――woo keep your smile, woo keep your dream
  woo keep your life, woo keep your love

あれから同じ夢ばかり見る。香を凌辱しようとする――もう一人の自分。

「香を放せ!」

そいつに向かって銃を向ける、しかし銃爪を引くことはできない。まるで腕をがっちりと掴まれたかのように。
奴は俺に向かって凶悪な笑みを浮かべた。
これが俺なのか?これこそが俺が香に対して望んでいたことなのか?
血に飢えた眼が俺の本性を見透かすように光る。

奴に組み敷かれた香の瞳がまっすぐ俺を見つめていた。そして――こともあろうに微笑んで見せたのだ。
それは俺を安心させるための強がりの笑みじゃない。柔らかく、包み込むような――
ああ、俺はよっぽど弱り果てた表情をしていたんだろう。
香の慈愛に満ちた瞳に俺も笑みで返した、心配しなくてもいいと。
そのときナーガも見張りももう一人の俺も霧のようにすべて消えていた。
世界は俺と香だけ、穏やかなぬくもりが二人を包みこんでいた。


vol. 10 壊れないものが愛なら


目が覚めると、ベッドの中には相客がいた。

「香・・・?」

夢の中のもう一人の俺に変じてあいつのことを襲っちまったかと一瞬ひやりとしたが、彼女の衣服に乱れはない。
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、いくら悪夢にうなされていたとはいえ、据え膳に手が伸びなかった己の憔悴ぶりを嘆いた。

とはいえ、こんなに穏やかな朝を迎えられたのはいつ以来だっただろうか。

香の与えてくれた温もり――それは遡ろうにも記憶以前まで追いかけなければならないものだった。
だが彼女はもう忘れてしまっていたそれを俺に思い出させてくれたのだ。
一歩間違えばこっちの命が無かったような遣り取りの後、香の待つ部屋に帰ってくるたびに
――どんな真夜中だろうともあいつは待っててくれていた――戻ってきたという感覚を覚えるのだ、日常に。
そして今、自分が生きて還ってきたという実感が心の底から湧き出すのだ。
それは一瞬たりとも心身ともに休まることのない闘いの中では決して感じることのできない幸福だった。
だが俺はその幸福を心おきなく享受できなかった――その資格は自分には無い、こんな人殺しには。
そして資格のない以上、いつかそれは奪われる。そのとき、今以上の不幸に突き落されるよりは――。

太陽はいつもの朝より低い、まだ世間では朝と呼ばれる時間帯だ。だが意識はいつもの『朝』以上にはっきりと醒めていた。
とにかく、香の目が覚める前にベッドを抜け出した方が身のためだ。
目を開けた瞬間鉢合わせなどしようものなら『恥じらいハンマー』100tだけでは済みそうもない。
とはいえ、カラスに追い散らされる前の小鳥の歌を聞きながら、晴れやかな気分でそっと階段を下りていった。




そのドアベルの音はいつも通りにもかかわらず、久々に聞いた音色だった。

「香さん、もう大丈夫なの?」
「ええ、もうすっかり。美樹さん、海坊主さん、いろいろご迷惑をかけました」
と言って微笑む。その傍らに立つ冴羽さんの表情からも翳りが少し消えていた。

「Congratulations, Kaori!」
「よかったわね」
「おかえりなさい、香さん!」

彼女の回復を待ち構えていたかのように、Cat's Eyeには常連たちが集まっていた。

「伝言板は見てきたの?」
「ええ、久しぶりにね。でも相変わらず依頼はゼロ。このままじゃ本当に干上がっちゃうわよ」

そう愚痴をこぼしながらも笑みを浮かべる彼女は私の知る香さんだった。

「はいこれ、あたしからの復活祝い」
とコーヒーカップを差し出す。

「ありがとう、美樹さん。わぁ、いい匂い・・・」
「ブルーマウンテンを少しだけブレンドしてあるの」
「いいの!?そんな――」
「いいから、お祝いだからあたしの奢り」

