vol. 11 believe in love

信じてるから――それがあたしの出した結論だった。
今まで何も教えてくれなかった撩に信頼されてないんじゃないか、パートナー失格なんじゃないかと
さんざん悩み続けていたけど。

あの後、
「香さん、悪いんだけどファルコンのところに着替えとか届けてあげなきゃならないの」
「あら、じゃああたしが持っていくわ。どうせ教授のところにいく用事があったし」

大分よくなって毎日診てもらうほどじゃなくなったけど、傷の様子も診てもらわなければならない。

「もう大げさに包帯巻くことはないわね、ガーゼを当てるだけで充分。但し、傷口を濡らさないこと」
「はい」
「この様子ならさほど痕も目立たなくて済みそうだわ」

そう言ってかずえさんは傷口に薬を塗ると、サージカルテープでガーゼを止めた。

「ところで、いいの?今、冴羽さんが来てるんだけど」
「いいわ・・・別に」

傷だらけの撩の姿はとても耐えられなかった。
あの晩、教授の診察室であたしが見たのは左腕を押さえ、顔中傷だらけの撩の姿。
ジャケットの背中は爆発の際に負ったのだろう、至るところ焼け焦げだらけで
その下がどうなっているのか想像したくもなかった。せめてあたしが傍にいれば・・・
いや、あたしが傍にいたらきっと撩の足を引っ張ってしまう、こんな怪我では済まなかったはず。
あたしがもっとしっかりしてれば、撩に相応しいパートナーだったら・・・。
撩が怪我するたびあたしは自己嫌悪に苛まれる。
止めろといわれても、あたしが傍にいるべきじゃないとさえ考えてしまう。

「――香さんが羨ましいわ」

かずえさんの思わぬ言葉にあたしははっと顔を上げた。

「だって、冴羽さんが戦っているとき傍にいてあげられる。傍にいられなくても同じ世界にいられる。
でもわたしは・・・同じ世界に住めない。ミックの役に立てない。わたしにできるのは傷ついた彼を手当てすることだけ」

確かに、あたしはまだまだ半人前だけど、撩と一緒にたくさんの危険をくぐってきた。初めて出逢ったときから。
美樹さんも海坊主さんのパートナーとして戦場で、そして今も共に戦っている。
冴子さんだってかつては兄貴とコンビを組んでさまざまな事件を解決してきた。
でもかずえさんとミックは違う。出逢ったとき、かずえさんにはすでに医学という一生の仕事があって
ミックはジャーナリズムの道に残りの人生を賭けた。
あたしたちのように、公私とものパートナーとして同じ道を歩むことはできなかった。

「ミックは危険な仕事に首を突っ込んで、わたしは心配だって言ってるのにすれ違ってばっかり。
あのときも・・・あのときは危険はなかったけど、一歩間違えたら――
わたしのためって言っていたのに、わたしには何もしてあげられなかった」
「でも、かずえさんのためって言ってたんでしょう?」
「ええ・・・」
「そのときかずえさんは何をしてたの?ミックの無事を祈って」
「ミックの無事を祈って・・・実験をしてたわ
ロータスの・・・槇村さんが打たれたっていう記憶を奪う薬の解毒剤を作るために。
とてもじゃないけど何かしていないといられなかったから」
「でもなんでロータスの実験だったの?
ロータスの解毒剤が見つかればフェルナンドさんの・・・アニキの記憶が戻るかもしれない。
そうすればミックの仕事の役に立つ。そう思ったんじゃない?」
「ええ・・・そうかもしれない・・・わね」
「ならすれ違ってなんかないわよ、二人の気持ちはちゃんと通じ合ってる。
ミックはかずえさんのため、かずえさんはミックのためを思って自分のできることで戦ってる。
そうでしょ?ならミックのことをちゃんと信じてあげて」

いつの間にか、かずえさんに向かって言ってるはずの言葉があたし自身に向けられていた。

「現実に傍にいられなくても、心が通じ合っていれば、信じ合っていれば心は傍にいられる。
だからかずえさんはかずえさんのできることでミックの役に立ってあげられればいい。
ミックも、昔みたいにできないけど、だからこそ自分のできることでかずえさんを守ろうとしてるんだから」

