Papa told me, ‘It's alright.’


早朝の海辺の空気が、今しがた剃ったばかりの頬を冴え冴えと撫でる。
さっきまで車の窓を少し開けて走っていたが、ドアを開けて一歩外へ出ると涼気が全身を覆う。時間が時間ということもあるが、日が高くなってももう水着のもっこりちゃんがここに現れることはないだろう。
朝靄というにはどんよりとした空の下、海沿いの道を背中を丸めながら、小走りに急ぐ。左手後方には砂州で陸と結ばれた緑の小島が見えるはずだった。

あの不良娘が夜が明けても帰ってこないというのはわりとざらだ。
といってももう片親に似たのか、不純異性交遊の心配にはまだまだ及ばないし、本人の意に反してとなると、それなりの腕がなければ返り討ちに遭うのが落ちだろう。それにあいつが今、家に寄りつきたくない気持ちも判らないではなかった――
生徒会役員の役目だなどといって、同じ学校の生徒たちのトラブルに首を突っ込むのはいつものこと。大抵は力技で丸く抑え込んで大団円なのだが、今回ばかりは中学生だけの手には少々厄介すぎた。結局は俺たちが乗り出して解決に導いたものの、ひかり個人にとっては一件落着とはいかなかったようだ。

夜更けの歌舞伎町であいつを見たと情報屋の一人が言った。
家出少女に声をかける悪い虫にくってかかってアスファルトに伸してやったと。
ただ日の出間近の、一瞬の静寂に包まれた街にはひかりの姿も影も無かった。

思いつくのはここしかなかった。新宿から始発に飛び乗れば、2時間弱でこの海辺の街に連れてきてもらえるだろう。この砂浜から少し陸に入ったところには、竜宮城を思わす駅舎。そこからここまではひかりにとって慣れた道だった。

「見ろよ、江の島なんか気まずくて隠れちまってるじゃねぇか」

浜辺に続く階段にじっと腰かける小さな背中。

「おまぁが来るたびここで泣いてるもんだから。
なにも弁天様のせいじゃないのにな」

その小さな背中が振り返った。赤い目は夜明かしのせいだけではないだろう。

悩んだとき迷ったとき、人は海を見たくなるのは、そこが遠い遠い故郷だと知っているからだろうか。ひかりもまたそんな一人だった。そして、あいつがそんなときにいつも訪れるのがこの江の島を望む海辺だ。俺たちの住む街からでも電車1本で、子供の足でも来ることができる、ある意味「一番近い海」。だから俺も香も、ひかりが新宿にいないとなるとここしか思いつかなかった。

あいつの座る横の、同じ段に少しだけ離れて腰を下ろす。それでも気難しい年頃らしく、膝を俺とは反対側に傾げた。

「お前一人のせいじゃない」

だからあいつにではなく海に向かって言った。

「確かに事態が大きくなりすぎて、その結果
彼女を苦しめることになったかもしれない。
でもそれはお前が何かを間違えたとか、そんなんじゃない。
どっちにせよ今度のことは最初から、お前らだけの手には負えない話だったんだ」

それは何の慰めの言葉にもなっていないかもしれない。だが優しい言葉をかけようとすればそれは嘘になる。そんな言葉はあいつの望むものではないはずだ――
ひかりの眼は真っ直ぐ海を、無力な己を見つめていた。
当然ながらこいつとは長い付き合いだ。だが、

――もうこいつも、こんな表情を見せる年頃になったのか。

その眼差しに最愛の女の面影が重なる。

「だからもう大丈夫だ、気にするな」
「――パパになんか判るわけないよ」

言葉を絞り出すように、ようやく重い口を開いた。
判っている、お前が憤っているのはトラブルの元凶となった悪漢どもでも、途中から割り込んできて見事見せ場をかっさらっていった俺でもなく、結局自分たちだけでは何も解決できなかった己の非力さだということは。
だからこそそれを止めさせたいのだ、そして元気づけてやりたいのだ。

「俺だって、山ほどしくじったさ」
「うそっ!」

ようやくその声に10代らしい快活さが戻ってきた。

「当たり前だろ。最初からNo. 1スイーパーだったわけじゃない。
誰だって駆け出しの頃はつまづいて当たり前なんだ」

そう、俺に言わせりゃひかりは焦り過ぎだ。いくらこの俺の娘でも、最初から何でもうまくいくわけじゃない。そうやって失敗を積み重ねながら手探りでも、少しずつ前へと進んでいけばいい。それに――あいつにはもっと他に、進むべき道があるんじゃないか。ひかりが俺の背中を追いかけようとしているのは薄々判っていた。
あいつが学校でやっていることも要は俺らの真似事だ。だが、わざわざ我が子に茨の道を歩ませたい親はいない。まして、それが地獄への一本道だと判っていればなおさら――けど、それはまだ、今ここで口に出して言うことじゃない。

