Te Quiero

Te quiero
I love you
愛してる――

何でこの言葉を口にできなかったのだろう。今更もう遅いのかもしれないが。

もし二人が純粋に男と女として出会っていたら、こんな遠回りをすることもなかっただろう。だが、俺にとって香は「親友の妹」であり「大事な預かりもの」。そして何より俺は裏の世界にどっぷりと浸かりきった人間だ。あいつのような日の当たる場所で育ったやつとは生きる世界が違う、はずだった。

それが、いつからだろうか。あいつの表情、仕種、総てから目が離せなくなってしまったのは。無理だというのは判っている。無謀というのは百も承知だ。だが、香に惹かれていく心を止めることはできなかった。

なのに・・・ああ、そうだ。沈みゆく船の中、防弾ガラスの『檻』の中は脱出路は無い。『遺言』通りにオヤジの脚を撃ち抜き、詰められた爆薬で船底を吹っ飛ばしてみたまでは良かったものの――
オヤジ、あの状況下で自力で脱出するのはいくらなんでも無理な相談だぜ。
空いた穴に飛び込む前に、爆発の勢いでそこから海に投げ出されたのだ。
しかも俺の引き起こした爆発がちょうど船にとどめを刺した形となってしまい、もはや原型をとどめていない巨大な残骸が渦を描きながら沈んでいく。それに巻き込まれたら一緒に海の藻屑だ。
ただ、今のところその他無数の破片にぶつかることなく、こうして海中を漂っているのだが、自分の体が少しずつ、渦の中心に向かって流されているのは俺にも判っていた。
だが――こうして流されるままに漂っているのは、何と心地よいのだろうか。
今まで、嫌というほど流れに抗ってきた。運命に抗い、自分に抗い、人間としての心とも抗い続けてきた。総ては、生きるため――抗いもがくことを止めれば、死へと向かって押し流されてしまうだろう。

香の言っていたあの言葉――父親をこの手で殺した俺には、もう生きる気力も残されていない――それはある意味事実だった。だからこそ気づかせてくれたのかもしれない、あいつが。俺にはまだ生きる意味が残されているということを。
そして誓った、生きて帰る、香を悲しませたりはしないと。
だがその誓いも風前の灯かもしれない。こんなことになるくらいなら何で今まで
――ミックとの決闘の時ですら――きちんと言葉にしてやれなかったんだ。
ああ、判っているさ。もしはっきりと口にしてしまっていたら、もはや俺たちは後戻りはできない、もしかすれば今までの居心地のいい関係が音を立てて崩れてしまうかもしれないことぐらいは。
だが、傷つくことを覚悟で想いの丈をぶつけてさえいれば――
傷つくのは一瞬だ。だがその一瞬を今まで恐れ続けてきた、このシティーハンターとあろう男が。そして月に向かって吠える犬のようにずっと届かぬ想いを胸に燻らせていた、自分から届けようともしなかったくせに。

だからせめて、この命が尽きてしまう前に、香に伝えなければ・・・!
その一方で、水音に混じって何かが耳元で囁く。お前は今まで何のために生きてきたのか、父と信じた男に裏切られた少年の日から。その復讐が叶った今、もはや血の涙を流してまで生き続けることはないのではないかと。
このまま、流れに身を任せていればいずれ渦に呑み込まれるだろう。俺の気持ちもまた、荒れ狂う波に揉まれるように浮きつ沈みつを繰り返していた。

瞼を開ける。その時、網膜に焼きついたのは、水色の海面越しに映る太陽の姿だった。それは波のうねりに合わせて形を大きく歪ませながらも、海中にまで光を降り注いでいた。
――こんなところに沈んでいる場合じゃない。俺のいるべき場所は深い海の底などではなく、あの太陽の下――そして香の傍。
闇の住人などとうそぶいていたくせに、何たる言い草だ。だが今の俺にとって帰るべき場所は、香の待っている、太陽の降り注ぐ海の上しかありえなかった。もう、生きる世界が違うとか、そんな台詞はおさらばだ。これからは香と二人、同じ道を歩んでいく。
俺のいるこの場所も全くの暗闇というわけじゃない、ここにだって光はあるということを気づかせてくれたのは香、お前なのだから。