そう、信じなくては。自分が信頼されているのか思い悩む前に。
撩がずっとアニキの死を伏せ続けていたのも、今度のこともあたしを関わらせなかったのも
総て彼なりにあたしのためを思ってのことだから。
だから信じよう、撩を。どんなことがあってもあたしを支えていてくれると。

 

 

香が、俺を信じてると言った。何も言わず、ただ信じてると・・・。
じゃあ俺は今まで香を信じてやれたのか?
香の全幅の信頼に見合うだけの信頼をあいつに置いていただろうか?
香を、パートナーとして・・・?

 

 

「忠告がある」とミックに呼び出された先は署に近い喫茶店。
すでに先方はテーブルの上に店を広げていた。ようやくこっちは謹慎明けだというのに。

「やぁミズ・サエコ。ここのパンケーキがデリシャスだって聞いたんでね。どうだいコーヒーでも。
あ、そういえばフレーバーティーの種類も豊富だっていうんだけど」
「こっちは仕事の合間を抜けて来てるの。用件があるなら早く言って頂戴」
「んじゃforeplayは無しでいいんだね?いくら痛いって言っても止めないよ」

そう言ってパンケーキを切り分ける手を止めた。
その眼はさっきまでのにへらにへらしていたのが嘘のように鋭く私を見据えていた。
良くも悪くも撩のマブダチなだけはある。こんな変わり身の速さも彼そっくりなのだから。

「アサクラとは別れた方がいい」

口元についたクリームを拭いながらミックが言った。

「なんで・・・そんなプライベートなことあなたに言われなきゃならないの?」
「だから前振りは必要だって言ったんだ・・・ヤツはカタギじゃない。少なくとも100%のカタギじゃないと見たね」
「その根拠は何なの?」
「元スイーパーのカン、かな」
「馬鹿馬鹿しい・・・」

私はオーダーを待たずに席を立とうとした。しかし、

「ミセス・アサクラの死について何か聞いてるかい?」

その背中に問い掛けられた。

「確か麻薬組織の恨みを買ったとか・・・」
「でも調べてみるといろいろ謎が多いんだよ。現地のマスコミでも話題になってたようだけど・・・
3年も経っているから真相は藪の中、だろうけどね」

馬鹿馬鹿しい。元アメリカNo.1スイーパーも落ちたものだわ、売上稼ぎのイエロージャーナリズムに踊らされて。
それでも世界的一流誌ウィークリー・ニューズの特派員なの?

オーダーを取りにきたウェイトレスに背を向け、私は店を後にした。

「まさか、ね・・・」

 

 

「まさか、な・・・」

同じ組織に属する“それ”専門の人間に聞けば、こう言った下準備にもまた専門のプロがいるらしい。
しかし私は自分で確認したかった。それは根回しと交渉専門のテクノクラートの職業病だろうか。
一応データは集める。しかし最後に物を言うのは自分の足で集めた情報だ。

――まるで刑事だな。

刑事は足が命、履き潰した靴はデカの勲章だ。なんてことを一体どこで聞いたのか判らない。
全く、この街ときたらくだらないことばかり思い出させる。そのたびにこっちは原因不明の眩暈に悩まされて
シルフの――ベンゾジアゼピン系抗不安薬の世話にならなければならないのだから。
おかげで最近ではすっかり耐性がついてしまって、5錠6錠じゃ効きやしない。

こんな組織に身を置いているが、今まで人を殺したことはない。
銃だってあくまで護身用、それも役に立ったのは数えるほどだ。
今では――というよりついこの間までは、どこに行くにもボディガードがつくほどの待遇、
身の危険が迫っても抜くまでには至らなかったのだから。

