「・・・腰が痛ぇ」 夜の新宿・歌舞伎町。ガードレールに腰掛けてそう呟いてみる。 痛いのは腰じゃない、この胸。 いつの頃からか女を抱いても満たされなくなってしまった。 ――多少美化入ってるかもな。 満たされない胸の隙間を少しでも埋めようとしても、かえって隙間の大きさを思い知らされるだけ。 (どうしてこうなっちまったんだろう) 一体いつ、気づいてしまったのだろうか。俺の胸の中にぽっかりと大きな穴が空いてしまったことに。 |
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vol. 3 I don't want so lonely night any more |
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うららかな昼下がり、春の陽射し差し込む窓辺でのコーヒーブレイク。 そして目の前には髪の長いもっこり美人なんて何たる至福の瞬間(とき)。 ここがタコ坊主の店じゃなければもっと至福なはずなのだが。 「へぇ、キミも彼氏と別れたばっかりかぁ」 「珍しいな」 カウンターの向こうからタコと美樹ちゃんの嫌味が聞こえるが、そんなもの気にするもんか。 「ねぇ、美樹ちゃんコーヒーまだぁ?」 随分前に注文したはずだが目の前にあるのは未だお冷のコップのみ。 「おい、タコ!ちゃんと二人分注文しただろーがっ」 そう言いながら美樹ちゃんがコーヒーを彼女に差し出した。 「美人と見れば見境ないばかりか来る者拒まず去る者追わず。 そして戦利品の美人に背を向けると俺に向かって思い切り舌を出した。 「残念だったな、せっかくサ店に連れ込んだまではよかったが」 海坊主もあの強面でニヤニヤ笑ってやがった。 「まぁコーヒーでも飲め」 カウンターに就き、出されたカップに口をつける。が、 うげぇぇえぇえぇえっ! 「苦っっっ!!てめぇ海坊主!」 美樹ちゃんの満面の笑みが、俺には悪魔の微笑みに見えた。もうこんな店出てってやる! 「冴羽さ〜ん、お代は?」
ドアベルがちぎれるんじゃないかと勢いよく鳴らしてCat'sを出ていった。 |
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「はい、コーヒー」 「あ、どうもありがとうございます、槇村主任」 「いや、おかまいなく。俺とは違って外回りで忙しいんだから」 「んじゃ、ありがたく頂きます」 と言って両手で包み込むようにカップを持った。 いくら人間関係に注意深くなっても、わざわざ教えを乞う後輩にコーヒーの一杯も出してやらないとあっては 「いつも思うんですけど」 コーヒーにはやたらとうるさい元相棒の受け売りだった。 「沸騰させて10秒、ですか。覚えておきます」 勉強熱心な後輩だこと。 「ところで、今お前が追ってる事件といえば上野の――」 上野一帯を縄張りとする暴力団の事務所が何者かの襲撃を受けた。 「確か、お前も現場を見たんだよな」 事務所に詰めていた組員11名全員が死亡、自動小銃を乱射した痕跡が部屋中に残されていた。 「確か襲われた鰐口組は結構な武闘派らしいな」 俺がしばらく留守にしている間に、犯罪の様相も大きく変わってしまったようだ。 「で、捜査本部としては奴などとの取引のもつれと見ているんだな」 確かに、ただ単にヤクザ同士の抗争ならいきなり皆殺しというのは無い。 「使われた銃はカラシニコフだそうです」 AK47、コピーも含め共産圏全域で制式採用されていた傑作アサルトライフル。今となっては懐かしい響きだ。 「どうやら素人が闇雲に撃ちまくったって跡じゃないな。 ふと目にした写真から思わず呟いた。この手の惨劇なら何度か目にしたことがあった。 「ええ、ロシアン・マフィアの中にはソ連崩壊後路頭に迷った特殊部隊員を雇ってるところも多いですので 特殊部隊崩れのロシアン・マフィア、武器取引のもつれ・・・確かにそれで説明はつく。 ――おかしいな。 「何がおかしいんですか?」 いかん、つい口に出してしまっていたらしい。みると、目の前の後輩は期待の表情でこっちを見ていた。 「大澤、確か鰐口組の本家筋は」 衆栄会か・・・この東京でも一、二の勢力を争う全国規模の大暴力団だ。 「いくらロシアン・マフィアに日本の常識が通じないとはいえ、 そんな手荒なことをするのはユニオン・テオーペかシンセミーリャくらいだが、その両方とも今は無い。 「そっ、そうですよね!」 大澤の顔は明らかに紅潮してきた。 「おそらくは取引のあったマフィアとは別組織、もしかしたらロシアン・マフィアとはまったく別の連中かもしれない。 勢いよく席を立った大澤が、面食らった表情で振り返った。 「いくらなんでも上とはまったく違う方針ってのはまずいだろう。 ここで目立つ真似をするつもりは無い、できれば一生、誰にも目をつけられることもなくつつがなく警官人生を終えるつもりだった。 |
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交差点の手前には今日も轍が店を構えていた。
