傷だらけのhero

いつものジャケットはすでにボロボロだった。木の枝に引っ掛けた跡もあれば、銃弾がかすめたのもある。招待状の「平服」という言葉を真に受けてよかった。もし一丁羅をずたずたにしようものなら、香に何と言われるか――
その香は傍にはいない。あいつは今、クロイツの手の中にあった。冴子の陰謀でラトアニアのクーデター騒ぎに巻き込まれ、俺たちはその首謀者のクロイツ将軍の恨みを買っていた。そいつらが海坊主の結婚式を襲撃し、何の関係もない美樹に銃弾を浴びせ、その隙に香をさらっていったのだ、俺をおびき寄せるために。

そんなことは今までもざらにあったこと。ただの仕事上のパートナーだというのに、敵が勝手に勘違いをして「シティーハンターの弱点」に仕立て上げていた。
確かに香に傷一つつけるわけにはいかなかった。だがそれは「大事な預かりもの」として。だが今は――ようやく想いが通じ始めた今となっては、皮肉にも彼女が敵の手に陥ちるリスクはさらに高まったと言わざるを得ない。奴らにとっての香の利用価値というものがますます大きくなったのだから。
だからこそ俺は香を守らなければならない、共に生きるために。
誕生日は一緒に過ごすと誓った。死んであいつを悲しませるようなことはしないとも。だが、それは可能なのか?果たしてお前にできるのか?いつもの弱気が頭をよぎる。しかし、できるかどうかじゃない。問題は、やるかやらないかだ。
少なくとも、過去の自分より強くなければならない、香と生きることを選ぶ前の自分よりは。「シティーハンターが女にうつつを抜かして骨抜きにされた」なんて言われれば一生の恥だ。

次の瞬間、一斉に茂みの中から鳥たちが飛び立った。ぎりぎりまで気配を殺していたのだろう。

「アンブッシュしているつもりかもしれないがな――」

だが、ターゲットが射程圏内に入った瞬間に沸き上がる殺気だけは、いくら隠そうとしても野生の鳥には隠せ通せないものだったようだ。

「バレバレなんだよっ!」

藪の中のかすかな気配に向けて銃爪を引く。ぐおっという悲鳴とともに、ギリースーツ姿の狙撃兵が倒れこんだ。とんだ小さな偵察兵に窮地を救われたらしい。
だが、たとえ奴の銃弾に倒れようと、俺は這ってでも香のもとへ辿り着かなければならない、一刻も早く――何を急ぐ必要があるんだ。
クロイツの狙いは香ではない、この俺だ。あいつはあくまで俺をおびき出すための囮、それまでに危害を加えればその役目も果たせなくなる。いったい何を焦っているんだ。その焦りが隙を生み、その隙が弱みとなるのに。

果たして俺に香を守れるのか、彼女を守り切る強さがあるのか。
あいつの想いに、そしてあいつへの想いに気づき始めてから、その自問はずっと胸を離れることはなかった。強くなければ香も、香と共に生きる未来も守ることはできない。非情なようかもしれないが、それが俺たちの生きる世界の現実だ。
そして今日は昨日よりも、明日は今日よりも強くならなければ。
何度も壁にぶち当たった。血の涙を流した夜もあった。だが、それで諦めてしまっただろうか?いいや、諦めの悪さだけは充分にあった。だからこそ、今の俺たちがあるのだから。
確かに、自分の身を守るだけなら今までなんとかなってきたし、これからもどうにかするだろう。誰かを守って生きるというのは、この世界じゃ並大抵のことではない。ときに無様な真似をさらさなければならないこともあるだろう。
だが俺は格好よく生きていくよりは、不格好でもあいつを守り抜く道を選ぶ。たとえ傷だらけになろうとも――。

正直、投げ出してしまおうと思ったことは何度もあった。香を手放そう、そして表の世界に帰してやろうと。その機会はいくらでもあった。
だが、そのたびに言葉にならない感情が胸の中に湧き上がってきた。
それは、あいつが銀狐に狙われたとき――香を守り切れない自分に対する歯噛みするほどの悔しさ。
香の実姉・さゆりが俺たちの前に現れたとき――彼女がもし香を連れていったら、あいつのいない日々を思うだけで全身に走る身を切られるような痛み。
小さな依頼人、まゆ子の父親に惚れられていると思い込んだ香がうろたえ、それでも心を浮き立たせているのを傍目で見ながら――あいつの眼に俺の姿がもはや映っていないんじゃないかという悲しみ。
それらが渦となって俺の心に押し寄せて、放そうとする手を気がつけばぎゅっと握りしめさせていた。
それは、俺だけではないはず。香の胸の内にもある込み上げる想いが、振りほどこうとする手をつなぎ直させていたんじゃないか。なぁ、そうだろ?

