vol. 14 Denouement――大団円
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槇村の行くところなど一つしか思いつかなかった。
「どこに行ったっていうのよ」
「ミランダのところだ」
「ミランダさんの?」
「あの几帳面なクソ真面目が彼女のことを放ったらかしにできるわけないだろ」
「でも彼女、今どこに・・・」
「あの夜、ホテルの裏口から猛スピードで飛び出した外車があった。その車は西新宿の高層ビルに向かったそうだ。
そこは確かプロスペーラ社の日本支社があるところだ」
おそらく使っている情報屋から得たネタだろう、海坊主が割り込んできた。
「じゃあ今もそこに?」
「少なくとも手掛かりくらいはあるだろうな」
それを聞くや否やCat'sを飛び出していこうとした香の腕を、寸でのところで掴んだ。
「馬鹿!お前、直接殴りこみに行く気か!」
少しは成長したかと思った俺が馬鹿だった。
「だって、一刻を争うのよ!」
「それでも判ってるのか?プロスペーラ社はシンセミーリャのダミー会社、いわば敵の中枢に突っ込んでいくんだぞ」
そこまでの背景は頭に入っているのか、香は大人しくうなずいた。
「一旦帰るぞ。そこで準備を固めてからだ」
すっかり自信をなくしてしまったのだろう、香は背中を丸めて眉を曇らせていた。
「だから急げ、できるだけ早く踏み込む。お前の言うとおり、一刻を争うからな」
そう言って丸めた背中を撫でた。
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愛銃パイソンに弾丸を込めてショルダーホルスターに収め、予備をスピードローダーに装填する。
香に待てといいながら自分自身も逸る気持ちを抑え切れなかった。
思えば7年間、心のどこかでいつも悔やみ続けていた。
あのとき銃を無理やりにでも渡していたなら、俺が代わりに行っていれば
いや、そもそも俺が槇村と組まなければこんなことは起きなかったのに。
そして冴子や香に対してずっと負い目を感じていたのだ。
それを自分の手で払拭できるチャンスがようやく巡ってきた。
それでももう一度確かめる。撃鉄は起きるかどうか、シリンダーはきちんとスイングアウトするか。
「香、行くぞ」
「ちょっと待って」
思いもしない答えが返ってきた。
「どうした?」
「薬箱、用意した方がいいよね。アニキ、まだ傷が塞がってないもの」
本当は自分が誰より先に助けに行きたいはずだ。
なのにそんなことをおくびにも出さずに、つとめて冷静にふるまおうとする。
そんな香が途轍もなくいじらしかった、愛おしかった。
「りょお?」
腕の中に抱き寄せて、口唇を重ねた。
驚いたまま閉じ忘れた瞼を指で下ろす。
角度を変え、上唇、下唇を啄ばんで歯列をなぞった。
力が抜けてふっと開いたところに舌を差し入れ、内側からも歯列を滑らせ、硬口蓋を撫ぜた。
掻き抱いた腕に力がこもる。
口唇と口唇の間のかすかな隙間からやるせないため息が漏れた。
そしてさらに舌を奥へと伸ばし、香を掠め取ろうとしたとき――
ぴんぽーん、ぴんぽーーーん、ぴぽぴぽぴぽぴんぽーーーーーん
「Hi, Ryo! May I come in? (リョウ、邪魔するぜぇ)」
こんな能天気な呼び鈴の鳴らし方をする奴はほかに聞いたことがない。
香はその音に驚き、とっさに身を離した。二人の間に透明な糸が伸びる。
「Mick, you may NOT come in(ミック、はっきり言って邪魔だ)!」
そんなこともお構いなくこの招かれざる客人はどかどかとリビングに上がり込んだ。
香は真っ赤な顔でそっぽを向く。
「リョウ、感謝しろよ。プロスペーラ社内部の見取り図だ」
そして呼び鈴もなしに更に二人、上がりこんできた。
