一瞬、撃鉄を起こす音が聞こえた。

そんなバカな、ここは機内だ。とは言うものの、かく言うオレもジャケットの下にデザートイーグルを隠し持っている。
おまけに商売柄、いつどこで狙われてもおかしくはない。
頼まれ仕事をすっぽかしての帰国の途、故郷の土を踏む前に死の制裁かと身構えたが
乗員乗客がひしめき合う中、奴らが危ない橋を渡るはずがない。

そのとき気づいた。撃鉄の音を“聞いた”のではなく“感じた”ことを。発せられる殺気。

「Death...for the traitor(裏切り者には死を)」

南米系と思しき男、手には――リモコンスイッチ。
この機もろとも始末する気か!?罪のない乗客を巻添えにして。
デザートイーグルが火を噴く。公衆の面前だろうが手段を構っている場合じゃない。
しかし、殺気がそれで消えたわけじゃなかった。

「It’s ...the rule of “union”(それがユニオンの掟)…」

こめかみを射抜かれてもなお男はスイッチを押した。
この殺気は男の放ったものだけではなかった。
より大きな、半ば狂気と呼べるもの――エンジェルダスト、まさか?
次の瞬間、機体に衝撃が走った。続いて爆発。空が見えた。窓からじゃない、機体の隙間から――

成田を発ったばかりのLA行きは太平洋上で真っ二つとなった。

乗客の半分は日本人、もう半分はアメリカ人のようだったがオレの耳に入ってきたのは聞き慣れたswearingだった。

Gosh! D-n! Jesus H. Christ!

「妄りに神の名を唱えることなかれ」と言ったモーゼが見たら思わず‘Oh my god!’と叫んでしまうような光景だろう。
オレもさんざんこの手の台詞を聞いてきたが、まさか自分が唱える方になるとは思ってもいなかった。
しかしもう片耳が捉えたのは、日本人乗客の叫びだった。
妻の名、子供の名、そして「オカーサーン」と口々に愛するものの名を叫ぶ。それは青い目の乗客たちも同じだった。

―Mercy on us! We split, we split! Farewell, my wife and children!
Farewell, brother! We split, we split, we split!

 

 

「うん、美しい・・・素晴らしい花火だよ。ショータイムの幕開けにふさわしい」

美しい飛行機が粉々に砕けた。その瞬間船内のいたるところから歓声が沸き起こった。
長老(メイヨール)もお喜びに違いない。
しかし私だけがその輪に入れなかった。
胸が締め付けられる。
あの落下していく小さな破片よりも小さい、乗客たちの断末魔の叫びが私以外の耳に入らないのか?
――おそらく、あの惨状では誰一人助からないだろう。
心臓が張り裂けそうなほど激しく脈打つ。息ができない。
肺に空気を入れようと口を開いても、まるで溺れているかのように喘ぐだけだ。
内ポケットの錠剤のシートを探ると、5,6個をまとめて口へと流し込む。
シルフがいなければ――私は生きていけない。


Count Down to Denouement

vol. 1 quiet before tempest

――目を開ける。どこかの倉庫のような、殺風景な光景。
ときどき地面がうねる。いや、海の上なのか?
視野が明瞭になると周りの様子も見えてくる。
殺風景ながら医療用らしき設備が並ぶ。オレが寝かせられているのも診療台のようだ。
そしてオレを取り囲む白衣の群れ――。

「気がついたかね、ミック・エンジェル君。といってもここは天国じゃないがね」

白衣の男――顎のとがった痩せぎすの男が声をかけた。

「・・・あ・・・うぅ・・・」

声が聞こえる。獣の唸り声のような。――オレの声か?
強烈な離人感。自分自身の上に起こった出来事なのに、まるで夢のように現実感が感じられない。それもとびきりの悪夢。
こうやって視野が動いても、自分で首を動かしたように感じられない。カメラがパンしただけのようだ。
オレを取り囲んでいるのは白衣の男女たち。

「君はラッキーだ、あの惨劇から助かったのだからね。恐らく君だけだろう。
しかしそれは君自身の力によるものじゃない。メイヨールの思し召しと、このエンジェルダストがあったからこそ――」

