ありえたはずのdays |
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今日は日曜日である。
といってもこの場にいる人間は関係ない。 ここは24時間365日、年中無休の警視庁特車二課、通称『埋立地』。
第2小隊長・後藤喜一は隊員ともども休日出勤であった。
「まったく、隊長も大変ですね」
隊長室にお茶を持ってきた泉野明が言った。
「新婚だっていうのに、せっかくの日曜もこれじゃ台無しじゃないですか」
置かれたお茶を一口すすると、後藤は立っている野明を見上げた。
「お前だって、どうなんだよ」
突然話を自分のほうに持っていかれて、野明はしばし面食らっていた。
「――あたしが、どうか?」
「いや、篠原とはどーなのかなぁって」
そう言われると、野明は顔をりんごのように真っ赤にした。
下からは意地の悪い笑みを浮かべた上司がうれしそうに見上げている。
2,3回咳払いをして、目の焦点も定まらぬまま野明は答えた。
「あ、遊馬とは毎日顔を合わせてますし。それに非番の日がありますからっ」
それじゃ、失礼しましたと赤い顔をしたまま、この純情な部下はそそくさと隊長室を後にした。
ドアが勢いよくばたんという音を立てたあと、後藤は残りのお茶をすすりながら、
自分の机の向かいに置かれたもう一つの机を眺めていた。
その主は今日は休みだ。
しかし彼はかつてのその机の主をそこに重ねていた。
その女(ひと)こそ、今の彼の妻だった。
彼の妻のしのぶ、旧姓南雲は現在、本庁警備部に勤務している。
主な職務は本庁と『埋立地』のパイプ役、
というわけで今もレイバー及び特車2課とは縁の深い仕事だ。
デスクワーク主体なので日曜は休みである。
しかし夫のほうは日曜日だからといって休みになるとは限らない。
だから最近は二人の休みがかみ合わないことがほとんどだった。
しかし彼女のほうもかつてはここにいただけあって、そういうことには理解があった。
もちろん、理解だけでは人間関係は成り立たない。
もし今度休みがかみ合うようであれば、後藤は多大な埋め合わせを要求されることを覚悟していた。
「さて、どーすればいいやら」
暫しぼんやりと考えているうちに、後藤はあることを思い出した。
そういえば提出しなければならない報告書の締め切りが迫っていた。
すでに現物は出来上がっている。
あとは次に課長が来たときに出せばいいだけだが、
こういうものは所在を明らかにしておかないと、土壇場でどこに行ったと騒ぐ羽目になる。
今日明日というものではなかったが、そういうこともあって彼は机の引き出しの中を探しはじめた。
だが、ない。
引き出しの中身全てを机の上にぶちまけても、書類は一向に見つからなかった。
引き出し全部を探しても見つからない。
しばらく途方に暮れたのち、そういえば家に持ち帰ったような気がしてきた。
今日は休みだから、妻は家にいるはずだ。
彼は散らかった机の上の、荷物に埋もれた中の電話に手を伸ばした。
――ツーッ、ツーッ、ツーッ――
話し中である。
またかけ直そう。
そのときはそう思った。
そのまま休みの一日は過ぎていった。
レイバーが出動するような事件はなく、特車2課は平和だった。
日もやや傾き始めていた。
後藤は改めて自宅に電話をかけ直した。
しかし、またも話し中だった。
おかしい。このとき初めて彼はこの事態を不審に思った。
今度は彼女の携帯電話にかけた。
しかし、いくら待っても電話を取る様子はなかった。 コールも20,30と重なっていくがその気配は全くない。
不審は見る見る不安へと変わっていった。
後藤は窓の外を見た。
だいぶ日も傾いた。
それでも彼にとっては時間の経過が遅々として感じられた。
壁にかかった時計を見上げては退勤の5時までの残り時間を数え、
自分の腕時計と見比べては進んだり遅れていたりしていないことを確かめる。
退勤時刻が近づくと彼は足早に隊員たちのもとに向かい、
手短なミーティングと当直者への引継ぎを行うと、あわただしく部屋を後にした。
3、2、1――。
隊長室の時計がきっかり5
焦る気持ちとはうらはらに、エンジンが一発でかからない。
苛立ちを必死で抑えながらアクセルをいっぱいまで踏み込んだ。
轟音を立ててエンジンが動き出す。
(おれは何をこんなに焦っているんだ)
ギアを入れハンドブレーキを開放すると、彼はそう自分に言い聞かせながら、
踏み込みそうになるアクセルを何とか抑えた。
休日の午後、湾岸方面の道路はお台場などからの行楽客の車で込み合っていた。
気持ちだけが前へ前へと突っ込みながらも、車の列は一向に動かない。
苛立ちを静めようと後藤は煙草に手を伸ばした。
しかしポケットの中のパッケージはそんな彼をせせら笑うかのように、何度も指先からすり抜けていく。
半ば苛立ちながら煙草とライターを取り出すと、片手でくわえて火を付けようとした。
が、車の列は無情にもそこで動き出した。
後藤は小さく舌打ちをして、火の付いていない煙草をくわえたまま小さくアクセルを踏んだ。
湾岸から続く道路は都心を抜けて日光街道へとつながる。
生まれたときから住み慣れた下町の界隈を抜けると、
長い間一人で、そして今は妻と暮らす家へと続いている。
いつもは混雑を避けてほぼ隅田川に沿った迂回ルートを使うが、
今日ばかりは渋滞覚悟の最短距離、都心経由ルートを取った。
しかし――。
(やっぱいつも通りにすりゃよかったかなぁ)
都心の混雑ぶりは平日、休日お構いなしだ。
動きの止まった車の列の中、後藤は携帯電話を取り出すとリダイヤルボタンを押した。
つながる先は、もちろん我が家だ。
「――ただいま、電話に出られません」
コールがある一定の回数を重ねると流れる見も知らない女性の声。
これで何度目だろうか。
あらぬ想像が心をよぎる。
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