「撩、お前だけに行かせるわけにはいかないんでな」
「そうよ、この間の借りはまだ返せてないもの」
「海坊主さん、それに美樹さんも・・・」
香はすっかり茹で上がっていた。
「ほら、タコ坊主も迎えに来たことだし、準備ができたら行くぞ。それとも腰が抜けて立ち上がれないとか?」
「ちゃんと立てるわよ!」
ローマンとバズーカ、トラップの材料一式とかさばる薬箱を抱えて香が俺たちの後に続く。
クーパーに乗り込み、ミックに手渡された見取り図に視線を落とした。
「金庫室、か・・・」
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「金庫室、だな」
プロスペーラ社の社長室には巨大な金庫に続くドアがあった。
地下にある金庫室ほど頑丈ではないが、強度、防音性は申し分ない。
本業の宝石だけでなく麻薬の隠し場所になるばかりか
拷問や処刑など同じビルにオフィスを構える堅気の住人に聞こえてはならないことの舞台にもなっていたはずだ。
監禁するとしたらここ以上にうってつけの場所はない。
逆に大人しく捕まってやって、お目当ての金庫室にたどり着いた。
中には屈強な男たち、そして椅子に縛られたミランダ。
「トンデヒニイルナツノムシ、ってやつだな」
「それはこっちの台詞だ」
男たちの顔色が変わる。
「これだけ分厚い鉄板とコンクリートの壁、下手にぶっ放せば跳弾の嵐だ。
良くて同士討ち、悪くて自分で自分を撃ちかねない」
「決着は銃だけでつけるもんじゃないんだぜ」
と大男が一歩前に出た。こいつは・・・確かデュークのボディガードをしていた男だ。
「来いよ、拳でカタをつけようぜ」
勝機を得るには相手の懐に入らねば――鳩尾に衝撃が走る。
しかし、崩れ落ちたのは大男の方だった。
「Por que(なぜだ)?」
「脚の腱を切ったのさ、両方ともな。これでお前は立ち上がれまい」
そして手の中に隠し持っていたナイフを光らせた。これならコンクリートの壁に弾かれるおそれはない。
素早くミランダの紐を断ち切った。
だが、そのとき轟音を立てて金庫のドアが閉まった。
「これでお前が俺たち全員を倒しても外には出られない。ここで死ぬんだな、二人一緒に」
しかし、
「下がってーーーっ!!」
と鉄の扉越しにも聞こえるような大声の後、ボンッと音を立てて扉が枠ごと倒れた。
もうもうとした砂煙の中から現れたのはその声の主――香だった。
「香、おまぁ内側に倒れたらどうすんだよ」
「だからちゃんと外に向かって倒れるように爆薬を調節したじゃない。ほらっ、アニキ、ミランダさんも早く」
しかし香の視線は一点で止まった。
俺の脇腹――さっき大男の拳を喰らったときに傷口が開いたのだろう。
元から付いていた黒ずんだ血の跡の上に、鮮やかな赤が滲んでいた。
「ちょっと待って」
と言ってハンカチを押し当てた。
「後でちゃんと手当てするから」
一方、とっさの事態に慌てた男たちも遅ればせながら銃口をこちらに向けていた。
撩もまた奴らにパイソンを向ける。
「跳弾になって、それこそ大事なお仲間に当たったら元も子もないぞ」
「なら外さなきゃいいだけの話だ」
撩のパイソンは的確に奴らの腕、肩、脚を射抜いた。肉を貫通した銃弾は、たとえマグナムでも跳ね返るだけの威力はない。
「もうここには用はないな。香、退散だ」
そう言うと撩は手負いの俺の肩を抱えて金庫室を後にした。
その横にぴったりとミランダが寄り添い、少し遅れて香が後をついていく。
そして、床やら壁やらに何か仕掛けを施していた。
「海坊主が逃走用のトラップを仕掛けておいた。その仕上げを香がしているところだ」
「香が?」
「ああ、あいつのトラップは海坊主直伝だ、あの程度の雑魚なら簡単に引っかかるさ」
まさか香が、トラップを・・・?