「随分と空気がピリピリしてるな。まるで季節が一ヶ月戻っちまったみたいだ」 轍はいつものように視線を上げることなく、突き出された薄汚れた靴にブラシをかけた。 「ああ、それなら俺のところにも挨拶に来たぜ」 珍しく声を荒立てて轍が視線を上げた。 「いつだい、そりゃ」 あれだけ汚かった靴も、すっかり元の艶を取り戻していた。 |
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その足で伝言板をチェックして、通りにもっこりちゃんがいないか物色がてらアパートへと戻る。 6階までの階段を上りきり、ドアノブに手をかけるとあっけなくノブが回った。鍵を閉め忘れたのか。 ――それとも・・・? 思わず無責任な期待に胸を膨らませた。 玄関の三和土には女物のパンプス。ありえない期待がますます膨らむ。 ――撩、お帰りなさい。早かったわね。今日はハンバーグにしようと思うんだけど。 「冴羽さーん、お帰りなさい♪」 台所に足を踏み入れると、甘い期待は音を立てて崩れ去った。 「かすみ・・・ちゃん?」 今は一線から離れてるとはいえ、泥棒稼業の彼女には我が家の鍵なんて朝飯前に違いない。 「ちゃんと部屋片付けてるんですかぁ?埃っぽかったから部屋の方掃除しときましたよ」 見ればリビングからも今までの自堕落な生活が一掃されていた。 「ところで冴羽さん、今晩何がいいですか?あたし、ハンバーグの材料買ってきたんですけど」 それでも不満そうにほほを膨らませていたが、若い娘らしく素早い立ち直りで 「豆、どこにあるか――」 そう言って置き去りにされたままのミルに豆をあけた。 「ところでかすみちゃん、いくつになったんだっけ?」 酸っぱすぎず熟れすぎず、まさに食べごろというお年頃。 「じゃあ確か修士の――」 それで鬼のいぬ間に就職活動ってわけね。 「はぁい、コーヒー入りましたよぉ」 久々のまともなコーヒー。しかもついさっきCat'sでコーヒーともいえない超エスプレッソを出されたばかりだ。 「ちゃんといつもの豆――香さんがいつも買ってってる豆を使ってるし、 小さな変化に気がついたのか、言い訳を並べ立てた。 「――帰れ」 そう言った声は自分でも背筋がぞっとするほど寒々としていた。 「もう一度言う、帰れ」 その言葉にかすみはしぶしぶエプロンを外すと、逃げるように部屋を去っていった。 「かおりぃ・・・」 限界だったのかもしれない、自分の心に嘘を吐き続けるには。 俺はこんなにも香を求めていた。しかしそれは、今となってはもはや手に入れることは叶わないもの。 |
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「マスター、美樹さん、遅くなりました」
いつもより少し遅れて店に来たかすみちゃんはなぜか意気消沈していた。 「あたしって、そんなに魅力ないかなぁ」 まるでいつかの誰かさんを見ているようだ。 「かすみちゃん、残念だったわねぇ。本当は覗き見するつもりなんかなかったんだけど それで遅くなるって連絡入れたわけね。一方、それを聞いたかすみちゃんはさっきの消沈ぶりはどこへやら、 「――冷戦構造、または最近の民族紛争」 「共通の大きな敵がいなくなると、それまで小異を捨て結束していた仲間同士が反目しあうことなんぞ、歴史上いくらでもある」 さすがファルコン、含蓄あるお言葉。それよりも、大きな犠牲を払ってだけどようやく平和になったこの店で |
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香のいない部屋になんて、帰ってきたくはなかった。 そんなことで解決できることじゃないというのは百も承知の上。 だがもはや真夜中、酔いつぶれて帰ってきても誰もいない部屋に耐えられそうもなかった。 とりあえずこの胸の隙間を手っ取り早く埋めたかった。そんなもので埋められるなんて端から考えてなかったが。 俺はその夜、浴びるように酒を飲み、女を買った。 |
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日が高くなる頃ようやく部屋に戻って朝寝を決め込んでいると、ドアを手荒にノックする音が聞こえた。 開けるとそこに冴子が立っていた。 「7階建てのくせにエレベーターが無いなんて建築基準法違反だわ。途中で転びやしないかヒヤヒヤしたわよ」 ヒールの高さは前とさほど変わらないが、ピンヒールが随分太めになっていた。 「だったら上がれよ。で、何の用だ」 何も言わずに冴子は一枚の写真を渡した。 「アリサじゃねぇか。あいつ、齢サバ読んでやがったな」 昨日の今日だ、犯人はあの連中に違いない。 「撩、殺されたのが香さんじゃなかったってほっとしてたら大間違いよ」 そんな俺の心を見透かしているかのように冴子が言い放った。 「卑怯よ、撩、あなたは」 おおよそ今年の秋には母親になるとは思えない憤怒の相で俺を怒鳴りつけた。 「もしわたしが身重じゃなくても同じくらいあなたを怒鳴りつけたと思うわ。 そう言っていつもよりやや鈍いヒールの音を響かせて、彼女は階段を下りていった。 「子供が生まれてもあなたには絶対抱かせないわよ」 との捨て台詞を残して。いいさ、お前と槇村のガキの顔を見れなくても。 |
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>かすみちゃん |