それが、ミランダを救うためとはいえ人を一人殺さなければならない。
こんな世界に身を置きながらも、心のどこかでそれに激しく抗う自分がいる。
確かに、今まで自分はたくさんの人間を死に追いやった。死ぬに等しい地獄のどん底に叩き込んできた。
しかし少なくとも直接この手を汚したことはなかった。
現金なものだが、この手さえ汚れなければどんなえげつないことさえやってのけたのだ。
それがどうした。直接この手で人を殺す。それだけでまるで怖がりの子供のように震えがきている。
銃爪にかけた人差し指にほんの少し力をかけてやれば済むことなのに・・・。

だからこそ、せめて失敗は避けたかった。少しでも不確定要素は無くしたかった。
だからこうやってわざわざ自分でターゲットの確認を行っているのだ。
でもまさか、驚いた。奴が・・・いや、当然なのかもしれない。
奴が組織の内部で今の地位を築けたのも、その立場ゆえなのだから。
ビルの屋上から職場の奴の姿を双眼鏡で確認、そしてカメラに収めた。
その顔はシンセミーリャのデュークと寸分違わなかった。

奴が職場を出た。退勤時間にはまだ早い。外で誰かと会う用事でもあるのか?
奴ほどの地位がある人間には珍しく、車を呼ばずに地下鉄に消えていった。その後を追う。
まさか自分にこれほどまでの尾行の才能があるとは思わなかった。
敵も尾行のプロだといえる。なのに奴が気づかないなんて・・・。
千代田線に乗り込み、神宮前で降りた。今日二度目の「まさか」が頭をよぎる。まさか、そんなはずは。
しかし奴の足は見慣れた――といってもまだ1週間程度の付き合いだが――風景へと近づいていく。
そして大いに見覚えのあるマンションに入っていくと、迷うことなくエレベーターのボタンを押した。
少し遅れて、もう一機のエレベーターでその階に向かうと、やはり奴がいた・・・カリプソと一緒に。
そして二人はただの知人とは思えないほどの熱い抱擁を交わしていた。

 

 

まさか面会が許可されるとは思っていなかった。

「主席監察官の河内です」
「Weekly NewsのMick Angellです。Nice to meet you」

目の前にいる男は七三にメガネ、絵に書いたようなエリートのステレオタイプだ。
だがそこにはひ弱そうな印象はない。
日本中の警察官総ての生殺与奪をこの手に握っている傲慢ともいえる矜持が黒のフレームの中に見え隠れしていた。

「でもなんでわざわざ警視庁ではなくサッチョウの監察官室に?
Mr. Angel, あなたが今追ってらっしゃるのはシンセミーリャの日本進出とそれに対する日本警察の対応、
より詳しく言えばこの度の摘発作戦の失敗について、でしたよね」
「Exactly, Inspector Kawauchi. あなた方にとってはあまりほじくられたくない話題でしょうが」
「なら我々を取材対象に据えたということは、内通者は現場の人間ではなくキャリアの中にいると?」

さすがに監察官、「警察内部の警察」だ。すでに失態の詳細も、そしてオレの動きも調査済みというわけか。

「Well, ただこの作戦は警視庁ではなく警察庁の指揮下にあったと聞きましたので。
ところで監察官はこの責任者だったアサクラ参事官とは同期だったと」
「ええ、そうですが」
「だったら職業柄、また同期の誼で彼の噂はいろいろ耳に入ってることでしょう。ぜひともお伺いできればと」

眼鏡の奥からこちらの眼を窺う。しかしこちらも本性を晒すことはできない。
キツネとタヌキの騙しあい、というのだろうか。
無言の攻防が数秒間――それは時間が止まったとも思える長さだったが――続いた後、あちらがにやりと笑った。

「ええ、彼は優秀な男ですよ。私なんかよりも数倍。まだまだ警視庁の参事官でくすぶっているような男ではありません」
「Uh-huh」
「ただ、リヨンの水が合ったんでしょうね、ICPOが。そこで彼は数々の国際的麻薬組織の摘発に絡んだと聞いています」
「hmm」
「聞いた話では余人では知りえない内部情報を掴んできて、それが手柄に結びついていたそうです。
おそらく彼独自の情報網があったのではないかと・・・いや、つい話し過ぎてしまいましたね」
「いやいや、この程度じゃ紙面の穴埋めにもなりませんよ。でも、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございます。
I appreciate your cooperation.」

