Nice Combination

一台のレジェンドが何ら変わった様子もなく東北道を南へ向かっていた。

 

「しのぶさん、疲れたなら眠ってけばいいのに」

 

後部座席の窓から流れる風景を見ているしのぶに、運転席の後藤が声をかけた。

 

「別に疲れてなんかいないわ」

 

少しむくれながらしのぶが答えた。

 

「あ、後藤さん、車の中で煙草吸わないで。臭いが移るから」

 

ズボンのバックポケットに伸ばした手を、しのぶは見逃さなかった。

 

「なんでしのぶさん助手席に座らないのさ。リクライニングがあるから少しは楽なのに」

 

右手をハンドルに戻しながら後藤が言った。

 

実際、行きはしのぶの運転で、後藤が助手席に座っていた。

帰りは後藤が率先して運転手を買って出たが、

しのぶは「そうね、お願い」と言うと自分から後部座席に座ってしまった。

彼女のよそよそしさの原因が自分にあるのを後藤は分かっていた。

あの席であんなことを言ってしまったからだ。確かに責任は感じていたが、

それでもここまで冷たくすることはないだろうと、

彼はこの場の雰囲気の悪さを半分彼女のせいにしようとした。

いっそ後部座席ででも、しのぶが寝ていてくれればまだこの雰囲気も少しはましだったに違いない。

だが、少なくとも彼女は、後藤に寝顔をさらすなどという無防備な真似はしないだろう。

会話のない車内で、息苦しさは限界に達していた。

 

(なんだかなあ)

 

そのとき、フロントグラスに緑の看板が映った。

後藤にとってそれは、この状況を打開する一縷の光明に思えた。

 

「しのぶさん、おなかすかない?」

「そうねえ」

 

そっけないが返事が返ってきた。

 

「だいたいさ、餃子弁当なんて趣味悪いよ」

 

後藤は昼食と一緒に配られたグリーンガムを片手で剥くと、口の中に放り込んだ。

 

「サービスエリアでフランクフルトでもどう?おれ、おごるからさぁ」

 

バックミラー越しにしのぶの表情をうかがう。確か昼食にはほとんど手をつけていなかったはずだ。

ミラーに移る表情からはかすかな逡巡の色が見てとれる。

それだけで充分だった。

 

しのぶの同意を待たぬまま、車はサービスエリアへと入っていった。

 

 

今日の用件は、栃木県警のレイバー隊設立準備会合だった。

首都圏ではすでに神奈川県警で1小隊が発足し、千葉県警でも発足が本決まりであった。

そして栃木でも那須テクノポリス建設においてレイバーが多数導入されることもあり、

また北関東の真ん中と言う地理的条件もあって、

ほかの2県に先駆けてレイバー部隊発足が検討され始めた、というのは建前であり、

本音としては自治体間の首都機能移転合戦において点数を稼ぎたい、というところだ。

レイバー部隊が発足すればいつでも首都機能が移転できる、というわけではないが、

それなりに有利なことには違いないだろう。

こういうきな臭い事情もあって、今回の会合も非公式なものということになった

二人が招かれたのも、県警の責任者が警備部長の後輩であるという私的なコネを使っての、

オブザーバーとしての参加である。

というわけで今日は私服だった。

もちろん二人もこのようなきな臭いにおいは薄々感じていた。

それは配られた書類を見れば一目瞭然であった。

他県警では当初からAVRか、最低でもAVSの導入を決定しているのに、

採用予定の機種のスペックはエコノミー程度、

おまけに研修計画はほとんどが座学で、実習といえば名ばかりの、

いわば特車2課見学ツアーに終始していた。

これでは未来の首都の平和は守れそうにない。

 

「しのぶさん、どぉ?」

 

プロジェクターに映されるいかにも立派そうな、しかし中身は骨抜きの計画案を前に、

後藤は隣に座るしのぶに小声で話し掛けた。

 

