深夜の東京湾、そうじゃなくても埋立地の夜は早い。 ルーフから身を乗り出して周囲を確認する。手には私物の暗視装置付き双眼鏡。 |
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vol. 11 True Love, True Life |
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「運河付近に警察の警備車両発見。おそらくあの中に特殊部隊が乗っているものと思われます」
黒塗りのバスと、黒を基調とした彼らの出動服はノクトヴィジョン無しでは夜の闇に紛れてしまうだろう。 「槇村、いいもん持ってるじゃねぇか。『潜入捜査』時代に買ったやつか?」 そう北方課長が声をかけた。この人は一体どこまで俺の過去を知っているのかと、ときどき思うことがある。 「野上か?いや、今は槇村夫人だな」 スライドドアを開けて乗り込もうとする彼女に手を差し伸べる。結構車高がある。 「それで状況は?」 「あ、すいません」 さすがに冴子は課長との付き合いは俺より長い。 「ところで、連中の配置はどうなってるんだ?」 「この埋立地は4本の橋と2本のトンネルで外部と結ばれてます。 暗い車内で地図の上を小さなマグライトで照らしながら説明する。 「それで、こっちは?」 「ああ、こっちは奴らの配置を俺なりに予想してみたものだ」 もし俺があっちの陣営にいたならどう部隊を分けるだろうかと考えてみただけのこと、 「お、どうやら連中が動いたようだ」 その声に再び立ち上がって双眼鏡を覗く。 「始まったようだな」 遠くのマズルフラッシュがまるで花火のようだ。今まではプロを相手に善戦しているようだ。 ――心配するほどのことはなかったか? 指揮を執るのはあの落合、なかなかの策士だ。 突然、視界の隅で巻き起こる爆発。とっさに双眼鏡から目を離していないと視神経が焼きつくところだった。 「橋が落ちた・・・」 それだけでない、それと同時にトンネルの出口が崩落した。これでもう彼らは袋の鼠だ。 「万事休す、だな」 思わず高価な双眼鏡をバンの天井に叩きつけた。 「ああ・・・くそっ」 「埋立地は今も工事中よ、刻一刻とその形を変えつつあるわ。 「その地図は?」 そう言うと、肯定も否定もせずに冴子は微笑んだ。 「ここなら入口はすぐそこよ。だから増援を送れば――」 課長の罵声が飛んだ。幸い、それは自動車電話の受話器に向けられたものらしい。 「どうしたんですか」 いらいらとした手つきで咥え煙草を灰皿に押し付けた。 「勝島の八機に電話したが、あのチビ 何てことだ、これでは増援は望めない。 「Hijo de puta(あの馬鹿が)...!」 思わず当時の言葉で小さく罵る。質で劣るが機動隊を投入して数で勝負という手もある。 そのとき、北方課長が自動車電話を差し出した。 「お前さんには切り札が残ってるんだろう?」 そして俺は悟った、すべてこの人はお見通しだったということを。 |
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今夜ばかりはいくら呑んでも呑んだ気がしなかった。酔うに酔えない。 これでは呑み代の無駄だ、と香が知ればどやすだろう。 おそらく引っ掛かっているのは槇村のこと、 あいつが戦場で無力感に苛まれている最中にひとり酔ってなどいられないのだから。 あいつは起きて待っていた。 「今日はずいぶんと早かったんじゃない」 行ってもいないキャバクラのホステスの名前を挙げてみた。 そのとき、電話のベルが鳴った。 「いい、俺が出る。――ああ、槇村か。 受話器を置くと香がなおも俺を見つめていた。だがその眼は心配そうに潤んでいた。 「お前のせいじゃない」 そう言ったところで嘘になる。 「撩、あたしも連れてって」 その瞳は涙に濡れながらも強い輝きを放っていた。 「ナーガのところに行くんでしょう?だったらあたしも連れてって! たとえ体は傷つけられなくても、シティーハンターのパートナーとしてのプライドが踏みにじられたのだ。 「なぁ香」 宥めすかすようにソファに座らせる。 「お前は強いよ」 彼女の目から一筋の涙がこぼれた。 「俺がお前を守ってるように、お前が俺のことを守ってるんだよ。判るか? あの度重なる悪夢から俺を助け出してくれたのは香の与えてくれたぬくもりだった。 「お前が笑っていてくれればそれでいい。笑っていてさえくれればそれだけで俺は嬉しいんだ」 香の笑顔が、香の存在そのものが俺に幸福というものを教えてくれたのだ。 「だから香、お前の笑顔を俺に一生守らせてくれないか?」 そして頬に手を当て、そっと口づけた。 「続きは帰ってきたらだ、な」 そのまま瞼が落ち、ソファの上に崩れ落ちた。 ――だから、必ず生きて還ってくる。 そのためにはこうする他はないのだ、二人揃って明日という日を迎えるためには。 |
