Remember Me

自分は彼女を愛していた。

その気持ちには気づいていた。

しかし、どれほどまでに愛していたのかということは

彼女が去ってから気づかされた。

 

そして、彼女が自分にどういう感情を抱いていたかも。

 

いや、気づいていた。

彼女が自分のことを、憎からず想っていたことを。

しかし、その想いに応えることはとうとうできなかった。

彼女だって気付いていたはずだ。

 

二人の想いは、すれ違い続けていた。

もっと早くに気づいていれば、そしてその想いを伝えることができたなら

こんな惨めな結末にならなくて済んだのに。

もっと素直になれていたら

傷つくことを怖がらなければ。

どうかしてた。

後悔ばかりが心に浮かぶ。

 

だから

この想いを伝えたい、ようやく気づかされたこの想いを。

しかし、今となってはもはや伝えるすべはない。

そう、遅すぎたのだ。すべて。

気付いたときは、いつも手遅れなのに。

 

 

部下の一人が言っていた。

あの頃の日々は、まるで子供の夏休みのようだったと。

その通りだ。

いつもまだまだだと思っても

あっという間に終わってしまう。

二人の間に流れた時間も、まさにそうだった。

 

「急ぎすぎた夏のせい、か」

 

だが、物を言っても唇が寒いだけだ。

 

 

長すぎた一日は終わろうとしている。

『状況』の首謀者は逮捕され、彼女を乗せたヘリが飛び去り

今、俺は壊滅した埋立地から夕日を眺めていた。

夕日に、東京の街並みがシルエットとなって浮かび上がった。

俺たちが全てをかけて守った都市(まち)、

そして今、彼女が消えた都市。

オレンジと黒のコントラストが、なぜかにじむ。

それが涙のせいだと気が付くのに時間がかかった。

たかだか女一人、それも片想いの相手がいなくなっただけで泣くなんて、

女々しい自分を認めなくなかったのか。

こんな自分を彼女が見たら、どう思うだろうか。

しかし、この女々しい涙も彼女は気付かない。

――俺、待ってるから・・・

 

 

今、俺のことを想ってくれなくてもいい。

ただ、忘れないでくれ。

ここでの日々を、俺といた日々を。

思い出してくれなくてもいい、

忘れないでいてくれたなら。

記憶の奥に封じ込めたまま葬り去らないでほしい、

あなたの過去と同じように。

 

けれども

あいつのことなんて忘れちまえ、と

口に出せない思いがあふれ出す。

そう、忘れてしまえ

そんな過去に縛られて前に進めなくなるくらいなら。

 

このまま、さよならなんて言いたくない

誰にもあなたを渡したくないから。

 

 

こんな言葉を聞いたことがある。

恋とは奪い合い続け、愛とは与え続けること。

ならば、自分のかつての恋人への想いは

幼稚な恋だったのかもしれない。

あの人の全てが欲しかった。

そして、その想いがあの人から全てを奪った。

 

ならば、彼のわたしへの想いは

愛そのものだった。

わたしは彼の想いに応えることはなかった。

それでも、彼はただひたすら

わたしだけを見ていてくれた。

 

彼の想いを、今さらになって気づくなんて。

そして、それに対する自分の想いを。

なんでもっと前に気づいてあげられなかったのか。

自責と後悔だけが湧き上がる。

もう、止まらない。

 

もう一度、彼の顔が

あの笑顔が見たい。

 

 

あたりは闇に包まれていた。

俺は半壊した2課棟から、闇に溶け込んだ街並みを今も眺めていた。

 

そう、いつもここから、隊長室から外を眺めていた。

ここからは、ビルの群れが遠くに見えた。

まるでここが東京ではないかのように。

 

「コーヒー、飲むかしら?」

 

インスタントの匂いが鼻孔をくすぐる。

振り返ると彼女が両手にカップを持って立っていた。

片方は彼女のもの、もう片方は自分の。

いつものように受け取る。

 

「せめてクリームぐらい入れたら?

ブラックじゃ胃を傷めるわよ」

 

そんな些細な気遣いが

今となっては懐かしく思える。

それが彼女の優しさだった。

 

 

「コーヒー、飲みますか?」

 

はっとして振り返る。

そこには、現実の、今の2課棟には

部下が缶コーヒーを両手に持って立っていた。

 

「なんだ、泉か」

「南雲隊長だと思いましたか?」

 

図星だった。

 

「遊馬たちや整備班のみんなにも買ってきたんですよ、コンビニで。

あ、さっきハンガーで渡してきましたから。

ブラックとミルク入りとありますけど」

 

――ブラックじゃ胃を傷めるわよ。

 

「気分的にはブラックだな」

 

思い出すのはずっと、そんな瑣末な出来事ばかり。

しかし、過ぎ去ってしまえば

そんな毎日が一番いとおしかった。

 

 

だから、せめて

あなたはあの日のまま、変わらずにいてほしい。

あの日の優しさを持ちつづけてほしい。

またいつか出会う日まで、

いつかここに戻ってくる日まで。

 

彼女はここに戻ってくるだろうか。

それとも、彼女はこの街を去ってしまうだろうか。

俺といた日々の刻まれたこの東京を。

それは、今となっては寂しすぎるものだから。

 

いや、彼女はこの街を捨てることはできない。

それは、この歳月を捨て去ることと同じだから。

そして、彼女自身の生き方を捨てることだから。

 

だから、戻ってきてほしい。

暗闇の街に向かって、声にならない声で呼びかける。

当りさわりのない、だが幸せだった日々の続きを

もう一度送りたいんだ・・・。

 

 

「泉、もうそろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?」

 

闇はさっきよりずっと濃くなっていた。

 

「隊長こそ・・・

宿直室も、雨風はしのげると思いますけど

すきま風入って寒いですよ」

 

帰る家、か。

そこには誰もいない。

俺が帰るまで冷たく、真っ暗なまま。

ついこの間までは、それでもそこに帰っていた。

もしかしたら、そんな日々を終えられるかもしれないという期待もあったのか。

しかし、今はもうそこに帰りたくなかった。

今までは耐えられても

これから先は耐えられる保証がない。

こんなに寂しい夜はもうごめんだ。

 

誰にも彼女を渡せない。

それが、自分の唯一の希望だから。

  

 

俺はずっと彼女を想い、愛し続けてきた。

しかし、彼女の想いにどう応えてこれたか。

今となっては、自分の想いは

愛情の押し付けの、ただの自己満足に過ぎなかったのではないか、

そんなふうにも思えてくる。

不器用だったのだ、愛されることに。

 

今度もし会うことがあれば

その想いを素直に受け止めよう。

そして、許しあおう、全てを。

彼女を裏切ったことも、そして彼女が俺を選ばなかったことも。

だから、さよならだけは言わない。

そのかわり

 

「誰より君を愛してるよ、しのぶさん」

 

今も彼女がいる、この街の空に向かって。

Patlabor