妹を縛りつけていたのは、もしかして自分なのかもしれない。
香は、実の両親を知らない子供だった。
養父母にも次々と先立たれた。
そして――殺人犯の娘だった。
そんな妹に、せめて人並みの幸福をと
俺はただただ香のためだけに尽くしてきたのかもしれない。
同級生に引け目を感じさせまいと
学業の合間にアルバイトに精を出した。
10代の少年なら普通に味わうであろう友情も、恋も犠牲にして。
進学の勧めを断ったのも、一刻も早く
香に楽な暮らしをさせてやりたかったから。
思い起こせば自分の青春なんてものは無かった。
だが、香が毎日笑顔で、何も思い悩むことはなく
周囲の子たちと同じように笑い合いながら過ごせるのを目にするだけで
自分は幸福だった。
けれども、『人並み』という俺の願いを嘲笑うかのように
妹は日に日に美しくなった、というのは兄の欲目だろうか。
すらりと伸びた長身、誰もを惹きつけずにはおかない笑顔
そして人目を引く赤い髪。
周りとは違う輝きを放つ香に
彼女は『普通』とは違うのだと思わずにはいられなかった。
あの子は俺がどれほどのことを自分のためにしてくれたかを知っている。
どれだけの犠牲の上に自分の『普通』が成り立っているかということを。
だからこそ『普通』の幸福に固執しようとしていた。
普通に仕事を見つけ、普通に結婚して、普通に母親になるのだと。
そう俺が思い描いていた夢を、自分の夢だと笑って言った。
――『普通』が、決して『幸福』であるとは限らないのに。
なのに香は、俺の身に降りかかった不幸から
普通の人生から足を踏み外していった――
いや、それこそが彼女の進むべき道だったのかもしれない。
そう思わせるほどに、香はそこに適応し、根を張り
自分の居場所を広げていった。
そして、俺が奇跡の生還を果たした頃には
すでにその世界の一員となっていた、優しい心根以外は。
一度はそこから抜け出させようとした。
しかし、それは叶わなかった。
周囲がそれを許さなかったということもある。
だが、それ以上に香が、そして撩が互いを必要とし合っていた。
それを阻む理由は俺には見つからなかった。
それでも、妹は兄である俺に対して負い目を感じているようだ
自分が兄の望むような人生を選べなかったことに。
俺自身、彼女が撩とともにあることを認めたにもかかわらず。
「ごめんね、アニキ」
「いったいどうしたんだよ」
「ほら、昔言ってたじゃない。
お父さんの代わりにヴァージンロードをあたしの手を引いて
歩くのが夢だって」
ああ、そんなことを言ったかもしれない。
でもそれはあまりにもベタな、文字通りの「絵に描いたような幸福」。
それから外れた幸福も数多くあるということは
この世の裏も表も見尽くして、嫌というほど身にしみた。
「あたしはね、今でも充分幸せ。
あいつは戸籍も無いからちゃんとした結婚もできないし
式だけだとしてもきっと挙げてくれないと思う。
ほら、撩ってああ見えて照れ屋だから。
それに――アニキに甥っ子も姪っ子も見せてあげられない。
それでもいいの、あたしは。
でも――アニキはそれを望んでたのに
あたしは叶えてあげられない……」
香の声は震えていた。
うつむき加減の顔からは表情は窺えないが
堅く握りしめた拳に水滴が一つ零れた。
何でこういうときまで俺のことを、
自分以外の誰かのことを気にするのか。
もっと我儘になってもいい、少なくとも俺の前では。
たった二人きりの兄妹じゃないか。
「俺は、お前が幸せならそれでいいと思ってる。
お前がお前らしく、笑顔で生きていけるのなら
どこでどんな暮らしをして、誰と生きようと俺はかまわない」
――何で自分は、これだけのことを今まで言えなかったのか。
俺の勝手な願いが、ずっと香を縛り、迷わせ
傷つけてきたかもしれないというのに。
たとえあいつが俺の望むような人生を歩んだとしても
そこに何の充足も見いだせないのであれば
そして、兄の願いだからと
自分で自分に蓋をしなければならないのであれば
それは決して俺が香に望んだ幸福ではないのだから。
妹はようやく顔を上げた。
涙を流しながら笑みを浮かべていた。
ようやく、呪縛は解けたのだ。
Former
City Hunter
|