Half the Time

「はぁっ」

これでため息をつくのは何度目だろうか。オレは壊れて動かなくなった時計を見ながら、
今日ではや50回は越えたであろうため息をついた。

「あすまぁ、ケガ大丈夫?」

野明がオレの額のガーゼをのぞき込んだ。
ガーゼの大きさがやたらと大げさすぎるが、はがしてみればなんてことはない擦り傷だ。
つば付けときゃ治るものを、ひろみちゃんがご丁寧に手当てしてくれたので、そのまま貼ってるだけだ。

「あぁ、これか。たいしたことないよ。血も止まってるし」

それでも視線は、このひしゃげた時計にいってしまう。

事の発端はこうだ。

昨日までの雨も上がった午後、いつものように出動がかかった。
場所はとある工事現場、急行してみるとボクサーがすでに駆けつけていたパトカーを
おもちゃのように蹂躙(じゅうりん)していた。その横では工事関係者らしき面々が一様に青い顔だ。

「どうやら鍵を付けっぱなしにしていたらしい」

後藤隊長が無線越しに言う。

「が、そんなことはおれたちには関係ない。泉、太田、相手はどうせ素人だ。ちゃっちゃと終わらせよう」
「了解っ!」
と真っ先に飛び出したのは太田だった。しかし、

「太田巡査!」

おたけさんの制止もむなしく、イノシシよろしく直線攻撃しかできない太田は、
いとも簡単にボクサーにけたぐりをかまされてしまった。

「あすまぁ、こいつ結構手強そうだよぉ」

インカム越しに野明の泣き言が聞こえる。それはオレの目にも明らかだった。

「野明、いいか、間合いを取れ。組まれたら太田の二の舞だぞ」
「ぬぁんだと!」

太田の怒号が耳に痛いが、それでもヤツはひっくり返ったまま、サマにならん。 

「でも・・・」

野明の声はそれでも不安そうだった。

「なんだ」
「ここ、足場悪いよ」

確かに、雨上がりの工事現場はぬかるみだらけで、足元の視界の悪いイングラムでは思うように立ち回れない。
が、ここで威力を発揮するのが指揮車とのバディだ。

「いいか、後ろ1時の方向には池ができてるからな。左にだけは絶対引くな!」
「うん、わかった」

足元の視界をカバーするのはバックの役目。2機目の獲物を求めて詰め寄るボクサーを野明は巧みにかわす。
足場の悪い現場で、野明はオレの指示通りぬかるみをよけていった。

「右横がかなりドロドロで滑りやすくなってるからな」
「了解」

おうゎっ!
指揮車の外に出ていたオレのすぐ脇を、野明を追いかけるボクサーの脚が踏みしめた。急いで車の中に戻る。

「野明、あっちの様子はどうだ!」
「あっちって、太田さんのこと?」

ひっくり返った太田は、野明の救助待ちのままだ。

「違う、ボクサーの方だよ。なんか変化があるか?」
「ちょっと振り回されてバテてきたかな」
「よぉし、んじゃこっちからぬかるみに誘い込んで転がしちまえるか?」
「うーん、遊馬の指示があれば」

しかし、はっきり言ってオレは敵をナメてた。
いくら野明に翻弄されてるとはいえ、ヤツは一撃で太田を倒していた。
そんじょそこらのレイバー泥棒よりは頭がいいということを、頭の片隅にでも入れておくべきだった。

突然、ボクサーが振り返る。そのときはヤツの意図が読めなかった。
こっちを見た。何をするかは分からんが、少なくとも指揮車をどうこうしようというのは分かった。
次の瞬間。

「遊馬っ!」

オレは指揮車ごとヤツに足蹴にされた。
横転する指揮車。巨大な水溜りと化した工事の穴の真横でやっと止まった。

「野明っ、オレのことはいいからヤツを倒せ!」

一瞬の同様の間にアルフォンスはボクサーに組み付かれていた。まだ上下左右が分からない。
押さえた額からは血が流れていた。

「くぉんのー、よくも!」

ブチ切れた野明の声がインカム越しに響いた。まだフラフラする頭にはよくない。
野明のアルフォンスは暴走ボクサーを見事大外刈りでしとめた。
そのときやっとオレは指揮車が180度ひっくり返っていることに気がついた。

