D×B

プロローグ

 

松葉杖をついた青年がえっちらおっちらと、リノリウム張りの廊下を進んでいった。
ガードマン風の制服の袖にはいかつい飾り紐。
制帽からはみ出した髪は、ドレスコードぎりぎりの明るい茶色だった。
ベビーフェイスの額に汗が浮かぶ。

青年はあるドアの前で止まると、やはりえっちらおっちらと90度回って、ドアノブに手をかけると、もう片方の手で、

まるでお手本のような敬礼を決めた。

「相馬将泰皇宮巡査、恥ずかしながらもただ今戻ってまいりました!」

その姿と、思った以上に張りのある声に、同じ制服姿の仲間たちはわっと彼の周りに集まってきた。

「おお、復帰早かったじゃねぇか」
「暴漢に刺されたんだって?」
「3日間昏睡状態だったって聞いたぞ」

そのほとんどが彼と同じくらいの若者である。次々と矢継ぎ早に質問を繰り出すさまは、芸能リポーターさながらであった。

「ちょっと、ちょっと待てってば」

そのうちの何人かが脇腹を触るので、彼はそこを押さえてうずくまってしまった。

「わ、悪ぃ。まだ、痛むのか?」
「って当ったり前だろーが。まだ松葉杖突いてんだぜ、ちっとは考えろよ」

脇腹を押さえたまま、手近な椅子に腰を下ろす。

「じゃ、質問には一人ずつ答えるからな」

椅子の背もたれに深々とふんぞり返る。そこはたちまち記者会見場と化した。

若い皇宮警護官たちは我先にと手を挙げる。その中から彼は適当に一人を指名した。指名された若者が立ち上がる。

「刺された瞬間のことをお話しください」

悪乗りした記者口調だ。

「それがなぁ・・・」

かったるそうに机の上に頬杖をついた。

「とっさのことでよく覚えてないんだよ」
「じゃあ、助かった秘訣は?」

他の同僚がすかさず手を挙げる。

「ああ、それなら」

すると彼は相好を崩して脇腹に手をやった。

「刺さったのが肝臓だったけど、おれのはガキのころに病気したからジャンクなのよ」

ジャンク、つまり人工臓器ということだ。

「ほら、だからもとから自前のよりも被害は最小限でくいとめられたってことじゃない?」
「昏睡中に臨死体験とかしましたか?」

それは若い同僚の興味本位の質問のひとつに過ぎなかった。
しかし、彼は眉根を寄せたまま黙り込んでしまった。

「悪ぃ、それだけは答えられないや」
「相馬将泰皇宮巡査」

そのとき背後のドアが開いて、皇宮警部の階級章をつけた上司が廊下から呼びかけた。

「はいっ!」

彼はとっさに立ち上がり敬礼しようとしたが、松葉杖なしだったので
次の瞬間には足元がふらついていた。

「そのままでよい。お前にぜひ会いたいとおっしゃるお客様が来ている」
「お客様?」

若き皇宮警護官・相馬には、お客様とやらの正体がまったく分からなかった。


 
ここは皇居のお堀のうち、皇宮警察坂下警護署である。
あまり馴染みのないところであるが、任務は皇居の警備と皇族の警護、
それ以外はあまり警察とは変わりがない(だろう)。
階級だって、頭に『皇宮』が付くだけで警察と一緒だ。

だから、というわけではないが、そこで働く相馬だってお堀の外の若者と大した違いはない。
毎日の生活は、やはりお堀の内側にある独身寮と職場との往復にすぎないが、
休日には外に出かけていって流行の服とかCDとかを買い、たまには友人らとカラオケに行く、
バイクが好きだったりする21歳の若者である。別に右だとかそういうわけではない。

そんな彼に会いたいという客人がいる。

相馬はえっちらおっちらと松葉杖を前に進ませながら、その人物像を推理していた。

(まさか右翼の連中とかいうんじゃないだろうな)

体を盾に皇居前広場を守り抜いたことへの感謝か、
それとも『神聖な』広場を血で汚したことへの抗議か・・・。
でも、それだったらここの応接間までわざわざ入れるだろうか。

(普通、門前払いだろーなぁ)

彼の考えはそのことから、さっき同僚に訊かれた質問へと移っていった。

(昏睡中に臨死体験とかしましたか、か)

臨死体験、というようなはっきりしたものは記憶にない。
ただ、あるのは誰かに呼びかけられた、ということだけ。
しかし、それはよく聞くような三途の川の向こう岸からでもなければ、こちら側からというのでもない。
むしろ、まるで自分の内側から響いてきたかのような・・・。

