――思う通りにゃそりゃいかぬ
   恋も人生も・・・

北野ユカの人気シリーズ『警視庁の女豹』シリーズは
死んでいたはずの彼女の恋人・槇原の奇跡の帰還というウルトラCで大団円を迎えた。
彼は麻薬組織『紅いペガサス』に殺されたはずだが、実は記憶を奪われ、心ならずもその一員となっていた。
そして組織の人間と刑事――敵と味方としてサヨコと再会する。
かつての恋人を奪還しようと警察組織からはみ出しそうになりながらも独り奮戦するサヨコ、
一方で槇原もこの街に眠る記憶に引き裂かれそうになる。
最後は他社の人気シリーズ『都会の始末屋』 の主人公である冴木涼を巻き込んでの『紅いペガサス』との全面対決。
そして少女小説らしく悪は滅び、槇原は記憶を取り戻しかつての恋人は7年ぶりの奇跡の再会を果たした。

しかし、現実は「めでたしめでたし」で終わってくれないのだ。


vol. 2 after the "Ever After"


今の自分は限りなく飼い殺しに近い状態だった。
それはそうだ。冴子も俺も警視庁のトップシークレット――朝倉参事官の正体――を知ってしまっているから。
そのことについてはシンセミーリャ絡みでスクープを連発していたウィークリー・ニューズにも結局載ることはなく闇に葬られた。
異例ともいえる復職を果たせたのも、野上前総監の尽力があったからとはいえ
半分以上は生き証人を中に囲い込んでおこうという魂胆だろう。
10年間に及ぶ超長期潜入捜査という名目を立てて。その『英雄』を冷遇するわけにもいかず、
内外からは怪しまれないように昇進、本庁特捜課に栄転ということになった。
しかしそこで俺を待っていたのは『英雄』とは程遠い扱いだった。

一応ここでは主任という肩書きがついている。しかし部下は与えられていなかった。
与えられた仕事というのは――調書の下読み。
特捜で扱う事件は他の部署では解決しきれないようなものが上がってくるのがほとんどだ。
その際に他から一緒に上がってくる膨大な枚数の調書をいちいち読んで要点をまとめる、
こんなあってもなくてもいいような仕事が今の仕事だった。しかし、逃げ出すわけにはいかなかった。
もし警察を辞めてしまったらそのときは彼らの思う壺、
何の後ろ盾もなくなった俺をあの手この手で社会的に抹殺するか、文字通り抹殺してしまうだろう。
そうなったら今度は冴子にも累が及ぶ。こんな俺と一緒になってくれたのだ、だから彼女まで巻き込みたくはなかった。

だが、こんな仕事でも半年近くこなしているとそれなりに面白くもあり、一定の成果も上がってくる。
こんな嫌がらせみたいな仕事、適当に片付けてりゃいいんだと元相棒なら苦笑してしまうだろう。
だが、どうしてもその適当というのができない性分らしい。
膨大な調書を読み込むのにわざわざ残業して、緻密な報告書を書き上げるのもしばしばだった。
そしてときに、そこから事件の糸口を掴むことすらあった。

「さすが『伝説の男』ですね。今回の事件も槇村主任のメモがなかったらお宮入りでしたよ」

そう言う若い刑事は部下というわけではない。大澤という、この4月に特捜に入ってきたばかりの新米だ。

「もちろん特捜課の一員になるってのも嬉しかったんですけど、
一番嬉しかったのはあの『警視庁の生ける伝説』と同じ職場で働けるって方でした」
「何だい、その『生ける伝説』ってのは」
「知らないんですか?ご本人が。『伝説のアンダーカバー』、『歩く伝説』、
その他いろいろヴァリエーションはありますよ」

どうやら『歩く伝説』が勝手に一人歩きしているらしい。

「やっぱ槇村さんほどの経験を詰まれた方は調書を読む視点も違うんでしょうね」

調書を読む視点、か。確かに他の刑事とは違うだろう。
読んでいる中でも「何でこんな簡単な事件がこっちに上げられてきたのか」と疑問に思うものもある。
しかしそれは、自分が読みながらついつい反対側の、犯罪者の眼で見ているからだろう。
刑事の側からでは見落としてしまうことも、同じ犯罪者の側からなら容易に見つけられることもある。
だがこの眼を他の刑事に要求することはできないだろう。
これは元刑事でありながら、心ならずもそれと敵対する側に身を置いた自分にしかできない芸当、
そして暗黒ともいうべき7年間のわずかばかりの代償なのだから。