海坊主がこの世界では指折りのトラップの名手だということは知っていた。
しかし香が彼に弟子入りしてトラップの技術を身に付けていたとは――。
「おっと、恨むなら俺を恨むな。文句だったら香に言え」
「いや、素人のあいつがここまで生き延びるには必要なことだったんだろうな」
「ねえ、これで後悔した?この前あたしを連れてかなかったこと」
香が額を汗で光らせながら振り返った。
「ああ、ほんのちょっとな」
もはやこの二人の間に俺の入り込む隙間はないように思えた。
「美樹さん、今日はセブンじゃなかったの?」
ビルの裏口には一台のジムニーが停まっていた。
「急なことだったから用意できなかったのよ、ごめんなさいね。でも香さんのトラップのおかげでだいぶ引き離せたわ」
「それは・・・海坊主さんのセッティングが良かったからよ」
「それじゃ一旦バラバラに逃げるぞ。美樹ちゃん、ミランダを頼んだ」
「フェルナンド!セニョーラ・サエコが――」
「冴子が!?」
ジムニーに乗り込んだミランダが叫んだ。
「デュークが彼女をホテルにおびき寄せたらしいの!サエコって名前が聞きとれたから――」
「そうか・・・」
香を押しのけて撩のクーパーに乗り込む。
「行く気か、槇村?」
「当たり前だろう。お前が俺を見殺しにできなかったように、元パートナーだからな」
「とか何とか言っちゃって♪」
そういう間にジムニーとランドクルーザーが別々の方向へと飛び出していった。
そして撩も思い切りアクセルを踏み込んだ。
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エグゼクティヴ・フロアは営業を中止しているものの、その他のフロアはすでに再開していた。
「部屋にリングを用意してあるんだ。きっと君に似合うと思うよ」
しかし、エレベーターが止まったのはそのエグゼクティヴ・フロアだった。
ドアが開いた瞬間、目の前に広がっていたのは廃墟だった。あの夜、爆破されたままの瓦礫が今も手つかずのまま。
「朝倉さん、これはどういうことなの?」
「こんな状況になっても君のナイトは助けに来てくれるかな?」
ナイトって・・・まさか撩のことじゃ――。
「いや、眼鏡をかけた猫背のナイトさ。もっとも、彼は君のことなど綺麗さっぱり忘れてしまっているようだけどね」
彼の横顔が邪悪に歪んだ。それは、私の知っている朝倉ではなかった。
背後に回された手に促されるまま、真っ暗な廊下を進む。
その気になればナイフの一撃で彼を屠れるはずだった。しかし、言い知れぬ恐怖が体を凍りつかせてしまっていた。
見知ったはずの人物の見知らぬ表情、それはあの晩、私に銃口を向けた槇村に感じた恐怖だった。
ただ動くのは前へと進む脚だけ。そのまま、奥の一室にたどり着いた。
「ようこそ、君と僕の愛の巣へ。ここで邪魔者は総て消えてもらう」
比較的、爆発の被害が軽かったようで、窓ガラスがやられている程度で家具などはほとんど無傷だった。
ベッドの上に突き飛ばされ、手錠をかけられた。
「うん、とてもよく似合っているよ」
「何のつもりなの、朝倉さん」
「朝倉さん、か・・・残念ながら今の僕は朝倉貴之じゃない。
シンセミーリャのデューク、その名前は聞いたことがあるだろう?」
デューク・・・シンセミーリャの両巨頭の一角、ユニオン・テオーペの生き残り――
まさか、目の前のこの男がそうだったとは。ここから逃れようと身を捩じらせる。しかし、
「大人しくしてるんだ、君は大事な囮なんだから」
柔らかい口調とは裏腹に、眉間にS&Wセンチニアルが突きつけられた。
「生きてここから出られるか、それとも冷たくなって出てくるかは君の態度一つだ。
もっとも、後者の方を僕は望んでいないけどね、君にはまだまだ生きてもらわないと」
そして内腿に隠したナイフ総てを奪い取られた。
「じゃあわたしとの結婚話は・・・」
「保険だよ。警察族のドンの甥が麻薬組織の幹部だなんて
そんなスキャンダル、バレても表沙汰にするには大きすぎる。
でも一応――まさか警視総監の娘婿がだなんて知れたら、身内の大恥だ」
「つまりわたしを利用するために?」
「そうさ。じゃなきゃこんな再婚話、誰が乗るものか」
一瞬、朝倉の眼が曇った。彼は今も、あの女(ひと)を――。
「さて、そろそろ客人が来るころだ。迎えに行かなきゃならないから、君はその間大人しく待っているんだよ」
そう言い残して彼は出て行った。その途端、激しい後悔に襲われた。
――何で、彼がデュークだと見抜けなかったのだろう。
何で彼を選んでしまったのだろう、槇村を捨ててまで・・・。
彼に銃口を向けられても当然だった。
朝倉の正体を見抜けなかった、その一点だけでも私は彼らに加担してしまったのだから。
