25年後のシンデレラ


横浜、みなとみらい21地区。

80年代後半から90年代にかけて、かの横浜博前後に再開発が進み、その当時では「今、一番トレンディなスポット」として注目を集めていた、らしい、
というのはその当時あたしはまだ生まれていないか、生まれていてもまだよちよち歩きだったからだ。

その後「トレンディなスポット」はお台場から六本木ヒルズ、スカイツリー周辺へと気まぐれな世間の注目とともに移り変わっていき、
バブルの残り香漂うここも少しずつ「普通の街」になっていった。
そんなみなとみらいに80年代末〜90年代初頭をイメージした『カフェバー』というのは、期間限定とはいえまさにうってつけの立地条件かもしれない。
バブル期のカフェバーを完全再現したと豪語するそこは、その当時のファッションに身を包んだ、好景気を知らない若者たち7割と、
日本景気の絶頂期を肌で感じた現役バブル組3割がたむろしていた。
何しろファッション業界でも数年前から80年代を飛び越しての『バブル・リバイバル』、
今となっては悪い冗談としか思えない肩パットはランウェイでしか見かけないものの、
今――2015年――のセンスで見直された当時のファッションが新宿のみならずいたるところで闊歩していた。
まぁ、あたしだって前からママのお古をこっそり拝借していたし、時代がようやく追いついたというとこだろう。

そして、あたしはその期間限定のカフェバーで、ママのお古を身にまとって、カウンターに佇んでいた。
ドレープの映える光沢の利いたブラウスにカシミアのショール、同じくドレープ使いのラップスカート。
そうそう、誕生日プレゼントということで友人からエクステをおごってもらったのだ。
髪はそこそこ長さはあるものの、両親譲りのくせっ毛で真っ直ぐ伸ばせなかったのが悩みの種だった。
でも、これなら簡単に、とはいかないものの、憧れのストレートヘアが手に入れられる。
おまけに慣れない化粧までばっちりしてもらって、これなら一目見ただけではあたしだと判らないだろう。

というのも、なんで普段は新宿界隈をうろうろしているあたしがこんなところにいるかというと、
誘われたのだ、秀弥に。
20歳の誕生日前夜。一応は周囲からカレカノの関係と目されている身――でも実際は幼馴染みの頃と感覚としては違わないんだけれど――、
そんなお誘いがあればあたしだって柄にもなくそわそわしてしまう。まるで恋に恋する乙女のように。
だが、待てど暮らせど薄情な待ち人は現れなかった。

ブーッ、ブーッとハンドバッグの中で無粋な振動音が響いた――その当時はまだとんでもなく大きかった代物。
携帯の液晶画面を確かめると、それは薄情な恋人兼幼馴染みからのメールだった。

《わりぃ、遅れる》

と、全然悪ぃとも思ってなさそうなそっけない文面。
だったらこんなところで独りでいる義理はない。せっかくいい格好していても見せたい相手がいなければ気疲れするだけだ。
ヒールはおろか、スカートだって普段は全然穿かないのだから。
同じ独り飲みだったら新宿の方がいいに決まってる。行きつけの店もあるし、
一人のはずが気がつけば他のお客と一緒に盛り上がってた、なんてのもいつものこと。
だから、とりあえずはスクリュードライバーが空になるまで――本当はまだ19なんだけど。
そのとき、いきなり背後から声がかかった。

「どうやらカレはまだ来ないみたいだね」

振り向けば、そこにはいかにもチャラそうな男がカウンターに手をつき、脚を組みながら佇んでいた(うげ)。
しかも店のコンセプトに合わせて、ビタミンカラーのダブルのスーツ、肩パッド入り。
もはや似合う、似合わないという次元を超えているような……って、何で知ってるのよ!まさか、携帯画面覗きやがった?

「画面を見ているキミの表情が一瞬曇ったからね。
まったく、携帯電話なんて無粋だよなぁ。あんなのがあるから
みんな平気で2分3分遅刻してくるんだから」
「はぁ……」

と、さも携帯電話が無かった時代を知っているような口ぶり。
年の頃はあたしより少し上、物心ついたときには携帯があった世代のくせして。

「だったらカレが来るまで少しボクと飲まないかい?」

――だから、こういう格好はあまりしたくないのだ。寄ってくるのは下心見え見えの連中ばかり
男ってヤツはこういうのばっかりなんだろうか、オヤジも含めて……

「結構です、一人で待ってますから」

普段はそんなことは日常茶飯だけれど、今夜ばかりは見ず知らずの男と一緒に飲んでいたくない。せっかくのバースデーイヴだもの。

「いったいいつまで待ってるつもり?」

痛いところを突かれた。グラスの残りを一気にあおる。

「いつまでたっても来ないかもしれないよ」
「だったら今すぐ帰るだけよ」
と席を立とうとすると、男の態度がいきなり変わった。

「そんなこと言わないでよぉ、せっかく知り合ったのも何かの縁なんだし」
「じゃあこれっきりの縁にしたいとこだわ」
「ねぇ、ちょっと待ってよ」

見れば半径数メートルの眼がこっちに向いていた。どこからどう見てもナンパ男を美人が袖にしている画に違いない――事実、そうなんだけど。
男としてはこれ以上もなく穴があったら入りたいシーンだろう。ざまぁ見ろ。
このバカが二度とこの店に来られないかどうかはあたしの胸先三寸次第なのだから。