じゃあ、いただきますと一口つけた。そして馥郁たる香りを味わっているようだ。

「けっ、ロクにコーヒーの味を知らないヤツにブルマンなんてもったいないんじゃねぇの?」
なんて言う冴羽さんにはいつもの苦めのマンデリン。

「でもナーガにさらわれて、冴羽さんも一度救出に失敗したなんて聞いて、どうなることか心配だったけど
こうして無事に帰ってこれてあたしも本当に嬉しいです」

詳しい事情を聞かされていないかすみちゃんの言葉に香さんは一瞬眉をひそめたが
すぐ――誰にも気づかれないほどすぐにいつもの快活な表情に戻った。

「だが、香が帰ってきただけではまだ何も終わってないぞ」
「ファルコン!」
「これだけの面子が揃ってるんだ、今後の話をするにはいい機会だろう」

だが、これからの話は香さんのいないところでするべきでは・・・彼女の方に眼をやると、

「いいわ。あたしだって当事者の一人だもの」
と決然たる口振りで言った。

「なら、異論は無いわね」

すかさず冴子さんがこの場を仕切る。

「確かに冴羽さんとファルコンや美樹さんのおかげでナーガたちに壊滅的な被害を与えられた。
でも完全に壊滅したわけじゃない。未だにナーガ本人は行方不明、警察もまだその足取りはつかめてないわ」
「ああ、こっちも持てるconnectionを全部使って奴を追ってるが――」
とミックは大げさに肩をすくめて見せた。

「とにかく奴を探し出さないことにはな。あいつとの決着はまだついてない」

そう言って冴羽さんはコーヒーを一口含む。その口調には気負いが無かった。
あのとき、香さんを取り戻す前にここに来たときは緊張の糸が張り詰めすぎて切れてしまいそうなほどだったのに。
もちろん口調は静かだったがその眼には強い光が宿っていた。

「でもどうやって――」
「待つのよ」

麗香さんの言葉をぴしゃりと遮ったのは香さんだった。

「彼の狙いは撩よ、ナーガ自身も撩との決着を望んでいる。なら彼の方から接触してくるわ」

その落ち着いた物言いは被害者のそれではなかった。冷静な、シティーハンターの片割れとしての言葉。
その言葉に店中の誰もがうなずいた。




連続暴力団事務所襲撃及び警察官襲撃事件の捜査会議といえば、公安主導になってからは形骸化が著しかった。
我々特捜課を含む刑事畑は末席を占めるのみ。会議で知らされる情報は当たり障りのないもの、
捜査方針は密室で決められていた。我々の手の及ばないところで。

そして、居並ぶお偉方といえば管理官か、せいぜいが課長クラスであったが今日は違った。
公安部長と警備部長、一応の釣り合いを保つために刑事部長も雛段に並んでいるのだ。
一介の捜査主任が彼らの顔に見覚えがあるのは理由がある。正式な復職前、今は義父となった前総監臨席のもと
警視庁の最高幹部会議で口止めを堅く命令されたのだ。それが10年前の辞表撤回の条件だった。
総監の首は挿げ代わったが、それ以外の顔触れはほとんど変わっていない。

幹部たちの面前で朗々と熱弁をふるうのは落合――大藪警部。

「今日の捜査会議に担当部長方の列席をお願いしたのは、他でもない、ナーガの潜伏場所を突き止めたからであります」

思わぬ発言に刑事、公安の両捜査官が騒然となる。
そして正面のスクリーンには手元の資料には無いスライドが次々と映し出された。

「先日千葉のアジトで押収された資料を注意深く分析した結果、ナーガは現在――」

東京湾岸の地図が大写しになる。

「14号埋立地の廃工場に潜んでいるものと思われます」

有明のホテルの高級スイート、リゾートホテル跡の廃墟と比べれば居住環境としては格段に落ちるな、と一人ごちる。

「そして幹部の皆さま方にお出でいただいた最大の訳は、彼らの逮捕に特殊急襲部隊の出動を要請するためです」

刑事畑が大きくどよめいた。無理もない、機動隊の精鋭を集めた特殊部隊の存在は未だ公には秘匿されていたのだから。
特捜ならまだしも、一般の捜査員の中には何も知らされない者も多かっただろう。

