説、いったい誰が買うんだろ」と思っていたのだけど。
いい年した大人なのにわざわざ子供向けの本まで読むというのなら、よっぽど好きなんだろう。
そんな読者の暇つぶしの種にされるのはモデルとしては面白くないんだけど。

「あなたも好き?北野ユカ」
「あ・・・はい、まぁ」
「キャラクターがいいのよねぇ、こんな小学生いないだろ!って思うんだけど
なんだか妙にリアリティがあって、実際にこの街を駆け回ってそうな気がするのよ。
やっぱり大きな嘘をつくには小さいリアルを積み重ねないとね」

と滔々とのたまわってる。リアリティも何も当然だ、
目の前にいるあたしの日常に背びれ尾ひれをつけてるだけなのだから、などとは口が滑っても言えない。

すると彼女は「はい、これ」と山の下の方からきれいな本を抜き出すとあたしに手渡し
自分は一番上の手垢の付きまくったのをレジに持ってってしまった。

「やっぱり汚れてたりしてない方がいいよね」
――別に汚かろうが破けてようがかまわないんだけど・・・。

同好の士と思って気を許したんだろうか、あたしはこの妙にフレンドリーな北野ユカファンの背中をぼんやりと見送った。

 

Endless Game

 

vol. 1 endless days

彼女と再会したのはそれから数日も経たない後だった。

「たっだいまー」

玄関のドアを開けると、取るものも取りあえず台所に向かう。
冷蔵庫を開くとドアポケットから牛乳を取り出した。そのままカートンに直接口をつけてラッパ飲みだ。
水とは違うまろやかなのど越しがカラカラに渇いた喉に優しくしみこんでいく。
銘柄は断然低脂肪乳だ。3.6牛乳だと濃すぎてゴクゴクとはいけないし、無脂肪だとさらさらしすぎて味気ない。
Ca入りは言語道断、まるで骨粉が入っているような粉っぽい感じなのだ。

「みっともないわよ、ひかり」

リビングからママのお叱りが飛ぶ。
みっともないとはいえ、この牛乳を飲むのは我が家であたしとパパとママだけなんだからいいじゃないの・・・
ときどきそれに他の誰かが加わるけど。と思ってリビングの方を覗きこめば、いた、
パパとママと『他の誰か』、ショートヘアの美人が。

この家に家族以外の誰か――もちろん伯母さんや他の知り合い以外の――が上がり込むのは日常茶飯事。
それも往々にして美人が多い。というのもうちのバカ親父が「美人の依頼以外受けない」と言い張っているからだ。
もちろんそれだけで食べていけるほど冴羽商事の経営状態は甘くない。
なので美人でなかろうが男の依頼だろうが、一家三人が食べていけてあたしを学校にやれるだけのノルマが
パパには課せられていた。それさえ片付けてしまえば金にならない美女の依頼も引き受けてもいいとの条件で。
先日の個人情報スパイの摘発でかなりの成功報酬が手に入ったから、もう数ヶ月分のノルマは達成されたはず。
となるとパパの趣味の人助け、ならぬ『美女助け』か・・・。
とりあえず来客に向かって会釈する。すると彼女も頭を下げた。そして、微笑みながら上げた顔は――『彼女』だった。

「依頼人の大高さつきさん。しばらくうちに泊まり込みになると思うから」
「はじめまして」

にっこりと微笑むが、あたしのことに気づいたのか、その表情には妙に引っかかったものがあった。

「あの・・・もしかしてお嬢さんですか?」

なんだ、そのことか。
パパとママを見てこの二人が仕事上のパートナーであると同時に私生活でも伴侶であるということは見抜けただろう。
でもまさか、二人の間に子供がいるとは思ってもなかったはずだ。
無理もない、子供なんてものは裏稼業から最も程遠いところにあるのだから。

「じゃああたし、しばらく『勉強部屋』に避難してた方がいいかな?」

『勉強部屋』とは、空き室だらけのサエバアパートの一室。そこにここの子供部屋とは別にもう一つあたしの部屋がある。
ヤバい組織から命を狙われているような依頼人が来たときは、普段は上でみんなと過ごしてても
夜だけは念のためにそっちで寝ることになってる。小さい頃は伯父さんの家や教授のところに預けられたりもしたが
もうあたしも中学生だ、いつまでも誰かの世話になるわけにはいかない。
今回の依頼人もうちに泊まるというのだから、命を狙われるくらいの状態なのだろう。だが、

