特殊事態対策室があるのは、大手町の合同庁舎だ。
『現代の陰陽寮』がお役所の中、というのはどこか不似合いな気もするが
一応、内閣府の一部署だからおかしくはない。
奇しくも、ちょうど皇居の鬼門に位置している。
通りは朝早くから黒塗りの外車やら国産高級車やらが路肩にズラっと並んでいた。
歩道を行く人の格好はみな地味なスーツ姿で、表情はみな一様に固い。
といっても霞ヶ関の官僚のように緊張感に満ち溢れてると言うでもなく
むしろ、そこから『流された』というのもあるのか、どこか生気に欠けていた。
唯一朝らしい明るい雰囲気を醸し出しているのは、ゲートに立つ最新式のガードロボットだけだが、
それだって別に楽しくてそんな顔をしてるわけじゃなく、そういう風に作られてるだけだ。

「IDかーどヲオ見セクダサイ」

そう言われても、まだ渡されてない。参ったな。
こういうときに融通が利かないのがロボットの常だ。
そうやってオレがまごついている間にも、オレに対する警戒レベルは上昇しつつあるのだ。
しかしそのことを表情に出さないロボットに対して、オレは言った。

「あのー、特殊事態対策室の土御門室長に取り次いでもらいたいんですが・・・」
「おれがどうかしたか?」

後ろから至近距離で呼びかけられた。
振り向いてもVゾーンしか見えない。視線をやや上にずらして、やっと特徴ある糸目が現れた。

「何やってんだ、初日っから遅刻するぞ」

もちろん特殊事態対策室室長・土御門鳳耶その人である。

「あ、コイツは今度新しくウチに配属されることになった相馬将泰くん。顔覚えといてね」
とロボットに対して親しげに声をかける。
するとロボットは、土御門のネクタイを指さしてなにやら言った。ネクタイを誉めているようだ。
室長は自慢げに二言三言返すとその場を立ち去った。まったくいい気なもんだ。

「重役出勤ですか、ずいぶんと優雅なもんですね」
「いや、これでもいつもよりだいぶ早く来たつもりなんだがなぁ。期待のルーキーも来ることだし」

しゃあしゃあとあのアルカイックスマイルで言う。この男がそう言うと、なんだかウサン臭い。

「んじゃついて来いや。ちょっとばかり判りづらい場所にあるからな」

そして案内されたのは、まさしくビルの谷間、
東側にそびえ立つ高層ビルの影響をモロに受けて日も差さないようなところの、
灰色というかドブネズミ色の建物であった。
正面の通用口程度の入り口の脇には木看板が下がっていたが
それも長い間の風雨で文字が滲み、地の部分との見分けが付かない。カビも生えてそうだ。

とまぁディテールをできる限り詳しく述べてみたが
ぶっちゃけて言うと、おどろおどろしいの一語に尽きる。
確かに『陰陽寮』には似つかわしいかもしれないが、はっきり言って入る気があまりしない。
しかし室長はスタスタと入っていった。
入り口を入ったすぐ横の、学校の事務室のような小さな窓口に一礼する。受付はここらしい。

「ここが庶務係、そして奥が資料室」

そのまま階段を上がる。

「そして2階が1班と2班、そして遊撃処理隊の職場だ」

ドアを開けると、そこは刑事ドラマのデカ部屋のようだった。
明らかに中古であろう事務机が、3つ島になっておいてある。
そして奥の窓際にはひときわ大きな、そしてひときわ散らかった机がおいてあった。

「おーいみんなぁ、ちゅうもーく」

室長は部屋の全員に呼びかける。決して大きくはない声だが、それでも全員が振り向いた。

「本日をもって特殊事態対策室・遊撃処理隊が正式に発足する。
当部隊は内外から優秀な若者を選りすぐった対策室の特殊部隊、『陰陽寮』の秘密兵器だ。
その名に恥じない活躍を期待する。もちろん、それ以外の職員諸君もだ」

え、選りすぐられた優秀な若者?それがオレだっていうのかよ。
長身の室長の隣りで小さくなりたい欲望にかられるが、それを戒められるがごとく、背中をぱんと叩かれた。

「そして、それに伴い今度遊撃処理隊に加わることになった相馬将泰くんだ。
皇宮警察からの出向だ。畑違いのメンバーだが、よろしく頼むな」
と言うとオレの肩をぽん、と押した。

「自己紹介だよ」
と言われて気付く。
でも、こういうのはめっちゃ苦手だった。
緊張で脚が震える、掌から汗が滲む、つばをごくりと飲み込む。
周りの目が一点――つまりオレ――に集中していた。

そうだ、今日この日までずっと不安だった。
聞いたことのない職場、謎めいた任務、右も左も判らない世界。
その一員となるこの瞬間が来なけりゃいいと何度思ったことか。
しかし今、オレはこうしてここに足を踏み入れてしまった。
踏み入れちまったからには一歩も引けねぇ。オレは覚悟を決めた。