「だから課長にも槇村さんに読み方教えてもらえって」
「課長が?」

思わず上座のデスクで部下に説教を垂れている初老の刑事に眼が行った。
北方課長は叩き上げながらエリートぞろいの特捜課の課長となった、俺以上に伝説の人物だ。
そして冴子もまた特捜課時代に彼には大分世話になったようだ。

「多少取っ付きづらい人かもしれないけど、必ずあなたの力になってくれるはずよ」

特捜課勤務が決まったとき彼女はそう言った。しかし今まであの人が俺の肩を持ったことがあっただろうか。
決して悪し様にはしないながらも良く言えば中立、あからさまに言ってしまえば冷淡、無関心だった。
それはそうだ、こんな扱いにくい不発弾みたいな部下、自分だったら触らぬ神に祟りなしだ。
それが人間の本性というものだ。その課長が、何で彼を俺に・・・?
昔に比べて人を信じられなくなっているのかもしれない。
それが好意によるものか、それに見せかけた悪意なのか、捻くれてしまった自分には見当がつかなかった。




「ねぇねぇそこのおねぇさぁん、おいしいナタデココのお店知ってるんだけど、いっしょにどぉ?」

春になると赤ん坊のような声で啼く猫と一緒に、この手の男も増えてくる。
ま、でもこの男は年中発情期みたいなものだけど。

しばらくぶりにこの悪しき新宿の名物男も戻ってきた。麗香に聞いた話だと、ここのところ珍しく仕事で忙しかったそうだ。
あの労働意欲の「ろ」の字もないような男が、いくら依頼人が美人だからとはいえそれほど勤勉に働いていたというのは
そうせずにはいられないような何かがあってのことだろう。

とはいえ、あの『新宿の種馬』が戻ってきたというのに
今や彼とワンセットとなった『ハンマー娘』がいないというのが物足りなく感じてしまう。

「もうっ、今どきナタデココなんて古いのよ!」

もっとも、彼女がいてもいなくても結果は同じなのかもしれないが。

「野上署長、いや、槇村署長とお呼びした方がよろしいでしょうか」

おべんちゃらが見え透いた声に窓から視線を移した。

「副署長。仕事上は野上で通すと言っているでしょう」
「いやいや、でも今度のことはプライベートなことですから。署長、おめでとうございます」

あらあら、一体どこから漏れたのかしら。

「此度のことではさぞかし前総監もお喜びのことと――」

確かに妊娠を知らせたとき、父は妹たちが生まれたとき以上に大騒ぎだった(まだ生まれてもいないのに)。
おそらく野上家の跡取りという自分の果たせなかった夢を生まれてくる孫に託しているのかもしれない。
といっても槇村は婿養子に入ったわけでもないし、この子はあくまで私たちの子供なのだが。
それでも、どんな欲得ずくの算段があろうとも、こうして子供の誕生を喜んでくれる人がいるというのはそれだけで幸せなことだ。
しかし、今の自分にはそのことを素直に喜べる余裕は無かった。
できることなら、誰かの不幸の上で幸福になりたくはない。
あの馬鹿男と義妹のことを何とかしない限り、自分自身のこととはいえ喜ぶことはできなかった。




「ねぇ絵梨子、一生のお願いなんだけど・・・」

どこかで聞きなれた台詞を口にしながら、親友はおずおずと頭を下げた。

「本当にあたしのところでいいの?ここであなたができる仕事っていったら――」
「絵梨子しか頼る相手がいないのよ!」

これじゃ普段と正反対だ。慣れない状況に当惑しながらも、私は香の頭を上げさせた。

「冴羽さんと別れてアパートを出たってのは聞いたけど、まさかお兄さんのとこも?」

死んだと聞かされていた彼女の兄――秀幸さんが帰ってきたと聞いたのはおよそ1年前のこと。
彼についてはまだ高校生のときにチラッと会っただけなんだけど、
よれよれの背広やコートが多少(というか無性に)気になったということを覚えているくらいだったのだが。

「まさか、あたしが勝手に出て来てきたの。冴子さんに子供が生まれるっていうし・・・」

長い付き合いだ、いつも他人のことばかり気を使って逆に使いすぎてしまう親友のこと、
兄夫婦の引止めにも耳を貸さずに出て行ってしまったのだろう。

「判ったわ。寝場所だったら部屋が見つかるまでいてもいいわよ。でも仕事っていっても――」
「・・・あたしの履歴書、空白なの」

思いつめた口調でそう切り出した。

「アニキがいなくなってからずっと。最近じゃ大学生も就職難だっていうし、こんなあたしが雇ってもらえるわけないよね」
「そんなこと・・・いくらだって書きようがあるじゃない。ほら、『冴羽商事従業員』って書いておけば嘘じゃないでしょ」
「でも面接で聞かれたら・・・」

