グリフォンの亡霊

 

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東京第3空港、通称東京湾(ベイ)空港、またはバビロン空港。

羽田空港から大堤防を挟んでちょうど千葉側に位置する人工島であり、

全滑走路が完成したら香港、韓国・仁川を抑えてアジアのハブ空港の地位を得ることになるであろう、

まさにバビロン・新東京の空の玄関口にふさわしい空港となるであろう。

ただし、現時点では都心とあまりにも離れすぎているのが難点だが、将来バビロンプロジェクトが全て完了したら、

空港は新東京の舳先ともいうべき位置を占めることになる。なにせ騒音の発信源ともいうべき空港を

将来の新都心のど真ん中に立てるわけにはいかない。

 

AM 9.36

一人の男がサンフランシスコ発東京湾行きの飛行機から下りてきた。

出張帰りのサラリーマンとでもいった容貌、それもどちらかといえば冴えない中年管理職といった風情だ。

髪はやや白髪混じり。長身の部類に入るが、背中を丸めて日本人の平均的身長の集団に溶け込んでいる。

手には大きめのキャリーケースの取っ手。

ロビーのソファに座ると、ポケットから何かを取り出そうとしたが、禁煙の表示を見てすぐに引っ込めた。

その代わりに、携帯電話を取り出すと、慣れた手つきでボタンを押した。

 

「あ、どうも後藤です。ええ、公安・組織レイバー犯罪対策室の。

あ、はい、そちらの課長さんにつないでもらえませんかねぇ」

 

彼が相手を待っている間、その前を一人、二人と旅行者たちが過ぎていく。誰も彼に目を留めるものはいない。

 

「はい、もしもし代わりました。課長の後藤です」

「しのぶさん、そんな他人行儀な挨拶はやめようよ。一応さぁ――」

「一応仕事中なの」

 

電話の向こうでは声の主がぴしゃりと言い放つ。

その手厳しさは昔も今も変わらない。

 

「で、今どこなの?もう帰ってきてるの?」

「いま東京湾空港」

「で、何か分かった?」

「どうやらシャフトは本気らしいってことだよ。

ユーロの本社のあるドイツ、そしてアメリカって行ってきたけど

ジャパンを含めて、今度のOSには本腰を入れてるらしい」

「現在のレイバー国際競争の主戦場はOSだから、無理もないことだわ」

「でもシャフト・エンタープライズといったら各企業間の競争、

特にUSA,ユーロ、ジャパンの三つ巴は有名な話だろ。

それが最近はそうでもないらしいんだ。

まず極東マネージャーが中心になって、小規模企業が乱立している東アジア地区の各社の経営を統合した。

ってのは表向きの話、裏じゃジャパンがアジアの盟主ってことで手打ちになったらしい。

それと3社の熾烈な草刈場になっているアフリカ、中南米、東南アジアで

それぞれの支社を再編して線引きを行ったそうだ」

「シャフト三分の計、ってわけね」

「これだけ各企業、企業連合間の競争が激しくなってるんだから

身内同士で争っている場合じゃないってことさ」

「確かに、世界規模での業界再編が進んでいる中、

世界各国にネットワークを持つシャフト・エンタープライズが手を組めば、シェアなんて簡単に塗りつぶせるわね。

今までなぜそうしなかったかが不思議なところだけど」

「だからさ、今度のOSはそれほどの自信作だってこと」

「じゃあ、肝心のそのOSについて、何か分かった?」

 

男は背中をよりいっそう丸めて、大袈裟なため息をついた。

 

「それが成果ゼロ。どーしよ、上からカラ出張ってお咎めが来るよ」

とほほ、という声が漏れる。

 

「大体なぜ公安がわざわざシャフトの内情探りに海外出張しなきゃならないの?そもそも新製品のソフトだって、

別にそれが犯罪絡みって話は聞いたことがないわよ。どうやって出張費をせしめたか、お聞かせ願いたいものだわ」

「おいおい、しのぶさんだって今おれたちが追っかけてるネタ、知ってるでしょ?

レイバーの国際的ブラック・マーケット。

片やシャフト・エンタープライズといったら世界最大級の軍需企業。

もしそっちが既存の国家ばかりじゃなくテロリストまで顧客リストに加えたら、おれたちの仕事がまた増えるわけ。

分かるでしょ?」

「ええ」

「それに話題の新製品ってやつについても変な噂聞いたんだよな。たしか・・・」

 

しかし彼はそこで言葉を濁した。

 

「そういやしのぶさん、今日定時で上がってこられる?」

「え?・・・ええ。何か課長自ら陣頭指揮をとらなきゃならないような大事件が起きれば別だけど」

「じゃあ今日は和食がいいなぁ。久々にしのぶさんの手料理」

 