「確かにこれじゃ不安ね。

作業用レイバーも最近ではパワー、器用さともに発展は著しいものがあるし、

エコノミーレベルじゃかなう相手じゃないわ」

 

しのぶは渋々ながら隣からの問いかけに答える。

本当はこんな授業中の私語みたいなことは嫌なんだけど、ということは少し寄った眉根から明白である。

 

「だいたいこれじゃ、おれたちが何のために来てるか分かんないじゃないか。

要は現場の意見が聞きたいわけだろ。

県警のお偉いさんがこれで万全だと思ってるようなら、おれたちがその勘違いを正してあげなきゃ」

 

暗闇の中で後藤は大きく伸びをした。声がさっきより少し大きい。

 

「それでもあっちにはあっちの面子ってものがあるんだから、その辺を傷つけないようにしなくちゃ。

私たちは単なるオブザーバーなんだから」

「それじゃ、しのぶさんは県警が一度大きなヘマでもやらかしゃいいと思ってるの?」

「ち、ちがっ」

 

しのぶは思わず声を荒げた。

ハリボテだらけの説明が中断する。

 

「南雲警部補、何かご意見でも?」

 

上座にいる県警の警備部長が言った。

その口調がすでに「異論は許さん」と言っている。

 

立ち上がったのは後藤であった。

 

「南雲警部補とも話していたのですが、

この計画案じゃ余りにもお粗末と言っても言いすぎじゃあありませんな」

 

その言葉に県警幹部たちの表情が急変する。

引きつる者、顔面蒼白になる者、怒りをこらえようと必死な者。

 

「レイバー犯罪というものをレイバー同士の喧嘩程度に捉えてはいませんか?

そもそも首都機能移転を前提とした大規模開発だったら地球防衛軍あたりが黙っちゃいませんよ、

東京のほうじゃバビロン・プロジェクトが一段落ついたことですし。

ああいうのが集団で暴れちゃったら、お宅としてはどうにもならないでしょ、これじゃ」

 

神をも恐れぬ暴言といおうか、

それでも会議室では、後藤に食って掛かろうとするものは誰一人いなかった。]

それだけ彼の姿が自信に満ち溢れていた。

隣のしのぶもただ呆然とするばかりであった。

 

「だいたいこんなポンコツレイバーじゃレイバー同士の喧嘩も取り押さえられないでしょ。

まあ、レイバー部隊を首都候補地レースの材料程度にしか考えてないんだったら、

こんなのやめたほうがいいですよ」

 

というと後藤は手に持っていた資料をぽーんと放り投げた。

最後の一言は致命傷になった。

 

「こんなんじゃ中部か近畿に取られちゃいますよ」

 

後藤のこの一言によって栃木県警レイバー部隊構想は白紙となった。

 

 

しのぶはこの後、課長や警備部長にどうやって報告すればいいか思いをめぐらせながら、

『那須高原ソフトクリーム』を食べていた。

無論、後藤のおごりである。

その後藤は、車の外で久方ぶりの一服を満喫していた。

全く、すがすがしいといわんばかりの表情だ。

そんな後藤をしのぶは車の中から横目でにらむ。

こうなったのは全て彼のせいだ。

いくら正論とはいえ、県警の面子も、部長の顔も見事につぶしてくれたのだから。

しかし、後藤はそんなしのぶの苦悩など知る由もなく、紫煙を量産し続けている。

二人の間の静寂を埋めるのは、ノイズだらけのFMラジオだけだった。

 

『今日午後1時ごろ栃木県日光市でライフルを持った男が銀行に押し入り、

現金300万円を持って逃走しました』

 

それは番組の間の定時のニュースだった。

 

「物騒な世の中になったもんだねぇ」

 

後藤が他人事のようにつぶやく。

しかし返事がない。

聞こえていないはずがない。

しのぶは明らかに聞こえないふりをしていた。

 

「しのぶさーん」

 

後藤は車の中に向かって呼びかけてみる。

 

「――ええ、そうね」

 

しのぶは嫌々ながら、早くこの会話を切り上げたいといわんばかりの返事をした。

 