「いや、その必要はないだろ。別に普段のボディガードだからな」
とパパが言う。そして
「ひかり、さっさと着替えてきなさい」
とママがいつまでも制服のままのあたしを部屋に押し込んだ。でも壁越しに話を盗み聞くぐらいはできる。

「それで、店では何を扱ってるんだ?」
「東南アジア製の輸入家具です。特にインドネシアなどから」
「それと一緒に麻薬を密輸してるんじゃないか、ってことね」
「はい、前にも輸入家具と縁のなさそうなお客様が社長と何やら商談してるのを見かけたんですが・・・」
「それだけじゃ証拠として不充分だな」

どうやら話によるとさつきさんはインテリアショップの販売員なのだが(ということはあたしの第一印象は大正解だったわけだ)
そこで薬物の密輸が行われていると知って内部告発しようとしたところ、身の危険を感じるようになったとのことだ。
それにしても水臭い。あたしもこれから一つ屋根の下で過ごす以上、彼女の事情くらいは知っておいていいはずだ。
なのに子供だからって邪魔扱いしやがって。あーいいですよ、お邪魔虫はしばらく留守にしてますから。
私服に着替えたあたしはすっかり出かける準備は整っていた。
ああ、あとこれを忘れちゃいけない。リビングに出るとサイドボードに置きっぱなしのホルスターを肩にかけた。
その上からGジャンをはおる。

「それじゃ行ってきまーす」

Cat'sあたりに行けば何か情報を得られるかもしれない。そう勇んであたしは家を飛び出した。




その光景を目にしたさつきさんは目を丸くしていた。
無理もない、あの子がホルスターに差していたのはコルトパイソン357マグナム、
それも中学生の女の子の手に余るような4インチバレルなのだから。

「ああ、あれ?ただのエアガンよ」

いくら裏稼業でも未成年の娘に銃を持ち歩かせるような真似はしない。持っていいのは射撃場でだけ、それも大人の監督付きでだ。

「護身用って言って持ち歩いてるの。というより父親の真似をしたいだけなんでしょうね」

でも実はあれは単なるおもちゃじゃない。空気の代わりに法律で禁止されている二酸化炭素を入れるなどの改造を施して
ガラスぐらいなら簡単に貫通できる程度に威力を上げてある。もちろん、そんなこと他人の前では言えないけれど。

「ところで、内部告発するって言ってたけど準備は進んでるのかい?」

撩がさつきさんに尋ねる。

「実は・・・内部告発しようとしてたのは、わたしじゃなくて支店長だったんです」
「じゃあ、なんでさつきさんが・・・」
「消された、か」

冷徹な声であたしの問いを遮った。

「そういや何日か前にベタ記事で載ってたぜ、家具屋の店長がビルから飛び降りて死んだって。
自宅のパソコンから遺書らしいものも見つかったっていうから自殺だろうって話だが」
「店長は自殺なんかじゃありません、奴らに殺されたんです!」

彼女はガラステーブルをひびが入りそうなほど叩いて立ち上がった。

「だから、今度はあたしが・・・」

一転して怯えたようにうずくまった。その背中をそっと抱き締めた。

「撩――」

きっと彼なら何とかしてくれる。さつきさんの命を狙う連中を、奴らの悪事もろともに暴き出してくれるはず。
あたしはパートナーに信頼と期待の視線を送った。

「じゃあ、まずはその支店長さんの遺志を継ぐことからだ。
といっても法律関係のことには詳しくないが、うちには頼れる顧問弁護士がいるからな」

そう自信に満ちた顔で撩は言い切った。その表情、その声に今まで何人もの依頼人が救われてきたのだ。
だが、

「ちょっと、顧問弁護士ってまさか・・・」
「しょうがねぇだろ、そっち関係の知り合いっていったらあいつしかいないんだから」

自信に満ちた表情がちょっとだけ曇った。




西新宿の高層ビル、そこの一角にオフィスを構える大手法律事務所に彼女はいた。

「弁護士の野上日菜子です。よろしく」

最近はやりの、毛先を巻いた長い髪に体のラインがぴったりと出たパンツスーツ。
インナーの襟ぐりは深くくってあり、Vゾーンから谷間が垣間見える。
まだ若い彼女はここの雇われ弁護士だが、すでに刑事事件を中心にバリバリと弁護活動を行っており
有罪率が9割近いこの国の裁判の中では彼女の実績は相当のものだった。
これで情状酌量による減刑を含めれば『勝率』はさらに上がるだろう。
まして鮮やかな弁舌で裁判を自分のペースに持って行ってしまう法廷戦術は
裁判員制度とやらが始まればさらに有利に働くはずだ。

