「お、引っかかった引っかかった♪」
「悪趣味ねぇ、君も」

自分のカノジョが、彼女の父親とはいえ他の男とデートしているところを後をつけてこうして覗き見るなんて。
でも、一緒になって尾行しているあたしも相当悪趣味だ、よりにもよって自分の娘とパートナーのデートを覗き見るなんて。

「でもまさかあの撩がほいほいついてっちゃうなんてなぁ」

あいつ、意外とハニートラップの才能あるんじゃねぇの?とカレシらしからぬ物言いだが、才能の有無はともかく、
今回ばかりは総てお見通しの上で付き合おうとしてるのだ。
あたしだったらまだしも、いくら変装しているとはいえ実の娘に気づかないほど色惚けというわけでもあるまい。
それに「今夜一晩」だなんてどこかで聞いたような台詞じゃないの。
こういうときに同じような言い訳が浮かんでしまうのも母娘なのかと思わず頭を抱えてしまう。

あたしたちが張っていたのは、件のカフェバーの向かいのファストフード。
ターゲットに動きがあったときに迅速にこちらも動けるよう、前払いの店に入るのは張り込みの鉄則。
しかもここの2階席からだとあちらのカウンターがよく見えるのだ。さぞ秀弥くんもこの周辺を下見して回ったに違いない。

「で、これからどうする?」

そう言って二人して席から立ち上がると、秀弥くんは何も言わずにすっと手を腰に置き、肘をあたしの方に差し出した。腕を組めっていうことか。

「せっかくだから、俺たちもデートを楽しんだ方がいいんじゃないの?香さん。その方が目立たないし」
「バカねぇ。目立たないっていっても、こんな逆年の差カップル、浮かないはずがないじゃない」

それだったらまだ撩とひかりの「順年の差」の方が周囲に溶け込めるだろう。だが、

「大丈夫、香さんくらいだったらこんな若いツバメがいたって当然だから」

あらあら、彼にも逆ハニートラップの才能があるみたいね。女嫌いのはずだったのに。
そう言われて、たとえトラップだとしても嬉しくないはずがない。
あたしは秀弥くんの腕に自分の腕を滑り込ませると、二人の後を追うことにした。





「俺の名前は冴羽撩、齢はハタチ」

と、じゃああんた、あたしはいったいあんたがいくつのときの子かい?と見え透いた嘘をつく。

「さ、冴羽さんね」

さすがに「パパ」だなんてボロは出さないだろうと思う、うん。
でも「冴羽さん」という響きが新鮮でもあった。
美樹さんはじめ周囲の人たち(特に女の人)、そして依頼人の多くはパパをそう呼んでいたから、
その呼び名を口にするだけで、今のあたしはパパの娘じゃないという気にさせてくれる。けれども、

「撩でいいよ」
「え、そんな……齢だって――」
「言ったろ、俺はハタチだって。だからさん付けもなし。恋人同士のつもりで、ね」
「判ったわ……撩、ね」

それだけでさらに一気に距離が狭まる。
撩、とパパを呼び捨てにするのは伯父さんはじめ男性陣や伯母さんなどの一握りの女性陣、そして何より……
ママもずっとそう呼んできていたから、娘のあたしの前でも。
でもあたしはずっと「パパ」って呼んできた、もうずいぶんいい齢になっても。
どこかでそう呼ばなきゃいけないものだと思っていたのかもしれない。
それが親と子の、云わば「けじめ」みたいなものだと。
だから「撩」と呼ぶだけで、まるであたしがパパにとって特別な存在になったような気さえする。まるで――そう、ママのような。

「それで、君の名前は?」

――名前!?