インタビューが終わったというのに目の前の男は警戒を緩めない。
しかし、これで糸口が掴めたというものだ。それを手繰り寄せて、真実を掴み取る自信はあった。
マグナムにも、いや、核兵器にすら負けない真実を。

 

 

「コンパクトな銃がいいって言ってたけど」
「ああ、muchas gracias.」

仕事を頼まれても道具がなければ仕事にならない。
その肝心な“商売道具”が手元にない今、調達を頼めるのは目の前にいるこの女だけだった。

しかし、彼女を信用しているわけじゃない。この瞬間も、あの抱擁が瞼の裏をちらついてならないのだ。
彼女はシンセミーリャ内部の権力抗争においてウィザード側に与している。
それは組織に居場所を失ったウィザードの右腕を匿っていることからも明白だ。
だが、彼女にはその宿敵であるデュークとただならぬ関係にあるというもう一つの顔があった。
もちろん、色恋とビジネスは別なのかもしれない。だが、この場合は内股膏薬を邪推されても仕方がない。
いや、事実としてそうとしか推測できない。

それにしても・・・その事実以上にあのときの光景がはっきりと網膜に焼きついてしまっているのだ。
なぜ、あの光景にショックを受けなければならないのだ?まるで間男と遭遇した寝取られ男のように・・・
そんな馬鹿な、むしろ私は彼女の度重なる誘惑に辟易していたではないか。
しかし振り払おうとすればするほど、あのとき目にしたものが鮮明に甦ってくる。
艶やかな黒髪を慈しむように指に絡めながら女の口唇に自分の口唇を重ねる男。その女の顔が―― 一瞬、野上冴子に変化した。
何故?いくらカリプソと彼女の印象がよく似ているからとはいえ
彼女が誰の手に抱かれようと、それこそ私には何の関係もないじゃないか?

「大丈夫よ。わたしが銃に細工するとでも思ったわけ?」

そのやけに甘ったるく響く声は冴子のものじゃなかった。

「いや、君を疑っているわけじゃないが」
「オートマチックとリボルバー、どっちがいいか聞き忘れたから両方用意させたわ」

見ればワルサーPKKやFBIスペシャル、センチニアルに混じりコルト・ローマンも並んでいた。
しかし、手に取ろうとして躊躇した。
この場合、失敗の許されない任務の場合、使い慣れた銃を選ぶのが妥当じゃないのか?
しかし気がつけばPPKを手にしていた。

「装弾数もこっちの方が多いしな」

所詮は一発だけしか違わない。自分の耳には空しい言い訳にしか聞こえなかった。

 

 

香が、俺を信じてると言った。何も言わず、ただ信じてると・・・。

「はい、おしまいっ」

と言って香は左腕の包帯を留めた。
左腕にめり込んだ弾は上腕筋の手前で止まった。だから傷としては至極浅い、俺にしてみれば蚊に刺されたのと変わらない。
背中の火傷だって範囲は広いが軽度で済んだ。
それにこっちは普通は全治1ヶ月のところを半分の2週間で治す脅威の回復力の持ち主だというのに。
だが香はいつも傷の手当てをするとき、まるで自分が怪我をしたかのように苦しそうな眼で傷口を見つめる。
そのくせ何も言わないのだ。そして強がって、何とも思ってない振りをする。振りなのは見え見えのくせに。

「こないだまでと立場逆転しちゃったね」
「これが普通なんだろ?」

傷の手当てはこの7年間の成長の賜物か、それとももともとの資質か手際がいい。
本職の看護婦に引けを取らないほどだ。
しかし、逆に言うとそれくらいしか取り柄がないということになる。
もちろんトラップも、今や一流とは言わないまでも二流三流の奴らなら引っかかるほどの腕前だ。
気配の読み方や身を守る術といった基礎中の基礎は実戦の中で身についたようだ。