「千葉のアジトから押収した武器です」

スライドには次々と彼らの武器が映し出される。
冷戦終結で型落ちになり、国内に流れ込むようになった旧式だが、ただの機動隊ではこれらにも劣る。

「奴らは敗れたとはいえ、内戦を生き抜いてきた根っからの兵士であります。
それに対峙する以上、我々としても万全の態勢を構えなければなりません」

公安部長と警備部長が耳元で囁き合っていた。もともと数合わせで呼ばれた刑事部長は蚊帳の外で憮然としていた。
そしてその下段、直属の上司である特捜課の北方課長は一人納得のいかない表情を浮かべていた。
それは自分も同じだった。

――罠だ。

刑事の、そしてさらに裏の世界で磨かれた直感がそう告げていた。そう考えれば今までの奴らの動機がはっきりと判る。
ヤクザの惨殺、度重なる警察への襲撃、そして香の誘拐――
ただ日本進出を企図したものなら行き過ぎともいえるその行動も、彼らに対する挑発行為だとすれば・・・
ナーガはその意図通り、警察の『本気』を特殊部隊という形で引き出した。
こちらが本気で向かってくる以上、奴らも本気で迎え撃つ。ならばその先にあるのは――
平和ボケした警察と反政府ゲリラの残党では勝敗は目に見えていた。

「――判った。出動を許可しよう」

警備部長の言葉に落合が深々と頭を下げる。
彼らの、落合の作戦では第二、第三・・・いや、何人もの大澤を生み出してしまうことだろう。
所詮我々は『合同捜査』のためのアリバイ、発言権は無いに等しい。
この場に立ち会いながら新たな悲劇を阻止できない自分が口惜しくてならなかった。




もう夜も更けた、人気の無い特捜課の刑事部屋で、

「すまん、大澤・・・もう誰もお前みたいな目には合わさないと決めたのに――」

白いユリの花が差さった花瓶の水を変える。だがすでに萎れかかっているのを止められそうにない。
明日にも新しい花に換えてやらねば、あいつの死を風化させないためにも。

「槇村、ここにいたの」

それはここで聞くとは思わなかった声だった。

「冴子・・・なんでここに」
「警察庁に呼ばれて、そのついでよ。ちょっと古巣も見ておきたかったし」
「北方課長とは?」
「ええ、さっきまで話してきたとこ。懐かしいわ、本庁の食堂の不味いコーヒーも」

そう言ってふわりと微笑む。その柔らかさは特捜課での激務から解放されたからだろうか、
それとももうすぐ母親になろうというからか。

「ところで、サッチョウに呼ばれたって」
「ええ・・・産休が明けたらそっちの方に呼ばれるかもしれないの。
いくら署長職が現場の第一線よりは楽でも、さすがに乳飲み子を抱えてってわけにはいかないから」

警察庁での仕事となればデスクワークが中心となる。俺も以前のような閑職ではないのだから
今度は彼女が家での負担を背負うことになるだろう。それにキャリアである冴子にとって警察庁の方が本来の所属先なのだ。
すでに同期も何人かそこでの重要な地位を占めているはずだ。

「でも、いいのか?これで本当に現場とは縁を切らなきゃならなくなるぞ」

所轄の署長は捜査の一線に触れられるぎりぎりのポストだ、それ以上出世すれば現場に出ることは叶わなくなる。
だが、冴子はさばさばとした表情でこう言った。

「現場に未練は無いわ。だって・・・あなたがいるもの」

冴子・・・。

「あなたがここにいてくれる限り、きっとわたしたちの信じた正義を貫いてくれる。ときには撩たちのことを利用してね。
だからわたしはもっと偉くならなきゃならない、あなたが信じるままに進めるように」

具体的に言えば、あなたの暴走を揉み消せるぐらいにね、と悪戯っぽく笑う。

――自分は無力だ、落合の暴走を止めることはできない。刑事を続けることに意味を見出せなくなることもある。
だが、俺は冴子に託されている、警察の掲げる大義ではない、俺たちの信じる正義を。
なら、今俺にできることはここに踏みとどまって彼女の信頼に応えることだけだ。