「ほんっと、バカに鉄砲持たせちゃいけないね」

 

そんな思惑を知らず、後藤はこの話題にしがみつく。

 

「たとえばおたくの太田巡査とか?」

 

しのぶは初めて顔を彼のほうに向けた。かわいらしくソフトクリームを一口ずつ食べながらも、

そこからは不機嫌オーラがこれでもかと放たれていた。

これにはさすがの後藤もたじろぐ。

 

『なお男は日光宇都宮道路から東北自動車道上り線を逃走していると思われ、身長は――』

 

後藤のソフトクリーム懐柔作戦も、どうやら失敗に終わったようだ。

桜田門で報告のため彼女を下ろすにしても、東京までこのままというのは耐えられるものじゃない。

どうすればいいのか、後藤まで思案に暮れ出した。

といってもやってしまったことは仕方ない。

課長や部長はいいとして、しのぶさんにはどうやって謝れば許してもらえるやら……。

 

堂堂巡りの思考の輪を、パトカーのサイレンが打ち破った。

 

「あれ、随分と多いんじゃないの、パトカー」

 

職業柄聞きなれているとはいえ、その音は高速道路のパトロールにはかなり多すぎた。

 

「あっちの方、からよねぇ」

 

それでも無意識のうちに相槌を打ってしまうというのは、長年の『擬似夫婦』のなせるわざだろうか。

しのぶの視線の先には、高速道路からの入り口があった。

その目の前を、白いセダンが猛スピードで通り過ぎる。

そのボンネットからは白い煙が立っていた。

その後ろから高速隊のパトカーが数珠繋ぎで入ってきた。

 

「確か東北道の上り線って言ってたわね」

 

もう部長の叱責も何もかも、しのぶの頭の中からは消えていた。

いつもは冷静沈着な彼女の顔から、若干血の気が引いていた。

 

「そう言ってたよね、ラジオじゃ」

 

後藤の表情も、常人から見たら変化は見られないが、

明らかにこわばっているのをしのぶは見逃さなかった。

 

セダンはレジェンドの鼻先で急停車した。

迂闊にも二人はドアのロックを開けて休憩中だった。

セダンから男が下りる。

手にはライフル。

周りを幾重にも取り巻く栃木県警の警官隊もただただ息をのんでじっとしているだけだ。

中肉中背、年は40代後半から50歳ぐらい、野球帽に防寒ジャンパー、

明らかに無職といった様子が、職業的カンから感じ取れた。

 

「おい、おめえら」

 

男が銃口を二人の方に向ける。

後藤は反射的に手を挙げた。

車内にいたしのぶも小さく手を挙げる。

握っていたソフトクリームはやや溶けかけていた。

 

「あの、どういったご用件で」

 

男を刺激させないように後藤が言った。

犯人の車を追っていた十数台のパトカーから警官たちがばたばたっと降りてきて彼らを囲み、拳銃を向ける。

が、そこにはまるである種の表面張力が働いているかのように、警官たちは動こうとはしなかった。

 

「車貸せ、車」

 

明らかな北関東訛りで男はまくし立てる。

 

後藤は斜め後方のしのぶの方をちらと見た。

一見気丈そうに見えるが、内心は予想外の事態に震えているに違いない。

目がうつろだ。

 

「車、だけでいいんですか?」

 

(うわべでは)落ち着いた様子で後藤が言う。

横目で警官の人垣を見るが、銃を突きつけられているので手も足も出ない。

まるで教師と目が合った生徒みたいに、警官たちはわずかに目をそらした。

 

「もちろんおめえらも一緒だ!」

 

男は銃口を真っ直ぐ彼らのほうに向けた。

警官隊にも一瞬緊張が走る。

後藤はあきらめたように一つため息をついて、しのぶの方を見やって、言った。

 

「仕方なさそうですね。それじゃ、ご一緒させていただきますわ」  

 

 

 

 

 

Next 

   

“Patlabor”