そうこうしているうちに、彼はやっと、応接室までたどり着いた。

そこにいたのは、よっぽどのときでなければ顔を見ることのない皇宮警察のお偉方と、
一人の私服の男だった。
その男は年は30代後半から40ぐらい、細身の体を真っ黒なスーツで包んでいた。
そのかちっとした姿とは裏腹に、襟足にかかる髪が目に付く。

相馬は促されて、その男の向かい側に座らされた。

(やけに細い目をしてる)

それが相馬が抱いた第一印象だった。
その目はほとんど黒目が見えないほどだ。なので、表情を読むことなど到底できそうにない。
そして、口元にはかすかな笑みすら浮かべていた。
どこかで見たことのある表情だ。そんなことをふと思う。

「彼がその相馬皇宮巡査です。こちらは特殊事態対策室の土御門室長だ」

隣に座った皇宮警視からそう言われて、相馬は立ち上がってあいさつしようとしたが、
向かいの男がそれを制した。

「あ、いいよ。まだ復帰初日だそうじゃないか」

思ったより軽妙な口調だ。男は立ち上がり、相馬に対して手を差し伸べた。

「土御門鳳耶(つちみかど・たかや)です、よろしく」

背の高い男だった。彼はその手を素直に握り返した。
それにしても、特殊事態対策室、聞いたことがない。

「特殊事態対策室というのは内閣府の一部署で、その名の通り特殊事態における――」

土御門の隣に座っている皇宮警視正がとうとうと説明を始めた。しかし、土御門が口を挟んだ。

「まぁ、陰陽寮っていえば、話は早いでしょ」
「陰陽寮って・・・」

確かに名前は聞いたことがある。平安時代、方術を尽して都を闇から守った陰陽師軍団。
しかし、それは迷信に翻弄された遠い過去のこと。それが現代になんて――。

「あ、今そんなアナクロなって思ったでしょ」

思考を見透かされて、相馬は思わずのけぞった。
あの細い目で彼は相馬の心の奥底を見抜いてしまった。
それに比べると、周りのお偉い方は開き盲にすぎない、そうとすら思えた。

「それで、なんで陰陽寮がわざわざ」
「4月から君は特殊事態対策室に出向となった」

突然の通知である。

「そ、そんな、まさか・・・」
内心、相馬は自分のしたことが、表彰とはいかなくても褒められるに足る行為だと思っていた。

それが、なぜ左遷の臭いのする出向人事など――座りながら立ちくらみのする思いだった。

「そんな、警視正、今ここで言わなくても」

土御門の言葉も、今の彼には耳に入らない。完璧な放心状態だった。
そんな相馬の状態に彼は困り果ててしまった。

「すいません、ちょっと、席はずしてもらえませんかね。彼とサシで話がしたいもので」

腰の低い嘆願だったが、皇宮警察のお偉方は皆応接室から出て行った。
それでも相馬の頭上にはひよこちゃんが回っていた。

「まったく、わざわざこんなことで方術なんか使いたかないけど・・・」

そう言うと土御門はジャケットの内ポケットから一枚の札を取り出し、それを相馬の額に貼りつけると、

何やらむにゃむにゃと口の中で呪文らしきものを唱えた。
すると、放心状態だった相馬が何かに驚いたように跳ね起きた。

「ひゃっ!」
「目、覚めた?」

そこには相変わらずの糸目がいた。

「あ・・・土御門さん、でしたっけ」
「効いた?これ」

土御門は自分の額を指差す。それでやっと、額に貼られた札に気が付いた。

「覚醒符、っていうんだけどね、道教のお札なんだけど、科挙の試験勉強の居眠り防止に使ってたらしいんだわ」
「へぇ・・・」

もともとそういうものには興味本位の関心しかもってなかった相馬だったが、
その効果を実感して、この男の言うことを信じずにはいられなくなった。

「君については一部始終聞かせてもらったよ。
相馬将泰(そうま・しょうたい)皇宮巡査、2011年4月6日生まれの21歳、O型。
本籍地、茨城。高校を卒業後、都内専門学校を卒業後、皇宮警察に就職。
あ、警視庁落ちてるんだ。何で地元受けなかったの?」
「・・・ほっといてください」

自分についてのここまで詳細な情報があちらの手の内にあるのだ、いい気はしない。

「で、君が刺されたときの状況なんだけど」
「あ、それだったらあまりよく覚えてません。とっさのことだったんで」
「いーのいーの、犯人とか目撃した君の同僚とかの証言があるから」