もちろん、今にして思えば不審なところはいくらでもあった。
しかしそれを冷静に見極められる精神状態ではなかったのだから、フェルナンド――槇村が目の前に現れてから。
しかしそれを言い訳にしてはいけない、私は刑事なのだから。
何時如何なるときも真実を追い続け、正義のために尽くす刑事なのだから・・・。
いくら過去を悔やんでも意味がない、悔やんだところで変えられるはずがないのだから。
そしてそのような過去を選んでしまった以上、現在、そして未来に至るまで責任を負わなければならないのだ。
悪魔に魂を売った責任を背負う覚悟はできていた。
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狭い後部座席で香は器用に包帯を巻いていく。
「随分と上手くなったな、昔は包帯で綾取りしてたのに」
「そんな昔のこと言わないでよ!」
同じ西新宿から西新宿へのドライブの間に、血に汚れた包帯はまっさらなものへと巻き直されていた。
それもまた7年の歳月がなせる業だろうか。
「着いたぜ」
クーパーがホテルの裏口に停まった。
「ここに冴子がいるんだな」
「ミランダの言うとおりならば、な」
だったら間違いない。
「撩・・・」
とおずおずと香が声をかけた。
「判ってる。怪我したくなきゃ俺から離れるんじゃねぇぞ」
「っもう、撩ったらいつまでも子ども扱いしやがって」
そう言いながらも香はどこか嬉しそうに相棒についていった。
手には――古びたコルト・ローマンMkIII、かつての俺の愛銃が握られていた。
「でも一体どこにいるのよ。ホテルを一室一室探すなんてできないし・・・」
そのとき撩の人並外れた目が何かを捉えた。
「エグゼクティヴ・フロアだ」
「えっ?だってあそこはあのとき――」
「爆風で吹っ飛ばされた。でも誰もいないはずのフロアに人影が見えた」
「そんな・・・単なる見間違いじゃ」
「香、撩の目にそう映ったんだ。間違いない」
すると俺の言葉に香も大人しくうなずいた。
中央公園のホームレスが使っているという裏口から従業員用エレベーターに乗り込む。
エグゼクティヴ・フロアはかつての豪華な面影を残していなかった。
「うわ・・・お化けが出そう」
「確かにな。あのときも何人か死人が出たから・・・」
昔からその手の話が苦手な香は撩の背中にしがみついた。
「怖いんなら離れるなよ」
それでも、冴子を見つけ出す必要がある。2対1に分かれてフロア全体を探すことになった。
ところどころ壁が崩れ落ちて行く手を塞ぐ。電気も灯らない中、それを慎重に跨いでいく。
「冴子、いるのか?いたら返事をしてくれ。冴子!」
ひびの入った壁を慎重に叩きながら声を上げ続ける。
すると、かすかながら壁を叩き返す音が聞こえた。
「冴子!冴子なんだな!?」
「槇村?」
壁の向こうから聞こえたのは紛れもない、冴子の声だった。
「冴子、すまなかった・・・。俺は君のことをすっかり忘れて――」
「帰って!」
思いがけない拒絶の言葉。
「冴子・・・」
「撩もいるんでしょ、香さんも」
「ああ」
「だったらなおさら、あなたたちを巻き込むわけにはいかないわ。
これはわたしと朝倉の問題よ、わたし一人で片をつけるわ」
「そんなわけにはいかない!君をシンセミーリャに巻き込んでしまったのは俺の責任だ。
俺がこの街に帰ってこなければ、いや、こうしてのうのうと生き延びていなかったら――」
「いいえ、いずれにしても彼はわたしに近づいたわ」
「しかし奴の正体を見抜けなかったのは俺の所為だ。俺がこんなタイミングで戻ってさえ来なければ」
目の前にある、二人を隔てる壁が恨めしかった。その壁は俺たちを隔てる7年間の歳月そのものだった。
「まさか冴子、あいつと一緒に地獄に落ちようなんて考えていないだろうな」
「槇村・・・」
「そんなのは御免だ。それは、君が背負う罪じゃない」
壁の向こうからかすかにすすり泣く声が聞こえた。
ああ、あの頃の冴子だ。強がって背伸びして虚勢を張って、でも本当は初心で純粋で真っ直ぐな
あの頃のままの冴子だった。
「君が罪を背負うというなら、俺もその罪を一緒に背負う」
「じゃあ仲良く一緒に地獄に堕ちてもらおうか」
壁の向こうから忌々しい声が響いた。
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槇村が、それに続いて撩と香さんが部屋に乗り込んできたとき、私はこめかみに銃を突きつけられていた。
「朝倉警視正・・・いや、デューク、用があるのは俺じゃないのか?」
そう言って槇村が一歩前に出る。
「確かに、フェルナンド・ミナミ・・・いや、槇村秀幸と呼ぶべきかな?