「え――と、わたしの名前は、その、え〜〜と」
「どうしたの、君の名前だよ」

そんなとっさにいい偽名が思いつくほどあたしも器用じゃない、というところがママの娘なんだろう(とほほ)。
思いついたところで、呼びかけられてとっさに反応できなければ名前の意味がないし……

――ぎゅるるるる〜〜

あたしの胃、ナイスアシスト【苦笑】 
デートだからと、待ち合わせはけっこう遅い時間にもかかわらず飯抜きで来たのだ。後で秀弥にたかればいいと、
その相手はなぜかパパになってしまったのだけれど。

「じゃあ名前はメシの後だな。何がいい?って、お嬢様だから高いものは食べ慣れてると思うけど」

そう言って、パパがおごってくれたのは海に面したプロムナード沿いのハンバーガーショップ。
といってもウチの隣のドナルドマグとは違い、本格的なアメリカンスタイル――
ゴメンナサイ、あたし本当はお嬢様でもなんでもない、貧乏なあなたの娘だからむしろこういうのは食べ慣れてないの。
それでもあたしは自分で設定してしまった以上、深窓の令嬢を演じ続けなければならない。
えーと、お嬢様はこういうときも大口を開けちゃいけないのよね。普段だったら一口でかぶりついちゃうとこなんだけど……
と妙に逡巡しているところにリアリティが滲み出たのか、

「ほら、こういうのががぶっといっちまうのが旨いんだ」

と、遊歩道に置かれたテラス席の目の前で、パパがいつも大飯を食らうように大きく口を開けて、
よくあるファストフードのハンバーガーの1.8倍はあろうかという高さにかぶりついた。
そうだ、今のあたしは「一晩だけお屋敷を抜け出したお嬢様」、そしてそんな身分を忘れて自由を楽しみたいのだ、ローマのアン王女みたいに。
だからあえて、ちょこっと躊躇しつつという芝居を交えて、ハンバーガーをあたしの口の高さに合うように充分押し潰して、
そしてパパを見習って思いきりかぶりついた。

「な、旨いだろ?」

との声に満面の笑みで返す。確かに美味しい、さすがドナルドマグとは違う。
そして目の前のパパの笑顔も。

あたしの知ってるパパの顔は――少なくとも、あたしに向けてくれる表情は、あくまで父親としてのそれだった。
上から目線、といっては語弊があるかもしれないけれど、強き者として、あたしを守り、慈しみ、支えてくれる、そういう存在だった。
弱みなんて決して見せやしないし、一見隙だらけのようでもそれは計算づくの隙だった。
だから、パパの前ではあたしはずっと小さな、可愛い娘のひかりでしかなかった。
でも今は違う。目の前にいるパパはあたしと同じ視線の高さで笑っていた。
格好よくもあればちょっとルーズなところもある、等身大の一人の男性だった。
そしてあたしも、いつまで経っても世話の焼ける娘なんかじゃなく、一人の――女性として。
ああ、こんな眼を見たパパを見たことがあった、何度も。その眼差しをあたしに向けてくれることはなかったけれども。
それは街往く美人や依頼人の女性たち、そして――時折ママに対しても向けられる視線。
それが向けられるだけで、あたしもそんな大人の女の仲間入りをしたみたいで嬉しかった。
だって、もうすぐ20歳だもん、それくらいは当然じゃない。

「でさ……さっきのことなんだけど、今夜は自分の名前さえ忘れて自由を楽しみたいっていうんだったら
あえて訊いたりはしない。俺たちは今夜一晩だけの恋人同士、それだけでいいだろ?」

それに一言も挟めなかったのは、あたしがアボガドバーガーと格闘していたからだ。
その最後の一口もコーラとともに流し込むと、

「――カオリよ、カオリって呼んで」

それは食べてる間ずっと考えてた、というものでもなかった。とっさに出てきた名前だった。
でもその思いつきの意味をあたしはパパの表情で知ることとなる。

「カオリ、か――」

一瞬、その表情が曇る。
そして次の瞬間、さっきまでが嘘のようにまた元の、いかにも人懐こそうなちょいワル親父にと戻った。
そう、頭の片隅でこう思っていたのかもしれない。パパとこうして親しげにデートしていいのは世界でたった一人、ママ――槇村香だけなんだと。