それによると、事件がおきたのは12月のある日、
平日で人出のない皇居前広場に一人の不審な男が現れたのが始まりだった。
手には何かを隠し持っている。
相馬は警備に当たっていた先輩の皇宮警護官一緒に、その男の動きに注視していた。
しかし、何を血迷ったか、その男は広場の真ん中に座り込むと、
寒空の下に腹をはだけて出刃包丁を握り締めて高く振りかざした。
そのとき、先輩より先に駆け寄ったのが相馬であった。
男の右腕を握り締めると、そのままその場に取り押さえようとした。
しかし男はそれを振りほどこうとする。

「死、死なせてくれぇ」

男は包丁を持ったまま必死であがく。
それを何とか取り押さえようとする相馬。
揉みあううちにその切っ先が彼の脇腹に深々と刺さった。

「その血の量を見て、ハラキリ男、怖気づいて腰抜かしちまったそうじゃないか」
「え、ええ・・・でも、そのとき自分は失血によりショック症状を起こしていたらしいですから」
「じゃあ何で助かったと思う?」
「え、それは自分の肝臓が人工肝臓だったから・・・」

そう思っていた。今の今までは。
しかし、その糸目に見つめられて、相馬は自分の考えに自信をなくしていった。
なぜ、開いているかも分からないような細い目に自分は怯えているのだろうか。
彼は土御門の、あたかも魔力のような力の前にひれ伏していた。

「あのとき君の出血量は、全血液のおよそ3分の1にものぼる量だった。
常人だったら死んでる量だ。
いくら君の肝臓が人工臓器でも、そこには大量の血液が集まっているのには変わりがない。
そこをグッサリやられたんだ」
「・・・・・」
「それ以前にも、君は奇跡的に九死に一生を取りとめた経験が何度もあるね」
「な、なんでそれを!」

事実だった。しかし、なぜこの男はそれを知っているのか。
もしかしたら自分は、ずっと彼らに監視されていたのか?
それを口にしようとした、そのときだった。

土御門の目が、かすかに開いた。
それは見る者を凍りつかすメドゥーサの瞳だった。
その目に慄然となり、相馬は言葉を失った。

「ま、いずれ分かることだ」

土御門は再びまぶたを閉じた。

「少なくとも今言わなければならないことは、
あのときの負傷によって君の生命力の予備エンジンに火が付いてしまったということだ」

「それは――良くないことなんですか」
「非常に良くない」

きっぱりと言い放つ。

「そのエネルギーは強大すぎて今の君の手には負えないだろう。
それが目覚めることのないように、我々は今まで君を蔭ながら見守ってきた。
しかし、それも限界だ。これからは我々の元に君を置いておかなければならない。そして――」

土御門は再びその目でしっかりと相馬を見据えた。

「君にも、その自覚を持ってもらいたい。自分の中に強大な力が眠っているということを」
「それを封じるために、ですか?」

相馬は半信半疑だった。しかし、この男に言われた以上、信じないわけにもいかない。

「いや、それはどうだろうな」

土御門は言葉を濁す。

「ま、4月からは仲間ということだ、仲良くやっていこうじゃないか」

彼は再び口元にかすかな笑みを浮かべると、握手の手を差し伸べた。それを相馬は握り返す。
この男の言うことを信じていいのだろうか。再び彼の中にそんな疑問がぶり返す。
確かに、彼の方術は身をもって実感した。
しかし、言われたことはあまりにも今まで自分が生きてきた世界からかけ離れていた。
強大な力だと?それがオレの中に眠ってるだと?
さっきまではその場の雰囲気に飲み込まれて、危うく信じ込みそうになった。
しかし、この男の仮面のような笑みを前にして、全てを信じてはいけないと、
自分の中の警戒心が呼びかけているような気がした。

とにかく、4月からこの男とともにやっていかなければならないのだ。
相馬はたまらなく不安になった。
そのまま傍らの松葉杖を取ると、その場を辞して応接室を出た。
どういった顔で仲間の前に戻っていったらいいのだろうか。
彼はその往路から180度人生が変わってしまったような気分に襲われた。

(あ、そーだ)

そのとき、わけもなく思い出したことがあった。

(アルカイック・スマイルだ)

それは、土御門の笑みだった。

高校の日本史の資料集、飛鳥式の仏像の特徴、
そんなことは受験以来すっかり忘れてしまったかに思われた。
しかし、そんなことを思い出しても、腹の足しにも、
これから彼に降りかかる災難の救いにもならないことは、
ほかならぬ相馬将泰が良く分かっていた。

 

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