世界中がインチキに染まりそうな1991 |
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1991年1月17日、戦争が始まった。 駅前の大型画面には連日遠い国の惨状が映し出されていた。 真っ暗な夜空を降り注ぐミサイルと続く爆発だけが明るく照らす。 搭載されたカメラは、ミサイルが狙いを過たず照準が捉えたとおりの標的を穿つまでを伝えていた。 それは戦場から遠く離れた場所からボタン一つで飛んでいく。 標的を目視することはない。その姿も破壊された様も画面に映されるだけだ。 誰かが言った、まるでテレビゲームのようだと。 四十数年間フィクションでしか戦争を知らないこの国ではなおさら。 ――撩はどう思ってるんだろう。 銃弾の届かない場所からボタン一つで数十、数百の人間を殺すような戦争を。 銃弾の飛び交う中を生き延びた者として。 もうこれ以上画面越しの戦場を見たくなくて足早にその場を通り過ぎる。 玄関にはバカでかいブーツが脱ぎ散らかされていた。 「撩、ただいまー」 たとえ目を反らしていても、戦争はあらゆる隙間から日常に忍び込んでくる。 「おぅ、おかえり」 珍しく撩はソファに座って夕刊を広げている。 その1面には闇夜を照らす空爆の閃光が写真に収められていた。 「また石油製品の値段が上がるかもしんないな」 「――そうね。だから撩もばかすかストーブ使わないでよ」 「へぇへぇ」 と当たり障りのない会話を交わしながら紙面をめくる。 「・・・もっと平和な世界になると思ってたんだけどな」 思わず本音が口をついた。 一つの民族を、世界を二つに隔てていた壁が崩れ去り、人々は一つになった。 壁と共に対立も圧制も、そして戦争もこの世から消えて無くなる、そう思ったのはわずか一年前だった。 だが一つになったはずの世界は前以上にバラバラになってしまったかのようだ。 「四十数年前、ちょび髭の独裁者が死んだときもみんなそう思っただろうな」 でもそうはならなかった。その結果はあたしも、そして誰より撩自身が一番よく判っている。 彼は悠然と新聞を畳む。 「戦争ってやつがこの世のシステムに組み込まれてる以上、そう簡単になくなりはしないさ。 兵士、軍需産業、それに群がるその他大勢の生活がかかってるんだ。 それ以前に、人が人を愛する限り人を憎む心は消えない。 だいたい、世の中平和になったら俺たちゃ商売上がったりだろ?」 「撩っ!」 「香、お前だって憎いだろ、槇村を殺した奴が」 ――何も言えなかった。 誰かを愛すればこそ、愛する者を奪われた哀しみは重く、深い。 それはそのまま憎しみの深さになる。 なら、人が人である限り争いは無くならないの? 「戦争を喰いものにしている連中にとって今の状況はまさしく書き入れ時だ。 民族対立、王位継承、さまざまなゴタゴタに付け込んで争いの種をばら撒いてやがる」 その眼は遠くを見ているようであり、何かをしっかりと捉えているようでもあった。 「だからって撩、白けてるだけでいいの!?」 彼は何も言わなかった。何も言わずソファから立ち上がる。 口の中で小さく「よっこらせ」と言いながら、脚を庇うように手をついて。 ここしばらく――唯香ちゃんの依頼が済んでから、撩は毎晩のように夜遅く帰ってくる。 いつものようなアルコールのにおいをさせず、その代わりに硝煙と――ときどき血のにおいを漂わせながら。 撩は何も言ってくれない。だけど途轍もなく大きな敵に立ち向かっているであろうことはあたしにも判った。 この世から総ての争いを無くすことは不可能かもしれない。 だけどその不可能に一歩ずつでも近づくことはできる。 撩はそんな奇跡のようなことは信じていないだろう。それでも彼が立ち上がるしかないのだ。 なぜなら彼にはその力があるのだから。 あたしたちに迫る脅威が金髪碧眼の刺客という姿をとって現れるまであとわずかのことだった。
featuring 『Smile and Peace』by TUBE 浅葱 誠さまのCHブログ『GOING MY WAY』に献上したブツでしたが
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