だが、それで俺の足を引っ張らないかというと答えはNoだ。
この間も、ミックの窮地を救ったのは評価してもいい。だが、目の前の三下しか目に入っていなかった。
俺が屋上のスナイパーを始末していなかったら二人とも命はなかっただろう。
初心者から一歩抜け出した頃の慢心が一番危ない。
今の香はとかく背伸びをして、自分の実力以上のことに手を出したがる。
それは命の危険と背中合わせだというのに。
俺にパートナーとして認められないなら、認めさせてやろうと無茶をして、結局は危険を招くという悪循環。
いや、初心者などというのは関係なく、大きすぎる敵に立ち向かっていくのは
無謀にも殺し屋に突っかかってきたシュガーボーイ以来の悪い癖なのかもしれない。

だが、もし俺が香をパートナーとして認め、信頼してやれば、あいつはもう無茶をしなくなるのだろうか?

 

 

玄関の鍵が開いていた。

「Buenas noces. 物騒だな、東新宿署長ともあろう者が
こんなセキュリティの緩いマンションに住んでいるなんて」


知らない口調の、聞き覚えのある声。その声の主は真っ暗なリビングの中に佇んでいた。

「フェルナンド!?」

殺風景な直接照明が侵入者の顔を照らし出す。

「一度挨拶に来ようと思ってね」

その右手には・・・オートマチック拳銃。

「あれからこっちでもいろいろ調べさせてもらった、今回の失敗について。内通者がいたそうじゃないか・・・。
おかげで組織は安泰、俺は宿無し、そしてミランダは前以上に厳しい監視の中――」
「そして警察も大失態よ。それについては内部でも調査が始まっているわ」
「自分の身の中の寄生虫も駆除できない警察に何ができる?」
「フェルナンド!」


その眼の中に宿っていたのは剥き出しの敵意。そんな眼を彼に――槇村に向けられるなんていつ想像しただろうか。
スカートのスリットの中、ガーターベルトに挟まれたナイフに手をやる。
しかし――それを掴めない。掴んでしまえば銃口がこちらを向く。銃口が向けられたら――もう元には戻れない。
今の私にできることは、ただ視線で牽制するだけ。
一体どれだけ睨み合いが続いただろうか。それに飽いたのか、フェルナンドが視線をふと横に反らす。
彼の目に入ったのはテーブルに置かれた雑誌の山、その中に開いたままに置いてあった今週号の『ウィークリー・ニューズ』。
そこには彼の写真とともに、朝倉のインタビュー記事が載っていた。
フェルナンドが小さく何かを呟いた。

「朝倉参事官がどうしたっていうの?」
「アサクラ?彼がアサクラ参事官だって?」
「そうよ、警視庁保安部の参事官。そして警察庁とのシンセミーリャ対策合同会議の責任者――」


――槇村?

ただ唇だけが動いた。彼の銃口が真っ直ぐ私に向けられていた。

「じゃあ君も奴の仲間だったというのか?」
「ええ、もちろんよ。彼は・・・わたしの上司よ」


――そして婚約者になるかもしれない。その事実はこの状況では火に油を注ぐようなものだ。

「Entonoces, eres la mia enemiga(では、君は私の敵だ)」

――殺される。私が、槇村に。その差し迫った事実に私の頭は混乱していた。
叫びだしたかった。だが喉は麻痺したように言うことを聞かない。
脚は逃げ出さねば、と思い、手はナイフを掴もうとする。しかし感情がそれを押しとどめる。
理性は活動を停止したまま。
そして視線は彼の目から反らせなかった。氷のように冷たい眼。
それはかつて同僚として、恋人として私に投げかけられていたものとは全くの別物だった。
私は槇村の手に掛かって死ぬのだ――彼は総てを忘れたまま。
死の恐怖など今まで一度も感じたことはなかった。こんな仕事で、危険と隣り合わせの毎日を送っていても一度も。
いつだって窮地を脱することができた。自分の力で、他人の力を利用して。
でもこの状況を脱する術など何も思いつかなかった。