「もしかして野上さんって・・・」

頬を赤く染めながらさつきくんがおずおずと切り出す。

「あら、姉をご存知ですか?」
「あ・・・はい、確か北野ユカ先生の本名が野上でしたよね」
「ええ、今は結婚して名字が変わりましたが」

そう、日菜子はあの冴子たちの妹だ。小さい頃から顔見知りでうちに出入りしている間に、いつの間にか弁護士先生だ。
見た目はこのとおりの口説きたくなるような美人だが、そうしない、むしろ敬遠したくなるのは姉譲りの性格のせいだ。
こんな仕事をしているわけだから、面倒なことに巻き込まれるたびに都合よく俺を頼ってくる。
それを毎度のこと引き受けてしまう俺も俺だが、報酬らしい報酬は金ももっこりも(当然)支払われるわけがなく
そのかわり「顧問弁護士料ね」と片づけられてしまう。
だからこういう事態が起こるたびにここぞとばかり借りを返させてはいるのだが
どこからどう見たってまだあいつの貸しの方が多いはずだ。

「でもうちが10年顧問を務めていて、一度も訴訟沙汰に巻き込まれたことのない優良企業もいるわよ。
もちろん毎年顧問料は払ってもらってるけど」
と一度言い返されたが。

「大高さつきさん、だったわね」
「はい・・・」
「大丈夫よ、今では法律もちゃんと出来て内部告発者が不利にならないように守られるようになったから」

そうさつきに優しい言葉をかける姿はよくできた弁護士なのだが。

「でもわたし、正社員じゃなくて契約社員なんです。それでも守ってもらえるんでしょうか」
「労働基準法第9条、『この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、
賃金を支払われる者をいう』。正社員もアルバイトも契約社員もみんな『労働者』よ、
全部法律で保護される範囲内だから大丈夫。それで告発する先は会社のトップ?それとも警察?」

するとさつきくんの顔にみるみる暗雲が立ち込めた。

「会社は信用できません」
「むしろ今回のケースは会社ぐるみの犯罪なのよ」
と香がフォローする。

「困ったな、そうなると保護の条件が難しくなるのよ。
社内での告発なら『通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしていると思料する場合』、
つまり犯罪が行われてるんじゃないかという疑いだけでよかったんだけど、
これが警察となると『通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしていると信ずるに足りる相当の理由がある場合』ってなるの」
「つまり証拠が必要ってことだな・・・」
「そんな・・・じゃあ法律はあたしの命までは守ってくれないってことですか?」
「残念だけどそうなってしまうかもね。この法律も労働者の首までは守ってくれるけど命までは適用外だもの」
「もうすでに一人死んでるんですよ!」
とさつきが日菜子に縋りついたそのとき、

「一人死んでるですって!?」

広いオフィスの片隅で声を上げた女性がいた。そして彼女は俺たちのもとに急いで駆け寄る。

「ちょっと、なんであんたがいるのよ!」
「いいじゃない、たまにはお姉ちゃんのところに顔出したって」
「だから検事が弁護士事務所に顔を出すのが問題になるっていうの!」

そう言いあう二人は全く同じ顔をしていた。違いといえば彼女は長いストレートヘア、
そして日菜子はセクシーなパンツスーツ――脚線美が生足でお目にかかれないのが残念だが
短めのジャケットの裾からはつんと上がったヒップラインが覗く――なのに対して
彼女は地味だが清楚なワンピース姿だということぐらい。
大胆なのもいいけれど、こういうお嬢様タイプも難攻不落な分だけ攻略する楽しみがあるというもの。
といっても中身はやはり問題ありなのだが。
つまり彼女は日菜子の双子の姉妹で野上家五女の月子だ。