「じゃあ冴子、現場の見納めにちょっと付き合ってくれないか?」




あの後、アパートに一本の電話が飛び込んできた。

「誰だ?」
《Oh, Ryo... don't be so nervous(そんなにカリカリするなよ)》

彼の方から接触してくる、昼間の香の言葉に臨戦態勢を布いてしまっていた。

「で、用件は何だ。『香の声が聞きたい』とかいうんだったらさっさと切れよな。こっちはキャッチホンついてないんだ」
《Of course not.(んなわきゃないだろ)ちょっとお値打ちな情報を仕入れたんでね、こっそり耳打ちしに。
国内の傭兵マーケットで大口求人の話が流れてるらしい》

あのとき、海坊主たちの活躍でナーガの戦力は半分近くにまで追いやられた。
まだ一戦交えようというならその補充が必要だろう。

《ファルコンの戦友の間にもスカウトがかかってるらしい。ついでに連中のギャラの出所まで調べてみたが》
「スペード・エンタープライズ」
《Bingo.こりゃ本気であのsnake野郎、お前との再戦を望んでるようだぜ》
「ああ、望むところだ」

香をああまで追い詰めた礼もしてやらなきゃならない。

《あとこれは悪友からのアドバイスだが・・・リョウ、お前手ぇ伸ばしてみろよ》

手を伸ばす・・・?奴の真意が掴めない。

《お前、昔っからそうだったような。なんというか・・・自分から幸福に背中向けてるっていうか、
そんなもんは所詮自分の手には届かないはるか遠くのものだって顔して。
でもな、リョウ。お前の幸福は今目の前の、手の届くところにあるんだよ。そして手を差し伸べられるのを待ってるんだ。
あと必要なのはほんの少しの勇気。Isn't it(そうだろう)?》

何を人生の先輩面して偉そうに語ってるんだ。そう冗談半分に受け流そうとしたが
もう半分は俺の中のしがらみに引っ掛かっていた。

《お前たちの関係はそんなことじゃ壊れない、このMick Angel様が保証するぜ。
今まで俺がちょっかい出して別れなかったカップルはリョウ、お前らだけなんだからな》
「ミック・・・」
《じゃあいつナーガからのtelがかかってくるか判らないからな。
Bye, Ryo. Be kind to Kaori(カオリのこと、大事にしろよ)》

そう言うなり電話が切れた。

「ったく、いらぬお節介を・・・」

そうだ。ミックだけじゃない、海坊主も、冴子も、槇村も
香を、そして俺とのことを気にかけ続けていた。まるで我がことのように。

(ほかに心配することもあるだろうが)

だが、心配されている以上、今は俺が香のことを守ってやらねばならない。
さて、それから先はどうしたものか・・・。




数日後の午後のこと。

「香ー、お客だぞー」

ぶっきらぼうに撩が呼ぶ。リビングに通されたのは、
「やあ、香ちゃん。お久しぶり」
久々に見た長谷さんだった。

「まさかあんな目に会ってたなんて・・・
こっちはパリにいたから唯ただ心配するしかなかったけど、でも無事解放されて何よりだよ」

――そうだ、あのショーの後フランスでの仕事が入ってたんだ。
あたしがあのとき爆弾を開けていなかったら、きっと一緒に行ってたはずの。
それが今はまるで別の世界の話のようだ。

「香ちゃんが誘拐されたって聞いてすぐエリとも連絡取ったんだけど――」

そして、長谷さんもまたあたしにとって遠い存在でしかなかった。
あの頃は彼と一緒に仕事をするのが楽しかったけど、今は何も感じない。
彼との、そしてあのときのあたしとの間に大きな壁があるみたいだ。