静寂が二人を包む。

どうやら彼女は受話器を持ったまま頭を抱えているに違いない。

 

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2020年現在、各レイバー企業間のシェア競争は世界規模に拡大していた。国内の業務提携、経営統合といった

再編はあらかた終了し、どの国内レイバーも世界的レイバー企業連合のいずれかに属さなければ

もはや生き残る術はない。

それは天下の四菱グループ・菱井インダストリーでさえそうだ。国内の特殊レイバーメーカーを

次々と傘下に従えてきた菱井も、いまや四菱のプライドと恥を忍んでフランス・ディドロ社の軍門に下った。

その中で篠原重工は、元来十八番であった企業買収の結果、今や日本で唯一、独立経営のメーカーとして

ここまでやって来た。そして近頃、アメリカのアレグロ社との対等提携を大々的に発表するらしい。

これは日本レイバー業界において異例のことである。

 

ではなぜ、日本のレイバーメーカーが外資の力を借りねばならなくなったほど地盤沈下してしまったのか。

それは現在のレイバー競争の主役ともいえるOSと深い関係がある。

レイバーの発達、特にソフトに置いてはこの20年間で著しいものがある。

元々、出荷直後には転ばずに歩けるだけのプログラミングしかされていなかったレイバーは、

今やOSだけで一通りの基本動作をこなせるほどになった。

もちろん、その裏にはテストパイロットだけではなく、現場で実際にレイバーを操縦する者の血と汗と涙の結晶とも言うべき

データの集積があってこそだ。そして、大規模プロジェクトに適したもの、フレキシビリティに優れたものなど

OS間の差別化もよりいっそう進みつつあった。

現在、レイバーの企業競争の地図はすなわちOS競争の地図といっても過言ではない。

各企業連合とは、同じフォーマットのOSを使っているメーカーの連合なのだ。

しかし、もともとハード力には定評があった日本メーカーだが、ソフトの競争となると

元来開発力の高いアメリカ、ヨーロッパ、そして後発組であるアジア各国にまで遅れをとることとなった。

これが今の日本レイバー界の現実である。

 

そんな逆境ともいうべき日本レイバー界において、一人荒波に立ち向かおうとする男がいた。

彼は独り、工場の中で完成したばかりの新型レイバーを見上げていた。年のころは三十半ばだろうか、

しかし、その若さには似合わぬ風格がたたずまいから感じられた。

そのレイバーは鈍重な作業用レイバーとは異なる、シャープなシルエットが

工場の闇の中からでも感じられる。頭部についた、ウサギの耳のような突起が印象的である。

すでに白と黒のカラーリングが施されていた。

男はそれを、どこか懐かしいものを見るかのように見つめていた。

しかし、その満ち足りた時間にピリオドを打つ声がした。

振り向けば、50がらみほどの実直そうな男がはるか後方から駆け寄ってきた。

 

「副社長、遊馬さんっ」

「ああ、高志さんか」

「何だ、ここにいたんですか」

「真っ先にこれを見たくってね」

「もう会議が始まってますよ」

 

そう言われて副社長と呼ばれた男は腕時計を見た。

 

「もう間垣さんがカンカンですよ、何で副社長が来ないんだって」

「SHINTECの間垣か。どうせ互換性ってとこで勘弁してくれってとこだろ」

 

そもそもこの提携はソフトには勝るがハードで遅れをとるアレグロと、

ハードでは引けを取らないがソフトにやや難のある篠原という双方の欠点を補う形で結ばれたものだった。

 

「アレグロの『MARLIN』、学習性能っていう点じゃSHINTEC以上だと思うけどな」

 

しかし、篠原のソフトにもかつて輝かしい黄金時代があった。

SHINTEC HOS。

搭載率80%を超えた化け物OS。

だが、そのソフトが文字通り化け物だったのは言うまでもない。そして、その開発者である帆場が消えたのち、

篠原のOSはまたかつての水準へと逆戻りしてしまった。

一方、アレグロ社はアメリカのレイバー産業を牛耳る『ビッグ4』に劣る

準大手メーカーに過ぎなかった。しかし、篠原重工の若き副社長がここのソフト開発能力に惚れこみ、

提携を申し入れたのだ。それはもちろん、アレグロにとってもメリットは大きかった。

日本レイバー業界大手の篠原の傘下に入るということ以上に、篠原の持つレイバーのデータ、

特にAVシリーズのデータは新OS開発にとってまたとない素材となった。

そういった経緯で結ばれた『縁組』である。OSの互換性、などといったことでお茶を濁すような結果では

その意味がない。

 

「副社長、午後には淵山重工との買収協議ですからね」

 

部下の必死の呼びかけを後ろから聞きながら、若き副社長は新型レイバーに別れを告げ、

八王子工場の管理棟、会議室へと急ぎ足で向かっていった。

 