姉と揃って法学部に進み司法試験に合格、しかし彼女は検事の道を選んだ。
押しの強い野上シスターズの中にあって月子はおっとりした方だが
これが法廷に立つと被告人の供述の小さな矛盾を暴きたて、明晰かつ非の打ちどころのないロジックで突き崩すのだ。
派手なパフォーマンスで法廷の視線を独り占めする日菜子とは好対照の月子だが
当然の如く三女の小説のネタにされているのは言うまでもない。

「その話、詳しく聞かせてくれませんか?」

丁寧かつ図々しくさつきに迫るのはやはり野上家の血筋だ。
それに気圧されながらも支店長の死の一部始終を月子に聞かせた。

「そんなの地検に上がってきてないわよ」
「当たり前だろ、警察は自殺で処理しちまったんだから」
「刑事訴訟法第239条、『何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる』。
あなた、ぜひ刑事告発しちゃいなさい!」

そうびしっと人差し指を突きつけた。

「ちょっと月子、あたしの依頼人よ。勝手に取らないでよ!」
「じゃあ日菜子は犯罪が隠蔽されてるのを黙って見過ごせっていうの!?」
「それはあたしが訴えれば白日のもとに暴かれるべきものなのよ」
「それでも公益通報者保護法の適用には満たないじゃないの」
「あの・・・冴羽さん。あの二人、放っといていいんでしょうか?」

さつきくんが上目づかいで訊いてくる。

「放っとけ、いつものことだ」

ただでさえ二人揃っただけでもかしましい野上姉妹、まして双子という血の近さからか
この二人はしょっちゅうこうしてぶつかり合う。
こいつらがガキの頃からそれに付き合わされる俺たちの身になってみろってんだ。




Cat’sに行ったのは空振りだった。どうやらママとさつきさんが接触したのは違う場所だったみたいだ。
もしここで逢ったのなら美樹さんあたりが詳しい事情を聞いてると思ったのに・・・
とりあえず、夕飯時まで時間をつぶしてから家に帰った。

家ではママが台所に立っていた。

「おなかすいたー。今日の夕飯は?」
「カレーよ」

依頼が入った初日はたいていカレーだ。
一度大量に作ってしまえば数日もつので、仕事で忙しくても簡単に準備ができる。
それに、純然たる家庭料理の方が緊張に打ちひしがれた依頼者の神経を解きほぐすことができるからだ。

リビングではさつきさんが夕方のニュース番組をザッピングしていた。

「パパは?」
「お風呂入ってる」

サイドボードの元の位置にホルスターごとエアガンのパイソンを戻した。
自室に持っていかないのは親の目の届くところに置いておく、というよりむしろ面倒くさいからだ。

「それ、びっくりしちゃった」
とCMの合間にさつきさんが話しかけてきた。

「女の子が銃を、それもホルスターに入れて持ち歩いてるんだもん。しかもそれが似合ってるし。
なんか饗羽ヒカルかと思っちゃった、『新宿少年少女探偵団』の。それってパイソンでしょ?」

確かに銃身の上のベンチレイテッド・リブとそれとバランスを取るように伸びるフルラグ銃身は
一目でパイソンと判るが、それが判るとは彼女、只者ではないかもしれない。
これくらいの女の人ではリボルバーとオートマチックの区別もつかないのも多いのだから。

「あっ、知り合いにちょっとガンマニアがいてね」
と慌てて疑いをそらす。

「でも知ってる?そのヒカルちゃんってのが凄いんだから。
小学生なのに銃の名手で、敵の銃を弾き飛ばしたり走ってる車のタイヤをパンクさせたりできちゃうのよ」

番組が始まってもさつきさんの熱弁が続く。
それにしても唯香おばさんの誇張癖にも参ったものだ。
いくら冴羽撩の娘とはいえ、あたしはそんなに射撃が上手いわけじゃないし、街中で銃をぶっ放したこともない、まだ。
そこまで話してさつきさんはあたしの顔をしげしげと覗き込んだ。

「もしかしてひかりちゃんって・・・」
ゴクリ

唾を飲み込む音が大きくなる。
この熱烈なファンを前に、そのモデルだとバレたら何をされるかたまったもんじゃない。
だが、

「あのときK国屋書店にいなかった?」

って今頃気づいたんかよ、遅すぎるって。

「でもよくこんなときにそんな話題できますね」
「だって小説の中みたいじゃない。こんな経験、二十ン年生きてたけどそうは無いでしょ」

このハイテンションさは何だ、まるでこの事態を楽しんでいるようじゃないか。
だが、小説と現実は全くの別物だ。ページをめくりながら手に汗握れるのも
自分に絶対銃弾が飛んでこないという保証があってこそ。なのに、彼女は。