ふと撩を見遣る。彼の眼には何の感情も宿ってなかった。
ただ冷静に、冷徹にあたしと長谷さんとの遣り取りを見届けようとしていた。

「あの、あたしコーヒー淹れて――」
「あ、いいよ。そんな気――」
「香」

視線だけであたしを座らす。

「コーヒーなら俺が淹れてくる」

そう撩が席をはずし、あたしと長谷さん二人きりになった。

「でも、思ったより元気そうで安心した」

キッチンに引き籠っても、きっと耳のいい撩のこと、あたしたちの会話は筒抜けだろう。

「もし落ち着いてからでいいんだけど、また一緒に働く気は無いかな。事務所のみんなも君のことを待ってるんだ」

即座に答えは決まった。想像できなかったからだ、表の世界に、撩のいない場所にいるあたしを。
そのとき、撩がコーヒーを運んできた。似合わない、と思った。

「ごめんなさい・・・期待、持たせたくないから言うんですけど
きっと、あたしこれからも戻るつもりはありません。だからお言葉は嬉しいんですけど・・・」

ついつい言葉が他人行儀になる。

「そっか・・・」

彼は出されたコーヒーにも口をつけずその場から立ち上がった。

「そりゃ残念だな。いや、僕もこんなこと言うつもりはなかったんだけど・・・
あとひと月、もう半月も一緒にいたら君と恋に落ちていたかもしれない」

きっとその言葉をひと月、いや、半月前に聞いていればどんなに嬉しかっただろう。
でもその言葉も今は重荷に過ぎなかった。
長谷さんは撩に一瞥するとそのまま部屋を後にした。そして今度はあたしと撩が取り残される。

「いいのか、香」

その口調は凍てつくように冷たい。
彼には地位も名誉もある。撩を捨て長谷さんを選ぶことが世間一般の、そして撩の思い描く『幸福』なのだろう。
だが、

「撩、誤解しないで。あたしがここにいるのは計算でも何でもないの。
ただあたしが撩と一緒にいたい、それだけ」
「後悔するぞ。どっちと一緒にいてメリットがあるか、考えるまでもなく判る」
「しないわよ。そんなメリットなんていらない」
「俺みたいな男を好きになったところで、何にもいいことなんてありはしないのに――」

思わず右手がうなりを上げた。ハンマーなんかじゃなく直接撩を叩きのめしたかった。

「馬鹿っ!あたしが撩を好きなのは、強いからでもなければ優しいからでもない。撩が撩だからよ!
だからなんの見返りもいらない。ただ一緒にいられれば、それだけであたしは幸せなのに・・・」

そして彼の胸に顔を埋ずめた。気がついたらそこで泣きじゃくっていた。
撩の手がおずおずとあたしの背中を撫でさすっていた。




突然のことの戸惑いをよそに、香の体は俺の腕の中にすっぽりと収まっていた。
あたかもそこが彼女にとって約束された場所であるかのように。
思えば俺は幾度となく香をこの腕で抱きしめてきた。飛び交う銃弾から身を護るため、怯える彼女を宥めすかすため、
総てが終わった喜びを分かち合うため――これが俺たちにとって自然なのだろうか?
たとえ闇の世界に染まりきった男と、そこに身を置きながら決してそれに染められない女とであっても。

「いいのか・・・それだけで」

そばに置いてやったところで何もしてやれない、何も与えてやれない。むしろ奪ってしまうばかりだろう。だが、

「いいの!あたしがそう言ったんだから」

涙声ながらいつものような意地を張って香が答えた。
ああ、こいつはいつも俺がいくら突き放そうと自分の意志で、偶然や必然の力を借りずに俺を選び続けてきたのだ。
俺が唯ただ惰性に流されている間も。

「本当にいいんだな。だらしがなくてもっこりスケベでツケばっか溜めて無駄飯喰らいで、
部屋なんて散らかし放題で・・・それで、殺し屋でも、それでも――」

俺もまた、自分の意志で香と生きる道を選んでやりたかった。
でも未だ躊躇が残る。こんな俺が香のそばにいる資格があるのか――

「撩、あたしは撩の全部がひっくるめて好きなの。
撩の好きな自分も、嫌いな自分も全部・・・一つでも欠けたら撩が撩じゃなくなっちゃうから」

俺の・・・嫌いな自分。そんなの嫌いな自分ばかりだ。いや、冴羽撩という人間自体、俺自身が愛せない俺の塊だ。
だが、そんな俺を愛せるかもしれない・・・香が愛してくれるのであれば。

