真夜中の薔薇

部屋に戻ると、辺りは闇に包まれていた。
夜中まで飲み歩いてきた帰りのこと。
とっさに闇の中の気配を探るが、そういえば昼間、香が「料金払えないから今日から電気が止まっちゃう」とこぼしていたのを思い出した。

暗闇とはいえ、不夜城の灯りが部屋に差し込み、全くの暗闇というわけではない。物の在処ぐらいは判別できる。だが、そういう訳で視覚は当てにならない。自ずと研ぎ澄まされるのはそれ以外の感覚。残り“四感”が捉えたのは、静かな寝息と――むせかえるような香の匂い。

いつの頃からだろうか、その名の通り、香が微かな香気ともいうべきものを放つのに気づいたのは。例えば大立ち回りの後、上気した肌から立ちのぼる微香。あるいはすれ違いざまに漂う残り香。それは、自分とは異なる性が持つ甘やかな匂い、というだけでは説明がつかなかった。
香水など付けずとも体から芳香を放つ、そういう体質があるとは聞いたことがあった。それが香だった。
芳香といってもほんのかすかなもので、鋭敏な嗅覚の持ち主でなければそうとは気づかないくらいだ。だが、「匂い立つような美しさ」とか色香、などという抽象的なものではない。本能だけが感じる薫香。
それゆえ着飾ることはなくても、男じみた言動にさえも惹きつけられてしまう。まるで姿が見えずとも、その芳気で在処を教える花のように。
そしてその花は蕾から、美しく花開こうとしていた。

だがその匂いが虫たちを惹きつけても、香は悪い虫には容赦しない。
――まるで薔薇だ、綺麗に見えても棘がある。必殺のハンマーで、こんぺいとうの文字通り“棘”で下心を露わにした男どもをはねのける。多少の怪我では済まされないことは・・・俺が一番身にしみている。

遠くのネオンの薄明かりに照らされた香の寝顔は、そんな昼間の表情とは正反対の、穏やかなものだった。

「いつもこんな顔してりゃ多少はモテるだろうに」

だが、あいつに棘をまとわせているのはこの俺だ――怒ってむくれた顔も嫌いではないから、わざとそうさせているというのもある。あれでも、満面に笑みを浮かべれば、それは花がほころんだような笑顔なのに――。

薔薇にもさまざまな芳香――芳醇なダマスクや爽やかなティーローズなどがあるように、香もさまざまな匂いを、さまざまな表情を持っている。
いたいけな子供のようだと思えば優しく包み込んでくれる母親のようでもあり、小煩い姉のようだと思ったら手のかかる妹でもある。頼れるパートナーにしてまだまだ半人前、そして守るべき者でありながら――触れることの許されない女。
だが、出会った頃はまだ果実を思わせる爽やかな香気を放っていたのが、いつの間に没薬や麝香のような、男を惑わせる匂いを身につけたのか。

いつもは微かなその匂いが、今夜ばかりは闇の中、部屋一面にたちこめていた。

媚香に誘われるまま、触れてしまおうか。だがこの暗闇の中、迂闊に手を出せば棘に刺されるかもしれない。

息を呑むような静寂の中、聞こえるのは穏やかな寝息――これがまだ夏場でよかった。冬に電気を止められれば風邪をひくどころでは済まない。

「りょお・・・」

寝息の合間に香が俺の名を呼ぶ。せめて夢の中ではあいつに優しくしてやれていればいいのだが。

「撩の・・・バカ」

夢の中の俺も相変わらずのようだ。

「・・・あたしだけを見て」

――闇の中、鮮烈な香りを放ちながらも姿を見せずに咲く薔薇は、
純潔の白か嫉妬の黄色か、それとも情熱の真っ赤な薔薇なのか。


『CHANCE』でヤツは「血と薔薇と硝煙の香りがよく似合う」とのたまわってますが
となると薔薇=香、ではないか、というのがそもそもの思い付き。
綺麗に見えても棘がある【笑】そして色によって花言葉が異なるように
さまざまな側面を持つ女性なんじゃないでしょうか、彼女は。
店主の中の香嬢は、こんなイメージでもあります。

City Hunter