月見れば ちぢに物こそかなしけれ
わが身ひとつの秋にはあらねど
普段は季節感の無いサイドボードに芒が揺れていた。
何の風流かと思ったが、ベランダに出てみて初めて
その理由に気がついた。
「今日は十五夜か・・・」
ビルの上には真ん丸な月。
まだ高度の足りないそれは、血の紅にも似た
禍々しい色を帯びていた。
それはまさに、人を狂わせるほどの――
月の魔力、か。
lunacy,
lunatic(狂気、狂った)の語源ももちろん
luna、ラテン語の「月」であるのは言うまでもない。
その辺りの民間伝承が結実しているのが
狼男の伝説だといえよう。
現に、満月の日には殺人事件が増えると
ある統計が示しているらしい。
――月の光は、人を狂わせる。
満月であればなおさら。
いっそ狂ってしまえばいい。
狂って、日常の箍など総て外して
思うがままに欲望を満たしてしまえばいい、
日常では決して許されない欲望を。
cry
for the
moon――手に入れられないものを求めること
結局は狼どころか、月に向かって吠えてるだけの野良犬じゃねぇか。
384,400kmの距離を理解することもなく
手を伸ばせば届くんじゃないかと思い込んで――
「なんか、手を伸ばせば届きそうね」
俺の思考を見透かしたような声が降ってきた。
「だってほら、いつもよりあんなに大きいんだもん」
「ああ、まだ昇りきってない満月だからな」
香はベランダに出て俺の横に並ぶと
月に向かって手を差し伸べた。
その様子がいつもより子供じみてると思ったら
横顔はけっこう聞し召しているようだ。
勝手に月見酒と洒落こんだか。
「はい、撩これ」
「なんだ?」
「んもうっ、お月見っていったら月見団子でしょ!」
と手に持った皿を差し出す。
ご丁寧に何本かには爪楊枝が刺してあった。
「――餡子だったら食わねぇぞ」
「ご心配なく。胡麻餡貰ってきたから」
そう言うともう片方の手で
小さなプラスチックのパックを差し出した。
この中身に白玉団子を絡めて食えというのか。
だから壊せないんだ、穢せないんだ
この日常を、このささやかながらかけがえのない幸福を。
だから俺はこの欲望に蓋をする
そう、総ては月が見せた幻影なのだから。
そんな決意を嘲笑うかのように酔った香が肩にもたれかかる。
なけなしの理性を掻き集めてそっと彼女の肩に手を伸ばした。
月見れば 千々に乱れる狼は
我が身一つじゃないはず きっと
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