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――日毎仕事世迷言
追われ続けりゃ・・・限界over
「ふう。これでよし、と」
掃除機を止めると、さっきまでモーター音が響いていた部屋が一転して静寂に包まれる。
リビングは結構広いから掃除するのも一苦労だ。本当はそんなに毎日するものじゃないのかもしれないけど
フローリングだから細かい埃も目立ってしまい、ついつい綺麗にしてしまいたくなる。
といってもここは慣れ親しんだサエバアパート601号室ではない。
アニキと冴子さんのマンション、新婚家庭の云わば愛の巣だ。
そこになんで小姑が転がり込んだかというと、早い話がパートナーを解消されてしまったのだ。当然の結果だった。
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closer by
closer
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vol. 1 君のいない昨日の続き
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3月31日、あたしの誕生日――でも今年はちょっとだけ違った。
8年ぶりの、アニキのいる誕生日。だから「今夜はあのときの続きだ」って言ってくれた。
腕に縒りをかけてのテーブルいっぱいの料理にバースデイケーキ。そして後はアニキが撩をつれてくるのを待つだけ・・・
だけど、そんな期待は裏切られた。
次々に訪れる招かれざるゲストたち。
「香さん、誕生日おめでとう」
「Happy birthday, Kaori!」
「28歳おめでとう。お互いもう若くもないわね」
あのとき用意してあった席はあたしとアニキと撩の3人分だけ。
でもアニキのいない間、あたしは冴子さんに出逢い海坊主さんに出逢い美樹さんに出逢い、
麗香さんやかずえさんや教授、ミックや唯香ちゃんやかすみちゃんたちと出逢った。
いつの間にかあたしの誕生日を祝ってくれる人はこんなにも増えていた。
それがアニキのいなかった、そして撩と過ごした年月の重みだった。
吹き消されるロウソク、鳴り響くクラッカー、笑いさざめく声。
そしてアニキから渡された指輪――8年前、“形見”だと言われて撩から受け取ったもの。
それを改めて手渡された。
「香、お前に言わなきゃならないことがある。
本当はあのとき、20歳の誕生日に言っておかなきゃならなかったんだが――」
判ってた、ずっと前から。あたしがアニキの本当の妹じゃないことは。
そしてさゆりさんに出逢って・・・でも、たとえ血がつながらなくてもあたしはアニキの妹だということは
ずっと揺らぐことはなかった。
「あたしにとってアニキはアニキよ、それ以上でも以下でもないわ」
「香、お前・・・」
「さ、香さん。わたしたちからもプレゼントがあるの」
と冴子さんがすっと間に入った。そしてアニキに目配せする。
アニキは笑っているんだか困っているんだか判らないような笑みを浮かべていた。
グラスの鳴る音、酔っ払いの歓声・・・それも総て静まったあと、
客の去ってしまったリビングにあたしと撩だけが取り残された。
「香、俺も前からお前に言わなきゃならないことがあった」
「・・・なに?撩――」
「パートナーを解消しよう」
撩のシャツの下には包帯が幾重にも巻かれていた。
撩はあたしを庇って銃弾を負った。
あたしをそのたくましい胸板に埋め、飛び交う銃弾から身を伏せた。
しかし、あたしを狙ったその一つが撩の背中にめり込んだ。
幸いにも弾丸は肩甲骨に阻まれ深手を負うことはなかったけれど
あたしのせいで撩が傷ついた、その事実があたしの心に陰を落としていた。
今回は軽症で済んだ。でも、一歩間違えば利き腕の右肩を・・・いや、撩の心臓を銃弾が貫いていたかもしれない。
思わずあのときの――墓場での決闘が頭をよぎった。
撩の額を掠めた44マグナム。
あのときあたしが、何も見えなくなってしまったあたしが飛び込んで行ったりしなければ撩は傷を負うことはなかった。
今回もそう。もっと早く射線に気付いていれば、周囲の気配に敏感であれば
未熟でさえなかったら彼が傷つくことはなかった。
このままだと、いつか撩があたしのせいで死んでしまうのではないか――その不安は常に胸の中に隠れていた。
それが一気に噴き出してきたのだ。
だから、撩の言葉に抗えなかった。それこそがあたしの望んでいたことなのだから。
居場所を失ったあたしに手を差し伸べてくれたのはアニキと冴子さんだった。
当然といえば当然のことだろう。あたしはあいつにとってあくまで大事な“預かりもの”、
預け主が帰ってきた今となっては返すのが当然のことなのだから。
冴子さんは結婚してからも署長職を続け、アニキは特捜課勤務という破格の栄転となった。
二人とも超多忙な共働き夫婦に代わり、家事一般はあたしの仕事となった。
毎日掃除して洗濯して食事を作って、撩といた頃と変わらない生活。
そうだからだろうか、いつしかこんな三人暮らしが居心地のいいものに感じ始めていた。
きっとアニキがあんなことにならなければこうやって暮らしていたのかもしれない、こここそがあたしの居場所なのだと。
サイドボードの鏡にあたしの姿が映る。右の頬にかすかな傷跡。
あのとき、細かな破片があたしの頬に負わせた掠り傷。
撩の方がよっぽど重傷なのに、ずっとこの傷を気にしていた。
傷はごく浅く、跡ももう目立たない。
しかしこの傷跡だけが、今となってはあたしと撩をつなぐ唯一のもののように思えた。
傷跡が消えてしまったとき、あたしは撩のことを思い出にできているだろうか――。
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――撩、起きなさい!