その中で一人の男がオレの眼を惹いた。
彼だけが一人だけ白衣じゃないということもあっただろうが、
決して背は高くはないが猫背、眼鏡の奥には沈着そうな眼が光る。その顔に見覚えがあった
――直接会った訳じゃないが、でも遠くない過去、ついこの前。あれは確か、カオリの部屋で見た写真の――。

二度目に目を開けると、見覚えのある天井があった。
といってもこの天井との付き合いはまだ半年に満たないが
それでも目覚めてこれが目に入ると落ち着きを感じるほどに馴染んできた。
ゆっくりと首を動かして周囲を見回す。よかった、これは夢じゃない。
そしてオレの横には最愛の婚約者――日本語ではどうだか知らないが
少なくとも英語では複数のものに対して最上級が使えるから間違いじゃないはず――がぐっすりと眠っている。
昨日ようやく実験が終わり、データの分析がまだ残っているというのを言いくるめて、ようやくの休息だ。
彼女を起こさないように身をもたげた。
カレンダーの今日の日付は3月31日、同じく最愛の――しかしその想いの叶うことのない、初恋の君のバースデイ。
しかしそれは同時に、彼女の兄が消息を絶った日でもある。
その足取りがつかめないまま、彼女は自分の誕生日を祝うことはできないだろう。
そして明日の手帳にはこう書いてあったはずだ。“Appointment with Ms. Saeko”と。

 

 

――泣き出しそうな空、か。

今日の空は恐ろしいほど7年前を思い出させた。
あの日もこんな、ドブネズミ色の雲が手の届くほどに立ち込めた、こんな空だった。
その空を俺はあいつと見上げていた。そのあいつは、今はここにいない。

「よく言ったもんだぜ」

まるで香のようだった。
普段は涙なんて見せない彼女が気丈にも涙をこらえて、それでもこらえきれずにこぼれ落ちる寸前の、彼女の瞳のような――。

「こんなところにいたの?せめてパートナーの傍にいてあげなさいよ、せっかくの誕生日なんだし。
しかもこんな天気よ、香さん、心細いんじゃないの?」
「んなこと言ったってあいつ、朝から辛気臭い顔してんだもん。
あーあ、そんなに齢とるのが嫌なんかねぇ、27になるのが」

おどけた口ぶりで煙草に火をつける。
そんな今日の空のような香を見ているのが耐えられなかったから、ここに来たというのが真相だ。
我ながら気の小さいもんだ。
――彼女にあんな表情させたのは俺だ。
彼女の兄が、槇村が俺と組まなければ7年前の今日、妹の待つ家に帰ってこれる筈だったのに。
せめて俺が行っていれば、せめて拳銃を渡していれば。

「27歳か・・・早いものね、あの時まだ20歳だった香さんがもう27よ。もうそんなに経つのね」

7年、それは行方不明者の関係者にとって大きな意味を持つ数字だ。
7年間消息が途絶えれば、その生死を問わず失踪宣告によって不明者は死んだものと見なされる。

「そしてここも取り壊される――彼が消息をたったシルキィクラブも」
「ああ、ユニオンが壊滅して、ようやく買い手がついたそうだ。工事が始まるのは明日から、だとさ。
にしても薄情だな、冴子。こんなとこに手ぶらで来るなんて」
「あら、花は死者に手向けるものよ」

その言葉に、地面に置こうと思った煙草のケースをポケットにしまいなおす。

「わたしは槇村を死なせたりはしない。彼はまだ生きてるわ」

真っすぐな眼で冴子は言い切った。
その眼は瞼を覆い尽くそうとする暗雲を蹴散らすかのような強い光を放っていた。
それこそあいつが、槇村が愛した冴子の眼だった。

 

 

1985年3月31日、槇村秀幸はシルキィクラブで消息を絶つ。
そこは中南米を拠点とする麻薬組織、ユニオン・テオーペの拠点だった。
あれから7年、ユニオンも壊滅したが未だ槇村は戻らない。



「槇村は生きている!」と言いつつ、失踪させてます。
じゃないとCH本編との整合性が合わないので。

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