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同じ篠原重工八王子工場の中でも、ここはそう言った生臭い話題とは無縁であった。

篠原ミュージアム。

篠原重工の歩みを、主にレイバー産業という視点から捉えた企業博物館である。

 

入ってすぐ、チケットカウンターを抜けたロビーにそれは立っていた。

白と黒のツートン・カラー、特徴的な『耳』。

曲線と直線の織り成す絶妙のバランス。

それは、刃向かうものには威圧感を与えながらも、

その庇護を受けるものには親しみやすさを感じさせた。

 

98Advanced Vehicle通称イングラム。

その機体の胸には“Alphonse”とのマーキングがなされている。

その足元に、スーツ姿の女性が立っていた。

ショートカットの髪、しかしそれはかつての少年らしさを連想させるものではなく、現在の落ち着きを感じさせる。

だが、機体を見上げる眼は今も変わらず、少女の輝きを宿していた。

 

その様子は、傍から見ればまるでレイバーと会話しているように見えた。

もちろん、直接言葉を交わしているわけではない。

しかし、眼と眼だけで通じ合う、彼女とレイバーとの間にはそんな親密ささえ見て取れた。

 

「おはようございます館長。それにしてもお早いご出勤で」

 

開館前の準備に追われる職員が、彼女に声をかけた。

 

「ええ、昨日子供の入学式でかまってやれなかったから」

「でも、それじゃわざわざこんなに早く・・・」

「だから朝イチにこの子に謝らなくちゃいけないと思って。

あんたのことを忘れたわけじゃないって。

結局まる一日、この子に会えずじまいだったもの」

 

レイバーの足元を撫でながら、彼女はこの『我が子』を慈愛の眼で見る。

撫でられたそこは、強化プラスティックの塊であっても

あたかもそこに血が通っているようだ。

 

「まるで母親ですね。お子さんたち、レイバーと自分とどっちが大事なんだって、訊きません?」

 

究極の質問に、彼女は首をひねった。

 

「そう言われてもなぁ・・・。確かに子供は自分がお腹を痛めて産んだ子だからかわいいけれど、でも――」

 

そう言うと彼女は顔を上げた。

視線の先にはレイバーの『顔』があった。

 

「このコとはあの子達が生まれる前からの付き合いだからね、比較にならないよ」

 

これじゃ答えになってないかな、と

篠原ミュージアム館長兼篠原重工常務取締役・篠原野明はかつてと変わらぬ笑顔を見せた。

 

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「ただいまぁ」

 

幸か不幸か、そのレイバー同様に愛されている息子が帰ってきた。

 

「あ、お兄ちゃんお帰り」

 

居間では小学5年の妹がソファで寝転びながら、テレビゲームの真っ最中である。

「花南、お前もう帰ってきてたのか?」

「うん、始業式だから、今日」

 

花南は兄への答えもそこそこに、ゲームに熱中している。

 

「お兄ちゃんこそ、どーぉ?高校生活2日目は」

「別にぃ。中高一貫のエスカレーターだから顔ぶれも変わらんし」

「あーあ、女っ気のない生活も4年目か」

「ばぁか、言い寄ってくる女もいないからせいせいするわ」

 

そう言うと遊驥は指定のかばんをソファに放り投げると、別のソファにどっかと身を沈めた。

顔にかかる髪をかき上げる。かなり長めの前髪、その下にはフレームレスの眼鏡。

それだけでも与える印象は父親の若い時分とは相当違う。

しかし、眼鏡の奥からのぞく好奇心旺盛そうな眼は紛れもなく父から受け継いだものだった。

 

遊驥はふんぞり返ったまま花南のゲームを退屈そうに観戦していた。

最近流行りのレイバーアクション物。崩壊した大都会を舞台に、

暴走する無人レイバーの猛攻をかいくぐってゴールにたどり着く、というのがゲームの目的である。

花南の方は、兄の存在になど目もくれず、一心不乱にゲームに打ち込んでいた。

相手はウィルスに感染した無人レイバー、どんな動きをしてくるか予測不可能だ。

突然、廃墟の陰から大型レイバーが現れた。軍事用の代物でパワーも装甲も数段上だ。

花南がいつもプレイする、敏捷性と器用さがとりえのタイプには相性が悪い。

遊驥が身を乗り出した。

 

「花南、隠しコマンド!A、Xボタン押して上右斜め打ち!