「だからもう泣くなよ」
「泣いてなんかない」
「じゃ笑ってみろよ」

そう両手を伸ばすとひかりの顔をこっちに向かせ、そして頬に手をやり口角を無理やり上げさせる。

「もぉ!」

とその手を振り払われ、再びあいつの両目は海へと向けられてしまった――
もう海の家も撤去された、荒涼とした砂浜。人影は俺たちの他には、荒れた波を目当てにやってきた危険知らずのサーファーと、こんな天気でも日課だけは欠かせない犬とその飼い主くらいのもの。
どんよりとした空と沈黙が嫌で、口を開いたのは俺の方だった。

「なぁ、覚えてるか?」
「何を」
「前にも何度もここに来たよなぁ。まだおまぁがこんなちいちゃいときも」
と言ってだいたい、腰をかけたままのひかりの頭の高さを手で指し示す。

「あれからおまぁもずいぶん大きくなっちまったが
それでも相変わらず大きいよな、海は」
「………」
「な、俺たちが悩んでることなんか
この海に比べればちっぽけに思えないか?」

女を口説いてるときぐらいに言葉が上滑りしているのは充分承知。
でも俺の今は世界中のどんな美女よりもたった一人の愛娘に、俺のことを格好いいと思わせたいのだ。だが10代の冷ややかな眼は鋭く真実を見抜いていた。

「ねぇパパ」
「ん、なんだ?」
「そのTシャツ、裏表じゃない?」

あわてて前の襟元を手で探る。タグの縫い目は指先で感じなかったが、その代わり首回りの縫い代がくっきりと表れていた。出がけに慌てて、昨夜裏返しに脱ぎ散らかしたままのに袖を通したのだ。だが、

「こ、これはこういうデザインなんだよっ!」
と、上着の後ろ襟からなおも中を覗き込んで確かめようとするひかりを振り払う。
それでもさらに、
「あ、白髪はっけーん♪」

などと、もはや父親をおもちゃにすることしか考えてないようだ。まったく、近ごろの若い娘ってやつは! とっつかまえて一つ父の威厳を見せつけてやろうと思いきや、一足早く波打ち際を子犬のように駆け抜けていく。
俺としてもそれを追いかけざるをえない、引いては寄せる波が足元を洗い、靴の中が水浸しになろうとも。それはあいつだって同じはず。

いつしかお互い、靴も靴下も放り投げて、秋の冷たい波しぶきの中を駆け回っていた、まだあいつが小さかった頃と同じように――無邪気に海の水を思いきりこちらに浴びせかけるその笑顔も、あの頃と変わらなかった。
何物にも、この世の暗い影にも染まることのない小さな天使だった頃と。
ひとしきり襲撃をかけ終るとするりと反撃をすり抜け、逃げ去るその足取りも、まるで背中に翼があるかのように軽やかで、自由で、何かに縛られることもなく――

だが時の流れは残酷で、それは誰の上にも――ひかりにも、もちろん俺にも同じだけ積み重なってくるもの。これがまさに寄る年波ってものか、気がつけば砂に足を取られて思いきり尻餅をついてしまっていた。もうとっくに全身どろどろに濡れていた、かまうことはない。

「ねぇ」
「ん、なんだ?」
「心配しないの?」
「何を」
「今から戻っても、もう学校間に合わないんだけど」
「あ、休みじゃなかったのか」
「もぉ、とっくに夏休みは終わったっての!」
と、今度はあっちが呆れ顔だ。

「大丈夫、気にすんな」

そう、気にすることはないのだ、結局。学校をサボる羽目になろうとも、世間の敷いたレールを踏み外すことになろうとも。ひかりが笑っていられれば、あの日のままの笑顔を忘れずにいられるのなら、それこそが父親である俺の望みなのだから。
今日も、明日も、そのまた先も、捉われることなく、あいつらしく。

服が少し乾いたら、二人クーパーに乗り込んで新宿に帰ろう。きっと香が旨い朝飯を作って待ってくれているから。見上げれば少し雲が薄れてきたようで、湘南の海もさっきよりきらきらと朝の陽の光を乱反射させていた。

「そろそろ行くぞ」
「あ、うん。もうちょっとだけ」

確かに朝食も心惹かれるが、この眺めを見ずに帰るのももったいない。だがそれ以上に、ひかりの眼にはよりいっそうこの海が眩しく映っているようだった。


featuring TUBE『Don't Think, It's All Right』(1989”Remember Me”)
          『トコナツPapa featuring miwa』(2015“SUMMER TIME”c/w)
昨夏シングルのカップリングが、父と娘の掛け合いと聞いて
これはもうCH’でやるしかないと思ったものの
「カッコいいこと言うけど」のくだり、そうはいってるけど
1スタンザだけじゃそれほどカッコよさが感じられない……orz
一方、ちょうど同じようなシチュエーションの曲が『Don't think,〜』
でも書くにはちょっとひねりが無くてストックにも入っていませんでしたが
この曲の渋カッコいい大人な撩と、『トコナツPapa』の
ノーテンキなテキトーパパっぷりのギャップがやけにハマってしまいました【笑】
けど、その二つの振れ幅全体が冴羽撩なんですもんね♪
おかげで2曲とも無駄にならずに済みました
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City Hunter