少しでもこの流れから離れようと、腕を大きく掻く。だが、漂っている分には緩やかな流れなのに、そこから抜け出そうとするものには大きく牙をむく。どれだけ水を掻き分けても前には、上には進めない。逆にもがけばもがくほど流れは強く、大きくなるかのようだ。
大きな残骸が波に揺れるのか、時々全身を飲み込むようなうねりが襲い掛かる。その度に体はコントロールを失い、また渦へと引きずり込みまれる。それでも再び、渾身の力を振り絞って水を蹴る、たとえ運命の荒波には到底敵わなくとも。何度これを繰り返しただろうか。だが、止めるわけにはいかない、諦めるわけにはいかない。香のもとに辿り着くまで、直接この口から想いを伝えるまでは――。



――船室に鳴り響くでたらめなカウントダウン、
  あの男に取り憑いた悪魔の最期の置き土産。
――二人を隔てる防弾ガラス。
――単なる種族保存本能?
――それとも・・・?
――そんなことはどうだっていい。俺は、今、あいつを・・・。



「リョウっ!」
「冴羽さん!」

呼ばれ慣れた声に遠のいていた意識が戻ってきた。
って俺、空の上?いくら高所恐怖症ではないとはいえ、足元に踏ん張るものが無いというのは多少なりとも不安だ。だが、そんな姿をあいつらに見せるわけにはいかない。笑顔でVサイン。幾分表情が引き攣っているかもしれないが、この距離では気づくまい。

そういえば何で俺はこんなところで宙づりになっているのか・・・?
確か、ようやく海面に顔を出したはいいが、幸か不幸かそこは救助ヘリの真下だった。ローターが巻き起こす波と、ようやく娑婆の空気を吸えたという安心感からか、一気に体中の力が抜け、投げ落とされた浮輪を掴むのがやっとだった。意識が落ちる寸前、上空のヘリの助手席から女狐がウィンクするのが見えたような気がした。
その女狐がロープを切ってくれたおかげで香のいるボートに泳ぎ着くことができたのだが、

「撩ぉお!!」

いきなりの香からの先制攻撃だ。全身で飛びつかれて小さなボートから再び海中に逆戻りだ。だが今度は沈むわけにはいかない、香がしっかりとしがみついているのだから。

「よかったぁ、無事で!」

その体に染み込んだ心地いい重みに、さっきまで波に飲まれながら考えていた台詞なんて総て吹っ飛んでしまった。ただ、温もりを分かち合う、それだけで伝わる気持ちもあるのだから。海中で冷え切った体に、香の体温が暖かかった。まるでそれが彼女の想いの温度であるかのように。それにしても――重い。

「約束は守るって言ったろ?」
「う・・・ん・・・。よかっ・・・た、ホント・・・に」

香・・・?

よく見れば頭には包帯、脱出の際に怪我を負ったのだろう。それを今まで――なのに、俺の顔を目にした途端、気が緩んでしまったのだろう。何てことはない、ただ気を失っただけだ。目が覚めたら今度こそ、俺の本当の気持ちを――

「記憶を・・・失っ・・・た?」

ほどなくして香は無事に目を覚ました。だが、脱出の時の怪我のショックで、あの日の前後の記憶があいつの脳裏から消えていた。

「じゃあ、あ〜んなことも、こぉ〜んなことも、ぜぇ〜んぶ忘れたぁ!?」

俺がせっかく命懸けで伝えようとしたことも、文字どおり水の泡と消えてしまったのか。あれは共に生命の危機に瀕したからこそ言える言葉であって、その記憶が一切こそげ落ちていたなら「何言ってんの?」の一言(orハンマー)で片付けられてしまうだろう。じゃあ、俺の決意は、血を吐くような苦労はいったい何だったのか!?

――何度泣いても 男はガマン【涙】

featuring 『Te quiero』by TUBE
vs海原編、香たちが無事船から逃げ伸びてから
撩がヘリに吊るされるまでのほんの数コマ【笑】ですが
ここまでの葛藤があったはず。

ちなみに「Te quiero」というタイトルは
スペイン語で「愛してる」という意味だそうです。
撩にとっては第二の母国語ですからね、まさにぴったり♪
そして、最後のオチの付き方も【爆】


City Hunter