「でも、嫌なところは無くせなくても減らすよう努力してね」

照れたように香が言った。

「・・・努力はします」

できるだけ平静を装ってそう答えた。そして香の背中をあやすように撫で続けた。




「新宿中の噂だぜ、お前が夜な夜なシンちゃんの店で朝まで飲んだくれてるって」

入ってくるなりカウンターに向かう背中にそう浴びせる。
その席一つ分開けた隣に座るが、彼とバーテンダーは示し合わせたように含み笑いを浮かべていた。

「あっ、槇村・・・てめぇ嘘のネタ流したな!」
「全くの嘘ってわけじゃないさ。確かにこの三日ほどこの店に通ってたのは事実だ、
ちょっと飲まなきゃやってられなくてな。だが、さすがに朝まで飲んだくれるほど暇じゃない」
「槇村さんには待ってる奥さんもいらっしゃいますしね」
とバーテンが付け加える。

「だいたい俺に用があるんなら直接言やぁいいだろ?桜田門お墨付きなんだからな」
「まあな」
「で、用っていうのは?」
「警察の特殊部隊が動く。ナーガの居所が割れたらしい」

俺の目の前には何も言わずともいつものバーボン。

「で、いつだ」
「今夜だ」

見れば槇村の前にはグラスは置かれていなかった。

「だから今お前に会えなきゃこの三日間の飲み代が無駄になるところだった」
「気をつけろ。奴らの戦力は戻りつつある。急ごしらえとはいえ、相当傭兵を雇い入れてるらしい」
「――そうか」

そんなことは織り込み済みというような笑みを槇村は浮かべていた。

「おい、まさかお前――」
「安心しろ、今回は高みの見物だ。今さら俺がしゃしゃり出たところで何もできない。何も・・・」

言葉が詰まる。バーテンダーがボトルを差し出そうとしたが、それをあいつは手で制した。

「今回は見え透いた負け戦だ。それが判っているのに手も足も出せない。
『警察にしかできないことがある』なんていってもこのザマだ、味方の犠牲一つすら止められやしない」
「槇村・・・」
「――冴子が警察庁に行くことになりそうだ」

唐突にそう切り出した。

「それで、任されちまったんだよ、現場を。俺たちの信じる正義って奴を。でもこれが荷の重い話でな。
だからといって投げ出すわけにはいかない。俺は冴子の、そしてお前の信頼に応えなきゃならない。なのに――」
「仕方ないさ。誰にだってできることとできないことがある」

それは槇村に向かってというよりは自分自身に対しての言葉だったのかもしれない。

「お前にはお前にしかできないことがある、警察に身を置きながら警察の論理に染まりきってないお前にしかな。
そしてもちろん、お前にすらできないことだってある・・・俺も同じだ。
俺にだってできないことがある。いや、できないことだらけだ」

そう、だから今まではそこから目を背けて生きてきた。そんなことは俺には関係ないと。
だが今は違う。

「だがな、槇村。俺にできないこともきっと誰かができるはずだ。
そうして補い合って、それで世界は回ってるんじゃないか?
お前に出来ないことは俺がやる。俺にできないことは――」
「香、か?」

そうヤツは悪戯っぽく笑う。

「いや、お前だよ。おたがい持ちつ持たれつ、な?」

そうは言いながらも、瞼に浮かぶのは香の笑顔だった。
あの笑顔であいつは今まで俺という欠陥だらけの人間を支えてくれていたのだ。

「そうか・・・」

そんな俺の内心すら見通したように槇村が肯く。

「じゃあな。頼んだぞ、香のことを」

そう親友は席を立った。立ち去り際に俺の前に置かれたチェイサーのグラスを飲み干して。

――頼んだぞ、か。

そんなもの、とっくの昔に頼まれてたさ。


featuring 『世界で君だけが・・・』
      『Smile for Me』 by TUBE

ビバ添い寝!
一線越えても越えてなくても、下手に手を出すより萌えです。
>特殊急襲部隊
一般にその存在が公開されたのは96年。
SAT(Special Assault Team)の名称もそのときつけられたもの、だそうです。

すっかり長谷さんのことを忘れてました【爆】

Former/Next

City Hunter