「じゃあ、次はどこがいいかい?――おいおい、『お土産』が口についたままだぜ」

と、パパは紙ナプキンを手に取ると、あたしの口の端についたソースを拭おうとする。

「いいわよ、子供じゃないんだし」

そうよ、「パパの」子供じゃないんだから、今は。
けれども、丸テーブルを挟んで顔をぐっと近づけると、パパはあることに気づいたみたいだ。

「耳、何もつけてないんだな」
「えっ?」

「アクセサリーさ。高そうなネックレスとかブローチとかつけてるのに。あれ、穴開けてるのにさ」

確か、それに合いそうなピアスは無かったのだ。当然のこと、ママはピアスホールを開けていないから。
それに、普段のクセっ毛だとちょうど耳のあたりでカーブを描くので耳たぶの下半分があらわになるのだけれど、
今日のエクステのストレートヘアだとそれも隠れるので、しなくてもいいかと思ったのだ。

「じゃあ、何か似合いそうなの買ってあげるよ」
「そんな、いいわよ。りょ、撩……」
「いーのいーの、どうせ高いもんじゃないし。それとも、何か宝石でも付いてなきゃ
身につけられないっていうのかい?」

そう冗談めかして訊いてくる。まぁ、根っからのお嬢様だったらそうかもしれないけれど、でもあたし、偽お嬢様だし……
そうこうしてる間に、パパはあたしの腕をとると、半ば強引にショッピングモールへと入っていった。

顔を覗かせたのは、髪飾りなんかと一緒にアクセサリーが売られている店。
ちょうど、あたしが普段ピアスなどを買うようなところだ。きっと値段も数千円程度だろう。

「えーと――」

パパはといえば、漠然と今のあたしの格好に似合うものというより、頭の中に何か決まったイメージがあるかのようだった。
あたしに好みを訊くでも、手にとって耳に当てて確かめてみるでもなく、ただじぃっと店に並ぶピアスを目で追っている。

「これなんかいいんじゃないか?」
とようやく手にとったのは、細いスイングタイプのものだった。
下にいくにつれて幅がやや広くなっているそれは、わずかに三角とも言えなくもない。
少し大ぶりのような気がしたが、この80‘s〜90’sブームのご時世、これより大きな
(しかもたいてい安っぽいプラスティックの)ピアスを付けている人は大勢いる。

もともと、こういうぶらぶらするタイプのピアスはあまり好きではなかった。
あたしがいつもしているのはぱっと見だと石しか見えない、いわゆるスタッドタイプというものだ。
普段からよく派手に動き回るせいで、スイングタイプだと遠心力で穴が広がってしまうような気がして。
しかもこれをぐいぐい引っ張られようものなら恰好の拷問になりかねない。

けれども、そんなあたしの趣味などおかまいなしに、パパはプラスティックの台紙が付いたままのそれをあたしの耳に当てると、

「うん、よく似合うよ」

と満足げに呟いた。そして、その眼がやけに真っ直ぐだったから、あたしは何も言えずにいた。
その間にもパパは店員を呼ぶとその場で台紙を外させた。そして、

「すぐお使いですか?」
「ああ」

そこで支払いを済ませてしまうと、きれいにそれだけになったピアスを手のひらに乗せ、片耳ずつあたしの穴に通していく。
もちろんその作業はキスする5秒前のような至近距離で行われる。
当然、あたしの耳たぶにパパの手が触れる――昔からそこは触れるだけでこそばゆくなるんだよ。
でも今は、そんなくすぐったさとは別の感覚があたしを包み込もうとしていた。顔が真っ赤だと、鏡を見なくても自分でも判る。

「さ、終わったよ、カオリ」
「え、あ……えぇ」

するとパパは、銀色の揺れるそれを手にとりながら、こう呟いた。

「――ピアスだったら落としたりはしないもんな」

至近距離の呟きは、当然あたしの耳にも入っていた。


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