「――だめ・・・槇村――」

喉の奥から搾り出した、かすかな声。それしか出なかった。

「槇村・・・だめよ――」

銃口がかすかに揺れる。氷のような眼に、かすかに狼狽の色が見えた。
部屋中の空気が不安定に揺れる。ほんの些細な出来事で大きく転ぶかもしれない、
ハッピーエンドか、最悪のバッドエンドか。

「さえこ〜、いるのかぁ?」

そのとき、玄関先で何も知らない能天気な声が響いた。

「おい、鍵開いてるのか?物騒だな」
「撩?」

彼ほどの嗅覚の持ち主なら部屋の中がどういう状況なのか判っているはずだ。
なのに、いやむしろ敢えてそ知らぬ振りをしてリビングのドアを開けた。
フェルナンドは銃を下ろすと開いたドアに向かって駆け出した。

「槇村?」

撩の声にかすかに振り向いた。しかしそれもつかの間、フェルナンドは撩の脇をすり抜けていった。

「おい冴子、どうしたんだ」

私はそのままソファに座り込んでしまった。立とうにも体に力が入らない。まるで小娘のように腰が抜けてしまっていた。
そしてこの状況に安心すると、改めて先ほどまでの恐怖が甦ってきた。
――まさか槇村に、いくら彼が槇村だったときの記憶を失っているとはいえ、かつて愛した男に銃口を向けられるなんて・・・。

「大丈夫だったか?」

肩を抱きかかえた撩の胸に思わずすがりついた。
――香さん、今だけは撩のこと借りてもいい?
もちろんそれは一時のものだ。今の私には泣くための場所はもうなかった。
さっきまであると思っていた場所は、彼の向けた銃口で粉々に砕け散ってしまったのだから。
“女豹”にはもう泣き場所なんて・・・いや――。

 

 

「お帰り、撩!」

午前様というわけでもないのに、香は帰ってくるなり玄関に飛び出してきた。
肝心なことには鈍いくせに妙に勘の鋭いところのある香だ、何かしらの胸騒ぎがしていたのだろう。
運良く、今日は命の遣り取りには至らなかったが。

胸に飛び込んでくると――さっきまでの冴子のように――気づいたのだろう、濡れたシャツと香水の匂いに。
香は真っ直ぐ俺の眼を見る。しかし何も言わない。俺が口を開くのを待っているのだ。
だが何も言わない、何も言えない。まさか槇村が、冴子を――。
一向に口を割らない俺に焦れたのか、香はシャツから身を剥がすと、
「そうだ。こんなに早く帰ってくるから夕飯まだ途中だったの。だからちょっと待ってて」
と普段と変わらぬそぶりでキッチンへと消えていった。

それでいいのか、香?何も聞かないで、何も知らないで、それでも俺を信じるというのか?

香が、俺を信じてると言った。何も言わず、ただ信じてると・・・。
その信頼に応えるためには、まず俺が香を信じなければならない。対等なパートナーとして。

「フェルナンドが冴子に銃を向けた」

香の足が止まった。振り向いたあいつの顔には困惑の色が浮かぶ。
しかし、次の瞬間それはふっと消え去った。

「当然だよね、アニキは――フェルナンドさんは冴子さんのことも覚えてないんだし」
「香・・・」
「せっかくミランダさんを助けるために合同作戦だったんだもの、
それが失敗したら、それも警察内部から情報が漏れてたっていうんなら、冴子さんのことを恨みたくなるのも当然よね」

――俺は香を見くびっていたようだ。
こいつはもう無謀にも俺に突っかかってきたシュガーボーイじゃない。
冷静な思慮と分別を兼ね備えた、シティーハンターの相棒なのだから。


>なんでフェルナンドの選んだ銃がワルサーPKKだったのか
だってフェルナンドのイメージは同じく田中秀幸氏演じるMI6の気障なスパイな槇兄なんだから。

Former/Next

City Hunter