「自分の命が狙われてるんですよ」
「――怖いわよ、本当は」

その声にさっきまでの上擦った調子は無かった。

「次はわたしが殺されるかもしれないんだもの。
だからこそフィクションの世界にのめり込まなきゃやってられないのよ、自分が主役のハードボイルドを妄想しない限り、ね」

「だったらついでに恋愛アクション大作を妄想してくれないかな。もちろん恋人役はボキで」

と風呂上りのバカ親父が音も無く忍び寄り、背後からさつきさんに絡みついた。
裸族傾向のあるパパはバスタオル一枚巻いたっきりだ。
すると彼女は、

「きゃあぁぁあぁあぁぁあぁぁぁあっっっ!」

と悲鳴を上げながら、絡んだ腕を取り、そのまま勢いよく一本背負いの要領で投げ飛ばした。
さらさらの短い髪が動きに合わせて揺れる。
一方、その勢いで端を挟んだだけのバスタオルはあえなく解けた。
すると今度は、

「きゃあぁぁあっ!」

との絶叫とともにイチジクの葉印のハンマーが飛んだ。
それはすかさず隠しておかなければならない場所を覆ったが、当然パパは悶絶、

「な、なんで・・・いつものコミュニケーションのはずだったのに・・・」
と、そのまま力尽きた。




時は夜、草木も眠る丑三つ時。機は満ちた、いざ夜這わん。
美人の依頼人が一つ屋根の下にいるというのに夜這わないというのは礼儀に反するのではないか。
さっきは不覚を取ったが、あれは不幸なアクシデント、こっちも心構えというものが出来ていなかったのだから。
だが今は違う。Tシャツにトランクス、頭はほっかむり、ボックスティッシュは紳士のたしなみ。これがいつもの正装だ。
準備は万端、二人を隔てる障壁など何するものぞ!と勇んでいつもの天井の抜け穴へとよじ登った。

娘がかつての客間兼香の部屋を子供部屋として占拠して以来、依頼人を泊めるときは上階の一室を客間にしている。
どうせなら俺たちと同じ階にした方が守りやすいし、階段はトラップを仕掛ける格好のポイントにもなる。
それに、廊下を挟んですぐ隣なら夜這いもしやすいし――それゆえ不埒者からのガードも含めて
依頼人が女なら香も同じ部屋に泊まり込むことにしている。もちろん部屋の内外を鉄壁のトラップで固めて。
だが、一体どれだけお前のトラップを掻い潜ってきたと思っているんだ、手の内はだいたい読めている。
それはあっちも同じことなのかもしれないが。

まず、廊下からの正面突破は死を覚悟しなければならないだろう。
ここぞとばかりに罠が仕掛けられている、それも致死性の高いやつを。
もちろん、依頼人の命を狙う賊対策というのもあるのだろうが。
さすがの俺も命は惜しい――どうせ昇天するなら冷たい廊下の上よりも美人の上がいい。
だからルートとしては天井裏か床下からとなる。
どちらも通い慣れた道。それは敵も重々承知で、道すがらに死なない程度のトラップが数あまた仕掛けられているのだが・・・
今日はすんなり通過できた。これはいい兆候、今日こそきっと、いや必ず成功できる。

天井板を外せば、その真下は依頼人用のベッド。
そこにはさつきくんがそんなことにも気づきもせずにすやすやと眠っていた。
まるで命が狙われているなんて嘘のような寝顔だ。
そこからそっと降りていくのだが、油断は禁物、前に香がベッドに重量センサーを仕掛けていたことがある。
俺がベッドに降り立った途端アラームが鳴り響き、依頼人は目覚め、起きぬけの香にきつい一撃をくらったのだ。
だが、二度と同じ手に引っ掛かる新宿の種馬・冴羽撩ではない。対策はすでに立ててある。
まず、ロープでMI1のトム・クルーズのように宙づりになって彼女に近づく。
そしてここからが重要、さつきくんを抱き上げると同時に
彼女とほぼ同じ重量のダミーをベッド上に残さなければならない――人間メジャーは伊達じゃない。
それと、スキンシップを図りながら体組成のイメージは掴めた。けっこう意外と筋肉質だったから見た目より若干重めなはずだ。
そのダミーと彼女の交換は瞬時に行わなければならない。
いくら高性能のセンサーでも誤差の許容範囲はある。それがどれくらいなのかは判らないが
センサーに感づかれるより速く交換しなくては。
天井裏の細い通路からダミー人形――とは名前だけ、実際は彼女の体重分(予想)のサンドバッグ状の砂袋――
を引っ張り出すと、それを抱えたまま、足だけで器用にロープを操りつつ、するすると天井から降下する――はずだった。