わぁってる、あと5分だけ。二日酔いの頭に怒鳴り声がハンマーのように響きやがる。
――本当に5分経ったら起きてくるんでしょうね。起きてこなかったらハンマーだからね!
その上本物のハンマーを喰らったらたまったもんじゃない。約束の5分に大分残して寝室から降りてくる。
階段から鼻腔をくすぐるのは朝食と、薫り高いコーヒーの匂い。そして俺を待っているであろう香の笑顔。
ついつい歩速が早まる。しかし、二日酔いの寝ぼけ眼で階段を駆け下りようとすると・・・足を踏み外すわけで。
いや、落ちたのは階段からじゃない、ベッドの上からだ。
何で目が覚めた夢というのはこんなにもリアルなのだろうか、現実と見紛うほどに。
ここ数日仕事に追われ続け、やっとぐっすり寝ることができたというのに何という寝覚めの悪さだ。
夢というものが願望充足ならこれもまた俺の秘められた願望だというのか。
馬鹿馬鹿しい。香を追い出したのはこの俺だというのに。
あいつは俺のもとにいるべきじゃない、日の当たる場所こそあいつに相応しい居場所なんだ。
俺と香はもともと住む世界の違う人間なんだ――そんな思いが常に俺を捕らえ続けていた。
しかし、それと同時に「香を手放したくない」というエゴに引き裂かれていた。
一度は決心した、パートナーとして傍に置き続けると、愛する者として守り続けると。
しかしそれも条件付きだった。二人を巡る状況がこれからも変わらないならと。
槇村の帰還、それは俺たちの状況を大きく変えるのに充分な出来事だった。
何で香を手放さなかったか――俺の傍以外にあいつの居場所はなかったから。
しかし、槇村というもう一つの居場所さえあるのなら何を躊躇することがあるだろうか。
香はあくまで大事な“預かりもの”、預け主が帰ってくれば返してやるのが当然のことなのだから。
これでよかった、これであいつは幸福になれる。普通の女と同じように・・・。
だが、今朝の夢のように後悔が無いと言えば嘘になる。
まるで幻肢痛のように心のどこかで香を求めている。しかし、いくら痛んでもすでに無い四肢を擦ることができないように
いくら心が泣き叫んでも香を取り戻すわけにはいかないのだ。喪失ったという事実を受け入れるしかないのだ。
こればかりは時間が解決してくれるほかはないだろう。傷が癒え、かさぶたとなって剥がれ落ちるようにいつか香を――。
香が出て行ってから、一緒に貧乏神も出て行ったのか冴羽商事は設立以来の依頼ラッシュに沸いた。
XYZが3件もほぼ合間なく続いたのだ。
槇村を失った冴子がなぜ脇目も振らずああまで仕事に打ち込んだのか、今なら判る気がした。
ただ敵の気配に神経を尖らせ、身も心も擦り減らす毎日。香のことなど考える余裕もなかった。
いくら依頼人に手を出してもハンマーが飛んでこないというのは物足りないといえば物足りないのだが。
その間、留守にすることの多かった、そして帰ってきてもほとんど寝るだけだったこの部屋・・・こんなに殺風景だったろうか?