すぅ、と息を吸う。

「皇宮警察から来ました相馬将泰ですっ。何も判らない若輩者ではありますがどうかよろしくお願いします!」
とほぼブレスなしで言い切った。
がばりと頭を下げる。
90度の最敬礼を通り越して180度に届かんというばかりだ。
自分の腹筋がここまで柔らかいと初めて知った。
当然、周りの様子など見えない。
一瞬の静寂――これが意外と長かった――の後、まばらに、そして部屋中を包み込むような拍手が起きた。
やっと頭を上げることができた。

室長から席を示される。
そこにたどり着く間に、何人もの新しい同僚から自己紹介を受けた。
何だかスターにでもなった気分だ。

しかしそんな中、堂々と遅刻してきた太ぇヤツがいた。
目の覚めるような真っ赤な髪、鋲のついた革ジャン。
少なくともこのスチール机とキャスター付き椅子の並ぶ職場にはそぐわない格好だ。

(一体こいつ何者だ?)

オレはこいつが自分の同僚とは思いもしなかった。

「おう、佐伯。ずいぶんと優雅なご出勤じゃねぇか」

窓際の室長席から声がかかる。

「へへ、モンキーのエンジンがなかなかかからなかったんすよ」

赤毛が頭を掻きながら答える。
その赤毛が、どうやら見慣れないものを見つけたらしい。無論、オレである。
ヤツはずけずけと俺に近づくと、なれなれしくも手を差し出した。

「おー、あんたが新しくB×Wに入ったってゆー・・・外部選抜だってな。どうやってB×Wに入ったんだ?」

しかしなれなれしいにも程がある。
それにこの髪、この格好・・・おそらく俺は相当ウサン臭い目でコイツを見ていたはずなのだが、
それでもコイツは気にしなかった。一体コイツ、何者だ?

「オレは佐伯伐折羅(さえき・ばさら)、いちおう高野山の修行僧。
対策室にはもう2年になるから一応先輩だな。判んないことがあったらなんでも訊いてよ。んじゃ、よろしく」

差し出された手をいちおう握り返す。
こんな赤毛が坊主のわけあるかい、とかいうよりもオレはB×Wと言う耳慣れぬ言葉に戸惑った。

「こんな赤毛猿、坊主のわけないって思ったろ」

こいつはオレの疑問も無視して隣りの椅子に腰掛けた。

「これはな、お不動さんとお揃いなんだぜ」

椅子に後ろ前に座りながら、自分の頭を指差して微笑む。
そのとき、ドアが勢いよく開き、一人の男性がずかずかと入ってきた。
年は30半ばくらい、いかにも大手町の公務員らしい灰色のスーツ姿だが
その目には彼らには見えない生気がある。

「今日入ってきた仕事だ。
まず国交省から先月の日光のトンネル崩落の事故調査委員会の参加依頼、
これは2班の秋葉と高尾に行ってもらう。
あと、アクアポリス第7期工事のグランドデザイン会議の依頼が来てるんですが――」

一方、室長はというとやる気なさげに書類を受け取ると、よく見もせずに未決箱に放り込んだ。

「以上、他は継続!」
「はいっ」
とまるで刑事ドラマのようにその場の職員全員が返事した。

「あのー、室長」
「あ、室長って言いづらいだろ。だからキャップって呼ぶことにしてんの」
「キャップ・・・ですか」
「うん、キャプテンの略でね」

土御門室長、もといキャップは散らかった席に着くと
椅子の背もたれが悲鳴を上げるんじゃないかというくらいふんぞり返った。

「じゃあキャップ、B×Wって・・・」
「遊撃処理隊のことだよ。内部じゃずっとこのコードで言われてたからね」
「でも、何をすれば・・・」

部屋の中を見回すと、席がもうほぼ埋まり――そのほとんどが他のお役所のような公務員スタイルだ――
そしてある者は上着を抱えて駆け出し、あわただしく一日が始まっていた。

しかしオレの周り、正しくはオレと机を接している近辺では空席が目立つ。
だって、まだオレとあの赤毛の兄ちゃんだけだもん。
そしてその兄ちゃんはというと、机の上に脚をぼーんと投げ出して、雑誌を読み始めた。
表紙には水着のグラビアアイドルだ。

「遊撃処理隊、陰陽寮の秘密兵器なんて響きだけはかっこいいけど、
秘密兵器なんてのはおいそれと出さないから秘密兵器なんだよ。秘密じゃない兵器で片付きゃそれでよし」

はぁ・・・。

「それにね、席空いてるだろ」

あ、はい。

「まだ全員揃わないんだよ。現時点でのフルメンバーにも3人足りないし。
ま、とりあえず建物の探検でもしててよ。じゃ、お休み」
「お休みって・・・」

そのままほんとにキャップは夢の世界に旅立ってしまわれた。
こんな人が最高責任者で大丈夫なのか、なんだか不安になってきた。

「いつものことだよこの人は。ま、偉い人ってのはいるだけでいいんだからね」

そう、島の上座にいた初老の紳士が言った。
老紳士、というと語弊があるだろうか。
髪はかなり白髪交じりで、好々爺、といった表情をしているが
その立派な肩幅は彼がただの老紳士ではないということを如実に物語っていた。