君が脚に開けてくれた風穴の、それ相応の礼はさせてもらうつもりだ」
と言って撃鉄を起こした。
「愛する者が目の前で命を落とす、これ以上の責め苦はあるまい」
「朝倉さ――」
「僕もできることなら彼女を殺したくない。それは君も同じはずだ。さあ、銃を捨てたまえ」
槇村は大人しく手にしていたワルサーPKKを放り投げた。
「次に、跪いて頭を下げろ」
おそらくは、無防備になった後頭部に一撃を喰らわせるつもりだ。
「槇村っ!」
「――悪魔に魂を売る気はない、それは昔も今も変わることはない。
いや、一度魂を売ってしまったからこそ、この買い戻した魂、二度とお前らに売り渡すつもりはない!
そして――俺の身内に手を出したときは、命は無いと思え」
そして「香!」と短く叫んだ。
彼女は小さくうなずき、ローマンを投げ渡した。
かつての槇村の愛銃。それが私のこめかみすれすれ――朝倉の銃を狙う。
あのときと同じだ、槇村が私に銃口を向けたあのときと。
思い出さないはずがなかった。恐怖感が無いと言ったら嘘になる。
しかし、槇村の目にはしっかりと私が映っていた。
その眼に総てを賭けた。
一発の銃声、そしてセンチニアルは朝倉の手から跳ね飛ばされた。
「何が『俺の腕は錆びついている』だよ」
そして、
「な・・・なぜだっ!」
彼の銃は彼自身のこめかみに突きつけられていた。
「あら、このくらいの手錠、いつでも外すことができてよ」
とくるくると回す。
「お前のことをあれこれと嗅ぎ回ってるジャーナリストがいるんだが、これが表に出ればお前も身の破滅だな」
撩が最終宣告を下した。すると朝倉から膝の力が抜けていった。
彼の左手に手錠を掛けた。そしてもう片方は――
「冴子、地獄に堕ちるのは自分独りで充分だ」
「朝倉さん・・・」
彼は手錠のもう片方を私の手から奪い取ると、それを自分の右手に掛けた。
そして、右脚を引きずりながら一歩一歩後ずさっていった。
窓ガラスは総てあの夜の爆発で吹き飛ばされていた。
朝倉は更に一歩――夜の闇の中に吸い込まれていった。
「貴之さぁぁーーーーーん!!」
窓際に駆け寄り、自分も落ちてしまわんばかりに身を乗り出した。
それを後ろから抱きとめたのは槇村だった。
私はその胸に飛び込んでいた。
いつの間にか、涙が滂沱と流れ落ちていた。
「ああ・・・・・・あぁぁあああっ!!」
ここが、槇村の胸の中こそが私の捜し求めていた泣き場所だったのだ。
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「ねぇ、なんでデュークはあそこで身を投げたんだろう」
クーパーの助手席から香が尋ねた。膝の上には今週発行のウィークリー・ニューズ、
表紙に大きく『シンセミーリャの崩壊 ミック・エンジェル取材』と載っていた。
この連載が本になる頃にはジャーナリスト、ミック・エンジェルの名前は大きく世界中に鳴り響くに違いない。
あのユニオン・テオーペの残党の中でも最大勢力を誇ったシンセミーリャを
ペンの力で崩壊させた凄腕ジャーナリストに楯突く奴はいなくなるはずだ。
「さぁな、どうせ将来を悲観したんだろう。表沙汰になればそりゃ一巻の終わりだし
ならなくても警察内部でどんな仕打ちが待ってるか判らないからな」
「あのとき、冴子さんに何か言ってたみたいだけど・・・
もしかしたら自分一人で総ての罪をかぶって、一応、婚約者だった冴子さんを庇うために――」
「あの野心家のデュークが冴子のことを愛してたって?香ちゃんったらロマンチストだねぇ」
しかし、記事の中にはデュークの名は出ても、彼の素性は一切明らかにされていなかった。
その“凄腕ジャーナリスト”曰く「いつも銃をぶっ放しているようじゃガンマンとは言えない
抜くべきときをわきまえてこそ一流のガンマンたりえるのさ」だそうだ。
だが、朝倉こそデュークであると示す証拠、“cream of the cream”は今も教授のところに厳重に保管されており
ミックの身に何かが起きれば全世界に明らかにされるよう手筈を整えてあるらしい。
早い話が、ミックは日本警察を用心棒に雇ったようなものだ。
この一大スキャンダルが明らかにされたくなかったら、奴の身にたかる小さな蝿すら用心しなくてはならない。
そしてその情報はおそらく冴子を通して俺たちの耳にも入るだろう。
となると結局俺が奴を守らなくてはならないのか?そんなばかばかしい話があるものか。
「でも、警察も結構あくどいことしてたのね・・・」
