心までSUNSHINE |
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約1ヶ月を過ごした病室には、庭に面した窓があった。そこから外の賑やかさが聞こえてきていた。もうすでにみんな集まってわいわいと始めているみたいだ。 俺の退院祝いということで集まったはずが、あいつらにとってそれは飲んで騒ぐための口実に過ぎないらしい。 もっとも「あいつら」なんて親しげに呼んではみたが、もともとの顔見知りは撩と香と冴子と、あと仕事柄、海坊主とは顔だけ何度か合わせた程度で、それ以外はここひと月の付き合いに過ぎない。それでも彼らは「友達の友達はみな友達」というように、俺をその輪の中に迎えてくれた。だからこっちもまるで昔からの友人と錯覚してしまいそうになるほどだ。 そんな彼らがわざわざこうして集まってくれたのだ。たとえアリバイではあっても、メインゲストがいなければ話にならない。身支度を整えると、香には流行遅れだと言われたが、新しく誂え直したやや大ぶりの眼鏡を掛けた。 一歩外に出れば、梅雨明けも秒読みの眩しい日差しが瞳を刺す。 「あーっ、アニキ! こっちこっち!」 そしてひときわ眩い妹が思いきり手を振る。すでにもうお馴染みの面々が散らばって楽しそうに談笑を始めていた――「フェルナンド・ミナミ」だった頃はパーティーも仕事の内だった、招くのも招かれるのも。そのときに習い覚えたマナーに則って、まずはみんなに挨拶でもと庭に出ようとしたら、 「アニキはまだ病み上がりなんだから」 と肩を掴まれた。押し込まれたのはパラソルの下。そこにはテーブルと肘掛け付きのガーデンチェアが置かれ、辺りを見渡せる位置にあった。まるでマハラジャの席だ。 「もう大丈夫だよ。退院の許可だって出たんだから」 それは香の言うとおりだった。総監の鶴の一声で警察への復職は叶ったものの、もうしばらくは冴子のところで居候兼家政夫を務めながらの様子見だ。 「今日なんかこんなに日差しが強いんだから、日射病になっちゃうよ?」 「だからここで大人しく座っててね。 と言うと香はパラソルの外へ立ち去ってしまった――食べたいもの、か。そう言われると、下味付きの肉の焼けるいい匂いがこちらにまで漂ってきた。 「Hey, ヒデユキ! それともMr. マキムラと呼んだ方がいいかい?」 その匂いは風に乗ってというわけではなさそうだ。 「どっちでもかまわんよ」 と、山盛りのプラスティック皿を恭しく差し出した。確かにアメリカ人はBBQに一家言ある者も多い。ということはこのガーデンパーティーのピットマスター(BBQ奉行)を買って出たのか。 「こっちはフランクフルト、焼いてあるだけ。 肉ばっかじゃヘルシーじゃないから、マリネ野菜のグリルもあるよと一気にまくし立てられる。その様子に新顔への気兼ねは無かった――ビールが欲しくなる。 「ビールだったら、look there(あっちを見て)」 このパーティーの準備に各人ずいぶんと気合が入っていたようで、何とビールサーバーまでどこかから借りてきていた。そこでビアホールのようなきめ細やかな泡の乗ったビールジョッキを量産していたのは、香だった。 「はいっ、アニキお待たせ!」 その手を休めて自らパラソルへとジョッキを運んできた。 「おぉ、すまないな」 こうやって気を回しすぎるくせも相変わらずだ。 「香、ちょっといいか」 用を済ませて持ち場へ戻ろうとする妹を呼びとめた。 「あいつとはうまくいってるのか?」 すると香は途端にどぎまぎとして視線を伏せ気味にそらした。あれからずいぶん経つが、こういう初なところは20歳前の頃と変わらなかった。そういう齢不相応なところは、兄として喜んでいいのか、それとも心配するべきか。 「うまく――」 言い淀まれれば、取調べのプロでなくても察しはつく。 「――普段は特にこれといって問題はないんだよ。 そんなことはない、と大声で否定してやりたかった。7年を一足飛びで越えてしまった“浦島太郎”としては、その間の香の成長ぶりには目を見張るものがあった、というのは兄の欲目だろうか。だが撩はそれを認めようとはせず、まだまだ半人前だと言わんばかりの素気無い扱いは傍目にも明らかだった。 「香の夢って、なんだ?」 パラソルの向こうの青空へと視線を上げる。 「やっぱり、撩に相応しいパートナーになること、かな」 香の声はやや湿り気を帯びていた。取り繕うように目元をぬぐいながら「あ、もう戻らなきゃ」とそそくさと立ち去る姿はやはり愛おしい、守ってやりたい妹のそれで、だがサーバーで注文をきびきびとさばく様子はもう立派な27歳だった―― 「さすが槇村、含蓄あるお言葉ね。わたしも聴き入っちゃったわ」 と言うと、さっきまで香が座っていた席に就いて、皿から肉と野菜の串焼きを取った。 「――なんだか不思議な気分だな」 まるで玉座のように俯瞰できる位置にあるからか、見ようと思えば一歩引いた視線でこの楽しげなガーデンパーティーの光景を見られなくもなかった。自分自身すら客観視して。 「逆に、あの頃の自分が嘘みたいだよ。 誰にも心を許せなかった、たとえ組織内の身内であっても。どんなに生真面目な組織人でも反社会的集団の一員、根は悪人とみなしておいた方が間違いはなかった。 「でも、ミランダさんがいたじゃない」 ミランダ――フェルナンド・ミナミの秘書でありながら組織の“籠の鳥”でもあった。 「彼女を本気で逃がそうとするフェルナンドの――あなたの姿を見て 意外だった、冴子の言葉が。それまで自分にとって、「フェルナンド・ミナミ」であった間「槇村秀幸」は、まるで暗い牢獄の中に押し込められていたかのように思っていた。だがその間も「槇村」は「フェルナンド」の心の奥底の、”芯”の部分に息づいていたとは―― 「あら、あの二人」 そう言って冴子が指差した先には、香と撩の姿。 「なかなかうまくいってるみたいじゃない」 撩はというとジョッキと皿とで両手がふさがっていて、それで香が「あーん」とあいつに食べさせてやっていた。香はああは言っていたけれど、傍から見れば充分仲睦まじい様子だった。 「わたしたちもそうこうしちゃいられないんじゃない?」 と意味深な眼差しを向けられるが、どうしていいか見当もつかず、曖昧な笑みを返すのが精一杯だ。とはいえ、あの二人もまた新たな一歩を踏み出したのだ。 「槇村っ」 次の瞬間、その場にしゃがみ込んでしまった。 「心配ない、ただの立ちくらみだ――はは、酔いが思ったより早く回ってたかな」 香と同じことを言われた。 「でも、人間も光合成するんだな」 パラソルの陰から一歩踏み出せば、日差しがまるで肌に刺すようだ。だが、それが心地よかった。 今まで裏の世界に身を置いていた人間が、一転して表の世界で生きていく。 「槇村さーん、焼きそば出来たわよー」 こうして、俺を支えてくれる仲間がいれば。 ――この日、今年の梅雨が明けた。 featuring TUBE『心までSUNSHINE』(1989“SUMMER CITY”)
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