ビーッ、ビーッ、ビーッ

と鳴り響くアラーム音。その音にさつきくんは瞬時に跳ね起きた。
それに一瞬遅れて香がハンマーを構える。
そして下からはばたばたと階段を駆け上がる足音。

「ママ、トラップ成功した?」
「うん、大成功だったみたい」

ひかりが客間に上がってきたときにはすでに持参のロープで簀巻きにされていた。
だが一体なぜ?

「ほら、見てみなさいよ」
と香から手渡されたのは赤外線スコープ。

それ越しに、天井板のある一枚に向けて無数に張り巡らされた赤い線が見えた。

「赤外線センサーかよ・・・」
「そっ。天井板が一枚だけ微妙にずれてたから、そこが抜け穴の出口だと踏んだらどんぴしゃ」
とひかりが胸を張る。

だが赤外線センサーだなんて宝石や美術品の盗難対策に使うような大げさな代物
なんで万年赤字の冴羽商事が、と思いきや、

――ミックのとこのクソガキか。

あの機械マニアならこれくらいの物は朝飯前だ。ましてそれがひかりの頼みとあらば苦労を惜しまないはずだ。

「撩、ところで何しに来たのかなぁ?」

そんなぁ香ちゃん、いまさらそんなこと訊かなくたって判ってるくせに。

「いやぁ、お前だけじゃ心細いと思ってガードの援軍に――」
「お心遣いどうもありがとう、でも今のところあたし一人で足りてるから大丈夫。
それでも心配だっていうんなら――」




「こうして外を見張ってなさいっ!」

とパパはいつものように屋上から蓑虫のようにぶら下げられた。
いっつも依頼人に夜這いを仕掛けては、いっつもママのお仕置きを喰らうのだ。成功した試しなど聞いたことがない。

「なんで夜這いなんてかけるんだろうね」
「さぁね、パパの趣味なんじゃない?」

毎度毎度のお騒がせにママは呆れ顔だ。
それにしても、パパは本気で依頼人の美女をものにしようと思ってるんだろうか。
そりゃママはあの海坊主さんから「もう教えることは無い」と言われるまでのトラップの名手だ。
だけどパパほどのプロならそれくらい、本気を出せば突破できるんじゃないだろうか。
でも、毎回引っかかってしまうのは、本人でも気づかない深層心理の表れだったりして・・・。

「そういえば前、間違ってママのこと襲ったときあったよね」

あの時は仕事が長引いて、なのでパパとママとの攻防も長期化した。
何度失敗しても一向に懲りない敵に業を煮やしたママは、依頼人とすり変わるという秘策に打って出たのだ。
それに気づかぬパパはてっきり依頼人だと思い込み、ママ相手に夜這いを敢行したのだ
――いや、もしかしたら気づいてたのかもしれない。だって相手は抱き慣れたパートナー兼恋人なのだ。
それを判って――最初からそっちが目当てで――仕事の間は『おあずけ』なのだから。

「案外お目当てはママかもしれないよ」
「まっさかぁ」

そう鼻で笑われたけど、少なくともママの気を引きたいというのだけは確かだと思う。
東の空はすでに群青が淡くなり始めていた。


>野上家四女・五女
いつか書きたいと思っていたキャラの二人です。
そういやCH女性キャラの中には医師やら私立探偵やら
いると便利な職業がそろっているのに、弁護士はいないなぁと思いついて
(アニメオリジナルではいるんですけどね)
レギュラーに加えるの見越して彼女たちに割り振ってみました。
もう一人が検事というのはモノのついで【爆】
ちなみに野上シスターズらしからぬ(?)五女・月子のイメージは
「ネアカな柴田純@ケイゾク」【笑】

法律の条文は『法務省法令データ提供システム』より。


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