こないだ教えただろう!?」

 

花南はその指示に従ってコントローラーのボタンを押した。

彼女の操縦するレイバーはものの見事に回し蹴りをくらわせた。

 

「安心するなっ!左斜め後方2機!中型だけど2つじゃ手ごわいぞ」

 

まったく、お前ってやつはいっつもメイン画面しか見ないで他のセンサーはおれに担当させやがる、

と兄は愚痴をこぼす。こぼしながらも、またも的確な指示で敵レイバーを全滅させた。

 

「さぁてと、もうゴールは近いだろうから後はお前一人でやれ。

オレは上でパソコンいじってるから」

「またゲーム?」

「いや、レイバー用アプリケーション。今度は両手あやとりのプログラム」

 

それを彼がプレイするのではない。自分で作るのだ。

遊驥は小学3年でレイバーにちょうちょ結びをさせるアプリケーションをプログラミングした

天才コンピュータ少年であった。

 

そして、その妹・篠原花南は、市販、アーケードのレイバーゲームはもちろん、

教習用シミュレータにおいても母親譲りの能力を遺憾なく発揮する

天才レイバー少女である。

 

*   *   *

 

一方、場所は東京の下町。

そんな天才とは無縁の一人の少年がとぼとぼと歩いていた。

学ラン姿、スポーツタイプの指定かばんを肩にかけている。

両手をポケットに突っ込んで背中を丸めて歩くその姿はどこかデジャ・ヴュさえ感じさせる。

眠たそうに開けた半眼の二重まぶたは見る者に彼の真意を韜晦(とうかい)させる、

といえば聞こえはいいが、要は何を考えてるか全く読めない。

しかし、彫りの深い顔立ち、特に通った鼻筋は決して素材としては悪くない。

7:3気味に分けた前髪は、昼前の春の日差しを浴びて、やや茶色っぽく輝いていた。

彼は、典型的な下町の古い家の立ち並ぶ町並みを抜け、マンションが立ち並ぶ一角へと足を踏み入れる。

そして、その中では古株そうな、しかし町全体からすれば明らかに新顔の中層マンションの

自動ドアの中へと入っていった。

 

エレベーターのボタンを押す。しかし、すぐには来ない。

その間、彼はやきもきすることもなく待つ。

ドアが開く。彼一人しかいないエレベーターの中で、少年はただ移り行く階数表示だけを見ていた。

そして、ドアが再び開く。

彼はポケットの中から鍵を取り出した。エレベーターから7つ目のドアに鍵を差し込み、回す。

しかし、彼は拍子抜けした様子で鍵を抜いた。今まで淡々としていた顔色が変わる。

のぞき穴を覗き込むが、あれは本来中から外を見るもの、様子ははっきりとうかがえない。

次に、ドアに耳をくっつけた。そのまま、無言で中の様子に耳を凝らす。

そして少年は、意を決してノブに手をかけた。そのまま、ゆっくりとノブを回す。

玄関の真ん中には、明らかに履きつぶしたものと思われる大きめの靴が真ん中に鎮座していた。

靴を脱いで上がる侵入者なんてあまり聞いたことはない。

それでも少年は警戒を緩めることなく、気配を殺しながら廊下を進んでいった。

ファミリータイプの3LDKの廊下の突き当たりは居間になっている。

彼はガラスのはめ込まれたドアから中の様子をうかがった。

絨毯敷きのこたつスタイルの部屋に、男が何をするでもなく座り込んでいた。

背は高いが猫背気味、頭は白髪交じりだ。

少年は物音を立てないようにドアを開けた。しかし、男はその気配に振り向く。

少年と同じ目がこちらを向く。

 

「親父、帰って来てたのかよ」

 

少年はまったくもうという感じにため息をついた。そのため息はどちらかというと母親似であった。

 

「気配を殺したつもりのようだが、父さんにはばればれだったぞ」

 

現職の公安刑事、それも『カミソリ』にはお見通しである。

 

「おかえり」

「ただいま」

「『会社』は?」

「ん、『直帰』。お前こそ、ずいぶんと早かったな」

「今日は始業式だよ」

 

ふてくされた声で息子が言った。父は部屋にかかったカレンダーを確認する。

 

「昨日まで日付変更線の向こうにいたからなぁ。 ところで今日の夕飯、なんだか知ってるか?」

「知らねぇよ。まだ昼飯も食ってねぇんだから」

 

そう言いながら息子は台所のフライパンの蓋を開けた。

 

「ハンバーグだ。そういや、今朝おふくろがひき肉こねてたっけ」

「なんだ、肉じゃがが良かったな」

 

まるで子供のようにすねる。

 

「でも、しのぶさんの手作りだし、いっか」

 

すぐに機嫌が直った。

 

「じゃあ、昼飯でも食べに行くか。ラーメンでいいか?」

 

そう言うと父親は立ち上がった。なかなかの長身だが、今や息子に迫られつつあるのが並んで立つとよく分かる。

 

はいはいと、息子は父の後についてリビングのドアをばたんと閉めた。

 

彼の名は後藤多喜。

後藤喜一とその妻・しのぶとの間の一人息子である。

 

 

 

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Afterwords

"Patlabor"