「ああ、私は処理第1班の班長の猿島廉嗣(さしま・かどつぐ)だ。
このたび新人の教育係を仰せつかったんでな」

この人も右手を差し伸べた。これで握手したのは今日で何度目だろうか。

「さっき入ってきた若いのが第2班の班長・山王丸主殿(さんのうまる・とのも)だ。
赤坂の日枝神社の神主で、うちの期待の星ってわけだ」

猿島班長が言う。あの山王丸って人、年は下だがキャップよりよっぽど有能そうだ。
なんで室長になれないのかとしばし不思議に思う。

「ここの職員は、ほとんど嘱託ってことで神社やらお寺やらの仕事を抱えてやってる。
ほら、公務員の副業は禁止されてるからな。その代わりみんな本職、プロ中のプロだ。
あと、そのほかに全国から、若いのが武者修行ってことで、あの赤毛の兄ちゃんみたいにうちにやって来る。
そういうのをバリバリしごいてやんのも俺らの仕事だ」

「うちは基本的にこうやって、各省庁からの依頼を受けて、奴さんの常識じゃあ判らない、
いわゆる『特殊事態』ってヤツを調査・処理するんだ。処理っつうのは、ま、お祓いだな、簡単に言えば」

口調がずいぶんとべらんめぇですね。

「当ったり前よぉ。こちとら江戸っ子神田の生まれ、明神様の神主だからな」
と殊更に巻き舌で言い立てる。

「じゃ、なんか他に質問は?」
と言われて言葉に詰まった。
質問がないわけじゃない。むしろ、訊きたいことは山ほどある。
なぜ国家権力が税金投じてお祓いなんかやらせてるのか、
どうして重役出勤の上に居眠りなどしてる土御門キャップが室長の座にいられるのか、
そして何でオレがこの自称エリート部隊にスカウトされたのか、エトセトラエトセトラ。
しかし、それらは言葉になることなしに、のどの奥に引っかかったまま出て来れなかった。

「まぁいい。んじゃ、館内を案内しようか。これからここで働くというのに迷っちゃしょうがねぇからな」
と猿島班長はスタスタと行ってしまう。

「そうそう、部外者立ち入り禁止のとこにもな」
「はいっ!」

そこで、建物を見たとき萎えかけたオレの好奇心が再点火した。
もちろん、特殊事態対策室という名前とは反してオカルト的なものにはいくらか恐怖心もあった。
しかし、それ以上にこのボロビルに、不似合いな『何か』が存在するというシチュエーションが
オレを燃え立たせた。

そして、猿島さんに案内されてオレがつかんだ館内の大体の概要はというと、
この特殊事態対策室の占める建物は合同庁舎7号館の一部として建っている、ということだ。
しかし7号館はつい最近改築なった白亜の建物で、ドブネズミ色の我が対策室とは雲泥の差だ。
もっとも、対策室棟には職員食堂以外の設備が全て備わっているので問題ない。

「そもそもあそこの食堂は安かろう不味かろうでおおよそ人の食いもんとは思えねぇ」
とは猿島班長の弁である。
また、そのような立地条件からこの建物及び対策室そのものについたあだ名が、
人呼んで「大手町の盲腸」である。
その形態といい、云わば痕跡器官であるといいぴったりのネーミングである。

とまぁ、オレなりに概要を説明してきたが
屋上まで案内された感想は、はっきり言ってフツーの事務所であった。
電算室には機械遅れの図体ばっかでかいマシンが狭い部屋にひしめき合い、
会議室ではどこにでもある光景のように折りたたみの机と椅子が幅を利かす。
なんかちょっとガッカリだ。
特殊事態対策室の対策室たる由縁を探ろうと思ったのに。
そんなものはありふれた光景の中には見つかるはずもなかった。

「なんだい、期待はずれだったか、ボウズ」

屋上で小休止中のオレに猿島さんが声をかける。
ベンチや灰皿の足元には鉢植えのコンテナがあり、対策室の小さなオアシスとなってる。
そこからは皇居の緑が、東京消防庁の建物に邪魔されながらも一望できた。
そしてその中に埋もれるようにしてあるのは皇宮警察本部。
はぁ。ため息が漏れる。初日にしてホームシック。オレ、これからどうなっちゃうんだろ。

「おーい、こんなとこで油売ってる暇はないんだ。次行くぞ次」

ベンチで大きく伸びをしていたオレを置いて、猿島班長はドアの向こうへと消えてしまった。
慌ててその後を追いかける。
次って、もう屋上まで登りつめちゃったのにな。

エレベーターの前で猿島さんに追いついた。そのままエレベーターは下へ向かった。
5階、4階、1階を追い越して地下2階ででドアが開いた。

「うわぁ・・・」

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