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真っ赤なクーパーがヘッドライトを点けずにゆっくりやって来た。
「香は?」 ひとり運転席から降りてきた撩に尋ねる。 「家に置いてきた。もちろん留守番もつけてある。 正規の軍隊ならともかく、神出鬼没を旨とするゲリラたちがお荷物に過ぎない捕虜など取っただろうか。 「それで、どこから中に入れるんだ?」 冴子が少し離れたフェンスの囲いまで案内した。 「この下にライフラインの管理用のトンネルが走ってる。ここはそれの通気口よ」 小さな囲いの中には土管が半分土の中に埋まったようなものが地面から生えていた。 「ここから二つ目の同じような通気口が、廃工場の裏手にあるわ」 ポルシェのボンネットに地図を広げ、マグライトで照らし出された視野を指し示す。 「撩、あなただけが頼りなの。必ずナーガを倒してきて。香さんのためにも・・・」 撩は金網を外すと、足からその中に入っていく。そしてその姿は穴倉の中に消えていった。 「槇村、電話だ」 ひとりバンに取り残された課長が身を乗り出した。車内に戻り、受話器を受け取る。 《シティーハンターが来たようだな》 撩の言ったとおりの声だ。少なくとも俺より若いのではないだろうか。 《彼とまた闘えるのが楽しみだよ。今度は一対一でやりあえるからな》 受話器の向こうから笑みがこぼれた。その声が癪に障る。 「ナーガ、今の撩には香がついている。たとえそばにはいなくてもな。 そこまで言い捨てて電話を切った。 |
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肩幅ぎりぎりの狭い縦穴を降りていくと、天井の低いトンネルへとたどり着いた。 ここから二つ目の縦穴か。地図は頭の中に入っている。 トンネルの壁には何本もの管が並んでいる。その一つひとつに電線やガス管が入っているのだろう。 聞こえるのは自分の足音のみ。真っ暗闇では距離の感覚も掴めない。 二つ先の通気口がすぐそこにあるのか、それとも果てしなく遠くなのだろうか。 いずれにせよ、その先にナーガがいる。そう思うだけで全身の血がふつふつと沸き立った。強敵とやりあえる興奮。 だが、今はそれだけではない。 目を瞑る。 |
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「静かね・・・」 「ああ・・・」 俺たちはまたも暗い車内で息をひそめていた。だが、今は無力感は無い。 「なぁ槇村」 その穏やかな静寂を破ったのは課長だった。 「お前、仲間に恵まれたな」 そうはいっても、やはり同じようにバトンを冴子にも託されたところだ。正直荷が重すぎる。 「この半月、お前さんの実力はしっかり見定めさせてもらった。それとその前の半年の間もだ。 あの現場に出ることのなかった日々の間も、北方課長は俺に眼をかけ続けていたのか。 「若いヤツだってお前のことを慕ってくれてる。 彼の名前を出されてしまっては引き受けざるを得なくなる。 「それより今はお前さんの親友の活躍を見届けにゃならん」 そうだ、あいつは俺以上の重荷をたった一人で背負っているのだ。 ――撩、お前にしかできないんだ、 香の笑顔を守るのは。 |