「あーあ、まただ・・・」

またドジっちゃった・・・そうやってため息をつくのはいったい何度目になるのだろうか。よりにもよって今度は海坊主さんと美樹さんの大事な結婚式の日に。
あのとき、美樹さんが撃たれて――気が動転していたとはいえ、またもあっけなくさらわれてしまった自分の不甲斐なさにまたため息が漏れる。

撩は、助けに来てくれるんだろうか――。
今度の敵は今までとは比べ物にならない。一国の軍隊、それもその中でも精鋭を選りすぐった特殊部隊だ。いくら不甲斐ないあたしでも、見張りの兵士の隙の無さ、機敏なしぐさ一つでそれぐらいは判る。ここのアジトにもこれだけの人数が割いてあるのだから、森に潜ませた兵力は相当な数になるはず。その攻撃をくぐり抜けて、ここまでたどり着けるのだろうか・・・
いっそ助けに来ないで!あたしごときのせいで撩が命を落とすぐらいなら。
そんな祈りとも絶望ともつかない感情があたしの中で渦巻いていた。

――ダメよ、撩を信じなきゃ。
信じていればきっと彼はここに辿り着く。だって、誓ったはずだもの。死んでお前しを悲しませるようなことはしない、そして、だからお前も俺を悲しませるなと。
確かにあたしは非力だ、現にこうしてクロイツの手に陥ちている。でも、撩を信じる心があたしに強さを与えてくれる。もしそれを裏切ったら――あたしは撩を失うだけでなく、あたし自身も失ってしまう。撩を信じられなくなったら、きっとあたしはあたしでなくなってしまう。
だから、くよくよしたって何も始まらない。あたしは胸に思い描く、撩の姿を。
きっと今、泥にまみれながらもクロイツの軍勢に立ち向かう彼の姿を。いつものジャケットはボロボロになっていることだろう。でもそのかぎ裂きも、擦り傷の一つひとつもあたしには大事な勲章、奴の胸に大仰に光るものよりも輝いて見えるから。
颯爽と空を飛ぶ正義の味方なんかより、あたしにとってのヒーローは撩、あなただけだから。


っちきしょう、すっかり泥だらけだ。思わぬ方向の銃撃からとっさに避けられたのはよかったのだが、バランスを崩してぬかるみの上にまっさかさまだ。陽もろくに当たらない森の中、朝露がまだ乾ききっていないようだ。幸いにも足を挫いたりはしていない。アジトの気配は近いというのに、すでに疲労困憊の体をようやく立て直した。

だがいつか、こんな迷いも葛藤も、笑い話にできる日が来るのだろう。香を守れる強さが欲しいと悪あがきしていた自分も、あのときはまだまだ未熟だったと言える日が。だから今は、ゆっくりと、しかし着実に歩みを重ねていこう。たとえそれが茨の道でも。いつかきっと、そこにたどり着けるのだから。

「シティーハンター、聞こえるのか!?
お前がもう傍まで忍んできているのは判っている」

捕えられた香は銃を持った兵士に取り囲まれていた。その数、ひぃふぅ・・・10人。その全員が全員、あいつに銃口を向けていた。いくら俺でも、これで正面突破というのは無謀すぎるだろう。

「ククク・・・さぁ銃を捨てたまえ、シティーハンター。
二人とも実に素晴らしいよ、素晴らしい自己犠牲愛だ」

香に向けられていた銃口が残らず俺へと向かう。

「だが、戦場ではそれはただの甘さでしかない。さらばだ、シティーハンター!」

それプラス、クロイツのワルサーも。しめて11もの銃が俺を狙っているということだ。
果たして俺に香を守れるのか、彼女を守り切る強さがあるのか。その問いは昨日今日、あいつにようやく向き合えるようになってから生まれた問いじゃない。香と出逢ってから――彼女が兄を失い、俺に託されたときから、いや、最初に出会ったシュガーボーイの頃からずっとそれは俺の胸の中にあり続けてきた。

「俺は違うぜ。俺は愛する者のために何が何でも生き延びる。
それがおれの愛し方だ!」

そして俺にはそれだけの強さがあるはずだ。そこに確証は無い。ただ、自分自身を信じる気持ちだけ、それだけあれば充分だ。何度血の涙を流そうと、決して諦めることはなかったのだから。だからこそ、今の自分があるのだ。今の俺と、香が。

「そいつを今見せてやるよ」

今、この状況で香を救いだす手はこれしかない。とてもじゃないが格好いいとはいえないかもしれない。だが、この瞬間誓ったのだ、何が何でも生き延びる、そして何が何でも香を守り抜くと。そのためには手段など選んではいられない。

俺は笑みを浮かべながら、両手のロケットランチャーの銃爪を引いた。

featuring 『傷だらけのhero』by TUBE
はい、以前『誰も知らない泣ける歌』でも取り上げていただいた
TUBEの知られざる名曲です(シングルカットされてませんし)
自分の中ではずっと撩のキャラソンでした♪

「強くなきゃ守れない」 非情かもしれませんが
それが撩と香が生きる世界の現実でしょう。
でも、撩には香を守り抜くだけの力があるはずです!
「愛する者のために」強くなれるんですから。


City Hunter