そう、彼女は嘘がとても下手だ。これは高校生のころから今までずっと変わらない。
あることないこと言い逃れるのは香にとって無理な話だった。
自分自身には知らず知らずのうちにずっと嘘をつき通しているのに。

「昔はね、本気で転職考えたこともあった。ほら、仕事はめったに来ないし撩もあのザマでしょ?
まだあのころは景気もよかったし。でもそんなこと思わなくなって、あたしの居場所は撩の側だって
ずっと側にいられるって思ってたのに・・・」

うつむいた背中が小刻みに震えていた。顔を見せようとはしなかったけど、明らかに香は泣いていた。

「――判った。これで専属モデルになってもらえる――」
「絵梨子!」

赤い目で私を見咎めた。

「と言いたいのは山々なんだけど、とりあえず香には事務的なアシスタントをやってもらうわ。
今まではミカちゃんにやってもらってたんだけど、一応あの子本職はデザインでしょ」

顔は出せないというのは今まで散々二人から聞いた話だし、もともと彼女がシャイなのは親友として重々承知。
こんな形でしか力になれないけど、香の役に立ちたかった。
もはや彼女の居場所が表の世界にしかないのなら、そこへと送り出すのが私の役目だから。




「撩ちゃんまた来てねぇ」
「うんうん、来ちゃう来ちゃう、明日も来ちゃう」
「えぇ〜、いいのぉ?香さんが怒ったりしない?」
「いーのいーの、アイツのことなんてほっといて」

鬼のいぬ間の何とやら、これが毎晩続くとなるとまさしくこの世の天国だった。
しばらく伝言板を見に行くのも嫌なほど仕事が続き、呑み代なら充分ある。
もうあいつにツケだのなんだのとうるさく言われる筋合いはない。
それにさんざん呑んで帰ってきてもハンマーに出迎えられることも、待ちくたびれた香の寝顔に出迎えられることもない――
と思うと、なぜか胸がちくりと痛んだ。

(いかんいかん、何を感傷的になってるんだ。せっかく香から解放されたというのに)

どうやらまだまだ呑み足りないようだ。次の店を求めて、ネオンの届かない裏通りを歩き始めた。
だが、人通りの滅多にないこの通りに俺以外の足音が響く――それも結構な大人数。
歩みを止めると足音も止んだ。耳を澄ます――表通りの喧騒の合間に、日本語以外のささやき声が混じる。

(なんだよ、東南アジア系かよ)

日本経済が落ち目といえども黄金の国・ジパング目指して今もなおアジア各国から
合法、非合法合わせて多くの人間がこの街にも流れ込む。彼らの言葉をメインストリートで聞くことも増えた。
が、語学に堪能な俺もこっちのほうは鬼門だった。いくら小さな国にも彼ら自身の母国語というのがあり
それは互いに似た響きを持っているにもかかわらず全く別物だという。
ましておおよそ俺には解読不可能な文字をそれぞれ持っているというのだからその時点でお手上げだ。
もっとも、タイやらフィリピンやらのもっこりちゃんとお近づきになれたならそんなアレルギーは一気に吹っ飛んでしまうだろうが。

でも野郎は別だ。それも俺を付け狙っている連中ならなおさら。

「おい、お前ら、日本に来るんなら日本語ぐらい多少勉強しておくのが礼儀ってもんだろ」

いつの間にかすっかり取り囲まれているらしい。発せられる殺気は素人に毛の生えたような不良外人とは全くの別物――
プロだ。それも不思議じゃない、あの辺はほんの10年かそこら前まで内戦やら冷戦の代理戦争やらで
人口の多くが銃を握らされていたのだから。だがその内でも奴らは精鋭――!
声もなく一斉に襲い掛かった。
ひぃ、ふぅ、みぃ・・・闇に光る銃器の数からして多勢に無勢なのは目に見えていた。
これよりも大人数の、それも精鋭ぞろいを相手にしたこともある。その結果、今俺は生きている。
だが、ここで野垂れ死ぬのも悪くない、心のどこかでそう思っていた。
もっとも、この程度の奴らに殺されるシティーハンターじゃないというのは誰よりこの俺が一番よく判っていたが。

「さぁ、かかって来いよ」


>『都会の始末屋』シリーズ
二次創作ではこのタイトルが事実上のデフォルトですよね。
んで主人公の名前は『冴木リョウ』
じゃあなんで『リョウ』に『涼』の字を当てたかというと・・・お判りですよね?
店主が大沢在昌ファンだっていうことは。

Former/Next

City Hunter