「せめて一杯だけでも付き合ってくれよぉ。その間だけでもさ」

付き合う=タダ酒、と瞬時にひらめいてしまった自分の経済観念をそのときばかりは恥じた。それもこれもあの馬鹿オヤジのせいだ。

「判ったわよ、一杯だけよ」

ウソこけ。本当は自分ひとりじゃ到底頼めなさそうな高い酒ばかりおごらせようと思っていた。
こればかりは有難いことにオヤジに似て、知り合いからはザルを通り越して『筒』と呼ばれるほどなのだから。

「ほんと、光栄だよ。キミみたいな人と一緒に――」

だが、横の男があやしい行動に及んでいることに気がつかないひかり様ではない。
もちろん顔は正面を向いたままだが、視界の端ではヤツが何かの粉をグラスの中に忍ばせているのが見てとれた。
おおかた、睡眠薬の錠剤を砕いたものだろう。こんなもので女眠らせて、あわよくば……おおやだ、
モノにするんだったらちゃんと口八丁手八丁、手練手管を駆使して女をその気にさせないと。
あのバカオヤジだってその気になればそんな芸当、お茶の子さいさいだったけど――
まぁ、あたしの目の前ではほとんど頬に思いきり張り手を喰らっていたか、その前にママのハンマーで潰されていたかのどっちかだったけど。
まぁいいや、といってもあたしはパパみたいにその手の薬に耐性があるわけじゃない。だけど、飲んだふりをするだけだったら朝飯前だ。
そうやって引っかかったふりをして土壇場で目を覚ましたふりをして、このどうしようもないバカ男をとっちめてやるのも面白いかもしれない。
云わばひとり美人局、秀弥がまだ来ない以上、いい時間つぶしにもなるだろうし――という計画はもろくも崩れた。

ふわ、と目の前のグラスが浮いた。

「わ゛っ!!」
そしてその中身はバカ男の頭上にぶちまけられた。

――パパぁ!?

どうしてあのバカオヤジがここにいるのよ、しかもめったに着ない高そうな格好しちゃって――
ティールブルーのスーツの上着は上衿だけ黒地となっている。その袖を惜しげもなく捲り上げているのはいつものこと。
嫌味なほどに青いシャツに、これまたコントラストのどぎつい赤のネクタイもこの男なら似合うのが不思議なくらいだ。
そして、暗い照明の下ではぱっと見黒のようなミッドナイトブルーのシンプルなコートは、
シンプルだからこそ光沢のある素材の良さが際立っている(なんでこんなもん持ってんのよ)。
そしてアクセントに白のストールマフラー……いやはや、これらがすべて板についているのだから、まったく。

「な、何すんだよいきなり!」
「そりゃこっちのセリフだ。酒に睡眠薬なんか入れてどうするつもりなんだ?」

こんな年端もいかないお子様相手に、とは余分だったけど、そのままパパはバカ男の顎をつかむと、片手だけで持ち上げてしまった。
どうあがいても、相手は身長ゆうに190を超える長身、あのバカの足は宙に浮いたままだ。

「――顎の骨砕かれたくなかったら失せろ」

おーおー、こんなしろーと相手に殺気だけは尋常じゃない。それに気圧されて、宙から落とされた男は命からがら逃げて行った。
まさか娘にたかる悪い虫相手に手加減誤ったか?だがそうではなさそうだ。

「ったく、あんな見え透いた手、いまどき女子高生――いや、中学生だって引っかからないぞ。
ぼーっとしてるからあんなことされるんだぜ」

何を言うか、その引っかかったふりをしてバカな男に天誅を下してやろうというハイレベルな計画をぶち壊しにしたのはそっちじゃないか。

「それとも世間知らずのお嬢様なのかな、君は?」
「へっ……?」

お嬢様……あたしが?こんな、生まれたときから貧乏と節約がお友達だったあたしが!?
確かに、今はいいものを着ている。めったにしないメイクもばっちりして、髪だって父親譲りの癖っ毛をエクステで隠している。
まぁ、黙っていればクールビューティだなんて人にはよく言われるけど――気づいてない、あたしに?娘のひかりに?

「なんならどぉ?俺と少し付き合わない?人とここで待ち合わせしてたんだけど、どうやらすっぽかされちまったみたいでね」

しかも誘ってやがるよ、娘のあたしを。こうして普段からあたしと齢の変わらなそうな女の子に声をかけてるのかね、この困ったバカオヤジは。
でもまぁいいや、予定変更っと。

「え〜〜〜っ!!君……家出してきたお嬢様なのぉ!?」
「はい……一日だけ自由に羽を伸ばしてみたくて家の人に黙って――」

だったらその勘違いに付き合ってあげようじゃないの、最後まで。そうしてさんざんパパのことを振り回してやるんだ♪
そしていいとこまで行ったらネタバレしてやろっと。見ものだなぁ、そのときのパパのがっかりした顔が。

「今日一日でいいんです、いえ……今夜一晩。わたし、一晩だけの『自由』の想い出が欲しいんです……」
「フッ……君はいい人に逢ったよ。そういうことなら俺は喜んで手を貸すよ」
「ホント!?うれしい!」

って胸に飛び込んでやったら、わぁお♪と嬉しそうな声を上げる――本当は、心のどこかで『娘』としてでなく見てほしかったのかもしれなかった。


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