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通風口を上がっていくにはロープも梯子も必要なかった。 両手両足を壁につけて一歩一歩体を支えながら登っていく。金網も内側から蹴とばしたら簡単に外れた。 目の前にそびえる建物は、確か地図によれば工場の管理棟。 中の様子は、大きな機械類はすべて撤去され広い空間となっていた。 「誰だ!」 誰何の声は奴らの母国語だった。 「日本に来るんだったら日本語ぐらい勉強してこいよ」 がらんとした工場に奴の声が響く。 「奴は私の獲物だ。よく来たなシティーハンター」 多少誤算だったのは、奴の立っている位置がほぼ俺の対角線上だったことだ。 「今まで退屈だったよ。優秀な日本警察の誇る特殊部隊と聞いて楽しみにしていたが 下を眺めればあちこちに動かなくなった隊員たちが転がっていた。 「これなら自衛隊のレンジャー部隊でも連れてきてもらった方がよっぽど手応えがあったよ。 廃工場にナーガの高笑いが響く。 「そうすることで己の生を実感しているつもりか」 ナーガが銃を抜いた――ブローニング・ハイパワー。 轟音とともに放たれたマグナム弾はむなしく追い風になびく奴の髪を幾筋か切り裂いただけだ。 「確かにリボルバーはジャム(排夾不良)が無い、銃爪を引けば確実に弾が飛び出す。暴発もしづらい。 さすがはハイパワー――世界で初めて弾倉を二列の『ダブルカアラム』とし、 「ナーガ、あなたの相手はあたしよ!」 重い鉄の扉が音を立てて開いた。そこに立っていたのは、 「香・・・」 その足取りは薬を与えられたとは思えないほどしっかりしたものだった。 「何でここに――」 こいつを見張りにつけていたのは間違いだった。香に懇願されたらこいつが聞き入れないはずがない。 「撩、これはあたし自身の問題でもあるの。 彼女の眼は真っ直ぐに俺を見つめていた。 「あたしは女神様でも何でもないわ、そんなことできない! 香の唇には――血の出るほど噛みしめた跡。 香がゆっくりとローマンを構える。 「もし目の前で恋人が殺されたなら、そのときは愛だの幸福だのと言っていられるかな?」 パイソンで奴の右手を狙う。ハイパワーは2.5m下のコンクリートの床へと落下した。 「撩、邪魔しないで!」 俺を見る目の焦点すらおぼつかない。 ガラスの割れる高い音、それとほぼ同時に銃声が響く。 割れた窓ガラスの向こう、倉庫の屋上に二つの人影が見えた。 香の手がパイソンから離れると、そのまま地面に座り込んだ。 終わったのだ、悪夢が。 |
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生きるか死ぬかの緊張感で睡眠薬の効果が飛んでしまったのか 埋立地から新宿へ戻る道すがらも香の目は冴えたままだった。 もともと即効性は強いが、それだけ持続作用には欠けたやつだ。とっくにその持続時間は過ぎてしまっていたのかもしれない。 あの後俺たちはミックの用意したモーターボートを拝借して埋立地を脱出した。 薬の効き目が切れたとはいえ、階段を上る香の足元は弱々しい。 あのとき狙撃手のそばにいたのはナーガの実兄だと槇村は言った。 「いくらシティーハンターとそのパートナーが相手でも 槇村がそう呟いた。その気持ちは俺にも判らないことはない。 「俺だって一歩間違ってたらこうなっていた。香を助けるためだけに警察を利用してきたんだからな」 だが、これでよかったのだ。 「コーヒー、飲むか?」 部屋に戻ってきて、一言も交わさずソファに座りこんでいた。 「あ、あたしが淹れる」 ――俺はそれでよかった。だが、香はどうなのか? 牛乳と砂糖をいつもより多めに入れたものを香の前に置いた。 「これで・・・よかったのよね」 その言葉は俺への問いかけというよりも自分自身に言い聞かせるようだった。 「本当は怖かった、銃爪を引くのが――あっちは丸腰、あたしが銃爪を引きさえすればナーガは死ぬ・・・ これが香なのだ。たとえ憎むべき敵であろうとも、 「撩も・・・怖いの?」 だからこそ、俺もまた人間であることを思い出させてくれる。 「そりゃ、怖くないわけはないさ。だが、仕事だからな」 すると香はふっと顔をほころばせた。それは嘘の無い笑みだった。 「もういいの。だって復讐は済んだから・・・あのとき、ナーガは震えてたわ」 震えてた・・・ナーガが? 「あのとき、自分一人じゃ照準も合わせられないほどだったけど、でも彼の様子だけははっきり見えた。 いや、それだけじゃない。あのような真っ直ぐな眼を、 「でも、撃たれたとき――銃弾が頭にめり込んでいったとき、一瞬・・・彼、笑ったわ」 そう、これでよかったのだ、誰にとっても。 「そうだ、香ちゃん」 不意打ちのようなキスを落とす。 途端に全身が真っ赤になる。だが、この機を逃せば後はもう無いかもしれない。 |
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ようやくこの二人をくっつけることができました【汗】 |