そこには生活の匂いというものがまるでなかった。香がいたときには暖かく部屋中を包んでいたものが。
リビングに散らかった酒瓶は寝つけない夜のナイトキャップ、にしては量が多すぎるか。
一方でダイニングテーブルはこの半月間まったく使われた形跡が無かった。
いつもだったら今ごろそこに香の手による朝食が並んでいるはずなのに――もうそんな“いつも”はありえない。
この寒々とした空気が“いつも”となるのだから。
(・・・とりあえずコーヒー)
寝起きの脳がカフェインを欲する。
さっきまで、夢の中にはあれほど馥郁たる薫りが漂っていたのに、現実にはカビと埃とアルコールの臭いが充満するだけだ。
だが、いつの間にか香の秩序に染められた戸棚の中からはコーヒー豆が見つからない。禁断症状ゆえか、苛立ちばかりが募る。
コーヒーミルなら台所の片隅で埃を被っているのに――。
わざわざミルで挽き立てを淹れるようになったのは香と暮らし始めてからだ。
もともとはインスタントだったが、それよりは挽き立てのほうが旨いに決まっている。
そして、いつの間にか必ずミルで挽いたやつ、と一端の通を気取るようになっていた。それもいつも香に淹れさせて。
思えば俺はいつも香に甘えていた、コーヒー一つとっても。
香の与えてくれる、一見面倒くさい日常に、煩わしいほどの温もりにすっかり浸りきっていた。
でも香はもういないのだ。
仕方なしにインスタントの瓶に手を伸ばす。カフェインが摂取できれば何だっていい。
飯も腹が膨れれば、寝場所も服も熱さ寒さをしのげればそれで構わない。
今まで俺はそうやって生きていたのだ。その頃に戻るだけだ。
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――帰ってこない。
テーブルの上にはすでに湯気の消えた夕食。時計が指しているのはPM8:27。
遅くなるという連絡はアニキからも冴子さんからも受けていない。でも、二人そろって帰ってこないのだ。
思わず既視感に駆られてしまう。確かあのときも・・・
あのときほど豪華じゃないにせよテーブルには3人分の夕食、それを取り囲む3つの椅子に座っているのはあたし一人。
いつも時間にうるさいはずのアニキが珍しく何の連絡も入れずに――そんなはずがない!
そもそも一体誰がアニキたちを狙うというのだ。ユニオンも、シンセミーリャもすでに無い。
危険な生活とはもう縁が切れたはずだ。撩とも距離をおいた今となっては・・・。
外からはぱらぱらと雨粒の音。思わず両手で耳を塞いだ。何もかもがあの夜を模し始めていた。
そのとき、玄関のドアが開いた。
――撩?
残念だがご馳走を食いに来たわけじゃあない、と言って彼が現れそうな気がした。
でも、
「香?」
戸口へと駆け寄ったあたしを出迎えたのは、少々面食らった顔のアニキと冴子さんだった。
「ああ、そうか。連絡入れるのを忘れてた。すまなかったな、香、心配かけさせて」
「ううん」
おそらく心配で張り裂けそうであろうあたしとは対照的に、二人の表情からは隠そうとしながらも笑みがこぼれていた。
「何か・・・あったの?」
「いや、少なくとも玄関先で話すようなことじゃないだろう。それよりまず飯にしよう。話はそのときにでも」
「あら、こういうことはなるべく早く伝えないと。おめでたいことなら尚更」
おめでたい・・・こと?
「おめでとう、香さんももうすぐオバサンね」
オバサン?小母さん・・・叔母さん!それじゃあ――
「冴子、こんなところで――」
「あら、いいじゃない。善は急げっていうし」
「でもまだこれから先のことは何も決めてないだろう?君の仕事のことも」
「わたしの人生設計プランじゃもうこの年で子供の1人や2人生んでるはずだったのよ。それをあなたが――」
頭の中がいろいろ渦巻いてて、二人の遣り取りがかすかに遠く聞こえるだけだった。
「とにかく、仕事は辞めるつもりはないわよ。香さんには今まで家事とか迷惑をかけてるけど
これからもっと迷惑が増えると思うの。でも本当に助かってる。
その上ベビーシッターもしなくちゃならないかもしれないけど、期待してるのよ。
だから、これから先もここに居ていいから、いえ、居てほしいの」
でも、そんな冴子さんの言葉とは裏腹に、あたしは自分の置かれている立場が今はっきりと判った。
あたしは居候でうるさい小姑で、新婚家庭の夾雑物だって。
いつまでもアニキたちに甘えるわけには、ここに居続けるわけにはいかなかった。
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featuring 『Half Moon』 by TUBE
でも、タイトル前のシークエンスはBGMに
『Blue Air Massage』ってのもいいかも、歌詞的に。
お待たせしました!
『Count Down to Denouement』で冴子と槇村に(かなり自己流な)決着をつけさせましたが
今度は撩と香の関係に一つの区切りをつける番。
ということで定番の別居ネタです。
でもこの定番という型の中でどうオリジナリティを見せるかが二次創作の腕の見せ所。
なので今回も最後までお付き合いくださいませm(_ _)m
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