どうなの? さぁどうするの?


指先で机をコツコツと叩くのは、苛立ちを表す仕草なんだとか。それは何らかの不満を持っているときに多くの人がつい無意識にやってしまう癖なのか、それとも口には出さずとも意図的に「私、イライラしています」と伝えたいときのボディランゲージなのか……少なくとも、今のあたしは前者の方だった。

店の有線から流れる、ちょっと夏めいたファンクっぽい変拍子のリズムに合わせて、あたしの指はよく磨かれたカウンターの天板を叩いていた。

「あら、香さん。何かあったの?」

その音を、カウンターの奥でグラスを磨いている店の女主人は聞き逃がさなかった。ふっと意識をこちら側に引き戻されて、美樹さんの方を向こうとして頬杖をついたもう片方の肘が危うく滑りそうになる。

「どうせ冴羽さんのことですよね」

あたしたちの他に客らしい客のいない夏の昼下がり、それぞれの机の紙ナプキンを補充して回っているかすみちゃんが余計な助け舟を出してきた。

「そ、そういうわけじゃないけど……」
「ああそうだ、来週ここ5日ぐらい閉めることになるの」

と美樹さんが言う。見れば、店の奥にかかっているカレンダーにいくつか赤い×印がついていた。

「え、どこか行くの?」
「行くっていってもどうせ山だから、小屋でその間自給自足よ」

そう笑うけれども、
「ってことは、夫婦水入らずですよねぇ。いいなぁ♪」
とかすみちゃんに言われるとまんざらでもなさそうだ。

「それで、香さんのところは?」

そこまで言われると、あたしも言わざるを得なくなってしまう。

「なぁんにも」
「え、ほんとに何も?」
「そ、なんも無し。まぁその分、これといってトラブルも無いから
それでいいのかもしれないけど」
「でもこの間ニュースでやってた密造工場の爆発って――」

訊きかけたかすみちゃんを美樹さんが目で制す。それも含めてあたしたちの「日常茶飯事」なのだ。

「あーあ、せっかくの夏だっていうのにねぇ……」

つけっぱなしになっているテレビは民放のワイドショーにチャンネルを合わせてあった。そこに映し出されていたのは真夏のビーチの盛況ぶり。

「そうですよ、香さんたちにとっても今年の夏は特別なんですから」

判ってる。だから改めて周りから言われると余計にグサッと来る――
「愛する者」と撩に言ってもらえて、初めての夏。だからといってあれから大した進展は無いのだけれど。

「――じゃあどうだい? ボクと一緒に一夏のアヴァンチュールってのは?」

今度はカウンターのこっち側、一つ席をおいた隣から声を掛けられた。

「ミックぅ」
「何やってんですか! 秋にはかずえさんと式を挙げるんでしょ!?」

そうCat'sの女性陣の十字砲火を浴びても彼は涼しい顔をしながら、長いスプーンでコーヒーフロートのアイスを突っつく。

「冗談だよ冗談、it’s just a kidding!」
「でも、言っていいジョークと悪いジョークがありますっ」
「まぁそうなんだけどさぁ。でもシアワセすぎると
なんか物足りなくなるっていうか、シゲキが欲しくなっちゃうっていうの、ない?」

と必殺のキラースマイルを振りまくが、
「そんなの勝手ですよ」

そうかすみちゃんは取りつく島も無い。

「そう、勝手なものさ、オトコゴコロってやつは。でも、オンナゴコロも、ね」

と言ってこちらに目配せを送ってきた。その眼差しに思わずぞくりとする。
半分はもちろんジョークなんだろう、でももう半分は――間違いなく本気。
そんな眼で見られて、胸が熱くならない女はいないだろう。でもそれと同時に思うのは――撩に、こんな眼で見つめられたい。

結局あたしも、多かれ少なかれミックと同じなのかもしれない。
どこか物足りなく思うのは、ある意味今が幸福すぎるから――毎日、世界で一番大好きな人の傍にいられて、一緒に泣いたり笑ったりできて。そしてやっと、撩も同じ気持ちだったと判って。でも、そのうえ痺れるような刺激が欲しいだなんて、贅沢な悩み以外の何物でもない。

「それに――」
「それに?」
「夏なんだからしょうがないよ、こんなギラギラ太陽がけしかけてくるんだから」

その答えにかすみちゃんは釈然としないようだ。でもあたしにはよく判った。
夏なんだからときめきたい、そんな願いのどこがわがままなんだろうか。
悪いのは、ときめかせてくれない撩の方。ならあたしから言ってやってもいいはずだ。どこか連れてって、もっとドキドキさせてって――らしくないと自分でも思う。でも全部夏のせいにしてしまえばいい。

天板に手を突き、あたしは勢いよく立ち上がった。敵は今、灼熱のアスファルトの上でガールハントか、それともアパートの冷房の中でシエスタか
――ねぇ撩、どうなの? さぁどうするの?


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