そう呟いた香は槇村が警察を辞めたいきさつを考えていたんだろう。
法と手続きに縛られていたら正義など守れない、そう考えてあいつは裏の世界に飛び込んできた。
しかし法と手続きに縛られる一方で、その法とやらを自分たちの都合のいいように曲げているのもやはり警察だ。
そんな裏側を知っていれば、槇村も警察を辞めることはなかったんじゃないか。
そうすればこんな事態に巻き込まれることなんてなく、香も人並みの幸せをつかめたんじゃ――
しかし、その一方でどんなことがあっても香は俺の隣に収まってるんじゃないか、そんな気がした。
「さ、行こっ。ミランダさんの見送りに行かなくちゃ」
そう言って香は俺の隣から降り立った。
首領を失ったシンセミーリャが完全に壊滅するまで、彼女は当初の計画通り海坊主の山小屋に匿われた。
そして今日、晴れて故国へと帰る日を迎えた。
その前にワシントンD. C. で捕虜となっていた兄と再会するらしい。
それにはミックも取材のため同行することになっている。
「Senor Saeba, Senorita Kaori, muchas gracias」
ミランダのスペイン語が判ってるんだかいないんだか、香はぺこぺこと頭を下げていた。
「いいのよ、そんな・・・こっちだってアニキの面倒見てもらってたんだし」
「でもこうして直接会って、判りました。やっぱりわたしは香さんの代わりだったんだって・・・
記憶の奥底に沈んでいた香さんの面影をわたしに重ね合わせていたんだって。
でももう一人、重ね合わせようにも合わせられない面影はずっと心のどこかに残ってたんです。
それがセニョーラ・サエコだったんです」
「冴子さん・・・大丈夫かな」
冴子は朝倉の死以来しばらく休職していた。
槇村が生きていると聞かされてから積もりに積もっていた心労が一気に来たのだろう。
まして、朝倉の正体を見抜けなかったことで自分を責め続けているに違いない。
女狐の皮をかぶっていても、根は一本気な冴子だ。
公に責任を取ることも叶わず、憤りの遣り場を見つけられずにいたのだろう。
「それにしてもミック、この面子じゃ思い出すよなぁ。あれは1年前だったっけ」
「Oh Ryo, that's an unlucky thing to say(縁起でもない)!
今度こそ墜ちたりしないさ、もうシンセミーリャは跡形もなくなっちまったんだし」
「そうよ。それにわたしがいる限り墜とさせはしないわ」
と言って颯爽と現れたのは完全復活した『警視庁の女豹』だった。
その後ろには下僕よろしく槇村を引き連れて。
「おい冴子、何でお前がここにいるんだよ」
「あら、ご挨拶ねぇ。今回、日本側の担当者として彼女についていくことになったの。
そういうことだけど、7日間も離れ離れになるのは寂しいわ」
「離れ離れの7年間に比べれば365分の1だろう」
そして槇村とハグ、そしてキス。まるで映画のような光景に空港の出発ロビーの視線が釘づけになった。
そのとき、ミランダたちの搭乗する便名がアナウンスされた。
「じゃあ槇村、毎日手紙書くわねーxxx」
そう言って冴子は投げキッスしながらミランダとミックとともに搭乗ゲートへと消えていった。
「槇ちゃん・・・冴子ってあんなやつだったっけ?」
「見た目はともかく、根はああいうところは昔からあったな」
とさらっと言う。
「休暇の間も一日中俺にべったりで――まあ、7年間の空白を埋めるにはこの程度じゃ足りないかもしれないが」
しかし冴子も槇村もその空白を乗り越え、新たな道を歩もうとしている。
じゃあ俺たちは――俺と香はこれから俺たちの新たな道を歩んでいけるのだろうか?
それとも惰性で今までどおりの道を・・・。
「あっ、見て!あの飛行機でしょ?」
屋上の展望台で、今まさに離陸していった飛行機を香が指差した。
その機影を青空に溶けていくまで見送る背中は前より少し頼もしく見えた。
「Adios, la mia pajarita...」
槇村が小さく呟いた。さようなら、私の小鳥、と。
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ご愛読、ありがとうございました!
朝倉の最期には、別ジャンルでのルサンチマンが込めてあったりなかったり【笑】
Former/Afterwords
City Hunter
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