ありえたはずの2002

3月だというのにまだ風は冷たかった。

 

あれから一月がたっていた。

首都・東京を幻の戦争に引きずり込んだ『状況』。

首謀者である柘植らは逮捕され、東京には平和が戻った。

しかし、全てがすっかり元通りに戻るはずがない。

たとえ形の上は元通りになろうとも、その中に生きる人間は、

自分たちが享受する平和がうわべだけのもので、

いつまたそれが音を立てて崩壊するやもしれぬということを知ってしまったのだ。

 

それは二人の関係についても言えることだった。

この4年という歳月の間、この関係がこの後も果てしなく続くと思われていた。

もちろん警察官と言う職業柄、異動、配置転換はついてまわる。

それでも二人はこの幻想を信じてやまなかった。

 

しかし『状況』は二人の距離を近づけ、そして遠ざけた。

しのぶは後藤の前に帰ってきた。

だが彼女はもはや以前の彼女とは違っていた。

後藤は自分の浅はかさに気付いた。

『状況』が終われば全て元通りになると信じた己の浅はかさに。

後藤喜一は屋上で煙草をふかしていた。

身を切るように冷たい風が、むしろ今の自分にふさわしいとさえ思えた。

視界のはるか先にあるベイブリッジは再建工事が始まっている。

この街はすでに動き出している、あの出来事を忘れ去ろうというかのように。

しかし後藤は動き出せない自分を悔やんだ。

 

「待ってるから」

 

あの日彼はこう言った、待つ身の苦労も考えずに。

待つという受身の行為がこうまで苦痛を伴うものだとは知らなかった。

それでも待つと言ってしまったのだ。

彼女が自分の前に戻ってくるのを。

 

 

再建の進む東京において、特車二課も例外ではなかった。

柘植らの襲撃を受けて半壊した分署は、品川に新しい建物を建てることが決まった。

それにともない4月からは仮庁舎に移転することになり、

『埋立地』は引越しの準備に追われていたが、

それらしい活気がないのはやはり4月に行われる人事異動の件があるからだろう。

 

後藤喜一警部補、南雲しのぶ警部両名はは特車二課小隊長を解任、それぞれ別の部署へ異動。

 

4月までは残務処理のために猶予されていたが

いよいよというとこうなった以上覚悟していたが、

それでもなお惜別の情というのは募る。

まして次にここへ来たときにはもうこの場所はないのだ。

あの日の特車2課はもうない、4年間の思い出とともに。

 

 

南雲しのぶは事務棟で引越し準備の陣頭指揮をとっていた。

これが最後のご奉公というように、そして自分の過去を振り切るかのように。

襲撃により大破されたレイバーはメーカーに送られていてハンガーは空だ。

直ってきたときには直接新庁舎に送られることだろう。

 

隊員たちは黙々と書類や自分の私物をダンボールに詰めている。

その中でしのぶは自分のデスクの中身にまだ手を付けていなかった。

自分のことは後回しにすべきとの管理職の矜持でもあったが、

手を付けてしまえばいよいよこれで最後だと自分に言い聞かせてしまうから、

という感傷じみた思いもあった。

 

あの日以来しのぶは意識的に後藤を避けていた。

いまさらどんな顔をして彼の前に立ったらいいのか。

自分の中でもまだ混乱が渦を巻いている。

それを見透かされるのがたまらなかった。

いっそこの混乱した自分ごと彼に預けてしまえばいい。

しかしそれは彼女自身が許さなかった。

あの人に甘えてはいけない。

そうしてしまったら4年間築き上げてきた距離、節度、そして関係が音を立てて崩れてしまう。

しかし期限はもう目の前に迫っていた。

このままではいけない、

そのような焦りが彼女の中の混乱に拍車をかけていた。

もう一度彼と向き直って話をしなければ。

話?

何を。

まず別れを告げなければ。

別れと言ってもgoodbyeなのかsee you againなのか。

 

ますます深まる混乱から目をそむけるように、しのぶは窓の外を見た。

庁舎の窓からはレインボー・ブリッジが見えた。

 

 

屋上からもレインボー・ブリッジが見える。

後藤は煙草をくゆらせながら湾岸の景色を眺めていた。

その視界に飛び込んできたものがある。

セスナか何かの小型飛行機だろう。

しかしそれは黒い影のように見えた。

彼はただじっとその影を目で追っていた。

セスナはただ一点を目指してスピードを上げていく。

目標はお台場、レインボー・ブリッジ――。

 

灰となった煙草の先がこぼれ落ちる。

後藤の目の前で飛行機はレインボー・ブリッジに激突した。

彼は惨状に背を向けると、出入り口のドアへ向かった。

しかしそのドアを彼より先に開けたものがいた。

第一小隊の隊員だった。

 

「後藤隊長、南雲隊長が――!」

 

フラッシュバックするあの日の光景、全ての始まりとなったもの――。

 

 

 

 

 

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“Patlabor”