「あすまぁ、大丈夫?」

野明はヤツにとどめを刺すのもそこそこに、1号指揮車をひっくり返した。

「泉ぃ、こっちも頼むっ」

向こうで太田が叫ぶ。

「ったくうるさいなぁ。こっちは頭打ってんだ。お前の大声でおかしくなったらどうすんだ」
「なにうぉお!」
「太田君」

おたけさんの一声で大人しくなったのだが。 
指揮車はドアがひしゃげてたが、ひろみちゃんの怪力で何とか外に引きずり出してもらった。
他は打撲程度ですんだが、隊長には、とりあえず明日にでも病院で検査してもらって来いと言われて、
今日のところは帰って応急処置だけとなった。

しかし、オレの時計は致命的なダメージを受けていた。
ムーブメントは動いているものの、枠が衝撃で歪んでしまったので、針がこれ以上進まない。
それでも前に進もうとする秒針がどこかいじらしい。
そもそもこれは俺が警察官になる以前から愛用していたものだ。
シンプルでなおかつジジ臭くなく、実用一点張りといったデザインをとても気に入っていた。
曜日表示付きカレンダーは、当直が続いて日付の感覚がなくなりそうなときでも、オレの書類作成の手助けになった。
そして濃くもなく薄くもない文字盤のブルー・・・とウンチクを述べると止まらなくなるのは自分でも分かっている。
しかし、今となってはそれも男らしからぬ未練というものだろう。
詰所にも時計はある。ケータイだって時計代わりになる。
そう自分に言い聞かせてオレは引き出しにひしゃげた時計をしまった。
しかし、その引き出しを閉められない。こんなオレって、相当女々しいだろうか。

机の上に広げられていたのは、ヒマつぶし用の雑誌。出動がかかるまで、のんびりとこれをめくっていた。
パラパラとめくっていたら目に飛び込んだのが腕時計の特集記事だった。
ムーンフェイス、ミニッツリピーター、トゥールビヨン。
持てる技術を小さな文字盤の中に凝縮させた機械式時計がページを埋める。
どれもこれも、オレの給料の数か月分はするものばかりだ。

(うわっ、これなんか車が買える値段じゃねぇか)

先代が存命中なら「いつかは・・・」という憧れの対象にもなりえた。
しかし、安物(いや、決して安くはなかったが)のクォーツ時計すら失ったオレにとっては、
高嶺の花のスイス製機械式時計も未練をかき立てるだけだった。
勢いをつけてページを閉じると、そのまま足元のゴミ箱に放り込む。
そしてオレは両手をポケットに突っ込んで廊下に出て行った。何もない左手がかなり軽い。

と、そのとき、隊長室の前の光景に目が行った。隊長と野明だ。
野明のほうは心配そうな顔をしている。相談か何かだろう。
しかし、その内容が非常に気になる。オレは足音を立てないようにして、そうっと近づいてった。

「んじゃ分かった。次の日曜の・・・11時でいいかな?」
「はいっ、ありがとうございます!」

野明は深々と頭を下げた。残念ながらそこで会話はおしまいとなった。しかし気になる。

次の瞬間、隊長はオレを見つけるとひょいひょいと手招きする。
何かと思って近づくと、ポケットから腕時計をはずして、オレに手渡した。

「ないと左手が軽いだろ」

それはいつもはめてる金属ベルトのではなく、黒い牛革の、大ぶりの時計だった。

「スペアだから、別にもらってもいいけど」
「そんな!」

広がった穴から一つ内側に留め金を通す。正確には一つ半といったところか。

「ないと不便だろ、それしてていいから」

んじゃと片手を挙げると、そのまま隊長室に消えていった。
するとまた、さっきの野明との会話の内容が気になり始めた。
日曜、11時というのは何かの待ち合わせだろう。いや、そうに違いない。
野明と隊長が待ち合わせ・・・オレの心の中に不安が芽生え始めた。

 

 

 

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